君の花が咲く山
今回は短編の小説を書かせていただきましたが、知っている人は知っている絵本が原作です。
花さき山という素晴らしい絵本なのですが、その内容に惚れ込み、手が止まらず、書いたのが本作です。
実は私の中学校の卒業式で知ったのですが、あまりの素晴らしさに興奮が止まりませんでした。
原作を知っている人は少し気分を悪くされるかもしれませんが、なかなか時間をかけて書いた作品なのでどうぞ
お楽しみください。
ーこの地域に古くからある花の山、花さき山。
自然に咲くその花たちの美しさには誰もが心を奪われる。
しかし
誰も見にこようとはしない。
あの山に行ったら最後、誰も帰って来ない。
皆は怖がって誰も近づこうとはしない。
ただ一人の少女を、除いてはー
「じゃあ、行ってくるね!!」
元気よく家を出て行く十歳の少女、あや。
あやは今日、近日やるお祭り用のご馳走の山菜を採るために山へ向かった。
おうちの仕事は正直面倒なものばかりで。
地味に畑仕事だとか朝餉の支度など十歳の子にとっては実につまらない。
だから、こうやってお外を駆けていけるお仕事を頼まれたのは嬉しかった。
あやはわんぱくな子でよく他の子供達と一緒に山へ遊びに行く。
しかし、一つだけ守らなくてはいけない掟があった。
何があっても、花さき山にだけは入らない事。
花さき山とはこの村のすぐ南にある山で花がたくさん咲いている。
それだけ聞けば訪れたいとも思うはずだが…。
不思議なことにその山に入った人は誰一人帰らない。
物の怪がいるんじゃないかという噂もたっていた。
だが、強気でしっかり者のあやはそんな話を全然信じていなかったし、怖がってもいなかった。
むしろ、少し気になっていた。
物の怪がいるとすれば一体どんな姿をしているんだろう。
どんな顔をしてる?
どんな声で話す?
考えれば考えるほどあやの好奇心は広がっていった。
一度だけ村の子供達と一緒に花さき山に入ろうとしたことがあった。
後一歩のところで村のおじさんに見つかってしまったけれど。
あやは心底悔しがった。
だから、こんなまたとない機会をあやは無駄にしたくなかった。
山に入ってどれ位経っただろう。もうおてんとさまが頭のてっぺんまであがっていた。
泥だらけの足でひたすら山を登る。もう来た道も分からなくなっていた。
どうしよう…道に迷ったのかな…。
あやは段々不安になってきたが、不安感よりも好奇心。
手に山菜をたくさん集めて更に山を登った。
もうここは、花さき山なのだろうか…?
分からないままただ登る。ひたすらに。一生懸命に、登る。
しかしいっこうに何も起きない。何も出てこない。
あやは半分諦めていた。
やっぱり、物の怪なんているわけない。ただの作り話だったんだ。
そう思うと無性に馬鹿馬鹿しくなってきた。自分は何のためにここに来たんだろう。
山菜を採るために…?それともいもしない物の怪を探すために…?
「やめやめっ!!」
あやは深いため息をつくとその場に座り込んだ。
思ったよりも登っていて、村の人たちが蟻んこのよう。
しばらくはここで風に吹かれよう。
あやは青い草の上に寝転んだ。
不意に甘い香りがして上体を起こす。
この匂いは……花?
「どこから匂ってくるんだろう…?」
あやはその香りに引き寄せられるように道無き道を歩き出した。
ザァァァッと柔らかい風があやを包み込んで広い空間に連れて行った。
あたり一面に見たこともない美しい花が咲き乱れている。
思わず吐息が漏れた。言葉に出来ないほどの感動があやを抱きしめた。
「きれい…。」
あやのくりくりした瞳の中に色とりどりの花が映る。
甘い花の香りがその空間に充満してているだけで和めそうだ。
あやは時間が経つのも忘れてその素晴らしい光景を目に焼き付けた。
そして、見つけた。
きれいな花畑の真ん中に立つ一軒の小さなお家。
もくもくと煙が上がっている。誰か住んでいる?こんな山奥に?しかも、この山に?
あやの好奇心は留まらず、その家に向かって走り出した。
玄関先に誰かいる。もしかして物の怪!?
期待を膨らませて走る。あちらもあやの存在に気付いたようだ。
「おーい。何してるの?」
思い切って笑顔でそれに話しかけたが、それは素早く後ろを振り返って愕然とした。
見る見るうちに顔色が青ざめる。何かしたっけ、私。声をかけただけ…
そしてあやも言葉を失った。二句がつげない事なんて滅多にないのに。
それもそのはず。
それは、物の怪だったからだ。
全体的には人間に似ている。あやより一回り上の青年、という感じ。
だが所々おかしな点がある。
くりんくりんとした栗色の髪の間から見える小さな角。
口の中に見え隠れする小さな牙。
紅色の瞳。
茶色い花を持つ手からのぞく鋭い爪。
あやは硬直したまま。それもギョッとした顔のまま、動かない。
時が止まったように木々も鳥も喋るのをやめて静かになった。
これが…
物の怪。
別名妖怪。少なくとも、人間ではないことはあやにでも分かった。
その異質な姿形。
鋭く光る赤い瞳。
それの持つ全てがあやを威圧する。
まるで、誰も近づかせないような、妙な威圧感にあやは苛まれた。
妖怪はスッと立ち上がり、あやを更に睨みつけて低く唸った。
「立ち去れ。食うぞ。」
怒りを露にした言葉。妖怪は怒っている。そう分かってるはずなのに…
「あなたが…物の怪?」と思わず口にした。
妖怪は答えない。それは肯定の意味なのだろうか。
あやはもう一度聞いた。あなたが物の怪なのか、と。
妖怪は睨みつけた目を逸らさずに短くそうだと答えた。鼻にしわを増やして。
あやは震え上がった。恐怖ではない。
喜びで、だ。
大きく見開いた目を細めてにっこりと笑う。
まるで、咲きかけていた花が満開になったように、笑顔が生まれた。
妖怪の顔はさっきよりも柔らかくなって怒りが消えたようだ。
代わりに困惑したような目つきであやを見た。
あやは気にせずその小さな口から喜びの言葉を漏らしまた笑う。
「やっと…見つけた!」
妖怪の眉間からはしわが消え失せ、驚きを隠せない表情に変わった。
紅色の瞳に光が宿り、自然と眉が上がったみたいだ。
「えっ…?」ポツリと呟く。
目の前にはニコニコしている知らない女の子。
しかも、意味の分からない事を言った。何なんだ…この子は。
ぐるぐると頭の中を駆け回る少女の言葉。
見つけたって…もしかして俺のことか…?
そんな事を考えている内に少女はどんどん近づいてくる。
妖怪はハッと我に返りまた唸った。
「近づくなっ!!!帰れっっ!!!」
手に握り締めた茶色い花がぐったりとうな垂れた。
力を入れすぎたらしい。
だけど妖怪はそんな事どうでも良かった。
ただひたすら近づいてくるあやに怯えていた。
また…また…いつまでたっても人は変わらない。どうして…こんなにも無情なのか…。
やめてくれ。これ以上…犠牲が…!
あやは妖怪の目の前で止まって言った。
「こんにちわ。綺麗な花がたくさん咲いてるねっ!」
「えっ?ああ……」
半分言われた反動で答えた曖昧な返事。
あやはそんな妖怪の様子に気付かず聞いた。
「この花たちはあなたが育てたの?」
妖怪は唖然とあやの質問を聞いた。今でも目を大きく開いてあやを凝視している。
人と話すのは久しぶりのように見えた。
まるで、あやが彼を恐がらないのを不思議に思っているみたい。
一瞬の沈黙を置いて妖怪は答えた。
「ああ…そうだよ。」
あやは笑顔いっぱいの表情で「そっか!!素敵だね。」と言葉を紡いだ。
その純粋すぎる笑顔と言葉を妖怪は一度も見たことがなかった。
妖怪は…少しだけ、あやと一緒にいたいと思ってしまった。
春の昼下がり。
もくもくと煙が上がるお家の庭先。
そこにはたくさんの花が咲いている。大きさも色も種類も全て違う。
十人十色の花たちが春の日差しに向かって優しい笑みを向ける。
甘い香りを辺りにまきちらし、凛と佇む。
あやは足をぶらぶらと揺らしながら来た道を眺める。
実際には道はなく森の木々が大きな口を開けているだけ。
隣にお茶を持ってきた妖怪。
なんとも不思議な光景である。妖怪はさっきまで見せていた殺意を消し、あやにお茶を渡す。
あやはなんの疑いもせずお茶をズズズとすすった。
妖怪はあやの隣に腰かけ、同様にお茶をすすった。
なんて穏やかな光景なのだろう。
妖怪はお茶の味をしっかりとかみしめた後小さく呟いた。
「君は…俺が怖くないんだね。」
って。
あやはきょとんとしてお茶をもう一度すすった。
香りたつその匂いがあやの心を暖かくする。
口から生暖かい息を吐くとあやはこう言った。
「まぁね。怖くはないけど見てビックリしたな。」
「何で?」
「だって…想像と違ったから。思ったよりも人間みたいだなぁって。」
「そうか…。君は…不思議な子だね。」
妖怪はフッと笑ってこんな事を語りだした。
この花たちは彼が咲かせているわけではない。
全て、自然に咲いてきた花だと。
この花たちは全て麓の村の人々が咲かせ、育てた花だと。
どういう意味なのか、あやにはさっぱり分からなかった。
そんなあやに妖怪は丁寧に、優しく語ってくれた。
なぜこの山の花がこれほどまでに綺麗で幻想的なのか。
答えは一つ。この花は優しさの象徴なのだ。
ここの花は麓の村の者が優しいことを一つすると花が一つ咲く。
逆に愚かな行いをすればその花は輝きを失い、枯れる。
妖怪が出会ったときに持っていた茶色い花は優しさを失い枯れた花だったらしい。
優しいことをすれば花が咲く。
命を懸けてすれば山が生まれる。
だから、この山は村の人々の優しさが生んだ山だ。
そんな優しさを守りたいと一心に思い、ここに暮らしている。
悪さをする妖怪が殆どだけど、彼は心優しい者だと。
だから花は枯れずに今も生き生きとそのままの姿であり続ける。
そんな話を聞いてあやは心から嬉しがった。
最近は争い事が増えてきた村だったが、こんなにも優しいことをしている人がいる。
昔の人々が作り上げてきたこの山を今でも生かし続けている。
皆、何かを守りたいだけ。
この妖怪のように。
素敵な話が終わった後、妖怪の顔つきがガラリと変わった。
しかし、優しい者の中にも邪念があって。
優しさの花がたくさん咲く一方でその花を採りに来る、野蛮で意地汚い愚かな者たち。
必死に優しさを咲かせ続ける謙虚な花を採り、売る。
どうしてそんなことをするのか。
村の人々はこの花たちがこんなに綺麗に咲く理由を知らない。
知っていたらそんな惨いことはしないだろう。
「だから俺はこの山に入った村人を徹底的に捕まえて真実を伝えた。けど、誰一人信じちゃくれなくて。だから…。」
妖怪は口をつむんだ。下唇と噛んで震える。あやは心配そうに妖怪の顔を覗き込んだ。
「殺して……しまった。俺の存在に気づかれたら…と思って…。」
そう呟かれた言葉たちはあやの脳内に深く刻まれ、あやは少しの間戸惑った。
「じゃあ…皆、死んじゃったの…?」
嘘であって。冗談であって。無意識に首をいやいやと振り、そう願うあやだった。
しかし彼の表情や声からしてそんな淡い願いが叶うはずもなく。
妖怪は申し訳なさそうに弁解を始めた。
「俺が妖怪だから…悪かったんだ。誰も俺が悪さをしない、優しい妖怪ってことを…信じてはくれなかった。」
辛そうな瞳で隣のあやを横見する。
なんとも悲しい目つきであやを見る。
あやはどちらも可哀相でならなかった。村人には確かに花を採ってこようと山に行った人がたくさんいた。
が、殆どの人はその美しい花たちを家に飾ったり、想い人にあげたり、病気の人へのお見舞いなどに使おうとしていたのをあやは知っていた。
そんなことは知るはずもないこの妖怪も。
その肩書きだけで誰も信じてくれない、孤独な人。
必死に村人の優しさを守ろうとしていた、心優しい妖怪。
どっちが悪いなんて決めつけることが出来なくて。あやは少し言葉に詰まった。
そして生じた2つの疑問。
どうして私は捕まらないのか?これから殺されてしまうのか?
そんな事、聞けない。あやは恐怖に押し潰されそうだった。
怖い、恐い。この妖怪が…コワい。優しい妖怪なのはなんとなく分かる。だけど…この妖怪のせいで村の人が死んだ。
いつか自分も殺されてしまいそうで。嫌な汗が流れる。
あやは質問をせずに自分の思ったことをこう言った。
「私はあなたを信じる。」
ドクン
妖怪の目に光が戻った。
ブワァッと甘い花の香りが空を舞った。
ドクン
心が満たされる。
少女の言葉で。
紅色の瞳から透明な涙が零れた。頬を伝っていく内に肌の色が映って薄い肌色に変わった。
そして顎に達し、宙を舞い降りる。休みなく、目まぐるしく、様々な色に変化したそれはぽたりと地面に落ち、割れた。
溢れだしそうな涙を着物の袖で拭って妖怪は笑った。
「ありがとう。」この言葉と共に。
妖怪に名前はなかった。
誰にも聞かれたことはないし、もちろん呼ばれたこともない。
あやは彼に紅と名前をつけた。
彼の燃えるような赤い瞳にちなんで。妖怪はその名前を気に入った。
紅はずっと花さき山を守り続けてきた妖怪の末裔。
もし人が侵入したらすぐ駆けつくのだが、あやの存在にはまったく気づきもしなかったと嬉しそうに話す。
「君はきっと小さすぎて分からなかったんだと思う。でも、良かった。良い出会いをしたと思えるからね。」
クスッと笑って花をくるくると弄ぶ。
あやは縁側に手をついて足をぶらぶらさせた。空を仰いで目を瞑る。
「君は…何のために生きているの?」
唐突に聞かれ、あやは顔を紅のほうへ向けた。
「家族のため。自分のため。かなぁ…」
そう言うとあやはまた空を仰いで目を瞑った。
紅は少し驚いた顔をして「君は素直なんだね。」と言った。
そしてそのまま腰を上げ、ゆっくりと花畑の方へ歩いていった。
あやは首を傾げて紅を見つめる。紅は後ろを振り返り、あやに向かって手招きをした。
あやはぴょんと縁側から飛び下りて紅に付いていく。
裾の中に手を突っ込んでゆっくり歩く紅はあやのお父さんに少しだけ似ていた。
少し歩くとあやがもときた道に着いた。
そこには小さな赤い花がちょこんと咲いていて、あやは目を輝かせそれを眺めた。
紅はそんなあやを満足そうに見つめる。
本当に純粋な心の持ち主だな…。
紅も一緒になってしゃがみこんであやに教えてあげた。
その赤い花はあやの優しさが咲かせた花だと。
「えっ?どういうこと??」
あやは首を傾げて眉を寄せた。その反動であやの艶やかな黒髪が揺れる。
紅はその花が咲いた経緯をあやに話して聞かせた。
その花は昨日咲いたあやの花。
あやの家は貧乏で一日の食事を確保することでいっぱいの状況。
あやのお母さんはそんな事情を教えたくなかったので他の子供と同じようにお祭り用の晴着を買ってやるつもりだった。
しかし、あまりにも貧しいため、あやの分は買えても妹のそよの分は買ってやれなかった。
あやはそれを察して、自分はいいからそよに買ってあげてと言ったのだ。
自分は我慢して。
「自分の事より人の事を思うだけでいい。その優しさと健気さがこれほどまでに綺麗な花となって咲きだす。」
紅はゆっくりと立ち上がると小さな青い花の蕾を指差した。
「あの花はもうじき咲く。双子の赤ん坊の兄の方が、母親に抱かれたいのを我慢して、弟に譲っている為に咲いているんだ。」
「兄は目にいっぱい涙をためて辛抱しているんだろう。その涙が花にかかっている露なんだ。」
やがて、その青い蕾はポンッと露を飛ばして鮮やかに咲いた。
その瞬間、あやの体を感動が駆け巡った。
体中が優しさの熱で温まる。目の奥がじぃんと熱くなる。
自然と笑みがこぼれて仕方がない。
そんなあやを見て紅は思った。
こんなにも…人とは……感情があって…かけがえのない…。
あやの存在は紅の中の人間像を変えた。
紅は人間を信じられるようになったのかもしれない。
少なくとも、あやが好きになった。
あやという名の純粋な、優しい心の人間。
花のように可憐で、信頼できる…。そんな女の子だ。
あやを見ていると心が温かくなる。
どうしようもなく、愛しいのだ。
あやがいるだけで生きててよかったと思える。
生きてるだけで…こんなに良いことに出会えるんだ。
今まで花の優しさにしか出会わなかった紅が。人間を愛しく思う。
しかし、彼にはこの感情の名前が分からない。
何て呼ぶのだろうか。こんな感情は…。
「俺を恐がらない人間は…君が初めてだよ。」
「そうなんだ!全然恐くないけどなぁ……。だって優しそうだもん。」
「俺が…優しい…かぁ。本当に不思議な子だね。君みたいな人間、初めてだよ。」
そんな会話を楽しんでいると、もうすぐ夕暮れ。カラスが2羽羽ばたいて蜜柑色の空に消えていく。
あやは山菜を手にして紅の家を離れた。
縁側で交わした指きりの約束を胸に抱いて。
俺と一緒に、この山を守ろう。
家に帰る頃にはすっかり日が落ちていた。
妹のそよが新しい着物を着てくるくると嬉しそうに回っていた。
お母さんは台所で料理をしていて、あやを振り向かずに注意した。
こんな夜まで一体何をしていたのか、と。
そよはあやが帰ってきたのに気付き、ぴょんぴょんと跳ねる小鹿のように近づいた。
「ねぇねぇ!!これ、お祭り用の着物!!そよのっ!!!」
そんな妹の姿を見てあやは心底良かったと思えた。
そして心の中で紅に話しかけた。
私ね。後悔なんてしてないよ。私の花、綺麗に咲いてるでしょ?
あやは夕餉の時間、お母さんとそよに今日あった出来事を全て話した。
山を登っていたら妖怪に会ったと。
すると、
「まぁ。あやったら。ずいぶんと長い夢を見ていたのかしら?」
とお母さんは言って、ただでさえ少ないご飯を口に運んだ。
そよも口の側にご飯粒をつけたまま、笑っている。
「ゆっ夢じゃないもん!!本当に会ったんだよ!!花さき山で!!!」
その言葉を口にした瞬間。お母さんの形相がいきなり変わって茶碗をちゃぶ台にガチャンと置いた。
「あや。花さき山に入ったの…?」
あやはしまっという顔で口を手で塞ぐがもう遅い。
「答えなさい、あや。花さき山に入ったの?」
もう、嘘をつくことは出来なかった。
あやは正直に、はいという意味の頷きを返した。
お母さんはふぅとため息をついて頭を抱える。
どうしてそんなに深刻そうな顔をするのか、あやにはさっぱり分からなくて。
「お母さん。紅は良い妖怪なんだよ。あの山で花を守っているもの。」
お母さんは答えずにあやの手を引いて寝室に連れて行く。
そして無言のままあやの布団を敷いて無理やり寝かせた。
「もう、寝なさい。」
やっと口にした言葉がこれだ。あやは意味も分からず、横になったまま。
だけど、尋常じゃない母の様子くらいは見て取れた。
ここは何も言わず、言うとおりにしておこう…。
あやは冷たい布団を頭から被って中で丸くなった。
そして指を組み、とろんと目を閉じた。
紅に話しかける。
今私。紅の事を思ってちゃんと言えたよ。紅は優しいって。
ねぇ。私の花…ちゃんと咲いてるの?
咲いてるよね…。ありがとう、紅。
冷たかった布団の中がじんわり温まった気がした。
夜遅く。村の中央の開けた場所に明かりが見える。
たくさんの人が集まっている。手に火を持って。
何かを話し合っているようだ。あやのお母さんも話し合いに参加していた。
「その話は本当かい?」
「多分。本当だと思う。あやはしっかり者で素直だから嘘はつかないわ。」
「それじゃあ私の旦那はんはっ……」
「その物の怪に喰われたにちげぇねぇっ!!」
「ならさっさと殺っちまうべ。」
「待って。あやは優しい妖怪と言ったわ。あの花さき山を守っているって。」
「そんなの、物の怪に騙されてるんだろう!」
「物の怪が優しいはずがねぇ!!きっと油断したあやを喰うつもりだべ!」
「そうだそうだ。物の怪に優しいやつなどおらん!!村に祟りが起きる前に殺す他ない。」
「殺した方がいいと俺も思う。異議はあるか?ないな。」
「でもどうやって殺すべか?」
「毒を盛ったらええ。それで動かなくなったら全員でかかる。どうだ?」
「それなら安全じゃな。しかしどうやって毒を盛るのじゃ?」
「俺んとこの平助が草についてよく知ってる。あいつなら毒の葉ぐらい分かるだろう。」
「あやにやらせたらどうだ?あやならバレなかったんだろ?毒入りの水をあやに託して物の怪に渡す。」
「そりゃあええ。それでいこう。」
「殺す前にあやにかけた呪いも解いてもらわにゃ。」
「そのためには皆、情を移すなよ。どんな手を使っても解かせるのじゃ!」
「あやにはこのことを教えないでおこう。知ったらきっと毒の水を捨てるだろう。」
「そうじゃな。誰も異論はないな?よし。」
村人の意見は一致したらしく、皆各々の場所に帰っていった。
ゆらりゆらりと揺れる松明の火と一緒に。
次の日。
柔い太陽の日差しがボロボロの家の隙間から漏れる。
あやはむくりと起き上がり、しばらくボーと布団を眺めた。
やがてお母さんの「朝餉よー。」の言葉で我に返る。
布団から飛び出し、広間に出る。
そよは既に起きていて昨日着ていた晴着を撫でながらおいしそうに芋を食べていた。
お母さんはくるりと振り返り笑顔で言った。
「もうとっくに起きてるの、知ってるんだからねっ!」
良かった。いつものお母さんだ。とあやはホッとした。
昨日の件であやはお母さんの機嫌がまだ悪かったらどうしようと考えながら寝ていたのだ。
おかげさまで始終ぷりぷりしているお母さんの夢が見れた。
朝餉が終わるとそよは晴着を持って外に飛び出していった。
「汚しちゃ駄目よー。」と軽く注意するお母さん。
そよは新しいお祭り用の晴着を他の子供たちに見せたくてうずうずしていた。
分かっていたけれど、あんなに喜ぶなんて…。
自分の分はないけれど、あやはそれで満足な気分になった。
あやも自分の分のご飯を食べ終えて、花さき山に向かおうとする。
するとお母さんが呼び止めた。
あやに透明な液体を渡すとにっこりして言った。
「これ、お母さんが特別に作ったの。その妖怪さんのところへ行くならこれ飲んでもらいたいわ。」
「何で?私も飲んでみたいー!!」
「人間が飲んだら毒になっちゃうの。妖怪さんだから飲めるものなのよ。」
半ば強引に持たせてあやを送る。
最後にこう付け足して。
「いい?これはただの水じゃないの。だけど、妖怪さんには水って言ってね。それが妖怪の間の言葉。」
あやは何にも気にせずに「はい!」と答えて、昨日辿った道を再度歩き出した。
その液体の正体を知るわけもなく…。
ガサガサと道の無い山を歩く。
確かこの辺に…キョロキョロと辺りを見渡し、紅の家を探す。
たぷんと、壺の中の液体が揺れた。
また甘い花の香りがして、それに連れて行ってもらう。
すると案の定開けた花畑に着いた。
花を見つめていた紅があやに気付き、手を振る。
あやも手を振り返し、そちらに駆け寄る。
そして思い切り紅の胸にばふんっと飛び込んだ。
「おわっ!!」紅のビックリした声が広い空間に響く。
あやは上を向いて紅の顔をまじまじと見た。
紅は少し不安になり、尋ねた。
「おっ…俺、何か変?」
あやは首をブンブン振り、花のように笑った。
「ううんっ。何も変じゃない。私が見たかっただけ!」
紅は自分の体温が一気に上昇するのが分かって、首に手を当てた。
顔…赤くないか?気づかれてないか?
十歳のあやはそんな紅の様子を察することは出来ない。
だけど、紅は心配で仕方がなかった。
この感情の名前は未だに分からない。聞いたことは…あるんだけど……。
そう、紅は似たような話を知っている。
昔々人間に愛を捧げた妖怪の話。
彼は命より大事なものを捨てて、その人間とその土地を逃げ出した。
それほどまでに手に入れたかった人間との愛。
それほどまでに欲しかった人間の温もり。
しかし、人間が年をとるのはいくら妖怪でも止められなくて。
結局その妖怪は全ての感情を捧げた人間の亡骸を抱きしめて泣き明かした。
最後には自分で舌を噛み、愛しい人間の後を追った。
そんな結末は嫌だ。
そもそもこの感情がその妖怪と同じ(あい)と呼べるのか…?
紅には確かめる術はない。
確かめたいとも思わない。
もしそれが本当に(あい)と呼べるべきものなら結末は一つだけ。
嫌なら、こんな感情。捨てるべきなのだから…。
そんな昔話を思い出している間にあやはささっと移動して、縁側に座っていた。
紅も我に返り、あやの隣に座る。
あやは昨日お母さんと話した内容を紅に教えてあげた。
「お母さん、紅のこと信じてくれなかったの!だけど……あっ!!」
急に話を止めたかと思うと、くるりと横を向き、期待が膨らんだ目をしてあやは言った。
「昨日私の花、咲いた?」
紅はゆっくり頷いて優しい声で答えた。
「ああ。君の足元にあるその白い花がそうだよ。」
紅が指差した先はあやの足元だった。
白い絹のような繊細な花があやの足の側に、風に抵抗することなく優雅に咲いていた。
その花を指で優しく撫でて、あやも花同様笑う。
紅はあやのその姿を見るのがなにより嬉しかった。
やっぱり…この感情は(あい)なのだろうか…?
この子と、もっと一緒にいたい。もっと笑いあって、花を見たり、話したりしたい。
感情を捨てることは…きっとできない。
じゃあどうすれば…俺は幸せになれる……?
そんな事を考えていると、あやはいきなり何かを思い出したような顔をして、腰に吊るしていた小さい壺の蓋を開けた。
それをそのまま紅に差し出す。飲んで!と言わんばかりの顔で。
「えっと…これは何?」
紅が少しだけ、ほんの少しだけ疑いの目をあやに向けた。
あやはけろっとした顔で、
「お水!!お母さんが持たせてくれた。紅にどうぞって。」
紅は戸惑った。
明らかにおかしい。俺にどうぞ?俺の存在はこの子の母に否定されているのに?罠か…?
「紅?飲んでくれないの……?冷たくておいしいお水だよ?」
あやが急かすように壺を揺らす。
紅はまだ迷っていた。飲むか、飲まないか。
この子がせっかく持ってきた水だ。飲まないと悲しませてしまうかもしれない。
遠慮してもきっと機嫌を損ねてしまう。
君がただの水だというなら俺はそれを、君の言葉だけを信じる。
そう決心した、その時!
紅の中で何かが弾けた。開放感に包まれた心。
それと同時に向こうの方でぽんっと音を立て、黄色い花が咲いた。
紅はそれに気付き、その花を見て思った。
そうだね。君の言葉一つ信じれなかったら、この山は守れないや。
紅はあやにお礼を言って壺を受け取った。
壺の中でゆらんゆらんと波打つ色のない液体は紅からも(水)に見えた。
紅が壺の中身を飲むその姿をあやはしっかりと見ている。
そしてあや以外の誰かも……。
「うん、おいしいね。ありがとう…。」
液体を飲み干し、紅は改めてあやにお礼をした。
その光景をじっくりと目に焼き付けた誰かも…あやにお礼をした。
そして、去って行った。
紅は気付かない。その誰かの存在に…。あやに全神経を集中しているからなのだろうか…?
その日は早めに帰ることにしていた。
昨夜、暗くなってから帰ってお母さんに叱られたからだ。
あやは散々紅の出すお茶や和菓子を堪能して楽しんだ。
きっと紅はあや以上に素晴らしい時を過ごしただろう。
あやを見るたび、出会った頃の険しさが浄化されていく。
心も、顔も…一段と優しくなった気がした。
その証拠にあやが咲かせた花を一輪、摘んで彼女に渡した。
誰にも触れさせないようにしてきた彼の生きがいを、他人に共有する事ができるようになっている。
それだけでも、紅にとっては大きな変化だ。
ひと段落話し終わるとあやは縁側から降りて、花畑を疾走していく。
またねという意味の手を大きく振りながら。
紅も少し名残惜しそうな顔であやに手を振る。
同じく、また明日の意味を込めて。
あやは帰り道、夕焼けに映える可愛らしい花を大事に両手に包み込んだ。
絶対に傷つけないように…
絶対に枯らさないように…
その思いだけで慎重に山を降りた。
ふと振り向くと、紅の家の煙がもくもくと上がっている。
その白い煙を笑顔で見送り、あやは家の戸を叩いた。
「お母さん!!ただいまっ!」
そよはちゃぶ台の上で眠っていて、お母さんは洗濯物を畳んでいた。
「あら、今日は早かったわね。妖怪さんにちゃんと渡してくれた?」
お母さんはあやが帰るとすぐ紅のことを尋ねてきた。
あやは、
「うんっ!ちゃんと飲んでくれたよっ!!」
と笑いながら言って、花を生ける花瓶を探し始めた。
丁度ちゃぶ台の上に赤い花が生けてあったので、一緒に生けた。
そしてその花を眺めてはうふふと笑う。
つかの間の幸せが、あやに訪れていた。
その日までは……
次の日もあやは朝餉を食べ終わるなり、花さき山へ向かった。
るんるんとスキップをしながら歩いていく。
あやのお母さんはそんなあやの様子をどこか悲しそうな目で見つめている。
「あや…。ごめんね……。」
そう自分自身に呟いて。
あやはまた花の甘い香りに誘われて森をぐんぐん進んでいく。
それは一種の道しるべになっていて、ちゃんとあの花畑に着くのだ。
紅の家が視界に入ると、あやはいっそう足を速めた。
荒い息を吐きながら走って紅の元へ駆け寄る。
しかし、いつも縁側にいるはずの紅がいない。
あやは少し不思議に思って、駆ける足を止めた。
おかしいな……。いつもならあそこに座って花を眺めながら待っていてくれるのに…。
不安がよぎる心をぎゅううっと握り締めて、あやはまた走った。
「紅?どこにいるの……?ねぇ。あやだよ、紅…?」
胸を握り締めているせいか、声がか細い。
それにやっと気がついて、パッと拳を大きく開き、横にぶらんと下げた。
ちゃんと紅を呼んだ。今度は大きな声で…。
すると、家の奥の方で誰かが呻く声が聞こえた。
あやに緊張と不安が押し寄せた!ざわざわとやってくる妙な胸騒ぎ……。
何? これ……。気持ちが悪い…。
また呻き声。心なしか、誰かを呼んでいるように、あやには聞こえた。
不穏な空気が奥の部屋から漏れてくる。
得体の知れない不安と恐れがあやを支配して、その身を動かす。
あやは恐る恐るその奥の扉の前まで行き、大きく息を吸った。
そしてゆっくり…慎重にその襖を開けた。
血が凍るような光景。
あやはガタリと襖を開けきり、その場に力なく尻餅をついた。
目の前の紅の姿が…あまりにも悲惨で。
目を見開いた。呼吸がうまくできない。どうして…?なんで…?
紅は部屋の中央で丸くうずくまっていた。
足を畳みに押し付け、自分の膝を覆うように背中を丸くして。
びっしょりと濡れた彼の綺麗な栗色のクセ毛。
大きく上下する震えた彼の肩。
左手で口元を塞ぎ、右手を畳について、その体重を支えていた。
畳に付いた大量の赤黒い液体。
その液体は紅の顔や両手、着物などにも多く付着していた。
あやにでも分かるその液体の名、血。
あやはどうすることもできなくて、ただただ目の前にうずくまる丸い彼を見ていた。
「ぁ゛…ぅ……っ!」
苦しそうに悶えながら彼は手をあやの方へ伸ばして、あやを呼んだ。
キッと向けられた紅色の瞳は瞳孔が開いたまま、睨みつけるような目つき。
はぁはぁと辛そうな息遣いがくちびるから漏れる。
あやの足はまったくといっていいほどに動かない。ショックと動揺で体全体が震えている。
とうとう紅は座り込むことさえ辛くなって、どしゃりと畳の上に倒れこんだ。
それでもじりじりとあやの方へ右手だけを使って歩幅前進をしてくる。血の跡が伸びて広がった。
鋭い爪を立てて、近づく。額の角が今は弱々しく見える。
激痛に耐えていたせいが顔に汗が滲んでいて、紅色の瞳が微かに揺らいだ。
あやは反射的に小さく悲鳴を上げて、後ろへ後ずさった。
恐い。怖い。コワい。こわい。コワイ。
かはっ!と血のダマを吐き出す彼。
どうしたの。何があったの。助けて。助ケテ。たすけて。タスケテ。
じりじりと距離を縮める彼。
来ないで。嫌だ。やめて。寄らないで。近づかないで。嗚呼!!
あやは恐怖で顔が引きつっていた。
別に彼が怖いわけじゃない。彼に置かれている状況と姿が怖いのだ。
こんなに血を吐き出して、彼は大丈夫なのか。
どうしてこんな状況になっているのか。
あやには見当もつかなかった。尋常じゃない様子だという事だけしか、頭を整理できない。
来る…。逃げなきゃ!
パニックになってあやは動かない足を無理やりに動かして外へ出た。
紅は「待っ…て……いか…ない………でぇ…。」と喘ぎ、訴えた。
しかしあやは聞いちゃいない。花畑の向こうに人の姿が見えて、一目散に駆けて行ってたから。
その人の影は段々と大きくなり、集団だと分かった。
そしてそれがあやのよく知る村の皆だとも分かった。
あやは急いで皆の元へと走り、紅の事を半ばパニックになりながらも早口で説明した。
「あのねっ!私の友達が!!あの家の奥のねっ。部屋で…苦しくて……ちっ血がたくさんで…!助けてぇっっ!!死んじゃう!!!」
拳を握り、一人の男の胸をどんどん叩いて、声が枯れるほど叫んだ。声は枯れても花は咲く。
向こうの方で花が咲く音が聞こえた気がした。
その後、あやはやっと村人の出で立ちを見て、愕然と肩を落とした。
皆揃いも揃って鎌やら棒やらまさかりなどを手にして、にひひと下品な笑いを浮かべていたからだ。
男の胸につきたてた拳を力なく下ろしてその場に固まったように立ち尽くした。
村の男があやに言った。
「大丈夫だよ。今すぐにその呪いを解いてあげるからね。」
ナニヲイッタノ…?アノヒト………。ノロイ…?ワタシハ…ノロイナンカニ…カカッテナイヨ?
皆があやの側を通り抜けていく。優しそうな笑顔をあやに向けながら
「大丈夫よ。あやちゃん。」とか「心配するな、すぐに解く。」とか「可哀相に…物の怪が悪いのよ。」などと言う。
あやの頭は完全に思考停止していた。
ナニガ…ダイジョウブナノ?クレナイガ………シンジャウノニ…?
訳が分からない。状況を理解できない。考えられない。
後ろからぞろぞろと人が歩いてくるのが見える。
村人総出で助けに来たの?いや、違う。そんなことするはずない。
私はお母さんとそよにしか…紅のことを話してない。
じゃあ、どうして………?
素早く踵を返し、よろよろと紅の家へと向かう。
村の人があやを押さえつけようとするが、それをゆっくりとかわし、紅の元へと戻る。
紅には今の状況が、よくは掴めていなかった。
どうして…こんなに吐血するのか。何か毒のあるようなものでも口にしたっけ?
俺が毒だと分からないわけがない。だとしたら…
ぜぃぜぃと荒い息遣いであやの逃げた方向へ進む。
ズリズリズリ…
いきなり目の前の扉が開かれた。
ギョッとして固まる。
大勢の人間が紅の我が家に入り込んできたのだ。
動揺して後ろへ下がろうとするが体が震えて動けない。
そんな紅を、まるでごみくずを見るような目で見下す者たち。
先頭に立った棒を持つ男がにやりと笑って言った。
「物の怪よぉ…。どうだ?信頼していた人間に裏切られる気分は?」
真っ赤な目を見開いて眉をひそめた。どういう意味だ…?信頼していた?俺が…人間を?
心が一気に乱れた様子の紅に更に言葉を突き立てる男。
「あやにかけた呪いを解け。そしたらすぐにでも帰ってやる。」
呪い…?そんなにもかけていない。
「何を…言って……い…るん…だぁ…?呪いなん…て…かけちゃ…いねぇ……」
ガフッとまた血を吐いた。話すのも困難になっている。
しかしその言葉が彼の逆鱗に触れたのか、いきなり腹を思い切り蹴られた。
がはっ!!と大量の血が口から飛び出て、畳みに染み込んだ。
ゲホゲホと呼吸を整えようとする紅に棒を向ける男。
「おい。あくまでも白きるつもりか…?おめぇ、死ぬぜ?」
力なさげに男の顔を見る。
汗で濡れた髪の毛が顔についてうっとおしい。
「何…してるの!?」
急に高い女の子の声がした。君なのか…?と重い頭をもたげる。
あやが今にも泣きそうな顔で玄関に立っていた。
うるうると涙を溜め込んだ瞳には紅の姿が映っている。
期待が膨らんだ。俺を見捨てていない!
自然に零れた淡い笑顔。
男はその状況に最悪の案を思いついたのか、あやの小さな肩をぐいと引き寄せた。
ピキッとすぐに紅の中で怒りが芽生えた。
お前のように見苦しい、愚かな奴が…純粋なこの子に触れるなんて…許せない!
触るな…。寄るな、近づくな…!!
鋭い歯を食いしばってあやを助けようとするが、出来ない。
ぷつ…と刃が下唇を切って、また血が出た。
男は満足げにわざとあやの顔を見て言った。
「あや。助かったぜ。おまえの盛った毒でこいつを殺すことが出来る。」
え………?
耳を疑った。その言葉を聞いた直後、紅を言い表せない怒りと憎しみが支配した。
あやは戸惑っていたが男に向かって怒った顔で何かを言っている。
しかし、今の紅には彼女の声が聞こえない。
男の甲高い声と共に出る言葉にしか耳を傾けられない。
「あやはよっ!おめぇに毒を盛ったんだ。おかしいとは思わなかったのか?ただの水をくれるなんて!!」
男は紅のしてきた事全てを馬鹿にしたように言い続けた。
己のプライドが傷つき、紅は恥ずかしくなった。
ヤッパリ。シンヨウシタオレガ…バカダッタンダ。
紅はその嘘を見抜くことが出来なかった。
裏切られた。やっぱり人間は昔から何も変わっちゃいない…いないんだ!!
なんで今まで気付かなかったんだろう…。人間はうつけで、ずるくて、愚かで、汚れている。
紅は最近の村人の心がすさんでいるのを知っていた。
村では争い事が増え、そのほとんどがろくでもない問題だった。
花さき山でも前より花が少なくなった。
こんなことをしていては…花さき山は、枯れて無くなる。
それが紅の一番の悩みだった。
ふるふると怒りが込み上げる。紅は違う意味で震えていた。
許せない。許せない!!
紅の目つきは出会った頃のように鋭くなってしまっていた。
ギロリとあやを睨みつける。あやはぞっと身を縮めた。
喋るたびに血反吐が出るがこの怒りをあやにぶつけずにいられない。
きつくても、辛くても。
「俺を…騙した…んだね………。人間なんか…信用した…俺…が……馬鹿…だったよ…。」
こんな事を、この子に言うとは思わなかった。
「全て…嘘…だったん…だね……。何だよっ…最…低……だな…。」
しかし、それが本心だった。
人間を信用した俺も悪い。何で心を許してしまったんだろう…。
今思ったら本当に…おおうつけだな…。
おーおー…傷ついた顔して…俺がそんな顔になりたいくらいだよ……。
「違うっ!!!!」
力強い声がいきなり聞こえて、ハッと顔の雰囲気を変えた。
更に溜めた涙をうるうると震えさせ、必死に流さないよう堪えてる。
下唇を強く噛んで、崩れそうな歪んだ顔。
可愛らしいその泣き顔に、紅は不覚にも吸い込まれそうだった。
「何で…嘘って言うの…?私は、そんなに信用できない?」
大きな声でそう言われて気付いた。
俺は…この子だけを信じるって…決めたんだっけ。
知らない人間の言葉よりも、何よりこの子の言葉を信じるべきだったんだ…。
あやはよたよたと紅の目の前まで歩いていくと、血がべっとり付いた左手を自分の両手で包み込んだ。
ついに溜めこんだ涙を一滴流して、震える声で優しく言った。
「私…。紅が好きだよ?そんな事するわけないよ………信じてっ…!!」
一回流したら止まらない。次から次へ涙がぼろぼろ零れて、紅の左手に落ちる。
この子の心の中は涙の海があるのだろうか?
そう思えるほどに涙が流れてくる。
君を信じれなかった俺を…最低なことを言った俺を……
好きでいてくれる………?そんなに、俺の望んだ言葉ばかり…並べて。
俺のために…泣いてくれる。君が……
「手……血で…汚れ…るぞ?早く…離……せ…。」
「そんなの関係ないよっ!!信じてもらえない方が…嫌だもん……。」
ぼろぼろぼろと純水を瞳から流す君。
そんな君に、つい見惚れてしまう。
そして
「君は…花の……ようだね。」
と苦しいのも忘れて呟いた。自然と言葉が口から漏れた。
あやはキョトンと紅を見ている。意味がいまいち分かってなさげな顔で。
「俺の…大事な…宝物って……意味だ…。花はいつも…笑っている。泣くのは…雨の後だけで…いい…。」
その言葉を聞いたあやの顔は、本当に花が咲き誇ったように満開になった。
虹色の雫をその花弁から落とし、輝かしい笑顔を太陽へ向ける。
人間は…花のように、脆く儚い。
そんな君を…守りたいから。
そんな君に…水をあげたいから。
こんな…ところで……死ねないっ!!
紅はスッと、まるで今までの苦しそうな姿が嘘のように立ち上がった。
あやの手を優しく包み込み離すと、周りを威圧するような目で睨んだ。
「俺の宝物は絶対に枯らしゃあしない!!」
そう自分に言い聞かせるように、叫んだ。
それに身を縮める者、たじろぐ者、反感を感じるもの、それぞれいるはず。
だが、紅にはそんな事どうでもいい。
傷つけあわずに、その場をおさめたい。そう願うばかりで。
だけど…それは叶わなかった。
「そんなにあやが大事か?そんなにあの花たちが大事か?」
気持ちの悪い笑みを浮かべてさっきの男が言った。
いいことを思いついた。そんな笑い方だ。
男は人混みを掻き分け、紅の庭へ歩いていった。
紅とあやは呆然と男の行動を見つめていた。なにをするつもり……?
村人皆、彼の行動をボーと見るだけ。
やがて彼は花畑の中央まで行くと、下品な笑いをして言った。
「大事だったらちゃんと守れっ!!!」
ぐしゃっ!
男は足を上げ、ドスンと思い切り下ろした。その足蹴にされた花はぐにゃりと変形した。
紅は何が起こったのか、まったく分からなくなった。
花は儚げに小さな声を上げて地面にひれ伏している。
その間、男は残酷にも周りの花を乱暴に蹴散らし、ぐちゃぐちゃにする。
紅は怒りが過ぎて何も考えられなくなっていた。
花は無残にも倒れてゆく。庭は悲劇のように壊れてゆく。
折角人々が咲かせた花たちが。
その人々のせいで枯れていく。
男は残虐に無情に花を殺していった。
その惨すぎる光景に誰もが力を失い、なにをする気力を奪われた。
そんな人々に見せつけるかのように男は、花をぐちゃっと地面から引き抜き、空に掲げた。
桜色の健気な花を手の中で丸めて、圧力をかける。
手を広げると、花は原型をなくし、くしゃくしゃの紙のように、パラリと落ちた。
ショックで開いた口が塞がらず、見開いた目も閉じず。
紅は言葉を失い、全身を震えさせていた。
目の前で彼の宝物を殺していく人間。
俺の…知ってる……人間。そう、人間とは…愚かで残虐な…生き物。
どうして、こんな事が出来るんだろう…
信じられないほど……
「いくらなんでも…惨すぎやしないか…?」
ヒソヒソ声で話す村人。しかし、彼らの言葉は紅に届かない。
ただひたすらに、非道な男を見ることしか、できない。
男はそんな紅を見て、満足そうだった。
「おい、村人同士で喧嘩よりもこっちの方が楽しいぜ?お前らも、やれよっ!!」
そんな衝撃的な言葉を吐くこの生き物からは…。
紅が感じた温かさが微塵も感じられない。
半ば脅されるように村人はとぼとぼと花の上を歩いていく。
そして鎌やクワで庭を荒らし始めた。
最初はやるせない気持ちもあっただろうに、誰かのものを壊す快感に目覚め、楽しそうに紅の宝を奪っていった。
ついに紅は我慢の限界に達したのか、飛び出していった。
よれよれと右往左往に走り出す。あやは紅の必死さに惹かれた。
あんな体で…何も出来るはずないのに…。
あやが呆然と座っている後ろから青年が歩いてくる。
あやは気づかない。
やんわりと青年があやを立たせる。
あやは抵抗しない。
目の前で、必死に大切なものを守ろうとする、彼に惹かれているからだ。
「…ぶか…?」
知った声が聞こえて、やっと青年の方に顔を向ける。
あやは彼を知っていた。
隣の家に住んでいる吉丸兄ちゃん。あやより五つ年上の頼れる青年。
毎日のように遊んでくれた優しい青年。あやを実の妹のように可愛がってくれた。
「大丈夫か…?」
彼はもう一度あやにそう聞いてきた。
「……。」
答えられなかった。
大丈夫だよと、言えなかった。
紅はやっと人々の元へ辿り着き、自分を犠牲にして花を庇っていた。
それを楽しそうに棒や足で叩く。
苦痛に紅の顔は歪んでいった。
新しい箇所に血が滲んでいく。
いつしか、紅の体は彼の瞳と同じ、鮮やかな赤色に染まっていった。
花に覆いかぶさり、人々の暴力を受ける。
そんな必死な彼に容赦をする人は少ない。
「ほらほら。ちゃんと守れてないぞ。こっちも荒らしてるんだから。」
右を見ると他の村人が鎌やクワで花畑をざっくざっくと掘り荒らしていた。
「あ゛あ゛ぁぁ!!!!」
みっともない叫びが飛び出た。叫びすぎて、声がガラガラだ。それでも叫ばずにいられない。
紅は深く傷ついた体を起こし、花を潰さないように右へずれた。
そして、またしても背中で攻撃を受け止め、花を庇う。
体中の血を流しながら、庇うのを止めない。
生きがいを…絶えさせないためにも。
彼は、守る。
そんな憐れな彼を弄ぶように村人はあちらこちらで花を殺す。
紅一人でそれ全てを守れるはずもない。
せめて…攻撃を最小限に!と、それが紅の今の願い。
出来る限りの花を生かすために!!
あやはガクガク震える足で自分を支えられない。
吉丸があやの肩を支えてくれる。
彼の優しさを感じているどころではない。
さっきの男があやと吉丸を見て、また叫んだ。
「よぉし坊主!!よくやった!!そのままあやを押さえつけとけっ!!」
「えっ!?」
吉丸は眉を寄せた。
そんなつもりはない。ただあやを支えてあげていただけなのに。
「逃がすんじゃねぇぞ。これからあやの呪いを解いてもらうんだからな!!」
その言葉で納得した。
なんだ…あの人。たまに勘違いするような言葉の使い方するんだもん…。一瞬悪い人かと…。
「吉丸兄ちゃんっ!!ちょっと離してぇ!!」
じたばたと暴れるあや。どこにそんな体力があるのだろう。
さっきまで足をガクガクさせていた、この子に。
「駄目だよ。ちゃんと解いてもらわないと。あやはあいつに殺されかけていたんだぞ。」
そう言い聞かせるが、あやは聞かない。
違う違うと首を振るばかりで吉丸の言葉なんて聞いちゃいなかった。
その頃男は紅に向き直り、蔑んだ目で彼を見下ろした。
「最後のチャンスだ。あやの呪いを解かなければ…」
男はたくさんの木の枝を集めた塊を取り出した。
「ここを…焼き払う。」
そう、静かに言って。
「やめろ…」
低い声が木霊した。花畑を囲う木々に反射され、化け物のような唸りが聞こえた。
「あ゛あ?」
男がいらただしそうに言った。
「やめろ……」
紅は同じ言葉をまた吐いた。
「解け。」しつように男が言う。
「呪いなんざ…はなっからかけてないと…言っただろう!」
「チャンスを、自ら踏みにじったな。」
待ってましたっ!というような顔の男。
男は顎で後ろにいる背の高い男に合図を送り、木の枝を投げよこした。
パシリと受け取った男はその木の枝に火をつけた。
そしてそのまま松明を持った手を下に下ろした。
火は草に移り、花を越してメラメラと燃え上がった。
もくもくと煙が立ち上る。
全ての生命を奪う、紅色炎。
「早く解かないと、お前さんの宝は全部燃え尽きるぞ?」
ひっひっひっと笑う。
「ほら。どんどん広がる。今に取り返しがつかなくなるぞ。焼き後には、灰しか残らない。」
ドクンドクンと脈打つ心臓。
お願いだから、脳よ。体を動かす命令をしてくれ。
指示を出してくれ。少しだけでいい!優しさが…
枯れないうちにっ!!!
しかし、すでに限界を超していた紅の体はピクリとも動かない。
血がどくどくと体中から溢れ出す。色とりどりの花が赤一面に染まっていく。
「本当に解く気がないんだな?それなら、殺してしまったってかまわねぇな?」
と村人に大声で聞く。了承をもらおうと。
紅には、もう何かを言う体力さえ残っていない。
「話が違うわ!!なんとしてもあやの呪いだけは解いてもらうはずでしょう!?」
前に出たのはあやのお母さんだった。
男を怖い目つきで睨みつける。
「もう無理だぜ。こんなに言ってんのによっ!一向に呪いを解こうとしねぇ。だったらもう殺っちまうべ。」
男は背の高い男から火のついた松明を受け取り、紅の顔に近づけた。
ぼぉぉっと燃え盛る炎が紅を照らす。真っ赤な瞳に、真っ赤な炎が移った。
「悔いはねぇな?今なら火傷だけで済むぞ??」
試すような声と顔。紅はほとんど見えていないような瞳で彼を見据えた。
気力を失いかけた頭で最後に残す言葉を選んだ。
やっと、あの感情の名前が分かった。だから君に捧げよう。
君に贈る。
愛してる
遠のいていく耳。温まっていく顔。
気持ちのいい、君の温もりに似ている。
死ぬ前に、君に出会えてよかった。
花を愛するように、君を愛せた。
俺の人生、花が全てだと思っていたけれど。
君がいてくれたから…俺は。
喜んで 君 の ため に 養分を 分けて 枯れ よ う
もう 水は あげれな い けど いつか 温か い 水を くれ る 人と 出会って
優し い 花を さ か せ て
「紅ぃっっ!!!!」
あれ?まだ君の声が、聞こえる……?
手に、まだ…温もりが、感じられる?
君の声が、まだ……また…満たす!
「くれないぃぃ…死んじゃあ………ヤダァ…!!」
涙で濡れた頬。ぐしゃぐしゃの泣き顔が目の前にぼんやり映る。
色が、戻る。音色が、蘇る。
うっすらと目を開けると、あやは嬉しそうにいっそう涙を零した。
「いなくならないでぇ…お願いだから…!怖い!!紅が…私から離れるのが…怖いのっ!!」
紅は力なさげに息をした。
あやはそんな彼の手を必死に温める。
はぁぁと息を吹きかけて、冷たい手をぎゅううと握る。
枯れる寸前の花に、必死に水をあげるかのように。
紅はそんなに自分を想ってくれるあやに愛しさを、改めて感じた。
紅は嬉しくてたまらない。死ぬ怖さよりもこの子を置いて逝く怖さがあった。
背後に松明を持った手を止めている男。
フルフルと震えていて、下唇を軽くかんでいる。
信じられない光景に怒りを覚えている。
思うどうりにいかない二人に怒りを感じているような形相。
その怒りが頂点に達したのか男はあやに向かって叫んだ。
「そんなにそいつが大事なら一緒の墓に入れてやるよっ!!!」
ついに堪忍袋の緒が切れた男は松明を振り上げた。
瞬間的に紅はあやの身を案じた。
このままじゃあ君の体に傷が…!!純粋な花弁に傷なんて負わせられない!!
その想い一心で、紅はあやを庇おうとした。しかし体が動かない。
あやも、紅を守るため動こうとはしない。
駄目だ…君に……一生消えない傷を…ましてはこの世からいなくなるなんて…!
絶対に…そんなことにはさせない!
ゴゴゴゴゴ…!!!!
ものすごい轟音が聞こえ、地響きが鳴った。
地面が、世界が揺れ始め、立っていられなくなる。
耳をつんざくその音と共に砂煙が宙を舞った。人々は耳を押さえて地面にひれ伏す。
やがて揺れは収まり、音も聞こえなくなり、無音の時間が流れた。
ゆっくりと頭を守っていた手を下ろす。皆キョロキョロと辺りを見渡し、異変はないか確認していた。
そして、誰かがあっと声を上げた。それと同時に指をさす。全員指と同じ方向を向いた。
そこには、
一面美しい花だらけの大きな山が立っていました。
大きな山のどこにも同じ花はない。
色、種類、大きさ、香り、全てが異なる花だけでできたその山は紛れもなく。
あやの優しさが咲かせた花でした。
その場にいる者全員、その美しさに言葉もなく、ただただ見つめ、心を奪われた。
その光景には、さすがの紅も驚いたらしく、目をまん丸にして山を凝視していた。
花の香りが、風にのってやってくる。甘く、優しい。
人々はその香りに心癒され、ボォーと空を眺めている。
そんな彼らに、紅が語りかけた。
「優しいことをすれば花が咲く。命を懸けてすれば山が生まれる。そんな昔話を、聞いたことはないか?」
紅は重い腰を上げ、着物の裾に手を突っ込み、空を仰いだ。
花の香りをのせた風が、紅の髪をぬくく触って通り過ぎる。
気持ちよさそうに目を細めた彼を、眩しそうに見上げるあや。
あやも立ち上がってぐーっと背伸びをした。大きく息を吸って生きてる実感を感じる。
はぁぁと肩を落とすと、村人に優しく言った。
「もう、彼を信じてくれる?彼の花たちは、私たちの花でもあるんだよ。」
ニッコリと花のように笑うあや。
紅はそんなあやを抱き上げ、宙に舞わせ、自分の腕にのせた。
わわっと落ちないようにバランスをとるあやを見て、クスクスと笑って、
「あの山はこの子が生んだ山。優しさが生んだ山なんです。ここはもうすっかり廃れるでしょうが…。」
一瞬言葉を切って、涙を引っ込める。
赤い顔を前面に見せて、気持ちの良い笑顔で笑った。
「この子が生んだあの花さき山を、枯らさないように…育てましょう!!」
わぁぁぁと歓声が沸いた。
今まで悪魔にしか見えなかった人間たちが今や優しさを育む小さな生き物に。
そう、本当の人間とはきっとこうなんだ。
奥の優しさを引き出してあげなくちゃいけない、面倒くさい生き物なんだ。
子供の頃にはあきっぱだったその花弁をまた水で癒し、開かせ続けなければいけない、まるで。
花のような、生き物なんです。
カァカァ…と二羽のカラスが夕日に羽ばたいていく。
そんな時間になっても、村人たちは紅の庭にいた。
あの後、和解をして紅の荒れた庭を出来る限り修復しようと試みてくれているのだ。
焼けた部分はもちろん掘り起こされた箇所や踏み潰された場所が殆どなのだが。
それでも、庭を頑張って手入れする人の優しさが、花がすでに咲き始めている。
枯れた場所に新しい新芽が出てきている。
縁側に寝転んだ紅。隣にちょこんと座るあや。
毒がまだ残っているのか、紅は動けない。ぐったりと寝そべり、汗をかいている。
紅の濡れた髪をさらりと撫でるあや。その度に紅の心臓は止まりそうになった。
それが顔に出ていないのか、あやがただ鈍感なのか、撫でるのを止めない。
止めてくれとも言えない紅は、ひたすら脈打つ心臓を押さえていた。
夜遅く。村人の優しい花が咲き始めたので、後はまかせると、彼らは帰って行った。
ホーホーと不思議な鳥の声がする。なぜかこの鳥の鳴き声を聞くと夜って感じがするんだよね。
あやは紅の看病のために彼の家に残った。
それはお母さんの提案でもあり、あやの願いでもあったのだが。
夜になると紅の状態は良くなり、起き上がれるようになった。
昼は血をたくさん吐いていたから本当に死んじゃうと想ったよぉ!と素直に言うと、
「心配してくれて、ありがとう。君はいい子だね。」
と笑いかけられた。
縁側に二人して並ぶ。
横を見ると今日生まれた花さき山が見える。
夜になっても鮮やかに見える花たち。暗いのにどうしてあんなに綺麗に見えるんだろう…?
素朴な疑問が浮かんだがあやの中で答えが出た。
夜になると光る花なんだ。優しさを保てているから、夜でも光り輝くんだね。
「綺麗だねぇ…。」
と思わずポツリ…、言葉が漏れた。
紅は上を見上げ、満天の星空と花さき山を交互に見て、同じ言葉を紡いだ。
他に誰もいない、静かな空間。
しぃんと静まり返った山は不気味だけれど、不思議と怖くはない。
もう、何も怖くない。
大切な人が死ぬ以上に、怖いことなんてないんだ
あやは大事なことを、今日。紅から学んだ気がした。
今日一日で、随分と大人になったかなぁ。ふつふつと幸福感が沸いてくる。
なんだか、好きなものを集めていて全てコンプリートしたような…
ある遊びで一回り強くなったような…
そんな嬉しい、くすぐったい気持ち。
「ねぇ。」
不意に話しかけられてビックリする。肩に力入っちゃった…テヘ。
いつになく真剣な表情で、紅があやを見る。
くりくりの髪が風になびいて、紅色の瞳がキラリと光った。
あやは気まずくなるわけでもなく、首を傾げ、紅の言葉を待った。
紅はあのさ…とか、えーと…とか、そのっ…を繰り返す。
あやはいらいらしないで普通に、待っている。
息を止めていたらしく、苦しそうな顔をした後、すぐに俯いて息を吐いた。
顔を手でむちゃくちゃに伸ばしたりつねったりしている。面白いなぁ…とあやは笑う。
少しの間、紅は自分自身との悶絶に集中した。結局は己に負けたが。
やっと口を開いて、あやに言った。顔を瞳の色ぐらい赤く染めながら。
「俺と一緒に…ずっとっ………死ぬまで…あの…花さき山を、守っていきませんかっ…?」
「えっ…?」
あやは一瞬青ざめた。紅はそんなあやの様子に気づいていたが、口が止まらなかった。
「そして…俺が……死んだら…君一人で………山を…守ってほしい…」
言ったことが気に入らなかったのか、その後すぐに深いため息をついた彼。
隣のあやの返事が気になってしょうがない。ドキドキドキ…
高鳴る鼓動を抑えきれず、呼吸困難に。
沈黙は続いた。あやは何も言わない。
あれ?告白というものを…したはずなのに…。
もしかして、困ってる!?いきなりだったから…?そんな思考が駆け巡る。
静寂の中、少し低いトーンで…
「嫌だ。」
と聞こえた。
これには紅もショックを受けた。
何がいけなかった!?俺変な事言った!?嫌だってどういう意味!?一緒にいたくないの!?
すぐにパニック状態に。
頭がまだ毒で侵されていて、耳がちゃんと機能しなかった…?
そういう結末?ああ、そうですか、だったらちゃんと脳が頑張ってくれないと!!
よく分からなくなって、プシュウウゥという擬音と共に考えが頭から抜けた。
なんて言えばいいか分からない。なにを返せばいいか分からない。どういう表情をすればいいか分からない。
どうしようどうしようどうしようどうしようどうしよう
同じ言葉が羅列する。
「だって、それって…紅が死んじゃうって意味でしょう……?」
潤んだ声。かすれていて聞こえずらい。だけど、今度は嫌な感じじゃなかったよね。
じゃあちゃんと耳が機能したんだ、脳お疲れ。
そんなことより今にも泣き始めそうな小さな顔にぽぉぉと見とれる。
「あっ…いやぁ……。」
「何でそんなこと言うの?紅は死んじゃうの…?ずっと一緒にいたいよ…。」
いつの間にかあやの白い手は紅の着物をギュッと掴んでいた。
力が意外と強く、なかなか離してくれそうにもない。
紅にとっては嬉しい展開だったが。
自分が必要とされている。そう感じられたから。
正直最後の言葉が嬉しすぎて仕方がない。これじゃあこの子が自分に告白というものをしているようだけど。
我が人生に悔いなし。
「死なないで…紅。ずっと一緒にいよう…?」
ぽろりと流れ落ちた涙。何色にも染められない、透明な雫。
紅はそんなあやのことで頭がいっぱいになり、無意識に
「はい。」
と応えられた。
とたんにあやの顔がぱあぁと光咲いて、色に鮮やかさが戻った。
「じゃあ…ずっと一緒?離れない…?いなくならないっ!?」
執拗以上に問いかけるあや。そんなあやが可愛くてしかたがない。
愛しくて、いとしくて、イトシクテ。
「俺は…ずっと…一緒だよ。どこにも行かない。離れないから。」
そう優しく言うと、あやはばふんと紅の胸に抱きついて頬すりをした。
鼓動が速くなる。聞こえているか、気にするくらい。
あやは気にせず、満面の笑顔を紅に見せる。
改めて理解できた。
人間でも花になれるんだ
五十年後。
「どこにも行かないって言ったのに……」
目の前に白い布を被った がいる。
もう動かない、その体。
もう話さない、その口。
もう聞こえない、その耳。
どうして、いなくなる………?
ずっと一緒って…約束したのに…。
置いていくなんて……酷いね。
がいないこんな世界、枯れきってるよ。
がいないこんな世界に、花なんて咲かない。
涙さえ枯れ果てたよ。心の泉にはもう一滴の雫もないよ。
また、満たしてよ……
が水をくれたから…今まで綺麗に咲けたんだよ?
もう、しおれていくよ
ねぇ
息が、詰まって…呼吸ができない
分かってたよ。こんな結末
聞いたことがあるもん
生きている物全てには終わりがあるって
それはどんなに頑張っても伸ばしたりできない
いつか…終わりが来るんだ
早いね
もう、終わりか
まだまだ、 と一緒に
やりたいこと
はなしたいこと
たくさん、あったんだよ…?
さよならはまだ
言えないな
そんな意味のない言葉、いらないから。
のいるところへ、すぐに
行くから
後を追うよ
と共にあの山を守れて
良かった
ありがとう
またね
あっちで…また
素敵な花を咲かせましょう