病室にて
眠ったままの梓に対して、彼が語りかける。
病室にて
杉山が恐喝の事実を認めたよ。彼は中根雄二たちが女子更衣室に隠し撮りのカメラを仕掛けていたのを知り、それをバラさない代わりに言うことを聞くよう脅したのだ。
その内容はこうだ。彼は君に並々ならぬ感情を抱いていた。彼は君に様々なアプローチを試みたが芳しい効果は得られなかった。だが彼は諦めなかった。君が彼を避けていると知りながらも、君に対する感情は変わらなかった。そんな時、君に彼氏が出来た。僕もよく知っている牧村光士郎くんだ。好きな人に彼氏が出来た場合の男の気持ちを想像してごらん? それはもう辛いんだ。大抵の男はその彼氏を羨むか、早く別れろと思うものさ。
彼の場合は少し違った。いや決して普通の人と大きく異なっている訳じゃない。つまりは、少し過激だったというだけだ。彼は羨むを通り越して、光士郎くんを恨んだ。そして酷いことに、彼の信頼を失墜させようとした。
実に身勝手な行為だ。自分は君に全く相手にされていないというのに、一方的に光士郎くんを恨んだのだから。
彼は光士郎くんの信頼を失墜させるために色々な策を考えたが、そんな時盗撮の噂話を聞いた。彼はそれを聞くとすぐにゆすりを考えたそうだ。まさに根っからの悪党と言ったところだね。その策が上手くいけば彼は光士郎くんに肉体的ダメージと精神的ダメージの両方を与えることが出来る。しかも、もしバレたとしても中根たちが彼の関与をほのめかさない限り彼のやったことが露見することはない。彼は恐らくそう考えたはずだ。
だがこの策は些か強引過ぎた。上手くいけば効果はあるが、そんな良く調べれば分かるトリックを仕掛けたのは慎重さに欠けていた。もしかしたら、彼らは光士郎くんにはさしたる味方などいないと考えていたのかもしれないが、光士郎くんには当然君がいるし、生徒会長として僕も捜査に関わるということを失念していたのは彼らにとって大きな痛手となった。
彼は中根雄二たちを利用することで外から事件を傍観するつもりだったのだろうが、理由もなく中根たちが光士郎くんを陥れようとするはずもない。すぐに君や僕にそれを気付かれるということを彼は考えなかったのだろうか? いや、もしかしたらバレるかもしれないとは思っていたのかもしれない。彼は恐らく、盗撮の件はそれだけ大きなカードだと考えていたのだろう。中根雄二たちが証言をしない限り、彼が脅してやらせたという証拠は全くない訳だから、そう考えるのも確かにおかしくはない。だがここでも彼は失念していた。この僕が、実に執着心の強い性格だということをね。
とは言っても、この事件を最初に解いたのは恐らく僕ではないのだろうね。
君の洞察力には参った。こんなことなら、初めから君に情報をもらっておくべきだった。杉山が、君にしつこくこの件に関して聞かれたと言ったのを聞いた時、僕は思わず感心してしまった。それほど君にとってこの事件は大きな意味があり、君が光士郎くんをいかに大事にしているのかを改めて実感したよ。
そんな君が眠ったまま目覚めないという知らせを受けたのは、五月の初めのことだ。僕は君の状態に思い当たる節があった。というのも、僕の妹も、君と似た様な状態になっていたことがあるんだ。
僕が中学三年、妹の美紀が二年の時だった。僕の家は両親が離婚していて、父親だけしかいなかった。父は表向き生真面目なサラリーマンだった。だがその本性は全く異なっていたんだ。
父は妹を犯した。父親なのに、相手は娘なのに、やつは見境もなく彼女を犯した。僕ももう少し早く気付いてあげられればよかった。あんな状態になるまで気付けなかった僕も罪は重い。
美紀から父の話を聞いた時、僕は本気で父を殺しそうになった。だが美紀はそれを止めた。僕を人殺しにする訳にはいかないと思ったからだ。だから僕は、せめて彼女を守ろうと思った。翌日になったら、児童相談所に行こうと思っていた。
その夜のことだった。僕は家の居間のソファーで目を覚ました。自分の部屋で、美紀と一緒に眠ったはずなのにだ。その日、父親は出張で家を開けていた。でも僕は心配で、すぐに自分の部屋に戻ろうと思った。そんな時、和室の方から何やら声が聞こえてきた。それは聞き覚えのある、二人の人間の声だった。
少し朦朧としていた意識が、その瞬間一気に覚醒した。声は、妹の泣き叫ぶ声と、父のゲスな欲望にまみれた笑い声だったのだ。僕は走った。途中テーブルにぶつかり、上からコップが落ち、粉々に割れた。だが僕は気にせず走った。
和室に駆け込んだ。そこには、服を裂かれ、あられもない姿にされた美紀と、醜い笑い顔で腰を振る、あの男の姿があった。妹は涙を溢れさせて、必死にやめてと懇願していた。だがあいつは、全くそれを意に介することなく娘を犯し続けた。
そんな光景を見せられて僕が平常心でいられる訳がない。僕はやつに殴りかかった。だが、あいつの腕力は思ったよりも強く、僕はあっさり壁の方に突き飛ばされてしまった。やつは美紀を放すと、憎しみの籠った顔で僕を見下ろした。そして僕の腹に蹴りを入れた。痛かった。胃液が逆流し、口から溢れた。やつはそんな僕に尚も攻撃を加えた。僕は殺されると思った。妹も守れずに死んでしまうと思った。だが次の瞬間、やつの身体が僕の横に倒れてきた。そして少しピクピクと身体を痙攣させた後、完全に動きが停止した。良く見ると、やつの後頭部が血だらけになっていた。そしてそこから流れ落ちた血が集まり、畳の上に血だまりを作った。
僕は、恐る恐る視線を上げた。気配のする方に、視線を持っていく。そこには血だらけの裸の少女が立っていた。両手には、血ぬられた金属バット。顔や未発達の乳房に、べっとりと血が付いていた。その顔は、笑顔だった。
僕は目を覚ました。自分の部屋のベッドの上で汗だくになっていた。隣には昨夜と変わらない様子の美紀の姿があった。僕はそれが夢だったのだと悟った。まだ美紀を助けられる、そう思った。だが状況は完全に変わってしまっていた。美紀は目を覚まさなかった。息はあるのに、目覚めることだけがない。僕はどうしていいか分からず、ただただ混乱するだけだった。その夜も僕はあの夢を見た。父親はやはり殺された。そして美紀は、笑っていた。
翌日出張から父が帰って来た。僕は美紀を犯したことをやつに問い詰めた。すると、逆上したやつに殴られ、情けないことに僕は気を失ってしまった。その甘さこそ全てだ。僕はどうしようもなく無力だった。
目が覚めたのはすっかり暗くなってからのことだった。僕は玄関で目を覚ました。身体の節々が痛んだが、僕は気にせず走った。
美紀の部屋に、やつはいた。やつは意識のない美紀の服を脱がし、その汚らわしいものを、美紀の綺麗な身体に突き立てていた。やつは何か言っていたと思う。恐らく美紀が何も反応を示さないことに腹を立てていたのだと思う。
僕は、置いてあった金属バットでやつに襲いかかった。だが、やつは僕の攻撃を掻い潜り、僕の身体を掴んだ。そして思いきり投げ飛ばそうとした。しかし今度は僕が食らいついた。やつの身体をがっちりつかみ、一緒に転倒させたのだ。その時僕らは、美紀の裸の身体の近くに倒れ込んだ。恐らく二人とも彼女の身体に触れたんだと思う。意識が飛んだのはそのすぐ後だった。
目覚めるとそこは、やはり家の居間だった。すぐ近くにやつが倒れていた。僕はやつを殺そうと思い、台所に向かおうとした。
すると、美紀が裸のまま父の前に立っているのが目に入った。何もその身に纏わず、しかもそんな自分を恥ずかしがる素振りも見せずに、彼女はその手で金属バットを握りしめていた。やつは動揺していた。まるで戦場で銃口を向けられている一兵卒の様に、恐怖で顔を引きつらせて、美紀を見つめていた。
やめてくれ。許してくれ。お父さんが悪かった。謝るから、どうかそのバットを下げてくれ。そんなことをあいつは言っていたんだと思う。
美紀は、無表情で金属バットを振り上げ、そして、やつの頭めがけて振り下ろした。
ぐしゃりと音がし、べちゃりと何かが飛び散った。美紀はまたバットを振り下ろす。さらに鈍い音が響いた。どれくらい殴っただろうか。恐らく十回ほどだったと思う。
ぐちゃぐちゃになった人間だった者の身体が、居間の地面に横たわる。身体に返り血を一杯に浴びた美紀は、狂ったように笑い始めた。
僕は恐怖で凍りつき、その様子を無言で見つめていた。
目が覚めると、そこには裸のまま笑顔で眠る美紀と、息をしていない父親の姿があった。父は、外傷もなく、死んでいた。妹は気が狂った。そのまま精神病院に入り、今も回復の見込みはない……。
この話を他人にしたのは初めてだ。僕がこの話をした理由は分かるはずだ。美紀の状態と、君の状態は、恐らく同じなのではないかと僕は思ったのだ。
君がどんな夢を見ているのかは知らない。でも僕は今とても怖い。君がこれからとんでもないことをしようとしているのではないかと思えてならないからだ。
光士郎くんは今闘っている。ここ数日彼は学校に来ていない。風邪ということになっているが恐らく違う。彼は今自分に問いかけているのだ。そして答を見つけ出そうとしている。
僕はそんな彼を助けたい。そして君が取り返しのつかない結論を下す前に、君を止めたい。僕は美紀を止められなかった。だがせめて、君だけは取り返しがつく前に止めたい。
だから、僕は先に行かせてもらう。光士郎くんは、恐らくもう少しでここにやって来る。夢の中で僕は彼を待つ。
絶対にあんな結末は見たくない。絶対に、助けてみせる。
それぞれの想いが出そろいました。
ここから一気に終章へと向かいます!