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夢幻の騎士  作者: 遠坂遥
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牧村光士郎の手記 其の三

気高き騎士の戦い!

牧村光士郎の手記 其の三



 目が覚めた。今回は、凍える様な寒さによってでもなく、腕の痺れによってでもなく、僕は明確な意思を持ってこの世界に目覚めた。今までとは違うと、僕ははっきり認識していた。

 僕は現在位置を確認する。目の前の窓からは少し古びた建物とその入口が見えた。入口の横には看板が立ててあり、その建物が六号館であることを示していた。そして僕がいる建物とその建物の間には、コンクリートの道といくつかのベンチが並んでいる。これだけでは残念ながら現在位置は把握出来そうもなかった。

 左手には下り用の階段、右手には登り用の階段がある。振り向いてみると、四メートルほど奥に掲示物が貼られている壁がある。見たところ、僕がいた空間自体はあまり広くないようだった。恐らく、入口によって入れる部分が違うのだろうと僕は思った。

 僕は壁の方に進んでから右手を見る。どこかの教室への入口があった。なんとなくだが、僕はそこに誰かがいるような気がした。僕はそちらに向かって歩き出した。

 ドアノブを握り、手前に引く。教室の中は廊下よりも幾分か明るい。僕はその中に入った。

 そこは縦長の教室だった。三列に並んでいる沢山の長机に椅子が五つずつ備え付けられている。教室の端から端までざっと二十メートル弱といったところか。

 教室の一番後ろの席、そこに彼がいた。僕が最も嫌いと言ってもいい人間である、彼が。髪の毛をオールバックにし、異様に目つき悪く僕を見ているその人は、岩崎陸也だった。こんなに外は寒いと言うのに、ワイシャツ一枚で、胸元をざっくり開け、金色の髑髏の派手なペンダントがついたネックレスをしている。いかにもと言った感じの典型的ヤンキーを気取る彼は、いつも仲間という名の下僕数名を引きつれてターゲットを探している。自分の、ありもしないストレスを発散するためのはけ口となる人間を。彼の見た目は、かなり頭の悪い学校にありがちな悪逆の限りを尽くすヤンキーといった感じだが、実際彼はそこまで大層なことはしない。やるとしたら、集団による冷やかし、集団による軽めの暴力、集団による喫煙くらいなものだ。もちろん、対象となっている僕としてみればそんなもの堪ったものじゃないのだけれど。

 彼は本物のヤンキーではない。要は、彼は悪に憧れているだけなのだ。だが僕達の学校は進学校だ。よって彼も頭はそれなりにいい。それはつまり、どこまでが人間としてやってはいけないことなのかが分かってしまっているということだ。彼の実家はかなりのお金持らしく、彼がもし大きな犯罪をしてしまった場合、実家に多大なる迷惑がかかることを知ってしまっているのだ。だから彼はあまり派手に悪いことは出来ない。やるとしたら、ちょっとしたいじめ程度なのである。悪に憧れていながら、律儀にも色々なことを守ろうとしてしまっていることが、もしかしたら彼にとってのストレスと言えるのかもしれない。

 そんな彼が、いつもの様に嫌な視線を僕にぶつけていた。夢の中でも変わらず彼は僕を不愉快にさせた。

 「よう牧村、お前、ちょっとこっちに来な」

 大きくてしゃがれた声で彼が僕を呼んだ。わざわざ向こうに行ってやる義理はない。だけど、ここは彼女の夢だ。夢にあの男がいるのなら、それに全く意味がないということはないはずだ。それに、僕がピンチになれば、彼女が出てきてくれるのではないかとも僕は思った。だから僕は、彼の方に足を踏み出した。

 彼はニヤリと笑った。だが勘違いしないでほしい。僕は決して、君が来いと言ったからそちらに向かった訳ではないのだと。

 岩崎との距離が近づく。息苦しさが増してくる。普段の嫌な記憶が身体を抉っているのが分かる。ほとんどアレルギーに近い。僕の日常をつまらなくしている一員である彼に、僕は心の底から嫌悪感を覚えているのだ。僕を助けてくれたのは梓だった。いつもやられ放題だった僕を、岩崎の魔の手から救ってくれたのは梓なのだ。だが、その梓が今はいない。僕は無防備も同然だった。

 距離が三メートルになる。彼の顔のニキビを一つ一つ数えることが出来るほどの距離だ。僕はそこで立ち止まった。彼の表情が僅かに歪む。岩崎が言った。

 「ちゃんと俺の隣まで来いよ牧村。来ないとぶっ殺すぞ」

 “ぶっ殺す”が彼の口癖だ。もしかしたら、そのためにこの世界にいるのかもしれない。普段なら出来ない、その“ぶっ殺す”とやらを実践するために、彼はここにいるのかもしれない。赤間さんがいきなり服を脱ぎ出した様に、杉山が死体を見てヘラヘラ笑っていた様に、この世界はその人の異常性のリミッターを解除する役割があるのかもしれない。だとしたら彼が僕を“ぶっ殺す”ことも可能かもしれない。本当にそんなことをされるのは堪ったものじゃない。だが、あの騎士を呼び出すためには、ここで彼を挑発した方が良い気がした。だから僕は、普段なら絶対に言わない様なことを、彼に向かって言ってのけたのだ。

 「やれるものならやってみなよ。今日は友達はいないみたいだけど、僕を痛めつけるくらい一人で出来るでしょ?」

 僕は彼から三メートルの距離でそう言った。彼の顔がピクリと動く。イラついているのがよく分かる。自分より下だと思っている僕に、生意気な口を聞かれてさぞ怒っていることだろう。

 「なんだと牧村。てめえ、今すぐ訂正しないとマジでぶっ殺すぞ」

 「絶対に訂正はしない。僕は君の言いなりにはならないよ」

 彼の言葉に被せる様に僕は言った。彼が殺気立つ。正直少し怖かった。心臓が激しく脈打つ。でも僕は、決して表情には表さなかった。岩崎が立ち上がった。そしてポケットに手を突っ込んで、こちらを思いきり睨みながら歩み寄って来る。挑発はもう充分にした。あとは逃げるだけだと、僕は思った。これだけ机や椅子があるなら簡単には追って来れまい。夢の中だろうが、わざわざ殴られに行ってやる筋合いはないのだから。だから僕は足を一歩引いた。だが、気付くと僕は胸倉を掴まれていた。いつの間に触られていたのか、全く気がつかなかった。これだけ殺気立っているのに気付かないなんて、明らかにおかしいと思った。だが、そんなことを言っていられる状況ではとっくになくなっていた。

 「マジでぶっ殺す」

 彼が唾を飛ばしながらそう言った。拳を振りかぶった。殴られるのに一秒も掛かりはしまいと僕は思った。だと言うのに、なぜか僕は落ち着いていた。むしろ先刻よりもずっと。そしてそれは唐突に訪れた。

 「その汚い手を放しなさい」

 氷の様に冷え切った声が聞こえた。そして次の瞬間には、岩崎が教室の端まで吹き飛ばされていく様子を、この目が捉えていた。白銀の騎士がそこにはいた。彼女は岩崎が飛んでいった方を睨んでいた。彼女に倣って僕も視線をそちらに向けた。岩崎は窓際まで飛ばされていたが、こちらの視線に気付くとすぐに立ち上がった。思いきり身体をぶつけていたはずだが、どうやら彼は無事の様だった。

 騎士が彼の方へ足を踏み出した。彼はそんな彼女の様子を先程以上の殺気で睨みつけた。彼女が僅かな距離を開けて立ち止まった。そして腰の剣に手を掛けた。

 「てめえ、もしかして真辺か? 変な恰好しやがって、調子こいてんじゃねえぞ。こんなことしてタダで済むと思うなよ」

 また“ぶっ殺す”が出るかと思ったが、珍しく彼はそう言わなかった。

 岩崎と梓は所謂犬猿の仲だ。きっかけは、僕が彼に殴られているところを梓が止めてくれたことだった。

 梓自身にも辛い過去があったことはここに記した。それ故、彼女は暴力やいじめの類は絶対に許せないと思っている。しかもそれが、恋人である僕を大いに苦しめるものであるなら尚のこと。彼女は僕と関わりを持つようになってからというもの、僕が彼らに狙われた際は、必ず僕の元に駆けつけ、彼らを追い払ってくれた。男としては情けない限りだが、気弱な僕にとってそれは本当に助かることだった。

 岩崎は相手が女だろうとも容赦しない。彼らを止めに来た梓に、岩崎の配下の男子生徒は手を上げようとした。だが、所詮は単なる取り巻き。彼ら程度に剣道で心身を鍛えた梓が相手になるはずがなかった。素早い身のこなしで仲間たちを倒すと、怒りに震える岩崎と相対した。岩崎は漫画で見たヤンキーの様に拳を振り回すが、軽やかな足さばきでかわす梓には全く命中することがなかった。逆に隙だらけになった頭を思いきり引っ叩かれる始末だ。これには岩崎はキレた。教室にあった椅子を掴むと、それを頭の上で思いきり振り回したのだ。教室はパニックになり、机や椅子はグチャグチャになった。これでは梓が怪我をしてしまうと思った僕は、構えたままの彼女を引かせた。するとタイミングの良いことに、担任の教師が騒ぎを聞きつけてやって来た。どっちが悪いかなど火を見るよりも明らかだった。岩崎はそれにより厳重注意の処分を受けた。怪我人が出ていたら停学は軽かっただろう。岩崎が梓を一方的にライバル視するようになったのはそれからのことだ。岩崎の配下は梓のいないところで僕に嫌がらせをすることがあったが、岩崎自身は僕よりも梓を狙うようになった。

 岩崎は会うたびに梓に因縁をつけたが、彼女はあの一件以来ほとんど彼を無視した。本気の喧嘩になったら自分自身処分を受ける恐れがあったし、そもそも僕に危害が加わらないのならそれでいいとも思ったのだ。それでも岩崎は梓にちょっかいを出し続けた。そのしつこさや、逆に梓のことが好きなんじゃないかと思えるほどであった。

とにかく、そんなことが二年生の間中続いた。結局岩崎は一度も諦めなかった。それは夢の中だって同じはずだ。

 「今日こそはマジでてめを殺すぜ。いつも無視ばかりしやがってたてめえが、今日はやる気と見た。本気でやりあえば、俺は絶対に負けない。今日、それをここで証明してやる」

 彼はそう言って不敵に笑うと、ワイシャツの前ボタンを全て弾き飛ばし、それを豪快に脱ぎ捨てた。見たところ、岩崎の上半身は思ったよりも引き締まっていた。

 梓が剣を抜く。そして銀色の刃に殺気を込める。このままいけば、岩崎も赤間千鶴や杉山暁と同じく身体を切り裂かれて絶命するはずだ。剣を持つ相手に、赤間千鶴は素手で善戦した。しかし結局は彼女の刀のさびになった。それは岩崎とて同じはず。だからきっと、勝負は余裕のはずだと僕は思ったのだ。だと言うのに、梓自身の顔から余裕の色は微塵も窺えなかった。むしろ相手を恐れているかのような、そんな雰囲気すらあったのだ。

 先に動いたのは梓の方だった。気合の一声の後、彼女は足を踏み出し、一直線に岩崎に切りかかる。岩崎はそれを素手で掴んだ。騎士は驚愕の色を浮かべた。岩崎はニヤリと笑い、右手で剣を掴んだまま騎士の身体ごと投げ飛ばした。彼女の身体は数メートルほど飛び、備え付けてあった机と椅子を吹き飛ばした。しかしすぐに体勢を立て直し、再び岩崎に飛びかかった。

 今度は横に刃が振り出される。僕は目を疑った。なんと岩崎は、振られる刃を殴りつけたのだ。その衝撃で騎士の身体が揺さぶられる。岩崎はその瞬間を見逃さなかった。素早く梓の懐に入り込み、梓の顔面を殴りつけた。そして間髪容れずに彼女の身体を蹴り上げた。

 物凄い衝撃音と共に、天井に大穴が開く。彼女は上階に突き上げられたのだ。岩崎はその穴を見ながらニヤリと笑う。そして人間とは思えない跳躍力で上の階に飛び上がった。

 これはまずいと思った。僕ではジャンプであそこに行くことは不可能だ。だから僕は、ボロボロの教室を全速力で駆け抜けて扉を開け、上に続く階段へと走った。僕は二段飛ばしで階段を昇った。四階に上がると扉がすぐに現れた。僕はその中の一つに走り寄り、思いきり扉を開いた。

 大きな教室だった。端から端までは五十メートルはあるだろうか。木製の長机が七列、椅子はそれぞれ五つずつある。部屋は灯りがついていて、そのほぼ真ん中辺りに彼らはいた。

 剣を構える梓の左の頬が腫れ上がっていた。唇の端が切れてそこから血が流れている。僕は唇を噛んだ。彼女は僕のせいで傷ついたも同然だ。僕はこの時ほど、助けてもらうばかりで何もしない自分自身を殴りたいと思ったことはなかった。

 岩崎は余裕しゃくしゃくだった。机の上に乗り、騎士を見下ろしていた。一方梓は慎重になっている様だった。先に攻撃することは危険だとさっきの岩崎の動きで理解したのだろう。

 先に仕掛けてこないと分かると、岩崎は大きく跳躍した。彼は梓の頭の上を飛び越えると、ちょうど反対側の机の上に着地した。そして机に備え付けてある椅子に手を伸ばした。またしても僕は目を疑った。彼は椅子を机から千切り取ったのだ。それも一気に二つだ。彼は両手に椅子を持ち、机の上に立ちあがると、思いきりそれらを騎士に投げつけた。騎士はそれを剣でなぎ払った。衝撃の強さからか、彼女は椅子を受ける度に僅かだが後退した。だが彼の攻撃はそれで終わらなかった。

 岩崎はすぐに他の机に飛び移ると、またしても椅子を外した。そして次から次へと投げつけた。梓はそれになんとか応戦しているが、徐々に息が上がっていくのが僕からも分かった。額からは汗が滲み、表情も厳しくなっていった。

 恐ろしい腕力だった。この夢では異常性や欲望が解放される傾向にあるようだが、ここまで彼女を苦しめた人はいなかった。赤間千鶴も途中から化け物じみた力を帯びていたが、彼はそれ以上だった。しかしここでふと思った。今の梓には、最初の時見せた銀色のオーラが見えなかったのだ。図書館の時も、部屋は一気に銀色に染まった。あの時だって、彼女が自身のオーラで真っ暗だった部屋に色をつけたはずだ。だったら今、彼女がオーラを纏っていないのはおかしい。もしかして発動条件があるのだろうか? あるとしたらそれは何か。彼女にオーラを纏わせるには、何が必要なのだろうかと、僕は思案を巡らせた。

 岩崎の連続椅子投げが終わる。しかしそれと同時に彼自身が梓に飛びかかった。岩崎の素手の拳を剣で受け止める。彼女の身体が僅かに沈んだ。あまりの衝撃に床が壊れそうになっていたのだ。また穴が開くのも時間の問題のように思われた。

 僕はまた思案を巡らせた。あのオーラは彼女の腕の傷を治した。そして襲いかかる赤間千鶴を一蹴した。そこから、あの銀色のオーラに何かしらの効果があることは僕にも理解出来た。ちなみに今のこの部屋は、蛍光灯の光が覆っていたが、その光は銀色とは言い難く、若干黄色が混ざった様な、ほの暗い光だった。

 そんなことを考えている内に、梓の戦況は更に悪化してしまっていた。動きが衰えてきた梓の隙を付き、岩崎は腹のあたりを甲冑ごと殴り飛ばした。彼女の身体が宙に浮く。岩崎は彼女に向かって飛びあがり、彼女の身体を蹴り飛ばした。

 彼女の身体がまっすぐこちらに飛んでくる。もし彼女の身体が地面に叩きつけられるようなことがあれば、もう彼女は立ち上がれないかもしれない。そうしたらもう僕らに勝ち目はなかった。そしてそもそも、僕は彼女がこれ以上傷つく姿など見たくなかった。

 僕は両手を前に突き出した。そして彼女が落ちてくる軌道上に入り、彼女の身体をしっかりとキャッチした。だが残念ながら僕の能力は夢でも変わっていない様だった。僕は岩崎から送られてきた勢いを止めることが出来ず、彼女を抱きかかえたまま後ろの壁に思いきり激突してしまった。背中に激痛が走った。瞬間的に息が出来なくなる。だがそれでも僕は梓を放さなかった。

 二人で地面に倒れ込んだ。すると弱弱しい声で彼女が言った。

 「光士郎、あなたは、大丈夫……?」

 「これくらい、大丈夫だよ。そんなことよりも君の怪我の方が酷いよ。あいつからは離れた方がいい。ここが夢なら、夢が覚めてしまえばいいはずなんだから」

 そう言って僕は地面に伏している彼女の身体に触れた。久しぶりのことだった。これが夢だとしても、彼女にこうして触れたのは本当に久しぶりのことだったと思う。

 彼女が輝きを纏ったのはまさにその時のことだった。



 仕組みなんて分からない。初めからこの世界は僕の理解の範疇を越えている。何かが起こり、彼女の力が蘇った。僕にはそうとしか言えない。彼女は全身に銀色のオーラを纏っていた。見ると、彼女の腫れていた頬や、切れてしまっていた唇が徐々に癒えていくのが分かった。恐らく全身に受けたダメージもどんどん軽減していっているのだろう。

 彼女が立ち上がる。そしてそのまま前方の岩崎陸也を睨みつけた。そして僕も、ヨロヨロしながらもなんとか立ち上がった。

 岩崎はあからさまに不愉快そうな顔をしていた。あと一歩のところで振り出しに戻されてしまった訳だから、彼の心中は実に容易に推し量ることが出来た。

 梓が精悍な顔立ちで剣を構える。剣からも当然銀色のオーラが発せられる。

 岩崎の表情から先程までの余裕しゃくしゃくな雰囲気は消えていた。彼は体勢を低くして、今にも飛びかからんばかりにこちらに狙いを定めた。そして彼は右足で思いきり机を蹴った。備え付けの机がぐしゃりと音を立て破壊され、彼の身体が弾丸の様なスピードを帯びた。そして一直線にこちらに突っ込んできた。突っ込む瞬間、彼は右の拳を振り上げ、そのまま振り下ろした。白銀の騎士はそれを剣で受け止める。物凄い衝撃に再び地面が崩れかけた。だが、彼女は体勢を崩さなかった。完全に自身を防御しその場から微動だにしていない。それが恐らくあのオーラによるものなのだろうと、僕は考えた。

 力技では崩せないことが分かると、彼は飛び跳ねて梓から一定の距離を取った。僕はもしかしたらまた飛び道具を使ってくるのかと思った。しかしその前に梓が仕掛けた。

 彼女は目をつむり、両手で掴んでいる剣を前方に突き出す。刃の光が徐々にその輝きを増していく。そして彼女がカッと目を見開くと、気合の一声と一緒に斜めにかけてその剣を振り下ろした。

彼女の光り輝く剣から映画で見るCGの様な衝撃波が発生した。それは十メートルほどの幅を持ち、途中にあった机などを粉々に砕きながら高速で前進していった。

 岩崎の顔がその時初めて恐怖の色を浮かべた。これまで感じたこともない様な打撃の嵐の接近に、彼は一瞬腰が引けた。しかし彼は意地になっているのか、そこから逃げようともせず両手を前に突き出した。恐らく防御のつもりなのだろう。だがそんなものは無駄だ。いくら常識外れの力を岩崎が持っていようとも、その更に上位の常識外の攻撃をされてしまっては一たまりもない。

 銀色の波動が岩崎を襲う。文章で書いているからかなり遅い攻撃なのかと思えるが、実際は彼女が剣を振るってから、岩崎に攻撃が届くまでほんの二秒足らずのことだった。そんな一瞬では正直逃げることは厳しかっただろう。彼には元より選択肢などなかったと言った方が正しいかもしれない。光が岩崎を包み、岩崎は情けなく叫び声を上げた。それがどれほどの衝撃だったか、言うに及ばないだろう。

 光の衝撃が消える。銀色の光は教室の照明すら吹き飛ばしてしまった。だから攻撃の後教室は真っ暗になってしまった。明りと言えば、割れた窓の外から差し込む月明かりくらいだっただろう。繰り出した梓は僅かに息を切らしていた。原理は分からないが、あれだけの攻撃を繰り出せば体力を奪われるのも納得出来る。

果たして岩崎はどうなったのだろうか。僕はそれを確かめようと、ボロボロになった教室の中心まで行こうとした。その時だった。人影が瓦礫から飛び出し、僕の身体を捕えたのだ。目が徐々に闇に慣れる。何が起こったのか、それで僕はようやく理解した。

 血だらけになった誰かの腕が僕の首に巻かれていた。そして後ろからは血が絡む様な呼吸をしている人物がいることが分かった。結論から言えばそれは岩崎陸也その人だった。岩崎はまだ死んでいなかったのだ。全身が血だらけだったが、それでも彼には立ち上がる力が残されていたのだ。

 要はそういうことだ。僕は、岩崎の人質になってしまったのだ。岩崎は恐らく、テレビドラマで犯人が言うような典型的な台詞を言っていたと思う。ここに書くにはあまりにチープな発言のため割愛するが。

 岩崎が何かを叫んだ。だがもうほとんど言葉になっていなかった。梓の攻撃は既に岩崎の大事な何かを破壊していたのかもしれない。正直、僕の首を絞めるその腕の力も、僕はほとんど感じることが出来なかった。厳しい表情で梓が近づく。岩崎は怖気づいて後ずさりした。怯えきった岩崎に、僕はもう恐怖を感じなかった。彼の底を知ってしまった。人質を取るような低俗な人間に、僕はもう屈したりはしなかった。

 僕は自由な右足を上げる。そして、勢いよく岩崎の右足めがけて突き降ろした。彼が情けない叫び声を漏らした。そして僕を捕えていた力がゼロに等しくなる。僕はそこから難なく抜け出すことが出来た。

 人質を失って彼が慌てた。梓は彼にジリジリと接近した。恐怖した彼は敵前にも関わらず、背中を向けてその場から走りだした。ヨロヨロとした足取りで破壊された机を乗り越えていく。その度に彼は転びそうになった。そして彼は、やっとの思いで破壊された窓の付近にまでやって来た。窓の外は吹き抜けで、下には中庭がある。つまり、そこは安全地帯でも、出口でも何でもない。そこに来て安心出来ることなど何もない。彼はもうそれすらも理解出来なかったのだろう。

 梓が窓際の男を目指して駆けだす。岩崎からすれば、それはさぞ恐ろしい光景だっただろう。恐らく、残り少ない理性を完全に失わせるのに十分だったはずだ。彼は梓の攻撃から逃れようと割れた窓から外に出ようとしていた。この教室の外にベランダはない。よって彼がここから逃れるためには僅かにある窓枠をつたわなくてはならない。彼は鬼気迫る顔で窓枠を掴みながら外に踏み出す。梓はスピードを緩めることなく窓まで走り、そして彼が?まる窓枠を一撃のもとに破壊した。岩崎はバランスを崩し、体重が後ろにかかる。それでも彼は死にたくない一心で腕を伸ばし、窓枠に手を掛けようとした。

 彼に窓枠にずっと?まっていられるほどの握力が残されていたとは思わない。だが、一瞬くらいなら手を掛けることは出来たかもしれない。だが残念ながらその時の彼にはそれすら不可能であった。なぜなら彼は全身血だらけだったからだ。窓枠を?みかけた彼の手は、自身の血で滑ってしまった。その時の彼の顔は、まさに絶望といったところだった。そして彼の姿は完全に僕の視界から消えた。

 生々しく肉が弾ける音が中庭で鳴り響いた。彼の最期を確認する必要はもうなさそうだった。

 騎士は剣を収めた。そして一度大きく息を吐いた。僕は彼女を見た。彼女も僕を見た。梓は、とても悲しそうに僕を見ていた。

 僕は梓の方へ歩み寄ろうとした。だけど梓は、僕から視線を逸らし、後ろの窓枠に飛び乗った。そして大きく跳躍すると、そのまま真冬の夜空に消えていった。

 僕は身震いした。気付くと、窓がなくなった部屋は随分と気温が低くなっている様だった。

 僕はシンと静まりかえった教室を後にした。廊下に出ると、下へ続く階段を下っていった。

建物の外に出る。ここはどうやら七号館らしかった。僕はそこから右手に曲がった。左右のベンチを通過し、十字路を再び右に曲がる。工事中の建物を左手に見ながら僕は前に進んだ。そこを抜けた先には、例の銅像があった。そこは、僕が初めてあの騎士と出会った場所だった。そしてあの日、二人でここに来ることを誓い合った場所だった。

 僕の頬を涙が伝った。

 長い夢だった。

 僕はそこに佇んでいることしか出来なかった。

夢から覚めて、光士郎は一人何を思うのか……。

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