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夢幻の騎士  作者: 遠坂遥
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牧村光士郎の手記 其の二

連続投稿しております。

今回は本編です!

牧村光士郎の手記 其の二



 これから記録は一日ごとにつけていこうと思う。まとめて書いていると、その時の僕の行動や誰かの言葉などが曖昧になってしまうことがあるので、出来るだけ正確な記録を残したいと思う。

 本日は五月十三日の月曜日。土日は僕の家の都合があったせいで病院には行けなかった。よってあの夢の世界にも金曜日以来行っていない。だが、僕がこの手記を書いているということは、つまりはそういうことだ。僕は今日あの世界に行った。あの真っ暗で冷たい、白銀の世界に。その時の様子を述べていこうと思う。

 いつもの様に僕は彼女の病室に行った。彼女はいつも通り窓際のベッドで横になって目をつむっていた。ベッドの脇のミルクチョコレートはなくなっていた。恐らく、看護師さんが処分してくれたのだろう。

 僕は自身の仮説に絶対の自信を持っていた訳じゃなかった。ああは書いたが、彼女の想いを取り違えている可能性が高いと考えていたのだ。だから僕は、それを確かめるためにも、今日も彼女のあの夢に連れて行ってほしいと思っていた。そして夢の中の彼女に、僕が直接問いかけたいと思っていた。

 僕は彼女の手を取った。温かくて、柔らかいその手を。

 不思議なことに僕は彼女の病室に行く時間帯になると急に眠気が襲ってくる。それはだいたい四時から五時までの間だ。その日病室に行ったのが四時三分だった。だから彼女の手を取る頃には程良い眠気が押し寄せていたのだ。僕はすぐに眠りにつくことが出来た。

 あの世界での目覚めはいつも最悪だ。だっていつも物凄い寒さによって強制的に起こされるのだから。あの寒さはやはり冬の寒さなのか。僕と彼女があの大学を訪れたのが十二月の冬の日だったから、もしかしたらそのイメージがこの世界に反映されているのかもしれない。もっとも、僕らがキャンパスを訪れたのは昼間だったのだが。しかし、今日に関しては、僕はその寒さで起こされた訳ではなかった。僕はぬくぬくとした温かさの中で、腕のしびれを感じて目を覚ましたのだから。

 僕は辺りに目を凝らした。どうやらここはこの前とは場所が違うようだと思った。赤間千鶴の惨殺死体も、杉山暁の血みどろの死体も辺りには見当たらなかった。そこは図書館だった。柔らかな灯りに、沢山の本の数。周りには長机が何台も置かれていて、その一つ一つに椅子が六個ずつ用意されている。右側には大きな窓ガラスがあり、そこからキャンパスの夜の灯りが見える。見たところこの図書館はキャンパスからは僅かにだが離れているようだ。といっても大きな門と、一本の道路を隔てている程度だが。

 ちなみに腕が痺れていたのは、僕が自分の腕を枕にして眠り込んでしまっていたからだ。僕はよく小説を書きながら眠ってしまった時にこうやって寝てしまう。夢の中の僕もご多分に漏れずそういった性質がある様だった。

 しかしそれにしてもなぜ今回は図書館なのか。確かに僕は前にここを訪れた時、尋常じゃないこの図書館の蔵書量に思わずテンションが上がってしまったものだが、この夢においてここが重要だとはあまり思えなかった。というのも、あの白銀の騎士と本とはあまり関係がなさそうだからだ。僕は彼女が近くにいないか確認する。いつも通りで人の気配が全くしなかった。いつも突然人が現れるからもうあまり驚かないが、やはり人は誰もいない様子だった。僕はやることもないので、とりあえず本の山をチェックすることにした。

 ただ少し残念なのだが、この図書館の蔵書量は半端でないのだが、いかんせん小説の量が少なすぎるということだ。むしろ皆無と言ってもいいほどだ。と言うのも実は、この蔵書の大半は学術書であり、大学生が日々の研究に利用するのが専らなのである。噂によるとここではなく戸山キャンパスの方が小説が充実しているということだ。どうせなら向こうの図書館に行っておくんだったと僕は思った。しかしそうそう文句ばかり考えていても始まらない。僕はとりあえず適当に一冊の本を手に取ることにした。

 手に取った本を見て、僕は思わず声を上げてしまった。なんとその本の作者の名前が、

 「真辺、梓……」

 あの子の名前だったのだ。小説のタイトルは、『幸せの法則』。中身は知っている。この本は、あの子が前に僕に読ませてくれたものだったのだ。

 小説の主人公は引っ込み思案な女子中学生。その子がある日、意中の男の子に手紙で告白するのだが、男の子はその女の子のことを振ってしまう。実はその男の子には好きな女の子がいたのだ。女の子はそのことで落ち込んでしまうのだが、そこから男の子を振り向かせるために、数々の努力を重ねていく。彼の趣味や、行きたい所を調べたり、彼の好みに近づける様に洋服を作ったり、料理の練習をしたりする。また彼女の友人たちも彼女をサポートし、彼女は徐々に彼が気になる存在にまで成長していく。一方その男の子が元々好きだった女の子は、そんな地道な努力を繰り返す主人公の女の子をバカにする。実はその女の子、魔女から魔法の力を借りて彼の理想の女の子に変身していたのだ。しかし男の子は女の子が本当は心の醜い人間だったということを知ると、その子とは距離を置くようになる。そしていつも一生懸命な主人公の女の子のことを好きになる。そして最後は二人がめでたく結ばれる。物語はこんな感じだ。

 実にありがちな物語だが、この小説の良い所は、主人公の女の子がとても可愛く、そして活き活きと描かれているところにある。意中の男の子を振り向かせるため、ずるは絶対にせずひたすら健気に頑張るその姿には、男子高校生である僕も非常に心打たれたものだ。あと登場する主人公の親友が実に良いキャラをしている。本当はその親友も例の男の子のことが好きなのだが、親友の為に自身の心は押し殺して、様々なアドバイスをくれるのだ。僕もこんな親友がいたらどんなにいいだろうと思ったものだ。

 ところで、この小説の主人公である引っ込み思案な女の子というのは、実は梓自身をモデルにしているらしかった。梓は表面的には勝気で明朗快活な女の子だが、本当はとてもか弱いところがある。彼女はそれを後から身につけた見栄や虚勢で誤魔化しているだけなのだ。彼女は僕の前では時折そういった本当の部分を見せてくれる。その時の彼女は、触れば折れてしまうんじゃないかというくらい脆い女の子なのだ。

 彼女は中学の時、見栄も虚勢もはれない女の子だった。いつも教室の隅の方で本を読んでいる様な子だったのだ。そんな彼女の趣味は、僕と同じく小説を書くこと。実は彼女は中学時代小説ジュニア大賞で優秀賞を獲るほどの素晴らしい小説家だったのだ。彼女は小説の中に自分の求める世界を描いたのだ。今は駄目でも、努力をすれば必ず報われる様な世界を。

 だがそんな純朴な少女にも魔の手が伸びた。クラスメートによるいじめだ。当時彼女は原稿用紙に小説を書いていたのだが、それがクラスメートに見つかってしまい、原稿は無残にもビリビリに破かれてしまった。そういったことが繰り返され、いつしか彼女の精神はすっかり疲弊してしまった。それは彼女の心に暗い影を落とした。唯一人生が楽しいと感じられるものであった小説ですら、彼女は書けなくなってしまったのだ。

 しかし、彼女はそこでめげなかった。待っていも幸せになれないのなら、小説の登場人物の様に、自分から幸せを掴みにいかなければならないと考えたのだ。彼女は変わる為の努力を始めた。心身共に鍛えるために彼女が始めたのが剣道だ。それまで彼女は運動らしい運動を何もしてこなかった。だから初めはついていくのがやっとだった。だが彼女は決して諦めなかった。剣道を始めたことで体力がつき、精神的にもタフさというものを身につけ始めた。

 彼女は高校入学を期に、これまで住んでいた所から離れた所に越して来た。昔の自分を知らない場所で、もう一度新しい自分で勝負するために。

 高校に入学すると彼女は市内の剣道場に通い始めた。学校では文芸部に入っていたため剣道部には入らなかったが、大会が近い時は部活にはほとんど顔を出さずに剣道に集中する程の熱の入れようだった。こうして剣道で鍛えられた彼女の心身は瞬く間にたくましくなっていった。

 彼女の交友関係も高校入学を期に大きく変化した。いつも教室の隅で本を読んでいた様な子が、一気にクラスの中心人物になったのだ。その明るい性格で、彼女はたちまち人気者になった。

僕が彼女の距離が一気に近づいたのは二年生の春だ。彼女は僕と同じ文芸部だったから、それまでも多少は話をしたことがあった。だが僕は誰に対しても自分を出すことが出来なかったから、特に彼女とは親しいということはなかった。そんな感じだから、僕は小学校、中学校とよくクラスではいじめの対象になった。そしてそれは、高校でも同じだった。もしあのままいじめが続いていたら、世間一般のいじめ被害者の様に、不登校になっていたり、場合によっては自殺してしまったりしていたかもしれない。

それは去年の五月のことだった。僕をいじめていたのは、岩崎陸也を初めとした男数名だった。彼らは僕の鞄を隠したり、僕にバケツの水を引っかけたりした。その日は、僕がたまたま持ってきていた、小説をプリントアウトした紙がやつらに見つかってしまったのだ。彼らは原稿を見つけると、辺りにばら撒き、足で散々に踏みつけた。そして彼らはそれを拾いもせずどこかに行ってしまった。僕はそんなやつらの背中を恨めしそうに見ながら、その原稿を拾おうとした。その時だった。

「手伝うわ」

彼女が僕の原稿を拾うのを手伝ってくれたのだ。別に仲良くもなく、助けたところで何の得にもならない、こんな僕を助けてくれたのだ。でも僕は、小説をあまり人に見られたくなくて、「一人で出来るからいい」と彼女に言った。でも彼女は気にせず原稿を拾うのを手伝ってくれた。拾いながら彼女が「これって小説?」と尋ねた。僕はバカにされるのが嫌で、素っ気なくそうだと答えた。でも、彼女はバカにしなかった。むしろ逆だ。僕の小説を読ませてほしいと言ってきたのだ。

正直その申し出には抵抗があった。だけど、僕は彼女の勢いに負けた。僕は夜、彼女の催促メールに、僕が一番自信のある小説のデータを添付して返信した。

数日後、彼女から物凄い長文メールが返ってきた。それは小説の評論だったのだ。僕は驚いてそれを読んだ。あまりに深く読みこんであって、逆に僕が恥ずかしくなるほどだった。

それが僕と彼女が付き合うきっかけだった。小説が僕たちを巡り合わせてくれたのだった。


 僕は『幸せの法則』を本棚に戻した。よく見ると、その横にも彼女の作品があった。その横にも、更にその横にも、彼女の作品が並んでいた。中には僕が読んだこともない作品があった。もしかしたら、これは彼女の頭の中だけにある作品なのかもしれないと僕は思った。ここが彼女のイメージした世界なら、それも決してあり得ないことではないからだ。

 ふと僕は足元を見た。名前のない本が落ちていた。更に近くには別の本も落ちている。まるで目印の様に、列の様に本が落ちていた。そしてそれは、とある階段へと続いていた。

 僕は急に不安になった。名前のない本が指示している先には何があるのか確かに気になった。でも、名前がないということは、彼女にとって残したくないものという意味なのではないかとも思えた。僕は息を飲んだ。僕はあの子のことを何でも知っている気でいた。だが人間、一つや二つ隠し事があって当然だ。僕にだって人には言えない隠し事はある。でも、今あそこに行けば、僕は彼女の全てを知ることが出来るのではないかと思った。彼女が眠り続けている理由を、彼女が夢を通して何を伝えようとしているのか、分かるのではないかと思った。だから僕は踏み出していた。まるでその不気味に光る闇に吸い込まれるかのように。

 僕は一段一段を慎重に降りていく。闇が深くなっていく。ここが彼女の暗部だと分かった。でも僕は止まれない。

 階下は沼の底の様に真っ暗であった。それでも、一番奥にほのかに光る灯りがあった。僕はそこを目指して歩く。広い広い部屋を突っ切り、僕はその灯りの前にやって来た。そこには、一つの本棚があった。僕は僅かな灯りの中目を凝らした。どの本にも、タイトルがなかった。僕は息を飲み、その中の一冊に手を伸ばす。そしてその本をしっかりと掴んだ。信じられないくらいその本は冷たかった。冷凍庫に入れたみたいに、その本には温かみが感じられなかった。

 心臓が暴れ馬の如く激しく脈打った。喉元まで吐き気が込み上げてくる。まるでそれに触れるなと警告されているかのようだった。それでも僕は本を戻さなかった。決死の覚悟で僕は本を本棚から引き抜いた。

 真っ黒なカバーの本を開く。すると奇妙なことが起こった。文字を読んでいないのに、内容が勝手に頭の中を流れたのだ。この物語の初めから終わりが、まるで走馬灯のように頭の中を流れた。一瞬だったのに、僕は内容を理解していた。それは僕が感じたことがない、真辺梓の心だった。

 不意に気配がした。僕は闇から闇に向かって振り返った。すると真っ暗だった部屋が、一瞬にして銀色に染め上げられた。その時改めて分かったことだが、その部屋はこの本棚以外全く何も物がなかった。広大な空間に、たった一つだけの本棚。これだけ見れば分かる。これらの本が、彼女にとってどういった位置づけなのか、どれほど人に見られたくはないものなのかということを。

 白銀の騎士は、苦悶の表情を浮かべながらこちらに歩み寄る。僕は黒い本を持ったまま立ちすくむ。見てしまった。あの子が見られたくないと思っていた部分を見てしまった。

 彼女は僕から本を引っ手繰ると、それを本棚に戻した。僕はその横顔を見た。まるで、何かを諦めたかの様な顔だった。僕はその時思った。彼女は、わざと僕にこれらの本を見せたのではないかと。

 彼女は本棚に手を置いたまま尋ねた。

 「私のこと、幻滅したでしょ?」

 確かに見た。でも、あれが何だって言うんだ。あの程度のこと、僕にだってある。自分より不幸な誰かを描いて、その人を自分の不幸のはけ口をしてしまうことなんて、よくあることだ。

 「あんなの、僕は気にしないよ」

 声は震えていなかった。だって、これは偽らざる真実なんだから。あの程度で僕が君を幻滅すると思ったら大間違いだ。

 「私は、あなたと違って、身勝手で、矮小な人間なのよ……」

 彼女は尚も自身を卑下する言葉を吐く。何があなたと違ってだ。まるで僕が偉い人間みたいに言わないでくれ。僕はただ小説の世界に逃げていただけなのに。

 「『絶望を希望に変える』僕の生き方が好きだ」と、彼女はある時言った。自分と同じ様な境遇にありながら、希望に満ちた小説を描けることが凄いと彼女は言ったのだ。何が凄いものか。僕は現実から目を逸らして、好きな世界を創り上げていただけだ。現実と向き合って心身を鍛えた君の方が何倍も偉い。完璧な人間なんていない。身勝手で矮小な方がリアルだ。

 なぜ君はそうやって僕に嫌われようとする? どうしてそんな辛いことを僕にさせようとする? 僕が君を嫌いになれる訳ないと分からないのか?

 僕は踵を返す。彼女に完全に背を向けた恰好だ。僕は彼女の元から歩き出す。彼女の視線が背中に突き刺さった。だが僕は歩みを止めない。見つめる先にあるのは、さっき降りてきた階段だけだ。

 僕は僕を見ている彼女に向かって、最後にこう言った。

 「僕は君を幻滅したりしない。身勝手で矮小な人間は、僕の方さ……。僕ほど酷い人間はいないと、僕自身自負しているからね」

 僕は苦笑交じりにそう言った。後ろで彼女が息を飲んだのが分かる。きっと僕の言葉に対して何か反論を言おうとしてくれたのだろう。だが彼女は何も言わなかった。恐らく彼女は、唇を噛んでいたんだと思う。

 僕はもう一度も振り返らなかった。薄暗くなった図書館を出て、寒空の下に躍り出た。夢は、そこで途切れた。


 僕は彼女の気持ちを取り違えていたのだろうか? ただの憂さ晴らしだと、安直な結論に逃げようとしていただけだったのか? でも、彼女が何をしようとも僕の気持ちは変わらない。絶対に見捨てたりしない。僕は君がどんな状態になろうとも受け入れる。僕は君を手放す方が何倍も辛いのだから。

梓にはどうかそれを分かってほしい。どうか僕の気持ちを理解してほしいと願っている。



 五月十四日火曜日、今日はあの夢を見なかった。だから病室でのことは取り立てて記すことはない。ただ別のことで非常に衝撃的なことがあった。今日はそのことについて記すことにする。

 病院からの帰り道、僕はバスの途中で、男の人と歩いている赤間さんを見つけた。僕はなんとなく気になって、彼女の後を追うため途中下車したのだ。

僕がなぜこんなことをしたのかと言えば、一つはやはりあの夢で赤間さんが出てきて、僕を誘惑してきた印象が非常に強かったからだ。学校では赤間さんは夢の様に僕を誘ったりはしない。でも、彼女が積極的なアプローチを仕掛けてきていたのは間違いないと思う。にも関わらず、彼女は今親しそうに男の人と歩いている。別に彼女にとっては大きなお世話かもしれないが、相手がどういった関係なのか調べておいて損はないだろうと思ったのだ。

もう一つの理由は、夢の中で彼女は無残にも梓に切り殺されたからだ。梓が彼女を嫌っていたのは知っているが、あそこまでやったのには何か理由があると僕は睨んでいる。以上の理由から、途中下車してでも彼女のことを調べる価値があると僕は思ったのだ。

 バス停付近には小さいながらも商店街があった。そこには昔ながらの八百屋や魚屋、更には呉服屋などが軒を連ねていた。僕が赤間さんの後を追っていると、赤間さんはその商店街に入って行った。商店街には六十代と思われる女性が数名買い物に来ているくらいで、全体的にはひっそりとした雰囲気だった。よって高校生のカップルである二人は、この空間においてひどく浮いた存在であったと思う。当然、その後をつけている僕も異様だったとは思うが。

 二人は商店街の中ほどに差し掛かったところで左手に曲がった。それは所謂裏路地と言うやつだ。人の通りはほぼ皆無だった。僕はまるで探偵みたいにこっそり二人の方へ近づくと、曲がり角にあった自動販売機の影に隠れ、そこから二人の会話を聞くことにした。

 二人は狭い路地で抱き合いながら、お互いのことを見つめ合っていた。二人の間では、一般的なカップル、特にラブラブなカップル同士なら日常交わされていそうな、歯が浮きそうになるくらいの臭い台詞が展開されていた。付き合いたての高校生ならこういうこともあるかと僕は思っていたのだが、どうにもその相手の男の台詞が何とも言えない性質のものだったので、僕はバレないように自販機の影から相手の男を覗き見ることにした。

 相手の男子高校生は、お世辞にもカッコイイとは言えない容姿をしていた。失礼を承知で言うならば、不細工であった。さらに驚くべきことに、その男は学ランではなくブレザーを着ていた。つまり、彼は他校の生徒ということになる。どうして赤間さんともあろう人がそんな男と付き合っているんだと僕が思案していると、二人の会話が次回のデートのことに及んでいた。

 男が次はどこがいいかと切り出す。赤間さんはそれに対し、たまには原宿辺りにでも行きたいと言った。一般的なカップルのデートと言えば、やはり定番は原宿の竹下通りとか、渋谷といったところだろう。僕はどうやら普通にデートに行くみたいだなと思っていると、男は「次は何が欲しい?」といったことを尋ねた。赤間さんは少しの間うーんと唸っていたが、すぐに「昭がくれるのならなんでもいいにゃん」と、僕がこれまで学校では聞いたことがない言葉遣いで返答した。すると男は、「ちーこが可愛いから何でも買ってあげる、よしよし」と、恐らく頭を撫でながら返したのだと思う。闇が深くなってきたというのもあるが、僕はそんな二人の様子を直視出来なかったのだ。

 二人が裏路地から出てきた。赤間さんは相変わらず「にゃんにゃん」言いながら、昭と呼ばれた男にじゃれついていた。僕はさっと自販機の影に隠れると、それ以上二人の様子を確認することなく、その商店街を離れた。

 バス停でバスを待っていると、十分ほどしてバスがやって来た。僕はフラフラっとした足取りでバスに乗り込んだ。

 バスが駅前に辿り着く。すると僕は、思わぬ人と会った。鳳さんだった。彼は生徒会の帰りだったらしく、左手になにやら資料の入った袋をぶら下げていた。なぜかその袋から猫耳が見えていたせいで、僕は一瞬立ちくらみを起こしそうになった。

 「どうしたんだい牧村くん? 何やら体調が悪そうだけど」

 彼が心配そうに尋ねたので、僕は「なんでもないです」と一言言った後、袋からはみ出ている例の物について質問した。

 「ああこれかい。実は今度僕たち生徒会が、障害を持つ児童たちの前で劇をすることになってね。これはその衣装だよ」

 と、明るい笑顔で言った。

 僕は一瞬でもさっきの赤間さんとあの男の様子を考えてしまった自分を恥じた。すると彼が、突然おどけた口調で、驚くべきことを口にした。

 「牧村くんに、元気を分けてあげるにゃん」

 僕は噴き出していた。あまりに驚きすぎて鼻水が出てしまった。僕はいきなりなんてことをこの人は言うんだと思い、彼の顔を見た。だが予想に反して、彼は真顔だった。右手に猫耳を持ってはいたが。

 彼の顔が、真顔から不敵な笑みに変わる。そして彼はこう言った。

 「赤間千鶴には気を付けた方がいい」

 前回彼が、彼女のことが嫌いだと言った理由が、その時ようやく分かった。彼は知っていたのだ。赤間千鶴がどんな女なのかを。そしてその時僕は思った。きっと、梓も、そのことを知っていたんだ、と……。

 彼は教えてくれた。赤間千鶴は、金を持っていそうで、なおかつ女の子と縁のなさそうな男を見つけては、その男を手なずけている。そしてその男に散々貢がせた挙句、ゴミの様に捨てていく。基本的に彼女は、男を他校や、全く関係のないコミュニティで見つける。しかもみんな気の弱そうな人ばかりをだ。彼らは気が弱くて友達もいない。だから、捨てられたと分かっても誰にも話をすることが出来ない。よって、赤間千鶴の悪い評判は広がらない。それが彼女の手口なのだ。僕もきっと、その中の一人でしかなかったのだ。彼女は梓があんなことになって、寂しい思いをしている僕を狙ったのだ。

 僕は絶対に梓を裏切ったりしない。でも、赤間千鶴を全く意識していなかったかと言われれば、決してそんなことはなかっただろう。僕はなんと迂闊だったのか。僕は思わず奥歯をギリッと噛みしめた。

 「しかし、彼女は今回ばかりは相手を間違えたな」

 不意に鳳さんが言った。

 「何が、ですか……?」

 僕は彼の目を見ずに尋ねた。

 「彼女はいつも全く友達のいなさそうな人を対象にする。だが、牧村くんには友達がいる。君がそう思ってくれているか分からないけど、僕も君の友達のつもりだ。そして君には、最強の騎士がいる……」

 「え?」

 僕は瞬間的に彼の顔を見た。なぜ、彼がそれを知っているのか。僕しか知らないはずの、あの白銀の騎士を、彼も知っていると言うのか? しかし、彼は慌てた様子も見せずにこう言った。

 「傍で君を守るという意味じゃ、彼女は立派な騎士だ。あの時の事件で、まるでこの子は君を守る騎士の様だと思ったのさ。正直羨ましかったよ。あそこまで絆の深いカップルを僕は見たことがなかったからね」

 彼はそう言うと、手に持っていた猫耳を近くにあったゴミ箱に投げ込んだ。劇に使わないんですかと僕が尋ねると、

 「あんな気色の悪い物、僕は願い下げだ」

 と、晴々した顔で言った。

 同意だった。あの二人のさっきの様子ほど、僕の身体に悪寒が走るものはないと思う。

 結局僕らは駅の前で別れた。僕は別のバスに、鳳さんは徒歩で帰宅の途に就いた。

 自宅の前で僕は、一匹の黒い猫を見た。よく辺りを走りまわっている野良猫だ。その猫は僕を見つけると、敵意をむき出しにしてシャーシャー鳴いた。あの気味の悪い猫よりも、こっちの方が百倍良いと、僕はこっそり思った。

 

 この前の仮説だが、僕はもう捨てることにした。

 図書館での一件、そして赤間千鶴の本性を鑑みれば、僕の仮説が実に浅はかであったかが分かる。

 お互いにまだ分からないことが沢山ある。だからこそ、その人のことをもっと知りたいと思う。人が人と一緒にいる理由とはそういうものなのかもしれない。僕は彼女について知らないことが沢山ある。僕はそれを認める。認めたうえで、もっと彼女を理解するように努力する。

 僕はまた明日病院へ行く。彼女がもう来るなと言おうとも行く。行って確かめる。それだけが、今の僕に出来ることだと、信じている。

果たして、梓の目的は何なのでしょうか?

それにしても赤間さん気持ち悪いですね笑

ということで、次回へ続く。

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