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 「……そりゃまた、くだらねー理由だね……」

 「そんなことない!」 

 あきれ果てた顔のミーナに、リックは唾を飛ばした。

 彼が家出した経緯を説明していたのだ。まあ、一般的な反応だ。

 「だって母ちゃんときたら、一回一回テストの結果だけでギャーギャーわめくんだぞ!」

 「あっそ……」

 ミーナはそっぽ向いて水筒の水をあおった。ちなみに今までどおり馬に乗っている。徒歩のスピードで。同行者は歩いていた。

 「じゃあ、ねえちゃんはそういうこと無かったのかよ」

 「ないよ」

 あるわけがない。両親は十年以上前にこの世を去っている。

 そもそも、サラサの村には平日に通うような学校がない。平日、村の子供はだいたい家の手伝いで忙しく、日曜学校がその代わりとなっているのだが、魔法の習得などはそれで事足りる。だいたいそこまで小難しい魔法の理論など覚えても役に立たないので、やらないのだ。したがって一般的な学校のように成績を競ったりすることもないから、ガミガミ言われるようなこともない。

 田舎では仕事を覚える方がはるかに大切なのだ。

 「いいなあ」

 羨望のまなざし。この年頃の少年に特有の理由で。

 「そうかな。ま、いいんじゃないの?あんたの人生なんだし」

 そしてこの娘は、親がいないことを悲観したりしないのだ。

 記憶もおぼつかないような昔に両親は逝った。代わりに、気付けば隣にはグルカがいた。

 実の父親ではないし、それは公言していた。

 小さな頃は、それを男の子にからかわれたりもした。相応に傷ついたりもしたし、泣いてしまったこともあったけれど、彼女は負けなかった。その翌日には、その男の子をボコボコにしてやった。そうしたらグルカがほめてくれたのだ。うれしかった。

 要は、心の持ちようなのだと今は思っている。 

 確かに、彼女は皆にあるものがない。でも、皆にはないものを自分は持っている。

 そういうことだ。悲しむことなど何もない。

 「ねえちゃんは何でタラスラントに行くんだ?」

 「お仕事。ああ、めんどくさ」

 ミーナは鞍にへばりついた。おなじみの光景である。

 リックはそんな彼女を見上げた。朝はきれいなねえちゃんだと思ったが、こうしてると色気もへったくれもない。せっかくの容貌が台無しだ。

 彼女自身は全く気にしていないが。

 「仕事って、どんな?」

 「人探しよ」

 「人探し?誰を?」

 「えーと……なんだっけ。勇者」

 ああ、なんだかすごく恥ずかしい。でもいいや。どうせ本気で探す気なんかないのだから。

 「ああ、勇者かあ」

 「知ってんの?」

 架空の人物じゃないのか?

 「うん、最近有名になった勇者様がタラスラントにいるらしいよ。なんか、町を襲った化け物を退治したんだって」

 「……ほんと?」

 ガキの言うことだし、信用していいのか。

 「ほんとだって。皆言ってたよ。聞いたことないの?」

 「………」

 聞いたことがない。そりゃ、自分は確かに田舎育ちだし、村の外のことには疎いと思っていたけど。

 あの本、本当のことが書いてあったのか?

 「すごく強いんだって。化け物と戦って傷ひとつ負わずに一太刀で切り捨てたとか」

 「へえ……」

 どんどん、自分の知らない話だ。気分が滅入ってくるが、おもしろい。

 「でもその勇者様は、女の人なんだって」

 「え?」

 本では、すごくハンサムな男の人ということだったのだが。

 「ちなみに、名前とか」

 「えーと……。確か、レイア。レイア・グライド」

 





 バーのマスターは、浮かない顔でグラスをきゅっきゅとこすっていた。

 憂鬱の原因は、カウンター席の隅っこに座っている女性だ。

 気の強そうなまなざしの、美人。短い黒髪がそれによく似合っている。

 黒いノースリーブに、これも黒いジーンズ。肩当をつけていて、それがまた妙に似合う。

 さらに、腰には細身の剣をぶら下げていた。

 その美女はジョッキのビールをんぐんぐとあおっている最中だった。

 他にも客は結構いた。そこそこ人気のある店なのだ。

 マスターはため息を吐き出した。人気のある店なのに……。

 「おじさーん……。おかわりー」

 凛とした声がふにゃふにゃになった感じで、彼女は追加注文した。

 どう見ても酔っ払いだ。

 ビールがジョッキになみなみと注がれる。

 「はい。あんまり、飲みすぎないでね」

 気遣うというよりは、やめてくれよ!みたいなニュアンスをこめて、ジョッキを渡す。

 でもこちらの言うことなど聞いてはくれなかった。一息に飲み干す。

 マスターは店内を見回した。皆楽しそうに酒を飲んでいる。

 ああ、かわいそうに。

 目頭を押さえる。それとほぼ同時に、ジョッキがカウンターに叩きつけられる音。

 「ふざけんじゃねーわよ!」

 マスターを除く一同がびくりとして声の主を振り返った。声の主は、ジョッキを振り回している美女だ。マスターは耳を押さえてカウンターの向こうでうずくまっていた。

 「何が勇者よ!あいつらさんざん持ち上げるだけ持ち上げといて、ちょっとしたらすぐポイ!何よ!あんた誰だっけ、って、何なのよ!」

 激昂しておいて、今度は自分を大口開けて見つめる一同に目を向けた。

 みんなすぐに視線を逸らしたが、遅かった。今度はそっちにからんでいく。

 「何よ。あんたまであたしに文句があるっての!?」

 「いいぇ、あの、その」

 カップルの男につかみかかった。

 ……気に食わない。

 「あたしの前でいちゃいちゃするなあ!」

 「うわあああ!?」

 がっしゃん!と、イスとグラスとその他もろもろを巻き込んでぶっ飛ばされた。

 ぶっ飛んでいった席が大騒ぎになった。

「ああああ!むかつく!!」

 そう言うと彼女は手当たり次第に暴れ始めた。イスをひっくり返し、酒瓶を叩き割り、もうめちゃくちゃだ。

 「お、おいこら!やめろ!」

 止めに入った勇敢な男性がいた。その彼に、女の鋭い視線が突き刺さる。

 「あたしに……触るなあ!」

 手が腰の剣に伸びた。

 「げ!」

 そんな喧騒に背を向けて、マスターはぶるぶる震えていた。

 彼女は先月あたりからふらりとここに来るようになった。 

 初めはいい感じの客だったのに。気付けばこんなことになっていた。

 ひどい酒乱。その上めっぽう強く、おまけに佩刀している。

 勘弁してください。もうこないで。

 悲鳴がこだまする。怒号が飛び交う。騒音が響き渡る。

 最終的に聞こえてきたのは女の笑い声だった。

 「ひゃははははは!あたしがルールだあ!」

 


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