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スズメの声がする。
ほんわかして、いい気持ち。目を閉じているのに視界は真っ白で、それがまたきれいだ。
「……うーん」
リックはむっくりと身を起こして、体を伸ばした。
朝だ。
あ、学校が。起きないと母ちゃんに怒られる。
ボケボケの頭でそう考えると、彼はかぶっていた布団を跳ね上げてベッドを降りた。
「……?」
何か違う。俺の部屋にテーブルなんかあったっけ?
こんな花瓶なんか置いてたっけ?
こんな女の人うちにいたっけ?
女の人……。
「うわああああ!」
リックの頭に現実が舞い戻ってきた。と同時に、彼は飛び退いてミーナから離れた。
ミーナは床にひざをついて、リックの寝ていたベッドにもたれかかって眠っていた。
「な、なんでこの姉ちゃんが」
そうは言ったものの、事情など説明するほどのことでもない。
泣きつかれて眠ってしまった彼を、ミーナが部屋まで連れてきたのだ。それだけだ。
しかし、リックはそんなこと知らない。また自分をいじめるつもりかと、彼はびびっていた。
「でも……」
リックはミーナの寝顔を覗き込んでみた。
結構かわいい。たぶんそれなりにモテるのではないか。
リックはちょっとドキドキした。十一歳とはいえ、彼も立派な男の子だ。
しかしながらどう動いていいのかが分からず、リックがその体勢のままおどおどしていると、ミーナが身じろぎした。身を起こして、眠そうに目をこする。
「むー……」
「あ……。お、起きた?」
リック少年がおそるおそる声をかけてみる。ミーナは目をぱちくりさせた。
直後、強烈な平手が飛んできた。かわすこともままならず、頬にクリーンヒットする。
くずおれる少年に、ミーナは叫んだ。
「なんであたしの部屋にいんのよ!」
自分が運び込んだことなど、頭から飛んでいるご様子だった。
数刻後、二人は昨夜の食堂にいた。
片方は不機嫌な顔でトーストをかじっている。頬にもみじ型の跡がある。
もう片方は殊勝な顔で、やはりトーストをかじっていた。
「だから、悪かったってば」
「……べつに」
リックはまだぶすっとしている。
「……この、クソガキめ……」
ミーナはぼそっと言った。
これだからガキは嫌いなのだ。きつく言うとすぐ泣くし、甘くすれば調子に乗る。
まったく!
しばし無言でトーストをかじり、コーヒーは苦くて飲めないので牛乳で流し込んだ。
結局どっちもガキだ。
あまりほほえましくない食卓。しばらくして二人は朝食を終えた。
「……で、あんたはどうすんの」
ミーナが家出少年に尋ねる。
「考えてない」
「あんたね……」
本当に何も考えてなさそうな顔に、ミーナは脱力した。
「よくそんなんで、ここに来れたね……。となり町っつったって、地図で見たら馬でも二日はかかる距離よ、これ」
「まあね、すごいだろ!」
少年は胸を張った。しかし、その旅路で彼はすべてを失ってしまったのだ。
「言っとくけど、あたしは暇じゃないの。わかる?」
「……そうかあ?」
少なくとも昨日の彼女は、そこはかとなく暇そうに見えたのだが。
「そうなの。だからね、あんたの相手をしてる暇もないって訳」
「えぇ……」
「かわいそうだけど、そういうことよ。帰りの路銀ぐらい、貸しといてあげるから」
「……帰りたくない」
「あー、もう。何で?」
「かあちゃんが……」
彼の脳裏にはフライパンを振り回して猛り狂う母の姿があった。
『どこ行ってたの!罰として一週間飯抜き!』
顔色がさーっと青くなる。それを見てミーナはいぶかしんだ。
相当、実家で嫌なことでもあったのか。
彼女の脳裏にはめちゃくちゃになった家庭事情が映った。
『なによ!えらそうなことはちゃんと稼いでから言ってほしいわ!』
『なんだと!俺だってなあ!』
こないだ、本で読んだのだ。
「うー……」
不憫だが、かまってやる気はさらさらなかった。何よりめんどくさい。昨日だって周りの視線にいたたまれなくなって、いやいやリックを部屋に運んだだけなのだ。
ミーナは立ち上がった。ポケットから財布を取り出して、開く。
「ほら、これ」
リックの前に数枚の銀貨を置く。路銀には十分な量だ。
「じゃあね。それで家に帰るなりどっか行くなり、好きにしなさい」
彼女は少年に背を向けた。
少年は泣き出しそうな声で首を横に振っていた。
部屋に戻り荷物をまとめると、ミーナはさっさとチェックアウトを済ませて宿を出た。
本当はもっとこの町にいたかったが、ガキんちょにちょろちょろされてはたまらない。
ここ数日厩でのんびりしていた馬を引っ張って、彼女は再び旅に赴いた。
目指すはタラスラント。
ところが彼女は、街道に出て少しのところで歩を止めた。
振り返って叫ぶ。
「なんでついてくんのよ!」
「好きにしろって言っただろ!」
ついてきた少年は、今回は負けじと言い返した。
ミーナは馬を駆けさせないので、徒歩でも十分ついて来れたのだ。
「うざったいんだよ!特にガキは!」
とうとう本音が出た。そのまま、手綱をばしっと打つ。
普段のっそりとしてはいるがさすがは馬。命令に従順に、勢いをつけて走り始めた。
街道にはほかに通行人もいるので、スピードは控えめだが。
「あっ!待ってよ!」
リックも走り始めたが、すぐにすっころんだ。そのまま泣き始める。
「うわあああああん!」
「あー、聞こえない!」
起き上がったリックは、大泣きしながらそれでも走って追いかけてきた。
何度も転んだ。何度も起き上がって走り出した。
両手を振り回して、顔をぐちゃぐちゃにして。
周囲の通行人が何事かと視線を向けて来る。
その様子を後ろ目に見ながら、ミーナは手綱を絞った。
馬の首を戻す。リックのところまでぱかぱかと歩かせた。
「悪かったよ。……だから、泣き止んで」
「うぐっ……。ひっく」
やっぱり、周囲の視線が痛い。




