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一言で言えば、それは人間だった。背中にバカでっかい荷物を背負った人間。
しかも、子供だ。十歳くらいの男の子。
薄暗くなった町の、ただでさえ薄暗い通り。あたりに人はいない。
そういうところで、その子供はうつぶせになってぶっ倒れているわけだ。
「……うわ」
ミーナの発した言葉はそれだった。
めんどくさそうなのが倒れてるよ。
ミーナの心中はこんな感じだった。
ものすごくイヤそうに眉をしかめて、そーっと覗き込む。
薄汚れた普段着。彼を押しつぶしている大きなリュックの口からは、腐ったりんごが転がり出ていた。
たぶん、この町の子供ではないだろう。ミーナと同じに。
察するに、なんかの事情で家を出てきて、ここで力尽きて倒れたのだろう。
彼女はそう推測した。というか、それくらいしか思いつかなかった。
そこまで推測してから、そろそろと少年の脇を移動する。
関わり合いになりたくないオーラをじゃんじゃん発散していた。
無事忍び足で通過し、どっかで人に会ったら『そこにガキが倒れてるよ』とか言っとけばいいかな、とか、彼女が考え始めたその時。
「ん!?」
足が進まない。
右足が動かない。掴まれているような感覚だけがある。
イヤな予感とともに右足を見る。
足首を掴んでいる手は、ガキの体と繋がっていた。
ガキはさっきまで伏せていた顔を上げて、こちらを向いていた。
「た……助けて……」
うつろな目のまま、すがるような声でそれだけを言って、再び『ガクッ』と顔を垂れた。
優しいお姉さんなら、きっと『なんてかわいそうな子なの!』とかいってパンでもめぐんであげるのだろう。
でも、彼女は決して優しいお姉さんではなかった。
「クソっ……!」
およそ女の子に似つかわしくないことを平気で口走る。
いまいましい!とでも言いたそうな表情だ。
無理矢理引き剥がそうとするが、とれない。
ほんとに気、失ってるのか?
彼女がそう思ってしまうのも無理がないくらい、強い力がかかっている。
「………」
仕方なく、そのまま強引に歩き出す。
やっぱりとれない。3mほど進んだだけで、かなり疲れてしまった。
「あー、もう!」
ミーナのやるせなさが細い道にこだました。
すごい勢いで、食べ物が消えていく。滝に流れ込んでいく水みたいだ。
「おかわり!」
また一皿。また一皿。
「あのさ」
「おかわり!」
米粒をぶっ飛ばしながら、またまた注文。ミーナの声など聞こえていない様子だった。
「……まあいいか」
そうとだけ言って、ミーナも自分の食事に戻った。
宿の一階にある食堂である。客は地元の人間が多く、それなりに賑わっている。
あのあと、結局このガキんちょは足首から手を離してくれなかった。
仕方ないので引きずったまま宿に帰ると、目を覚ました少年は腹が減ったと言い出す。
最初は無視していたのだが、部屋の前であまりにもうるさく騒ぎ立てるので、仕方なく晩飯を食わせてやっている、というわけだ。
にぎやかな食堂の喧騒に背を向け、ミーナは黙々と食事に集中する。その目の前には皿の山ができていた。
「ふう〜。ああ、うまかった。ごちそうさま!ねえちゃん」
しばらくして少年が料理の大群を片付けた。
「ん?ああ」
ミーナはとっくに食べ終えていた。
「っていうか、あんた。名前、何?」
「俺はリックっていうんだ!」
先ほどとはうってかわって元気な声で自己紹介。
「はいはい。お住まいは?」
紙とペンを取り出して、ミーナは続けて質問する。
「この隣町の、ミノアってところ」
「ミノア、と。あとなんか、身分を証明できるもの持ってる?」
「え?」
「それをあんたの知り合いに見せたら『ああ、リックのだ』って分かるような物」
「ああ。それならホラ、これ」
そう言ってリックは懐から手帳のようなものを取り出した。
「これ、学校の生徒手帳。ちゃんと名前も書いてあるよ」
「よしよし。じゃあそれ、預かっとくから」
「え?」
いぶかしむリックの手から、手帳がすっと掠め取られる。
「なんでだよ!返せ!」
「ああ?」
若干生意気な口をきいた少年を睨み付けるミーナの目は、すごい。
気の弱い女の子なら、たぶん見ただけで泣き出すだろう。
リックもさすがに泣きはしなかったが、涙目になって『ごめんなさい……』と小さな声で謝った。
「ひょっとしておごってもらえるとか思ってた?」
甘い甘い、と彼女は首を横に振った。半笑いだ。
「どうせあんたお金持ってないんでしょ?だったら親にでももらうしかないじゃない」
あとは領収書もらえば完璧ね、とミーナは笑った。目の前で半泣きの少年などお構いなしだ。
リックは目の前が真っ暗になった。
どうしよう。
自分はどうやら、絶対に頼ってはいけない種類の人間にすがってしまったらしい。
「あ、あの」
「ん〜?何?」
悪魔が振り向いた。
「で、できればその、うちには言わないで」
「なんで?あ、そうか。家出中なんでしょ?」
「何で分かったんだ!?」
説明なんか一言もしてないのに!
「そりゃあ、見りゃわかるよ」
「そ、それじゃ」
「あー、悪いけどダメね。だって親に言わなきゃ、誰も払ってくれないもんね」
「お願いします!なんでもしますから!」
「ダメだってば。どうせ役に立たないし、必要もないし」
「頼むから!」
「ダメ。明日そのミノアって町まで送ってってあげるから。大丈夫よ。手間賃安くしといてあげる」
「………」
「ん?」
「……う……ひっく」
なんでこのねえちゃんは、俺をこんなにもいじめるんだ。
「ちょ、ちょっと」
「ひっく……」
ひどい。かあちゃんよりひどい。
「……ううう」
「あー、ちょっと」
俺、別に悪いことなんかしてないのに。
「泣かないでよ……、ねえ」
「うううううううう」
あんまりだ!あんまりだ!
「ほら、あたしのデザートのケーキあげるから」
「うわああああああああん!」
大爆発だ。もうしばらくはおさまりそうにない。
でももらったケーキはちゃんと食べていた。食べながら大泣きしていた。
「うわああああああああん!」
「あー、あの、その」
店内がなにやら変な雰囲気になった。ぼそぼそと他の客の会話が聞こえてくる。
「泣かしてるぜ。あんな年になって」
「かわいそうに。何されたのかしら」
「あの女の子、相当ひどい性格してるんだな」
ミーナに周囲の視線が突き刺さる。とても痛い。
「分かった、分かったから、お願いだから泣き止んで!」
リックは耳を貸してくれなかった。
「うわああああああああん!」
でかい声で泣き続ける家出少年。
おたおたする性悪娘。
野次馬たち。
こんな状況が三十分くらい続いた。
ミーナは完璧に悪者になった。
床は涙とケーキのかすでぐちゃぐちゃになった。




