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 「あ」

 『あ』

 鉢合わせた三人と一人が最初に発した言葉はそれだった。

 「あ……あんた……」

 わなわなと口元に手を当ててミリオを指差すミーナ。旅装束はぼろぼろであちこち生傷だらけ、ついでに言うと顔も汚れてかわいそうなことになっている。

 「あ、どもー」

 にこやかに返した笑顔に、華麗な飛び膝蹴りが突き刺さる。青い鼻血を噴いて仰向けにのけぞる悪魔。あまりの早業に言葉もない。

 「何一人で逃げようとしてんだよ!」

 逃がしてもらった恩義も忘れ、この仕打ち。ひょっとしたらこれが彼女なりの心配の仕方なのかもしれない。

 「ま……、待ってください……」

 「うるさい!どこで何してたわけ!?こんなとこほっつき歩いてる暇あったらあたしを助けに来なさいよ!」

 「え、あ、そうだ。無事だったんですか」

 さらに叩き込まれる正拳。

 「このクソ野郎!」

 見かねてグルカが彼女を止める。今にもミリオを絞め殺しそうな形相で、殺気をあたりにまき散らしていた。

 「落ち着け。こいつはこれでもなんか、スパイらしいんだ」

 「すっぱい……?何言ってんの?」

 「いや、だから……」

 「……もういいや」

 ミーナは構えを解いてリックに向き直った。同時に顔をしかめて、鼻の前で手のひらをはたはたと振る。

 「で、あんたは何を持ってんの」

 「きくな。武器だよ、武器」

 「……武器ぃ?」

 たしかに武器になるかもしれないが。だいたいそんなものを持ち出さなくても、レイアがいればなんとかなるのではないか。

 そう口にすると、答えたのはミリオだった。

 「保険というか、そんなものですよ。彼女がしくじったときのために」

 そもそもあのレイアがしくじるような相手に、こんなものが通じるとは思えないのだが。

 ミーナはじろりと、涼しい顔で説明するミリオを見た。

 ……むかつく。

 鼻面に手のひらを叩き込むと、彼は再びあっけなくひっくり返る。予期せぬ攻撃には弱いらしい。

 「ね、ねーちゃん。やめたほうがいいって」

 がきんちょが忠告する。

 「え?」

 「ミリオって実はすげえ強いんだ。さっきも俺たちが襲われてたトカゲの化け物を一発でやっつけたんだぞ」

 「うそだあ……。こいつが?」

 となりでグルカも同意するが、疑いの目はなんら変わることがない。実際に目の当たりにしなければ信じられないようだ。まあ、それ以前のへたれな彼しか見ていないミーナが信じないのも当然といえば当然なのだが。

 「……それがほんとなら」

 じろりとうずくまったままの悪魔をにらむ。

 「なんであの牛から逃げたりすんだよ!」

 もはやぼろぼろになったブーツの底が、ミリオの後頭部をとらえた。

 恐れを知らない。


 視界を覆ったのは赤い光。

 ただそれだけだ。それ以上のことは分からなかった。

 次に気がついたとき、レイアは草原にうつぶせ、剣も取り落としてそばに転がっていた。

 「な……?」

 まだ見える、視界の端に赤い光。うずくまった体を起こすと、全身に鋭い痛みが走った。

 「うあっ……!」

 光の下、赤の一番濃いところに目をやる。そこには予想通り、ふとった中年の姿があった。

 「……なんで、そんなことするの?」

 悲しそうな声でレイアに語りかける。あいかわらずいい声をしている。といってそれが好ましいわけでもないが。

 「なんで、おねえちゃんもぼくを……」

 「くそっ……、こいつ」

 強い。レイアにはそれがはっきりと分かる。城壁ですら断ち割るほどのこの剣を弾き飛ばし、あまつさえこの自分に『痛み』を与えてくれた。

 それ自体が、彼女にとっては驚きだった。

 魔法によって常に彼女には目に見えない『壁』がまとわりついている。それは襲い掛かってくるものの『悪意』に特に敏感に反応し、自分に害をなそうとする力を逆に喰らう。

 だから彼女は傷つかない。刃は体に届く前に消滅し、さらにその身のこなしは疾風のごとく的の攻撃をすり抜ける。

 財産をなげうって得た魔術の力、それが打ち破られたということだ。

 「さすが、悪魔ってことか……」

 剣を拾い直す。油断なく悪魔を睨みつけ、隙をうかがう。

 「……ぼくはただ、静かに暮らしたかっただけなのに……。人間と一緒でも、なんにも不満なかったのに……」

 なにごとかぶつぶつ言っている。隙だらけにも見えるムニエルは、しかし禍々しい空気をあたりにまき散らしていた。

 レイアは動いた。

 先ほどと同様、一瞬のうちにムニエルに肉薄し、その刃を振りかざす。

 「らあっ!」 

 巨大な剣が薙いだのは、眼前の地面。砂が跳ね、土煙が巻き起こり、両者の間に壁を作り出した。

 回りこんで側方から刃を叩き込む。大剣はまた弾かれ、しかし先ほどのようにレイア自身が吹き飛ばされることはなかった。

 「くっ!」

 鉄の塊を叩いたような感触。

 ゴリ押しでは勝てそうにない。悔しいが防御はこちらの攻撃を上回っている。

 「やめて、おねえちゃん!」

 叫び声。

 今度は見えた。すさまじい衝撃波がレイアを襲い、なすすべなく再び吹き飛ばされる。草原が根こそぎ剥ぎ取られるような強烈な威力。

 彼女はまた地面に叩きつけられた。這いつくばって、握り締めた剣に力をこめる。

 くやしいが、本気になるしかない。

 顔を起こしてみれば、ムニエルは遥か遠くに見える。そんなにまで遠くに飛ばされたのかと思うと、自分の体の丈夫さも相当なものだ。たとえ魔法に頼っていたとしても。

 立ち上がって剣を構えた。久々に負った傷が痛む。ジーンズにも穴が開いてしまったし、服も汚れ放題。あとでこの辺の代金も請求しなければ。

 そんなことを考えていると、ムニエルがこちらを向き直っていた。

 「……なんで、おねえちゃんは僕を」

 はかなげな声で呼びかけてくる。

 「……仕事だし、気持悪いし。っていうか、おねえちゃんって呼ぶな」

 ひどい勇者だ。

 「……まただ……。またそうやってみんなは!」

 「!」

 悪魔の叫びと共に、彼を取り巻いていた赤い光が強さを増した。

 広がっていく赤。草原は血のような真紅に染まり、さらにその強さを増していく。

 「うわあああああ!」

 叫んでいるのは半裸のおっさんだ。

 やっぱり気持悪い、とレイアは思う。


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