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見える。よろよろと頼りない動きで歩く小娘。
ムニエル直属の猛牛たる自分、たかが小娘一人をしとめるのに使われるのは気に入らないが、まあいい。
もともとあまり目は良くないが、月明かりのおかげで小娘の影はしっかりと見えた。
小さな小屋の中に入っていく。
「隠れたつもりか」
小屋ごと叩き潰してもいいが、どうせならもっと追い詰めてやろう。
でかい牛はいやらしく笑って、歩を進めた。
変な趣味でもあるのかも知れない。牛のくせに。
「しゃあっ!」
「うお!」
トカゲの剣がグルカを襲う。すばやい剣速、大男はすんでのところでそれを受け止めた。
力任せに払って、叩きつけるように古びた剣を振り回した。
当たらない。
「くそ!」
飛び退って、トカゲは彼をあざ笑った。
「くはは。素人か」
「うるせえ!」
確かにごついが、グルカはただの牧場主だ。剣で戦ったことなんかない。
追いすがって、真上からの斬撃。これもトカゲは苦もなくかわす。
「死ね!」
「!」
思わず尻餅をついた。その頭上すれすれを、薄い刃と風が薙いでいく。
「ちっ」
そんな情けない姿勢のまま、とっさに剣を突く。
が、その必死の一撃は、横薙ぎの剣閃によって弾き飛ばされた。
「く!?」
ぼろぼろの宝剣が地に落ちる。
「終わりだな、おっさん」
甲高い声と共に、トカゲの口がにゅっとゆがむ。気持悪い。
その顔面に何かがヒットした。
「痛!」
石。
トカゲは視線を上げた。その先には、こちらを向いた子供の姿。
「逃げろ、ぼうず!」
グルカは叫んだ。
「このクソガキ!」
トカゲが駆け出す。剣を構え、まっすぐに。
リックは動かない。
でかい体をかがませて、牛は小屋の中に足を踏み入れた。
暗い。いがいとつぶらな目を凝らしてみる。
特になにもない、がらんとした空間。片隅に透明なビンが散乱しており、飼葉がわずかばかり低く積まれている。
部屋は二つあるようで、扉が奥に見えた。
こちら側に少女の姿はない。とすると小娘は向こう側か。どうせあの様子では隠れおおせたとしても満足に逃げられはしまい。
「ん?」
あることに気付いた。扉は頑丈そうな鉄製で、その周りの壁も金属製なうえ、継ぎ目の一切ない造りになっているのだ。
なるほど、逃げ場としてはいいところを選んだ。
しかし、牛は口の端をゆがめた。こいつがすると大変気持ちの悪い光景だ。
その扉は、こちらからしか鍵のかけられない造りになっていたのだ。焦っていて気が回らなかったか。
牛は扉の正面に立ち、その拳を振り上げた。
金属のひしゃげる轟音。衝撃と共に扉は勢いよくぶち破られ、向こう側に開いた。
埃が舞い散る中、牛は悠然とした動きで扉をくぐり、足を踏み入れる。
先ほどの部屋よりひときわ暗い。窓も一切なく、月の光が差し込む隙間もない。
部屋の真ん中辺りまで歩を進める。娘の姿はいたとしても見えない。鼻も利くほうではない。
「……どこだ!小娘!」
牛はイラついて地面をぶん殴った。悪魔のくせに、暗いのは嫌いだった。
その次の瞬間、牛の足元に、白く光る文様が浮かび上がった。
「!?」
飼葉の下に掘った穴から飛び出して、ミーナは鉄壁の脇についている白い石に手を触れた。早口に呪文を唱えると、石が光を発する。
――魔法陣の起動を確認。
扉の向こうで牛がなにかを騒ぎ立てている。真っ暗なせいで、何が起こっているのかさっぱり分かっていない様子だ。
石と呪文を介して、自らの意思を魔法陣に流し込む。
――制限を解除。出力を最大に。
ここは牛乳の殺菌処理施設だった。炎と風、水の魔法で牛乳を真空にパックし、菌を殺して味の劣化を防ぐためのもの。
グルカが生まれる以前から、この施設はあったそうだ。以前、魔法屋を街から呼んでメンテナンスしてもらっとき、年代に見合わぬその精巧な造りに驚いていたのを見た記憶がある。
話によれば、もとはゴミかなにかの焼却場だったものを、殺菌にも使えるように調整したものであるらしい。わずかのゴミなら、一瞬で灰にできるほどの熱量を放射できる性能であるとか。
もし、今でもそれが使えるのなら。
――処理、開始。
開け放された鉄扉から、強烈な閃光があふれ出てきた。
「ぐあああああ!?」
牛の悲鳴が聞こえる。扉の向こうを蹂躙しているであろう膨大な熱量が、いつもは閉まっている扉を飛び越えて、ミーナのいる部屋に噴射された。
燃えやすいものしかない室内は、たちまち炎の海と化す。
「うあっ!?」
やばい。
迷わずミーナは、すぐそばの窓をぶち破って外に転げ出た。立ち止まらず、一目散に小屋に背を向けて逃げ出す。
しばらく走って、その場にへたり込む。振り返ると、小屋は炎上していた。
「はあ、はあ」
やった。牛を撃退したのだ。
そう、喜んだのもつかの間。炎上する小屋をシルエットに、なにかがその中から飛び出てきた。巨体。あちこちぼろぼろになりながら、まだ生きている。
「うそだ……」
炎の光に照らされて、牛は彼女の姿をすぐ捕捉した。
「……小娘が!この程度の罠で俺を殺せるとでも思ったか!」
叫んで、炎上する小屋を全力でぶん殴る。柱が折れ、一部が完全に崩壊した。
「動くなよ!今からひねり殺してやるから――」
牛の言葉が終わるのが先か、その声は耳をつんざく爆音によってかき消された。
ぶん殴った衝撃のせいか、装置が大爆発を起こしたのだ。
先ほどとは比べ物にならないくらいの豪火。衝撃波は辺りの木々の葉を引きちぎって枝を幹ごと揺さぶり、ミーナもいっしょになって吹っ飛ばされた。
「うわあああ!?」
そして、炎に包まれながら猛烈な勢いで吹っ飛ばされる牛。そのまま近くにあった木に背中からぶち当たり、白目をむいて完全に沈黙した。
ミーナはしばらくごろごろと転がって止まった。意識はある。全身傷だらけで、激痛があちこちに走るが、生きている。
「うおお……いてて」
しばらくその場にうつ伏せで倒れこんだ。生きている、という実感が湧いてくる。
「……行かないと」
そう、まだ何も終わってはいない。行かなければ。




