18
「いい。動くな」
ヒゲは取り巻きの二匹を制した。
「この人間の相手は私がしよう」
下手すれば浮浪者みたいに見えるそいつは、静かに言って左手を一振り。
真っ黒な剣が唐突に現れた。
「行くぞ」
黒い剣線。すくい上げるような一撃を、勇者愛用の剣が受け止めた。まだ細身のままだ。
剣速が速い。
「やるじゃん!」
どこか楽しげに笑いながらレイアはそれを捌いた。
真上に跳ね上げた剣をまっすぐにヒゲの首筋に。飛び退ってかわされた切っ先をそのまま突き入れる。
おじさんの胸に届くその一瞬に――
「うあ!」
鋭い音と共に、見えない壁に阻まれたように弾かれた。思わず剣を取り落としてしまう。
「しまった……!」
ヒゲがにやりと笑う。
「お前達」
取り巻きに声をかける。
「お前達二人で、後ろを始末しておけ」
「!!」
「やばいって!ばれてる!」
かがり火のうしろ、遠くのほうに隠れていた三人と一匹はびくりと身を震わせた。
足音が近づいてくる。そこへ響くレイアの声。
「みんな逃げて!」
「うあ、やべえぞ!」
あわてて立ち上がったところに、さらに勇者からのアドバイス。
「あとは自助努力でよろしく!」
助けに来てくれる気はないらしい。
「ちくしょう!逃げろ!」
グルカの一声で、一同は全力で駆け出した。
足音はさらに迫って来ていた。ドスドスという重い音と、ヒタヒタという妙な音と。
「助けに行かなくていいのか?まともに戦えるのはお前だけなのだろう」
むかつくぐらい落ち着き払った声色でヒゲが言う。ダンディーなおじ様がこの声ならそれはもうかっこいいのだろうが、ミスマッチがひどすぎる。これが人間だったら、確実に結婚などできないだろう。
「あんまり近くにいてもかえって危ないだろうしね」
「だがあの二人に追われている。捕まれば終わりだ」
「まあ、なんとか逃げ切ってくれるでしょ」
おやじは口元を緩めた。
「くく。冷たいのだな。仲間がどうなってもいいというのか」
「え、だって。仕事のほうが大事だし」
割と本気で言ってる。
「そうなの?」
「うん」
「……なんてやつだ」
いずれにしても、お互いのなすことは一つだ。
「だが、お前はもう丸腰だ。勝ち目はない」
するとレイアは、鼻で笑った。
「やってみな」
「ふ……」
すうっとおっさんが走る。まっすぐに剣を構えて、心臓を一突きにせんと。
黒い切っ先がレイアに迫る。
「はあっ、はあ」
ミーナはとにかく必死に走った。もともと足は速いほうだが、それが今何かの役に立つとは思えない。
そして悪いことに、グルカとリックの二人の姿が無い。はぐれてしまった。
振り向く余裕もない。足音は確実に迫ってきている。重厚な足音で、それがやけに怖い。
「た、助けてっ!」
「……あ?」
横を走る悪魔が発した言葉に、思わずスピードを緩めてしまう。
ミリオは必死の形相だ。
「だいたいなんであんた、一緒になって逃げてんのっ!?」
「だ、だって!」
「あいつらの仲間なんでしょ!?」
「僕がみんなと一緒にいるところなんか見られたら、あとで何されるか!」
「そんなこと言ってないであんた、説得してよ!」
「嫌だ!こわい!」
ぶんぶか首を横に振る。
「あ……!」
ミーナの足が石ころを引っ掛けた。バランスが崩れ、倒れこんでしまう。
足音。いつのまにか、すぐそこまで来ていた。
「え、ええっと」
おそるおそる振り返ってみる。
「そんなに、逃げることはないだろ」
くぐもった声。月明かりに照らされるシルエット。
巨大な牛。帰ってきたそのときに遭遇した豚とイメージが重なった。
二足歩行でしゃべる。あいかわらずインパクト大のその姿。
分かっていることは、ただただピンチだということ。
「くそっ……!」
逃げ切れるだろうか。
へたりこんだまま、じりじりと後退しながら横目で周りを探る。
「……あえ?」
ミリオの姿がなくなっていた。
「……逃げやがった」
ただっぴろい牧場の丘陵を、これほど恨めしく思ったことは無かった。
グルカの隣ではちっこいガキがもたもたと走っている。娘とは離れ離れになってしまった。探しに行きたいところだが、そうもいかない。
「おい、ガキんちょ!乗れ!」
「あ!?」
グルカはリックを抱え上げて快足を飛ばす。どこへ逃げればいいのか、どうすればいいのか。
「はっ、はっ……」
「おっさん、どこいくんだ!?」
「知るか!」
怒鳴る。このガキはあんがい重たい。
「おい、お前なんかできないのか!?」
「できるか!おっさんのほうが強そうじゃんか!」
「ちくしょう!」
とにかく走る。ふと、牧場のすみっこにある祠が目に止まる。
「……あれだ!」
「え?」
「ぼうず!」
「なに!?」
「化け物をぶっ倒せるかもしれんぞ!」
「ええ!?」




