13
「な……!?」
「なんだあ!?」
立ち上がる砂埃の中に、そいつは屹立していた。月影の中、その姿は青白く照らされて不気味な色に色づいていた。巨体がゆらりと動く。
突き出した鼻。小さくとがった平べったい耳。細い目。
「……ぶー」
鳴いた。
「ふんがっ!ふが!」
うなった。
「ねえ……レイアさん」
「んあ?」
「あれってさ、豚だよね?」
指差した先にいたのは、紛れもなく豚だった。ただしそれは顔面の話で、その体は豚のものとはとうてい言えないくらい巨大、人間みたいな手足があって、あまつさえ翼が生えている。
あと、二本足で立ってる。
「……ひょっとして、こいつが悪魔?」
勇者のお姉さんに尋ねてみるが、肩をすくめて見せただけだった。
「くくく……愚かな」
「ええ!?」
笑った。しゃべった。
「俺はあの方の臣下。あの方はこの忌まわしき地の封印を破り、まもなく復活されるのだ」
「……」
「……」
一同、言葉もない。その様子に、豚はおおいに満足した。
「くく……。よほど驚いたようだな」
するとミーナの指がその顔をまっすぐ指した。
「……す、すっげえ……」
「え?」
「いや、だって。しゃべってるし。うわあ……」
単純に、豚がしゃべったことが驚きだったらしい。いや、常識的に考えたら、こっちのほうが自然なのか。
「……俺のことは、どうでもいい」
ずいっと豚が前に出た。迫力あるその動作に、ミーナとリックがたじろぐ。
そんな中、前に歩み出たものがいた。レイアだ。腰の剣に手を掛け、だるそうに豚を見上げる。
「ほお……。勇気があるな」
レイアさんは聞いていなかった。
「……いいつまみになるわ」
剣を引き抜く。角煮、ローストなどとわけのわからないことをつぶやき、まっすぐに構えた。
そういえば、この人酔っ払いだったなとミーナは思い返した。つい数分前まで飲んでいたのだ。
「下がってな。解体はちょっとグロいからね」
ミーナとリックは顔を見合わせて、そそくさと下がった。やばいことが初まりそうなのがひしひしと感じられた。
「いい度胸だが、そんな剣では俺は斬れんぞ!」
豚の巨体が構えを取り、レイアに向かって巨体を突っ込ませた。丸太のような豪腕が彼女めがけて振り下ろされる。
一瞬。傍からは当たったかと見えるほどすれすれのところで、レイアはその腕を避けた。
「!」
巨大な拳が、今まで彼女のいたところの地面をぶん殴る。轟音。ミーナのいるところにまで衝撃が伝わってきた。
レイアはすばやく体を入れ、剣をまっすぐ構えて豚のわき腹に突きたてようとした。が、それはもう片方の腕によって弾かれた。そのまま腕が伸びてレイアの体を打ち払う。
見かけによらず鋭敏な動きだ。
「やるな、小娘」
「うざったい豚だね……」
なんとめんどくさいことか。これではいつまでたってもつまみが食えないではないか。
「だがそれも、人間にしては、だがな!」
またも巨体が突っ込んでくる。今度は頭を先にして、矢のようにまっすぐに。
再び間一髪のところでパス。すれ違いざま、尻を剣でなぎ払ってやった。
「ぎゃ!?」
バランスを崩して転倒。派手な砂埃が舞う。夜の村に轟音が響く。こんな夜中に、迷惑ではないだろうか。
「貴様……!」
怒りの声と共に、豚が立ち上がった。その声に反して、払われたはずの尻は浅い傷しかついていない。手ごたえ的にも、すっころぶほどのダメージがあったとは思わないのだが。
ひょっとしたら、けっこう打たれ弱いのかもしれない。
「食らえ!」
豚の顔面が淡く発光した。
「!」
閃光。反射的にレイアはその場を飛び退いた。一条の光が走り、真っ黒な足跡を残した。
「よくかわしたなっ!」
さらに一発を放つ。これもかわしたが、肩当にわずかにかすった。見てみるとぼろぼろに炭化してしまっている。すごい威力だ。
すごい威力なのだが、ビームが鼻から出ている。かっこ悪さは隠しようがない。
鼻から煙を出しながら、豚が三たび突っ込んできた。特大の右ストレートを剣で受け流す。耳元で風が揺れた。
流した力を支点にしてレイアはうえに飛び上がった。突き出されたままの右腕を蹴り上げて、さらにその上へ。
「!?」
両手で剣を構える。前のめりになる体をそのまま、真上から豚の背後に飛んだ。まっさかさまに落ちながら、豚の背中に思い切り剣を突き立てた。
「があ!?」
「えあ!?」
豚は悲鳴を上げたが、レイアも変な声を出した。
刺さらないのだ。剣先だけがわずかに背中を傷つけたが、筋肉の壁が刃を阻んだ。
レイアは着地して距離をとった。かなり予想外だ。
豚のほうはといえば、わなわなと体を震わせて、背中越しにレイアをにらみつけている。
「小娘……!」
すごく怒ってる。たいした傷もついてないのに。
そんな豚の怒りなどどこ吹く風で、レイアはぼやいていた。
「しゃあないか……。でも、めんどくさいなあ」
ぶつくさつぶやいているレイアに、豚が突進する。これまでにないほどの勢いで。
「死ねえっ!」
大気を震わせる一撃が叩き込まれた。避けない。モロに衝撃がぶち当たり、余剰な衝撃が大地を走り、木々を震わせ、大気を震わせた。風か、音かわからないものが、横で見ていた二人の鼓膜をびりびりと刺激する。
「うわあ!?」
「レイアさん!!」
砂埃。月の明かりの下、もうもうと立ち込めていて、豚の巨体すら見えない。
やがて聞こえてきたのは、豚の声だった。
「……ば、バカな!?」
巨大な拳の先にあったのは、剣。しかしそれは今までレイアが振るっていたものではなく、その数倍はあろうかという大剣だった。巨大な包丁のような、片刃の。半端でなく重そうなそれを支えているのは、勇者様の片手だけ。
「なんだ、これは!?」
「……勇者様愛用の剣」
「ふざけるなあっ!」
拳を引き、もう一撃を加えようとしたその巨体が吹き飛んだ。
「ぎゃあああっ!?」
ぶっ飛ばされた豚の右腕がなくなっている。とんでもない破壊力だ。
横なぎに払った大剣を両手で真上に構える。
「ち……ちくしょうが!」
豚の鼻が光る。ビームが吐き出された。
「……じゃね、おつまみ」
破壊の閃光が迫る。構えた剣を思い切り振り下ろす。
大剣が光をぶっ叩く。きしむような音と共に、閃光がはじき返された。
「うわあああ!?」
轟音、衝撃。そして、香ばしいにおい。
煙の中、豚は動かなくなっていた。
レイアはその亡骸に手を合わせ、ひとことつぶやいた。
「……いたーだきます」
ところがレイアが何かする前に、豚の体は砂のようにさらさらと崩れていた。
「えあ!?」
結局おつまみにはならなかったようだ。
「だまされた……」
なまじっかおいしそうな匂いがしていたぶん、悔しさもひとしおだ




