第7話 リベンジ
息を切らせながら、カイは灰色の巨躯を追って森を駆け抜けた。時折枝葉が容赦なく頬を打ち、湿った土が靴底にまとわりつく。木々の影が、流れるように後ろへ過ぎていく。
やがて、視界の先にわずかな光の隙間が見えて、暗い森の終わりを知らせる。
そこを抜けた瞬間、目の前に広がったのは、夕陽に染まる畑だった。荒れ果てた地面に、踏み荒らされた土の生臭い匂いがまだ少しだけ漂い、風が吹くたびに残った金色の穂がささやくように揺れている。
一昨日まで豊かに実っていた畑は、今では半分程無残に荒らされてしまっていた。その一角に、積み上げられて焼かれている肉の山があった。焼けた肉の匂いが、夕暮れの畑に滲むように漂う。まだ赤みを残した空の下、焦げた脂の甘い香りが風に乗って森へと流れていた。
オークの鈍く濁った眼光が、煙を上げる肉をとらえる。鼻先をくんくんと震わせ、血走った目がぎらつく。重い呼吸とともによだれを糸のように垂らし、喉の奥から低い唸り声を漏れた。
オークはそれにゆっくりと近寄ると、がつがつと貪り始める。一口一口がものすごく大きい。大人の男性でも食べきれなさそうな肉の量だが、あと十数秒もしたらあのオークは食べ終わってしまうだろう。
「……ごめん、ミリィ。でも、これ以上絶対荒らさせねえから」
カイはその光景を見ながら、拳を握りながら小さく呟いた。
ここを戦場とすることに、当然村人たちに許可を取った。ミリエラにも、事前に話してある。それでも彼は心のどこかで、罪悪感を拭えなかった。彼女が大切にしている場所を、戦いの場にしてしまったことが胸を刺しているのだ。
夕陽が傾き、赤く染まった光が荒れた畑を包む。その中に立つカイの影が、地面を長く伸び、オークの巨体と向かい合うように重なる。風はいつしか止まり、静寂の中で肉を喰らう音と焔の爆ぜる音だけがかすかに響いた。
カイは瞼を閉じ、胸の奥に溜まった空気を大きく吸い込んだ。遠くで焔がぱちりと弾け、赤い光が頬をかすめる。
そして、ゆっくりと瞼を上げた。
オークは、山と積まれた肉をすっかり食べ尽くしていた。
再戦の刻。
オークは満腹の腹を揺らしながら、ゆっくりとカイの方へ顔を向ける。血と脂に濡れた顎が鳴り、喉の奥で獣じみた唸りが低く響いた。重たい息が揺れ、泥と焦げの匂いを巻き上げる。
次の瞬間、巨体が地面を蹴り――だが、踏み込んだ足がぬかるみに沈み、泥が跳ねて大きく体勢を崩した。
昨日のこと。
カイは村人たちと一緒に、荒れた畑の被害を確かめに来ていた。空はまだ曇りがちで、湿った風が肌にまとわりつく。畑の土は雨のせいで重く沈み、靴を抜くたびにぐちゅりと鈍い音が響いた。
足を滑らせたカイの身体が大きく傾く。泥を蹴る音が短く弾け、バランスを取り損ねて尻もちをついた。ぬかるみに跳ねた泥が背中や頬に散り、冷たい嫌な感触がじわりと染みていく。
賑やかだった会話の音がふっと途切れ、全員の視線が一斉にカイへと集まった。
『なにしてんだよ、カイ』
『大丈夫かあ』
振り向いた村人たちが、どっと笑い声を上げた。
泥にまみれたカイは眉をしかめ、頬をふくらませて立ち上がる。服の裾は泥で重く張りつき、情けない姿を見られた恥ずかしさが胸を刺す。
『ここ滑りやすすぎるだろ! 昨日も転んだんだけど!』
カイは手についた泥を払いながら、口を尖らせた。指の間には冷たい泥の感触が残り、しっとりとした重みが離れない。
畑のあちこちには雨の名残が小さな水溜りとなって残り、灰色の空をゆらゆらと映していた。
『そうだったそうだった。俺たちはすっかり慣れてたけど、ここは転びやすいんだったな』
『隣村のやつとかもここに来たときは滑ってたな』
ひとりの村の男が、泥に足を取られないようにと腰を深く落とし、ゆっくりと重心を低くして歩いて見せた。
『ほら、こう歩くんだよ』
膝をしなやかに曲げ、体を前へ滑らせるように進む。そのたびに靴底がぬかるみを押しつけ、泥の表面に細かな波紋が広がった。足跡の窪みからは、濁った水がじわじわと滲み出し、光を受けて鈍く輝く。
『土を蹴って歩くんじゃなくて、しっかり土を押すように歩くんだ。急ごうとすると、さっきみたいに滑るからダメだぞ』
カイもそれを真似てみる。足を前に出すたびに、ぬかるみがわずかに沈み、泥の冷たさが靴越しに伝わってきた。土の抵抗を感じ取りながら、彼はゆっくりと重心を移していった。
足元がぬるりと沈むが、たしかに滑らない。しっかりと地を掴める。ぬかるみの感触が靴底に吸いつくようで、重心を移すたびに柔らかな抵抗が返ってくる。冷たい泥の中に、自分の足跡がゆっくりと刻まれていくのが分かった。
『おお、本当だ』
驚きとともに、小さく感嘆の息が漏れる。
『くっそお。あのオークもオレみたいに滑ってくれたらなあ』
先ほど覚えた歩き方を繰り返しながら、頭の中では戦いの場面を思い描く。ぬかるみに足を取られたオークが、滑って転ぶ様子が浮かんだ。
『滑ったらどうなるんだよ?』
村人のひとりが首をかしげて尋ねる。
『オレの必殺技を叩き込める』
カイはその声に応えるように拳をぎゅっと握りしめ、その拳を真っ直ぐに見つめた。心の奥で熱が静かに高まっていくのを感じながら、小さく息を吐いた。
だが、しばらくしても周囲は静まり返ったままだった。振り返ると、村人たちは目を丸くしてぽかんとこちらを見ている。
『なんだよ、ヒッサツワザって』
どうやらこの世界には、“必殺技”という言葉は存在しないらしい。
カイは、一瞬で頬が熱くなるのを感じた。そっぽを向き、耳まで真っ赤にしながらぶっきらぼうに言い返す。
『超つええ技ってことだよ!』
村人たちは顔を見合わせ、互いに肩をすくめ合った。『なに怒ってんだよ』と疑問の声が混じる中、カイは聞こえないふりをして視線をそらす。
耳の奥がまだ熱く、気まずさをごまかすように荒れた畑へ目を向けた。
『そ、それにしても酷い荒らされようだな』
泥にまみれた地面には、深くえぐれた足跡や転がった石が散らばり、そこかしこに踏み荒らされた跡が刻まれている。
『あいつはなんでこの村に来たんだろう』
村人の一人が、荒れた畑を見つめながら唇を噛むように言葉を絞り出す。その声には、やるせない悔しさと、押し殺した怒りが滲んでいた。
『さあ。たまたま迷い込んだんじゃないのか』
誰も答えを出せず、ただ風の音だけが残った。
畑の上を通り抜ける風は冷たく、折れた穂を揺らす。どこからともなく鳥の羽音が響くが、それもすぐに消えていった。
その後、村へと戻ったカイは、集会所の一角で喋れるようになったミリエラと向かい合っていた。
昨日よりも、集会所の中は静かだった。人の数が目に見えて減っており、空いたスペースが目につくようになっている。外では、荷車を準備する音と、村人たちの小さな声が風に混じって響いていた。彼らは順番に、受け入れ先になってくれた隣村へと避難しているのだ。
『宴……じゃないか?』
ミリエラがぽつりと呟くと、空気がわずかに揺れた。カイはゆっくりと顔を上げ、ミリエラを見つめた。
『え?』
『オークが持っていったのって食料ばかりなんだろ? お腹が減ってたんじゃないかな。そこに、あたしたちの村の宴の匂いが漂ってきたんだと思う。焼いた肉、煮込んだスープ、香辛料の香り……あんなの、お腹をすかせたモンスターにはたまらないだろうな』
ミリエラの言う通りだった。
村人たちの話でも、オークに奪われたのは食料や家畜ばかりで、人間が攫われたり食われたという報告は一つもなかった。
『……たしかに。村人は全員襲われただけだったな』
ミリエラの言葉を聞きながら、カイは下を見て拳を膝の上で握りしめた。指の節が白く浮かび上がるほど力を込め、唇を噛みしめる。
――でも、それなら。
もしミリエラの言う通りなら、やはりカイのせいではないか。宴が開かれた理由は、カイだ。カイがこの村に来ていなければ、オークに狙われることはなかった。
胸の奥が重く沈み、喉の奥に言葉が詰まる。集会所の外の荷車に荷物を詰め込む音が遠くに聞こえ、今この瞬間だけ世界が遠のくように感じた。
そのとき、ミリエラの手がそっとカイの手を覆い、急速に現実へと引きずり戻される。小さく冷たい指先が、かすかに震えながらも確かな温もりを伝えてくる。
『カイ。お前、また自分のせいにしようとしたろ。違うからな』
驚いて顔を上げると、彼女の瞳がまっすぐこちらを射抜いていた。薄暗い集会所の中、まるで見透かすかのようにこちらを見つめている。
『言ったろ? この村の男連中は、宴が大好きなんだ。いつかは絶対に宴を開いて、結局こうなってた』
『――分かってるって』
過去を悔やむことは、もうしないと決めた。ミリエラの視線を逃げずに受け止め、深く頷く。
ミリエラはその表情を見て、どこか安心したようにし、そして少しだけ寂しげに笑った。
『でも、そうか。ということは、またあいつは村に来るんだろうな』
『え?』
『だってそうじゃないか? あのオークは、この村に来れば食料があるって学んだんだ。奪っていった食べ物を食べ終わったら、きっとまた来るだろ。パパも言ってたぞ。動物って、一度エサを見つけた場所は忘れないんだって。鹿でも狼でも、一度食べ物を手に入れた場所には、何度でも戻ってくるんだ』
ミリエラの声には、確信めいたものがあった。明かりが少しだけ差し込む天井を、彼女はそっと見上げる。
外から吹き込む風が、木片を床に転がした。カイはその音を聞きながら、胸の奥がざらつくような感覚を覚えた。
もう一度、オークが来る。
窓の外では風が強まり、古びた木の扉がぎしりと軋む。カイはその音に背筋を伸ばし、拳を固く握った。
次は、絶対にこの村に被害を出させないようにする。
頭の中で対策を考えるが、なかなか思いつかない。しかし、あることに気がつくとカイははっと顔を上げ、手をパンと鳴らした。
『そっか。なら、あいつも動物と一緒なんじゃないか?』
『ん? だからそう言ってるじゃないか。もう一回この村に来るって』
『そっちじゃなくって、“匂いに釣られる”方だ』
カイの目が、わずかに鋭くなる。
オークは、漂ってきた宴の食べ物の匂いに引き寄せられてやってきた。
きっと、あのオークは飢えた獣の本能が強い。気絶したカイにとどめをさすことなく、村へと足を向けた。食欲が、あの怪物を突き動かしているのだろう。
オークがまたこの村に来ることは変えられない。でも、その位置を食べ物の匂いによって誘導することが出来たら……。
カイがミリエラに作戦を伝えると、彼女は一度だけ深く頷いた。その目に、迷いは見られなかった。
その後、カイは村人たちを集会所の前に集め、ミリエラと同じように作戦の内容を説明した。人々の顔には、またオークが来るかもしれないという不安が浮かんでいたが、誰一人として後ろを向く者はいなかった。
ミリエラが隣村へ向かう行く番になると、カイは荷車のそばで彼女を見送る。
『じゃあ、ミリィ頼んだぜ』
『分かってる。絶対食料を貰ってくるぞ』
彼女はコクリと強く頷くと、静かにカイの頭に手のひらで触れる。
『カイ、気をつけるんだぞ』
そうして彼女は隣村へと去っていった。
そして、しばらくしてまた荷車が戻って来たとき、そこには多くの肉が積み上げられていた。
『ありがとう。ミリィ』
カイは荷車の遠ざかる音を聞きながら、拳を静かに握った。夕陽が沈みかけ、赤く染まる空が畑を照らす。焦げた土と風の匂いが入り混じり、戦場の準備が整いつつあるのを感じる。
次は絶対に、あいつを倒す――胸の奥で呟くその決意は、夕暮れの風に溶けていった。
足を滑らせたオークは、自分になにが起きたのか分からなかったようだ。
「ここ、蹴るように進んじゃダメらしいぜ」
重たい体をよろめかせ、ぬかるんだ地面を掻きむしるようにして立ち上がろうとする。しかし、その動きは鈍く、酷く無防備だ。
その隙を、カイは見逃さない。土をしっかり踏み込む音とともに、彼はオークの巨体に飛びかかり、その胸の上に跨る。
そして、両手を合わせるように構え、腹の位置を狙って掌を押し当てた。
「なあ、お前。喋れるんだろ? もう村を襲わないって――」
もしかしたら、ほんのわずかでも意思が通じるかもしれない。
そんな淡い期待が胸の奥でかすかに灯り声をかけてみるが、次の瞬間その光は無惨にも散る。
オークは喉の奥から濁ったうなり声を漏らし、蒸気のような息を荒く吐き出した。泥にまみれた牙が光を反射し、唇の端から唾液が垂れる。目には理性の影もなく、そこに宿るのは殺意だけだった。巨体の筋肉が隆起し、皮膚の下で血管が脈打つ。
仕方がない。泥に沈む足元を踏みしめ、息を一度止める。そして、肺に溜めた空気を一気に吐き出すとともに拳に力を込めた。荒れた風が頬をかすめ、拳に熱が集まっていくのが分かる。
――虚核玄流・震心双掌
虚核玄流。それは、とある異世界に古くから伝わる武術。その教えは、相手の外側ではなく“内側”を壊すことを目的とする。筋肉や骨ではなく、内臓──心臓や肺、肝といった臓器を直接破壊する。
達人であれば、ほんの一瞬の隙でも技を打ち込める。だが、まだ未熟なカイにはそれができなかった。カイが技を放つには、十分な隙と全体重を乗せられる体勢を作る状況が必要だった。
ドスン、と地鳴りのような重低音が畑を包む。
オークの体が一度びくりと跳ね、胸の奥から鈍い音を響かせた。
その巨体は力を失ったように硬直し、やがて糸が切れた人形のように動かなくなる。カイを掴みかけていた腕がぬかるんだ地面に重たい音を立てて沈み、泥が波紋を描いて広がった。
外傷はどこにもない。血も流れず、ただ巨躯が白目を剥いて静かに横たわっているだけだ。
「やった……」
全身の力が抜け、肩で荒く息を吐く。カイは、その場へと崩れ落ちた。
足が泥に沈み、ひやりとした感触が足やお尻、手を刺した。指先が震え、掌にはまだ温もりの残滓がこびりついている。
――勝った。今度こそ守れた。
心の奥底に、ふつふつと喜びが湧いてくる。カイが思いのまま叫ぼうとした瞬間――。
「「「うおおおおお!!!」」」
森の方から、人々の叫びが聞こえた。木々の影の間を縫うようにして、村人たちが駆けてくる。彼らはカイのもとへ雪崩れ込み、無事を確かめるように抱きしめ、もみくちゃにした。
「な、なんでおっちゃん達がいるんだ!? 肉焼いたら逃げろって」
カイは驚きに目を見開き、土埃まみれの顔を上げる。戦いの緊張がまだ体に残る中、息を荒げながらも声を張り上げた。
「危なくなったら助けようって、待機してたんだ!」
「お前を置いて逃げられるかよ!」
心配してくれていたことに胸が熱くなり、カイは泥だらけのまま笑みをこぼした。肩を叩かれ、背中を支えられ、歓声と笑い声が入り混じる。
その温もりに包まれながらも、耳の奥でかすかに木々のざわめきが広がっていくのを感じ取った。
最初は、強い風かと思った。だが、次第にそれは重たく、低いうねりへと変わり、それが勘違いであることを悟る。
森全体がざわざわと揺れた。
「なんだ?」
歓声が徐々に途切れ、笑い声が消えていく。胸の奥を冷たい風が抜け、誰もが息を呑んで周りを見渡す。ざわつく木々の音が不気味に響き、空気が張りつめる。
「モ、モンスターだ!」
やがて、誰かの声に全員の視線が森へと向く。その奥から、獣じみた咆哮が合唱のように響いた。
木々を押し分けるようにして、次々とモンスターが姿を現す。
カイたちは知る由もない。オークが支配していた間、モンスターたちはまともな食事が出来ず、飢えに苦しんでいた。だが、オークが倒れた今、その支配の呪縛が解かれ、彼らは本能のままに“食糧”を求めていたのだ。血走った瞳が、固まっている人間たちを捕食対象として捉える。
森の奥から、幾重にも重なった唸り声が響いた。木々の間を抜ける影がいくつも揺れ、黄昏の畑に黒い群れが押し寄せてくる。見えるだけでも数十体、いやそれ以上だ。
「逃げろ! おっちゃん達!」
カイが叫ぶが、村人たちは逃げようとしない。肩で息をしながらも、彼らは互いに目を合わせ、静かに頷いた。
まだ癒えぬ体を奮い立たせ、装備していた剣や槍を掴む。彼らは背中を預け合い、カイを中心に円を描くように立つ。恐怖で顔は青ざめていたが、それでも誰一人として逃げる者はいない。
「お前ら、カイを守るぞ!」
「「「おう!」」」
剣と牙がぶつかるたび、金属の悲鳴のような音が響き、火花が散った。泥に足を取られながらも、誰も後退しない。飛び散る血と汗が混じり合い、地面は黒く濡れていく。
必死に剣や槍を振るう村人たちの腕は、次第に疲労と痛みで震え始める。泥まみれの足元は重く、踏み込むたびにぬかるみがずぶりと沈み、体勢を崩す者も出る。それでも、誰も武器を手放さない。目の前で仲間が倒れれば、すぐにその穴を埋めるように踏み出し、声を張り上げる。
しかし、押し寄せるモンスターの波は止まらない。鋭い牙と爪が円陣の隙間を狙い、血飛沫が泥と混ざって黒い斑点を作る。土を踏みしめる音と悲鳴が交錯し、円陣はじりじりと狭まっていった。
「くそっ!」
カイは拳を握りしめ、必死に立ち上がろうとする。しかし、体が言うことをきかない。
――せっかく守れたのに。
全身の筋肉が悲鳴を上げ、なにもできない悔しさで視界が涙で滲む。
その瞬間、風が世界を切り裂いた。
刃のような風圧が畑を薙ぎ払い、地面の泥と血が一瞬で舞い上がる。
次の瞬間、モンスターたちの動きが止まる。まるで時間そのものが凍りついたかのように。
その場にいた全員が息を呑む中、獣たちの体表に細い赤線が走る。遅れて、切り裂かれた傷口から血が噴き出し、群れが一斉に崩れ落ちた。
何が起こったのか、誰にも理解できなかった。
「大丈夫かい?」
その静けさの中、足音もなくただ風が流れるように、ひとりの男が現れる。男はゆっくりとカイの方へ視線を落とし、静かに言葉を紡ぐ。
白銀の髪が夕陽を受けて輝き、ひと筋の光のように舞い上がる。鋭い輪郭を持つ横顔は冷たくも神聖で、瞳に宿る灰金の光があたりの空気を張り詰めさせた。わずかに揺れる旅人風の外套が風を裂き、彼は微笑みを浮かべている。
『だーかーら。カイくんのチームはジンさんがリーダーなんだから、ジンさんが戻ってこないとそもそも始まらないの。何回も言ってるでしょう?』
カイの脳裏に、異世界転移前のS.C.O.P.E.で聞いた女性職員の声がふと蘇った。
そこに、いるはずのない人物が立っている。
微笑みを浮かべる男にカイは息を呑み、震える唇からかすれた声を漏らす。
「ジ、ジン?」
そこに立っていたのは、カイのチームリーダー、ジンだった。




