第3話 はじめてのせんとう
土の地面を踏み鳴らしながら、三体の巨躯がミリエラを逃がさないようにと取り囲もうとしていた。
その体格は二メートル前後あり、丸太のように太い四肢は分厚い脂肪に覆われている。濁った緑や灰色の皮膚は乾いた泥のようにざらつき、触れれば皮膚が剥がれそうな荒れた質感を帯びていた。顔は獣のように潰れた鼻に大きな牙が突き出し、濁った黄色の目が獲物を睨むようにぎらつく。手にしているのは粗末な木製の棍棒や石斧で、削った木片や割れた石を無理やり縄で縛りつけただけの原始的な武器だった。
S.C.O.P.E.のシミュレーションルームで、何回も見たことがある。オークと呼ばれるモンスターだ。
ミリエラは両腕で必死に頭を庇い、オークの足音が響く土埃の中で木の幹を背にしゃがみこんでいた。乱れた髪が汗で頬に張りつき、肩は小刻みに震えている。その隙間から覗くぎゅっと瞑られた瞳は恐怖に固まり、近づかずとも怯えが鮮明に伝わってくる。膝は地面に縫いつけられたように動かず、恐怖で立ち上がれないのが見て伺える。
周囲では、その場にいたのか駆けつけたのか、数人の村人が必死に声を張り上げていた。
「逃げて!」
「ミリィ、走って!」
だがその場にいるのは奇しくも女性や子どもばかりで、誰一人として助けに踏み込める者はいない。彼女たちの叫びは藍色の空気にかき消され、冷たい風に散らされるように虚しく広がっていった。
その光景を目にしたカイは、ぎゅっと拳を握りしめる。
今この場で、ミリエラを助けられるのは自分だけだ。オークとは、S.C.O.P.E.のシミュレーションルームで何度も仮想戦を繰り返してきた。世界脅威度Fのオークくらいなら、余裕を持って勝てるだろう。
しかし、実戦は初めて。何が起こるか分からない。仮想戦のオークが実物よりも弱かったらどうする。逆に、目の前のオークが仮想戦で相手にしたものよりも強かったらどうする。
先生や先輩から、『仮想戦はあまり当てにしてはいけない』と何度も言われてきた。実戦では、想定外のことがいくらでも起こる。仮想戦でどれだけ勝てても、実戦で敗北するときは敗北する。最悪、そのまま命を落とすこともある。そういう隊員は、過去にいくらでもいたのだと。
鼓動が耳元で高鳴り、呼吸が速くなる。胸の奥から熱がこみ上げ、全身に広がっていった。
爪が掌に食い込み、じわりと生々しい痛みが走る。握りしめた拳からは血の気が引き、冷たい汗が指の間を伝った。
恐怖が胸を締め付ける。だが、目の前で怯える少女をただ見捨てることなどできない。
――オレは、S.C.O.P.E.隊員なのだから。
もし今自分が足を踏み出さなければ、ミリエラはこのまま無惨に潰されるだろう。
焦燥と責任感が胸の奥でせめぎ合い、それは煮え立つ熱となって全身を駆け巡った。
次の瞬間、カイは地を蹴った。乾いた地面が裂けるように土埃が激しく舞い上がり、弾かれた矢のように前へ飛び出す。その疾走の勢いのままオークの一体へ肉薄し、今まさにミリエラへ振り下ろされようとしていた棍棒を狙って蹴りを叩き込む。鈍い衝撃と共に棍棒はオークの手から弾かれ、空中を回転しながら遠くへと飛んでいった。
「大丈夫か。ミリィ」
ミリィを庇うように背を向けながら、ちらりと彼女の様子を観察する。土埃に包まれた顔を上げたミリィは、怯えの中でも必死に頷いていた。それに安堵し、目の前のオークに集中する。
棍棒を蹴り飛ばされたオークはその衝撃にはじめ呆然としていたが、すぐに怒りを爆発させるように咆哮をあげた。巨体が揺れ、素手で殴りかかってくる。
「おらぁ!」
迫る拳を紙一重で躱し、カイは鳩尾めがけて渾身の拳を叩き込んだ。肉を打ち砕く鈍い衝撃とともに、オークは呻き声をあげてそのまま巨体を崩れ落ちる。
次に、残る二体が同時に襲いかかってきた。だが、カイは冷静だった。石斧が振り下ろされると、空気を裂く鋭い音が耳を打つ。カイは一歩距離を縮めて柄の部分を腕で受け流しつつ丸太のような足を払うと、巨体が地面に叩きつけられて重苦しい衝撃と共に土埃が舞い上がった。
続けざまにもう一体が棍棒を振り上げて迫る。カイは素早く蹴りを繰り出し、その腕を弾き飛ばす。間髪入れず胸へ一撃を叩き込み、鈍い衝撃音が響いた。巨体は呻き声を漏らしながら、土を揺らして崩れ落ちた。
わずかな時間で、三体のオークは地面に倒れ伏し、呻き声を漏らしていた。油断しないように構えていたが、三体のオークはやがて鈍い動きで立ち上がると、背を向けてよろめきながら森の方へ退いていく。振り返った濁った視線が一瞬だけカイを捉え、次の瞬間には藪の中へと姿を消していった。
戦いの音が途絶えると、場には静寂が広がった。荒い息をつくカイが土埃の中に立ち尽くしている。近くではミリエラがまだ震えを残したまま身をすくめ、村人たちは呆然とその光景を見つめていた。
「大丈夫か、ミリィ。怪我はないか?」
カイはまだ漂う土埃の中、息を整えながら地面にしゃがみ込み、ミリエラへ手を差し伸べた。彼女は、頬をそっと上げてカイを見上げる。目尻には、光を反射する小さな雫が溜まっていた。
「……大丈夫。ちょっとだけだ」
ミリエラはかすかに肩を震わせながらも小さく頷き、その手をぎゅっと握り返してくる。掴んだ指先には力がこもっており、残る恐怖とオークが去った安心の入り混じった感触が伝わった。力を込めて、カイは彼女の体をぐっと引き起こす。視線を落とせば、彼女の足に擦り傷が赤く滲んでいるのが見えた。
「ありがとう、カイ。強いんだな」
「そんなことねえよ」
「旅人はこれが普通なのか?」
「え? あ、ああ……旅してる最中はいつも一人だしな」
胸の奥でさっきとは違う種類の鼓動が速まり、思わず視線を逸らしながら口ごもるように答える。
「そうか。すごいなあ」
そんなカイの様子には気がつかず、ミリエラは素直に感嘆の声をあげる。
ミリエラのその一言に、カイは思わず反応した。誰かに真正面から褒められるのは久しぶりで、心に熱が帯びた。
「ま、まあな。オレにかかればこんくらい余裕だぜ」
当然のような表情をしたが、胸の奥では嬉しさで満たされており、くすぐったいほどに心を満たしていた。
「素手でオークを倒せる人なんて見たことないぞ。そんなに太く見えないのに」
「き、鍛えてるからな」
興味深そうにカイの腕へ手を伸ばし、ぺたぺたと確かめるように触れて感嘆の声を漏らすミリエラ。腕にさりげなく力を込め、筋肉が浮き上がるのを意識させるように見せてみる。
少しでもかっこよく見せたい。悲しい男の性である。
そのとき、村の通りの向こうから土を踏みしめる重い足音が響き、複数の男たちが慌ただしく駆け寄ってきた。
「大丈夫か! ミリィ!」
「オークが出たって聞いたが」
「ど、どこにいるんだ?」
駆けつけた男たちはそれぞれ剣や斧を固く握りしめ、土埃の中に緊張した気配を漂わせていた。柄を握る手には力が入っており、今にも戦えるよう身構えている。だが、辺りを見回してもオークの姿はどこにもなく、男たちは戸惑ったようにキョロキョロと視線を彷徨わせた。
そんな彼らに向かって、ミリエラが声をかける。
「カイがあっという間に追っ払ってくれたよ」
「え?」
「オークを一人で?」
「本当か?」
疑わしげな声がざわめきとなって広がる。だが、実際にその場で見ていた者たちが「間違いないわ」「俺も見たよ!」と力強く頷き、はっきりと証言を重ねる。それが疑念を押し流し、男たちの表情は次第に驚愕へと塗り替えられていった。
「一体だけじゃなく三体も!?」
「しかも素手で!?」
男たちの間にざわめきが広がり、驚愕に声を裏返らせる者や目を見開いて息を呑む者もいた。
「そうだよ。全部あのお兄ちゃんがやったんだ!」
最後に響いた子どもの大きな声を皮切りに、驚きと興奮に駆られた大人たちが次々とカイの周りへ押し寄せてきた。
「すごいな、少年!」
「この細っこい腕のどこにそんな力があるんだ!」
「強いんだなあ!」
普段S.C.O.P.E.ではめったに褒められることのないカイの胸に、じんわりと熱が広がっていく。
「い、いやあ、それほどでも」
真正面から向けられる称賛の言葉に、こみ上げる嬉しさが口角を自然と押し上げる。
照れ隠しに右手で後ろの頭をかきながら顔を緩ませるカイの声は、どう聴いても誇らしげだった。
「なにを言うか。それほどでもあるさ!」
「そうだぞ! オークは一体出るだけでも大変なんだからな!」
「そうよ。それに、このまま行けば村だったのよ」
一人の女性がぽつりと告げると、ざわめいていた声が一斉に止んだ。思い返せば、この細道の先には確かに村が広がっている。興奮から一転、三体ものオークがその先に辿り着いた光景が脳裏に浮かび、全員が今さらながらその事実に息を呑んだ。
村人たちは互いの顔を見合わせると、頷いた。
「少年! 少年はまさに命の恩人だ!」
誰かが高らかに叫ぶと、群衆の間にどよめきが広がる。
「ミリエラだけでなく、村まで救ってくれた!」
「恩人を立たせたままにしておくわけにはいかん!」
「腹は減ったか少年?」
そういえば、こちらに転移してきてから何も食べていない。転移の緊張で忘れていた。
「え? ああ、空いたけど」
空腹が今さら腹の底からじわりと込み上げてきて、胃が小さく鳴る。
「そうか! なら、今夜は宴だ!」
誰かが声を張り上げると、すぐさま賛同の声が続いた。
「畑の野菜も肉も出そう! 酒も樽ごと持ってこい!」
「命の恩人を労わろうではないか!」
熱に浮かされたような歓声が、森を揺らした。人々の顔は笑みに染まり、恐怖はもう跡形もない。
「オレ、まだ酒飲める歳じゃないんだけど……」
「あいつら、最近宴出来てなかったからな。理由が出来て嬉しいんだろうな」
カイの言葉は村人たちの歓声にかき消されたが、隣にいたミリエラは肩をすくめて小さく笑った。
その後、村に戻った一同は、カイを囲んで村長に向かって熱を込めて事の経緯を語った。カイは温かく村人たちに迎え入れられ、広場では盛大な宴が開かれた。大きな焚火を囲み、香ばしく焼かれた肉や畑から採れたばかりの野菜が次々と並べられる。湯気と煙が夜空に立ちのぼり、腹を刺激する匂いがあたりに満ちた。
村の恩人であるカイの周りには、常に人がいた。笑顔と感謝の言葉に取り囲まれ、肩を叩かれ、食べ物や飲み物をひっきりなしに勧められる。少し照れくささを覚えながらも、カイの胸は温かさで満ちていた。
肉を頬張っていると、酔った男たちが陽気に酒を勧めてきた。思わず盃に手を伸ばしかけたカイだったが、その瞬間、ミリエラが素早く取り上げる。女性たちが「ダメよ!」と男たちを叱りつけ、代わりに冷たい果実水を差し出してくれた。
酔った男たちは女性たちに小言を浴びせられつつ、どこかへと姿を消していった。賑わいが少し薄れた中、ミリエラだけがカイの隣に残る。
「お疲れ、カイ。すっかり人気者だな」
焚き火の揺らめく光に頬を染めながら、ミリエラが柔らかな笑みを浮かべて声をかけた。
「……オレ、こんなに人から喜ばれたの、初めてだ。スコ……オレの故郷にいるやつらって、みんなすごいやつばっかでさ。みんななら一日で出来ることを、オレは倍以上かけてもやっとで……。だから、いつも比べられてばかりで……」 こんなことを打ち明けるつもりはなかった。けれど、焚き火の温もりと周りの賑やかな夜の空気に心を揺さぶられ、堰を切ったように言葉が口から零れ落ちていた。「……オレだって、出来るって……なにか、証明したくて……。それで、皆に黙って……故郷を飛び出してきたんだ」
言いながら、カイは手にした果実水を見下ろす。透明な液面に焚き火の炎が揺れ、ゆらゆらと橙色の光が彼の瞳に映り込んだ。その光と影は、胸の奥に沈んでいる劣等感を映し出しているかのようだった。
ミリエラは、そんなカイの横顔を静かに見つめる。やがて小さく息を吸い、夜空に目をやりながら口を開いた。
「でも、あたしを救ったのは――カイ。村を救ったのも――カイ。故郷のそのすごい人たちじゃなくて、カイなんだ。あたしは、カイが出来ないやつだとは思わないし、カイも十分すごいと思うよ」
ミリエラは静かに、けれど確かな声で言った。
カイは思わず彼女の横顔を見る。炎の明かりに照らされたその眼差しには、真剣さと温もりが溶け合い、頬や髪をやさしく縁取っていた。焚き火の赤い光が二人の間に揺れ、言葉以上の重みを運んでくる。ミリエラの言葉が、凍りつきはじめていた胸の氷をゆっくりと溶かし、温かさとなって広がっていくのをカイは感じていた。
「……ありがとな」
カイは大きく息を吐き、こわばっていた肩の力を抜く。口元に浮かんだ笑みはまだぎこちないものの、焚き火の明かりに照らされて確かに存在していた。
「また旅に出るまでは、オレがこの村を守ってやるよ」
それは強がりではなく、心の奥から自然に零れた言葉だった。村人たちの笑い声や、ミリエラの優しい表情――そのひとつひとつが、カイの背を静かに押していた。
「ほんとか? 頼もしいな」
ミリエラは目を細め、焚き火の柔らかな光に照らされながら微笑んだ。その笑顔は夜気の中でひときわ鮮やかに浮かび上がり、カイの胸に深く刻まれていった。
カイは火の粉がゆらゆらと舞い上がる夜空を見上げた。遠くの星々が凛と瞬き、冷たい風が頬をかすめる。明日には旅立つつもりだった。けれど今は、もう少しだけこの村に留まっても良いかもしれない。そう思わせる温もりが、胸に灯っていた。
やがて再び戻って来た酔った男連中の掛け声と笑い声に背中を押され、カイは村の力自慢たちと腕相撲をすることになった。手と手がぶつかり合い、歓声が響く中、見事に勝利を収める。割れるような拍手と喝采が広がり、肩を叩かれるたびに楽しさが込み上げてきた。
夜が更けてくると、子どもたちはあくびをこぼしながら親に手を引かれ、焚火の明かりを背に家路へと向かう。ミリエラも「酒は飲むなよ」と微笑んで手を振り、名残惜しそうにしながらも夜道へ消えていった。
残った男たちは杯を手放さず夜更けまで飲み続け、声を張り上げて笑い合った。やがて何人かは酔いつぶれて焚火のそばに倒れ込み、赤々と舞い上がる火の粉が夜空に散る中、宴は深夜まで続いていった。
森の奥。
赤黒い脈動を刻みながら、ひとつの巨影が膝を抱えていた。闇に沈む巨体の輪郭はぼやけ、まるで森そのものが生き物のように呼吸しているかのようだった。その肌にはどす黒い紋様が浮かび上がり、胸の奥から響く鼓動と同調して不気味に波打っている。周囲の大地には、既に食い散らかされた無数の骨が散乱していた。折れた肋骨や砕けた頭蓋は白く乾き、獣や魔物の骸が積み重なって夜の闇に不気味な影模様を描き出している。
巨体の周囲には、無数のモンスターがひれ伏していた。その誰もが地に額を擦りつけるように跪き、恐怖に囚われて身を竦ませている。鋭い牙を誇る者も、硬い甲殻に守られた者も、まるで見えぬ鎖で縛られたかのように動けず、膝を震わせている。
闇に溶け込む巨影から発せられる圧は、理屈ではなく本能で感じ取られる死の気配であり、ただその場にいるだけで息を詰まらせるほどの重苦しさを放っていた。
「……ハラ……ヘッタ……」
低く濁った声が、森の静寂を切り裂く。その響きは木々の葉を震わせ、夜鳥の鳴き声すら途絶えさせる。取り巻くモンスターたちはその一言に怯え、びくりと身を竦め、瞳を逸らすことしかできなかった。
巨影はゆっくりと手を伸ばし、震えるモンスターの一匹を鷲掴みにする。その動きは緩慢でありながら抗うことを許さない圧倒的な力を帯びていた。
次の瞬間、湿った咀嚼音が重く響き、骨が粉砕される鈍い音が夜気に混じった。滴る鮮血が黒い土を濡らし、濃密な鉄錆の匂いが森に広がった。
足りない。もっとだ。もっと食べたい。
以前は食べ物を選ぶことすらできず、何日も口にできないこともあった。食べかすにさえ手を伸ばした日もある。だが、今は違う。飢えに怯えることなく、望めばいくらでも食べられる。
しかし、ここのモンスターたちの味には既に飽きていた。舌に残るのは脂の重さと生臭さばかりで、喉を通るたびに胸を塞ぐような不快感しか残らない。何度も繰り返された食は、満たされぬ虚ろな充足感とともに、さらに強い飢えを呼び起こすだけだった。
そのとき、森の闇をかき分けるようにして三体のオークが姿を現した。狩りから戻ってきたのだろうが、その両手は空で期待していた新しい獲物の影はどこにもなかった。
巨影は無言で彼らを見下ろした。赤黒い瞳が獲物を値踏みするようにぎらつき、その視線は氷の刃のように鋭く突き刺さった。
次の瞬間――。
巨腕が唸りを上げて振り下ろされ、轟音とともに大地を揺らす。一撃でオークたちの肉体は叩き潰され、断末魔の声すら喉に押し殺されて消えた。潰えた身体は泥と血に沈み、鮮血の飛沫が地表に散り広がる。
肉片を容赦なく口へと運ぶと、再び湿った咀嚼音が響き渡った。骨が噛み砕かれるたび、鈍く粘ついた音が森の闇を震わせ、恐怖を深く刻み込んだ。
オーク三体の肉。しかし、そでも巨影は満たされずに鼻を鳴らした。足元に転がる骸を無造作に蹴散らし、血に濡れた土を踏みしめながら、ゆっくりと立ち上がる。その動作一つで森の空気が震え、周囲に漂っていた腐臭がかき乱された。
そのとき、夜風が木々の梢を揺らしながら森を撫でた。鼻腔をくすぐったのは、血でも獣でもない新たな匂い。焚き火の煙と肉の焼ける香ばしい匂いが、かすかな煙となって闇の中に漂っていた。
美味そうな臭いだ。飽きた肉ではない。
巨影の胸に刻まれた赤黒い紋様が脈動を強め、夜の闇に妖しく光を放つ。
その歩みはふらつきながらも、確実に前へ進む。飢えを満たすために、そして新たな食べ物を求めて――。
巨影の進む先には、ひとつの村があった。




