葬儀場で
祖父の運転する乗用車が、葬儀場の駐車場に、滑り込んだ。
わたし達は車を降りて、建物の中に入り、一階にあるフロントまで行って、受付を済ませた。
そして、祖父と祖母は、今後の葬儀の段取りを打ち合わせる為に相談室へ行き、わたしと母、そして由美は、その間に安置所に置かれた節子さんの遺体と、対面する事になった。
祖父母と別れ、わたし達三人は、葬儀社の係員の案内で、節子さんの遺体の眠る安置室へと向かった。
係員に案内された、その部屋は、10畳ぐらいの大きな和室だった。
その明るい照明に照らされた、畳部屋の中央に、木で出来た、質素な棺が安置されていた。
わたしと母、そして由美の三人は、その蓋の開いた棺の方へ、ゆっくりと近づいて行った。
母は、杖を車に置いてきたので、わたしが母の身体を支えて、彼女が歩くのを助けた。
やがて、棺の近くまで来ると、わたし達は、その横にひざまずいて、蓋をしていない棺の中で静かに眠る、節子さんの遺体と対面した。
遺体は、白装束の着物を着ており、両手を胸の上で組んだ姿で、棺の中に悄然と横たわっていた。
首すじにあった、酷い火傷は、着物の襟と白粉による化粧で、うまく隠されている。
「おばあちゃん、そっくり!」
由美が、驚いて言った。
歳を重ねると、血縁者はよく似ると言われるが、こうして側で比べて見ると、母と節子さんは、よく似ていた。
母は、わたしに半身を支えられたまま、床に膝をつくと、棺の中の節子さんの顔に、そっと手を伸ばした。
母の老いた手が、節子さんの遺体の頬を、そっと、なでる。
その死に顔は、安らかだった。
母は、その顔を優しく撫でながら、涙で眼をうるませて呟いた。
「どうしてだろうね。ちゃんと事情を話してくれれば、解り合えたかもしれないのに。そうすれば、こんな別れ方をせずに、済んだだろうに」
わたしは、棺の側にうずくまり、節子さんの遺体に触れる母を、正座の姿勢で横から抱き支えており、泣きながら呟く母に向かって、静かな口調で言った。
「きっと、お母さんに、自分の様な苦しみを、背負わせたくなかったのよ。きっと、戦争の暗い影が差さない場所で、幸せに育って欲しかったのよ。たとえ、自分が、冷たい人間と思われても。本当の気持ちを、必死に押し殺して、耐えていたんだわ」
母は、わたしの言葉を聞くと、目をつぶり、首を振った。
「でも、やっぱり、話して欲しかったよ。そしたら母さんの事、きっと、嫌いにならずに済んだ。二人で分かち合えば、苦しみだって、半分にできたかもしれない」
「そうだね」
わたしは、母の言葉には、うなずきながらも、節子さんの気持ちも、また、よく解る様な気がした。
今はともかく、幼い母に、被爆者の家系である事を告げるのは、とても難しかったのではないだろうか。
果たして、あの頃の母に、その重い事実を、受け止める事が出来ただろうか。
やはり、あの当時の状況を考えると、被曝者の子供という烙印は、母の人生にとって、大きな負担となったのは確かだろう。
当時も、そして、もしかしたら今も、被爆した人たちが、差別と白眼視の対象となる可能性があるのは、事実なのだから。
差別に負けるなと、人は良く言うが、差別される苦しみを、本当に理解できるのは、その当事者だけだろう。
戦争の暗い影が届かない、明るい場所で、母が若葉のように健やかに成長する事を願った、節子さんの気持ちは、わたしにも充分理解が出来た。
わたしも、人の親なのだから。
だが、その結果として、母と節子さんの親子の絆は断たれ、二人は疎遠なまま、別れの時を迎えてしまった。
母や節子さんだけではなく、一体、どれだけの大切な絆が、戦争によって引き裂かれ、多くの人々の人生を、破壊した事だろう。
わたしは、その莫大な被害の大きさに、思わず身震いし、冷たい汗を流していた。
ふと気付くと、娘の由美が、わたしの背後に立って、棺の中の節子さんの顔を、不思議そうに覗き込んでいる。
娘は、棺の側で膝をついて泣く母親を、隣で支えるわたしに、首をかしげながら尋ねて来た。
「この人、誰なの?おばあちゃんに似てるけど」
まだ幼く、状況が分からない由美に、わたしは諭すように言った。
「この人は、わたし達にとって、大切な人なの。わたし達は、この人という幹から生まれた、枝葉みたいなものよ」
「ふうん」
更に不思議そうな顔をして、由美は、また首を傾げた。
そう、わたし達は、一本の樹木みたいなものだった。
戦争という巨大な暴力によって、幹を深く傷つけられ、醜く歪んだ姿になりながらも、それでも必死に枝葉を伸ばそうとする、連綿と続く、命の繋がりだった。
(譲り葉)
わたしの脳裏に、また、あの詩の題名が浮かんだ。
親から子への、無償の愛を謳った、あの詩をー。
母は、ずっと棺の側でひざまずき、中に横たわる節子さんの顔を、撫でていた。
失われた月日を、少しでも、埋めようとする様に。
わたしは、泣きながら節子さんに寄り添う、母の老いた身体を、側で支えながら目を瞑り、静かに押し寄せる悲しみに、しばし、身を任せた。
やがて、顔を上げると、畳敷きの安置室の大きな部屋窓から、春の日差しが差し込んでいた。
そして、その窓から見える、葬儀場の広い庭には、あちこちに彼岸花の赤い花弁が、群れをなして咲いているのが見えた。
ハミズハナミズ
彼岸花の、別名だ。
花が咲く時には、すでにその葉は散っており、両者が出会う事はない。
なんだか、譲り葉みたいだと、わたしは思った。
棺の傍らで泣き続ける母に寄添い、その震える身体を、両手でしっかりと、抱きしめながらー。
[続く]