再び広島へ
わたしは、その後、節子さんの葬儀に、出席する約束を祖父母と交わし、列車に乗って、いったん広島から、夫や娘の待つ、自宅のマンションへと戻った。
祖父母は、節子さんの遺体を安置した、葬儀場に赴き、葬式の打ち合わせを始めるという。
自宅のマンションに戻ると、そこには学校から帰った娘の由美と、会社を早引きして来た旦那が、わたしの帰りを待っていた。
わたしは二人に、今までの経緯を軽く説明すると、シャワーを浴びてから、服を着替えた。
そして今度は、近くの施設に入所する、母の元に向かった。
翌日、わたしは、母と娘の由美と共に、再び、広島へと向かう、列車の中に乗っていた。
それは、母の実母である節子さんの、葬儀に参列する為だ。
わたしは昨日、広島から帰ってから、母の入居する老人施設を訪ね、そこで母と話をしたのだ。
母の実母である、中川節子さんが、亡くなった事。
節子さんが、原爆の被害者であり、その為に夫を亡くし、子供である母を、手放さざるを得なかった事。
そしてー。
自分が被爆者である事から、子供である母と距離を取った方がいいと考え、結果的に、母と疎遠になってしまった事も。
わたしは、自分の推測も交えて、節子さんの大きな苦しみと、彼女の本当の気持ちを、懸命に母に伝えた。
本当は、母の事を、誰よりも愛していたのだと。
母は、初めて聞く真実に、かなりショックを受けたようだった。
わたしは、母に全てを話した事を、一瞬、後悔したが、それでも心を強く持ち、自分のしている事は正しいのだと、信じようとした。
この機会を逃せば、母が実母の真実を知る事は、永遠にないだろう。
それは母にとって、大きな損失だと、わたしは思う。
これは、戦争という巨大な災厄に、運命をねじ曲げられた母と娘が和解する、最後のチャンスだった。
最初はショックを受けていた母であったが、やがて、気持ちの整理ができたのか、少し顔を俯かせて言った。
「そうだったのねー。今、やっと分かった。何故、あの人が、あんなに悲しい眼をしていたのか。冷たい人だと思っていたけど、そんな事情があったなんてー。でも・・・嬉しいよ。嫌われていたわけじゃなかったんだ」
そう言った後、母は、目からこぼれ落ちた涙を、指でそっとぬぐった。
わたしから話を聞いた母は、実母の死に、心を打ちひしがれながらも、どこか、スッキリとした表情をしていた。
やはり母も、実母に対して、ずっと重苦しい感情を、抱き続けていたのだろう。
そのわだかまりが、わたしの言葉で、少しは解消されたのかもしれない。
そして、更に母は、わたしに対して、節子さんの最期の様子を聞いてきた。
わたしは、それに応えて、節子さんの最後の言葉や、彼女が孫である、わたしと、母とを間違えていた事などを伝えた。
すると母は、今度は涙をポロポロと流しながら、泣き始めた。
そして、しばらくの間、泣き続けたが、やがて顔を上げると、涙で濡れた目で、わたしを見つめて言った。
節子さんの葬儀に、出たいと。
こうして、わたしは、母と娘を連れて、明後日に行われる、節子さんの葬式に出席する為に、広島へとって返す事になったのだった。
旦那は、会社の休みが取れず、一緒に行く事は出来なかったが、気をつけて行っておいでと、言ってくれた。
ガタンガタンと列車に揺られながら、わたしを含めた三世代の女性陣は、一路、広島へと向かった。
二人掛けの椅子が差し向かいになっている、四人用のボックス席に座り、列車の揺れに身を委ねる、わたし達。
母は、病のせいで、足が不自由であり、白い杖を手に持ち、わたしの前の座席に座っていた。
娘の由美は、その母の隣の、車窓近くの席に陣取り、旅行気分なのか、列車の窓ガラスに、手と顔をぴったり付けて、流れる車外の風景を、嬉しそうに見ている。
わたしはと言うと、二人掛けの席を、一人で占領しながら、向かい側の二人掛けの席に座る、母と娘の様子を、ときおり確認しながら、物思いにふけっていた。
ふと、わたしは、一昨日列車の中で読んだ「譲り葉」の詩を思い出して、また読みたいと思った。
そして、件の詩集を、自宅に置いてきた事を後悔した。
やがて列車は、広島駅に到着し、わたし達三人は駅のホームへ降りた。
わたしは、杖をついて歩く母の側に付き添って、改札口まで一緒に歩いた。
由美はステップを踏みながら、後ろからついて来る。
わたし達三人が、駅の改札口を出ると、一昨日と同じく、祖父母が外で待っていた。
ダッシュで祖父母の元に駆け寄り、祖父と祖母に、順番に抱きつく由美。
そして母は、わたしに身体を支えられながら杖をつき、ゆっくりと歩いて、祖父母たちのいる方へ近づいていった。
すると祖父母も、わたしと母の元へ歩み寄り、彼らは両側から支える様に、ギュッと母を抱きしめた。
母も涙を流しながら、祖父の胸に顔を埋め、祖母の腕を、しっかりと掴んでいる。
母の側で付き添う、わたしを含めた4人は、こうしてしばし身体を寄せ合い、お互いの温もりを確かめあった。
今はもういない、もう一人の家族の事を、想いながらー。
そんな、わたし達を、娘の由美が、少し離れた場所で後ろ手を組み、キョトンとした表情で見つめていた。
それから、わたし達は、側に止まっている車に乗り込むと、祖父の運転で、節子さんの葬式が、明日行われる、市内の葬儀会館へと向かったのだった。
[続く]