列車の中で考えた事
ガタンガタンと揺れる列車の中で、わたしは、さらに考えを巡らせた。
考えてみれば、戦争の歴史も、わたし達にとっては、負の遺産だと言えると思う。
わたしの勤める小学校では、平和教育の一環として、今日のように、戦争体験者を学校に呼んだり、広島に近い事から、毎年、原爆資料館を生徒に見学させたりしている。
今年の夏も、もうすぐ、その行事が行われるはずだ。
戦争の記憶を子供たちに伝え、二度と同じ過ちを繰り返さない為に。
しかしー。
今日、学校で行われた、男性の講演に対する子供たちの態度が、あまり良くなかったように、広島への訪問と見学に対する子供たちの反応も、なかなか、大人達の思惑通りにはいかなかった。
戸惑いと無関心、そして理解できない恐怖ー。
恐らく子供たちには、分かっていないのだ。
何故、大人たちが、自分達に、こんなものを見せるのか。
どうして、負の遺産を、一方的に背負わせようとするのか。
恐怖と苦痛に満ちた、死の記憶をー。
もし、次の戦争を防ぎ、死んでいった人々の犠牲を、無駄にしない為だと言うのなら、どうして、過去の戦争が起こったかについても、子供たちに理解させる必要があるだろう。
原因が解らなければ、結果は防げないのだから。
だが、先の戦争がどうして起こったかを、子供たちに理解できる様に説明できる大人が、果たして何人いるだろう?
先の大戦においては、当時の日本が推し進めていた、武力による隣国への植民地支配に対して、同様の政策をとっていた他の列強諸国が反発し、利害の衝突が起こった事が、戦争の直接の原因だとされている。
大きな犠牲を払って得た領土を、日本は手放そうとはせず、それが他国の反発を招いた。
やがて、国際的に孤立し、経済封鎖を受けた日本は、戦争という強硬手段で、事態を打開しようとしたのだ。
あの時代の、日本を含めた列強諸国は、自国の利権を確保するために、他の弱い国々に侵攻し、その国の資源を奪い、現地の人々を労働力として使い、搾取していた。
それは、今の時代の基準では完全な悪だが、当時の常識では、必要な事とされていた。
戦前の日本は、今よりも、遥かに貧しい国だった。
資源を持たない小さな島国が、他の列強に対抗し、豊かになる為には、対外進出をするしか方法がないと思われていたのだ。
また、それにより生じる、他国の劣った民族や、自国の兵士の多少の犠牲は、仕方がない事だと見なされていた。
まるで、動物が食物を得るとき、当たり前に他の弱い生き物を、狩って殺すようにー。
そして、幸福に向かって邁進していた人々は、それについて、罪悪感を覚えたりはしなかったのだ。
おそらく、当時の日本人は、貧しく苦しい悲惨な境遇から、抜け出したかっただけなのだろう。
自分や家族、そして周囲の大切な人たちを、幸せにしたかっただけなのだ。
たとえ、自分の幸福とは関係の無い「他者」を、犠牲にしたとしても。
それしか、取るべき道は無いと、思っていたのだ。
それは、戦争が外交の手段として簡単に使われていた、弱肉強食の時代においては、当たり前の考えではあった。
しかし、それを、今の子供たちに説明するのは、難しい事だ。
それを理解させるには、まず、自己の幸福を基準にして、他者を含めた周囲の世界を認識し、その価値を判断する、人間の性質について、話す必要があるだろう。
そして、人間の行動の指針となる善悪の本質が、実は、個人の内面に存在する幸福への欲求や願望、そして、それが損なわれる事への恐怖を、外部に投射したものである事を。
人間は、その、あやふやな基準を胸に、時には過酷で理不尽な、この世界に、ただ一人向き合い、己れが幸せになる為の、生き方を決めるのだ。
だから、善悪に基づいた、個々の人間の行動原理は、自らの幸福を大前提とする、恣意的で主観的なものであり、その時々の状況と、各個人の心の動きとの兼ね合いによって、様々に移ろい、変化するのだ。
おそらく、戦争の時期に、それを推進し、加担した人々は、それによって生じる犠牲を、仕方の無い、必要悪だと感じていたのだろう。
彼らにとっては、戦争や侵略は、国を豊かにし、国民が幸福になる為の、唯一の手段であり、進むべき道だったのだ。
もしくは、そう信じ込んでいたのだ。
そして、その為に生じる他国や、更に自国の犠牲でさえも、やむを得ないものとして、看過されていたのだ。
自己の幸福の追求こそが、生命の根本的な目的であり、何よりも、それを最優先に考えるのが、人間の本性だとすれば、自分には直接関係ない他者の犠牲は、認識の範囲外の事なのだろう。
また、そんな状況下では、敵側の人間や、侵略すべき相手の国の人々の、苦しみに配慮する事は、自国に対する、裏切り行為に他ならなかった。
こうして、当時の日本国民は、国家の生存と繁栄という大義名分の元に、戦争を正当化し、自らを省みる事は、決して無かったのだ。
おそらく、戦争に邁進した日本人が、敵味方を含めて、戦火の犠牲者の苦しみに、想いを馳せるようになったのは、敗戦から、しばらくたっての事だったろう。
その時には、日本は海外の植民地を全て失って、国土も、他国に占領された状態であった。
日本人は、その時、初めて利害関係を離れて、過去を振り返り、かっては憎悪と軽蔑の対象だった敵国や、占領した国々の人々が、結局は、自分たちと同じ人間である事に、思い至ったのではないか。
そして、自国民を含め、戦争の犠牲者たちの苦しみを、やっと理解出来たのではないだろうか。
毎年行われる、戦没者の慰霊式では、政府関係者による演説が、必ず行われる。
そして、そこには決まって、「愚かな過ちは繰り返さない」という、フレーズが出てくる。
だが、戦前の日本人が選んだ道は、果たして本当に「愚か」だったのだろうか?
少なくとも、わたし達の祖父母より、前の世代の人たちが、その道を貧しさから脱して、幸福になる為の正しい道だと、信じて選んだのは確かだ。
もし、今のわたし達が、彼らと同じ状況下にあったとしたら、どうするだろう。
やはり、わたし達の中の多くの人々が、一見して唯一の解決策に見える、その道を選ぶ可能性がある事は、否定できないだろう。
他者を踏みにじり、自分たちが幸せになる、その道を。
「戦争」への道をー。
どこまでいっても人間は、根本的には、自己保存を優先して行動する、生き物なのだから。
一部の軍国主義者に、全ての責任を負わせる考え方があるが、わたしは、それは少し違うと思う。
少なくとも、当時の多くの国民が、熱狂的に戦争を支持していたのは、確かなのだから。
「愚かな過ち」、だが、それは、人間の本性に根ざした、自然なあり方なのだ。
時代が変わっても、人間の本質は変わらない。
だから、どの世代でも、この種の悲惨な出来事は、起こりうる。
たとえ、戦争にはならなくても、それに類した争いを完全に防ぐ事は、とても難しい。
何故なら、それは、自己の幸福を至上の価値と考える、人間の本性に、根ざしたものなのだから。
だけど、あの恐ろしい戦争を経験した人々は、きっと思ったのだろう。
もう、こんな事は、二度と繰り返したくないと。
だから、大人たちは、難しい事とは知りつつも、子供たちに訴えるのだ。
二度と戦争を、起こしてはいけないと。
それが、たとえ、わずかな望みでも、諦めずに子供たちに話すのだ。
人間同士が自己保存の為に、他者の生得の権利を無視する時、どんな恐ろしい事が起こるのかを。
そして、死者の代弁者として、子供たちに頼むのだ。
どうか、今度は、自分たちとは違う道を、選んでくれと。
どんなに困難でも、きっと、今度こそは、すべての人間が争わず幸福になれる、本当に正しい、唯一の道を見つけて欲しいと。
戦火に焼かれ、苦しんで死んでいった人々の犠牲を、無駄にしない為にー。
だが、やはり、まだ未熟で、人生経験も少ない子供たちには、こういった話は、なかなか理解出来ないだろう。
あの戦争経験者の老人が言っていたように、今はいつか解ってくれる事を信じて、ひたすら戦争の悲惨さを、子供たちに伝え続けるしかないのかもしれない。
ガタン ガタン キィィーッ!
わたしが、あらぬ考えにふけっている内に、やがて、わたしの乗る夜行電車は、広島駅に到着し、駅のホームへ、ゆっくりと停車した。
わたしが列車を降りて、ほとんど無人の改札口を出ると、そこには連絡してきた祖父母が、心ここにあらずといった様子で待っていた。
祖母が前に出て、切迫した口調で、私に言った。
「よく、来てくれたわね。恵子ちゃん。さぁ、早く車に乗って。病院に行くからね」
「うん、わかった」
その言葉に頷いた、わたしは、祖父母と共に、側に止まっている車に乗り込んだ。
そして、祖父の運転で、危篤状態だという、母の実母が入院している病院へと向かった。
[続く]