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譲り葉  作者: きーぼー
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譲り葉の人

 「そういえばさー」


「そうそうー」


「○○ちゃんがー」


子供たちのお喋りをする声が、体育館のあちこちから聞こえてくる。

誰も、壇上で懸命に喋っている人の声に、耳を傾けてはいない。

わたしは、深いため息をついた。

わたしは松岡恵子、市内の小学校に勤める女教師だ。

今日は授業の一環として、体育館に全校児童を集め、外部から講師を招き、その人の話を聞く日だった。

体育館には、1年から6年まで全校児童が、学年ごとに碁盤状の四角い列を組んで並び、床に座っていた。

4年生の担任である、わたしは、床で体育座りをしている、自分のクラスの児童たちの列の横で、手を前に組み立っていた。

今は8月ー。

毎年、終戦記念日に近くなると、この小学校では、戦争の体験者や、家族を戦争で失った人を呼んで、その体験談を聞くのが、恒例になっていた。

それによって、まだ幼いうちから、児童たちの平和への意識を高めようという、意図があったのだけれどー。

残念ながら、壇上で声を枯らして、懸命に戦争の悲惨さについて訴える、老人の声に耳を傾ける児童は、ほとんどいない。

それどころか、退屈そうにあくびをしたり、隣の友達とコソコソお喋りをする子供達が、ほとんどであった。

わたしは時折、自分のクラスの児童に、ちゃんと壇上の人の話を聞くよう、小声で注意したが、いったん静かになっても、またすぐに、無駄なお喋りが始まってしまう。

わたしは段々と、この集会自体が、無駄だと感じるようになっていた。

考えてみれば、わたしが子供の頃にも、この種の集まりはあったが、その時、わたしが話をする人の声に、熱心に耳を傾けていたかといえば、そんな事は全然ない。

むしろ、何故、こんな退屈で暗い話を、長々と聞かねばならないのか、理不尽に感じていたと思う。

子供たちにとっては「戦争」は「死」と同じく、自分たちにとって理解不能であり、縁遠い事柄なのだ。

大人は往々にして子供に、自分たちの希望を、になわせようとする。

それは、自らが実現し得なかった夢だったり、その世代で解決出来なかった、課題だったりする。

時には、大きな痛みや恐怖を分かち合おうと、子供たちに、その苦しみや悲しみを、押し付けがましく話したりもする。

もちろん、大人達に悪意は無いのだ。

だが、それはおそらく子供たちにとって、とても理不尽な事なのだろう。

無力な自分たちに、何でもできるはずの大人たちが、非情で理解不能な世界の歪みを、背負わせようとする事が。

熱心に語りかける壇上の講師と、その相手である筈の、体育館の床に座る児童たちの、注意散漫な様子を交互に見ながら、わたしは、その温度差に、ある種の情け無さと幻滅を覚えていた。

やがて、壇上の人の話は終わったのか、彼は眼下の児童たちに対して、深く一礼をした。

横に立つ先生にせかされた、児童たちのパラパラという拍手の乾いた音が、体育館の中に響き、講演者が壇上を去ると、白けた雰囲気が、あたりに漂い、その場を支配した。


講演授業の10分くらい後、わたしは、体育館で話をしてくれた老齢の男性と共に、校門に向かって歩いていた。

わざわざ学校にまで、やって来て、話をしてくれた彼を、校長の代理として、校門の外まで見送るためだった。

授業中のため、ほとんど無人の校庭を、わたしとその老齢の男性は、肩を並べて歩き、少しの間だが話をした。

わたしは、児童たちの話を聞く態度が良くなかったので、まず、その事を老人に謝った。


「すいません。せっかく来ていただいたのに、児童たちが、あんな態度で」


すると、その男性は、意外にも穏やかな声と表情で、わたしに、こう答えた。


「いやいや、あの年頃の子供では、無理からぬ事ですよ。戦争の話なんて。特に負けた戦争の話なんて、面白くも、なんともないですから。だけどー」


老人は、話し続けた。


「でも僕は、自分のしている事が、無駄だとは思いません。いえ、たとえ無駄だとしても、それはそれで構わない。僕は、自分の事を、「譲り葉」だと思っていますから」


「譲り葉?」


聞き慣れない言葉だった。

わたしは、思わず声を上げて、男性に尋ねた。

すると彼は、微笑を浮かべて、わたしに説明してくれた。


「そういう詩が、あるのですよ。親子というかー。世代間の、無償の愛についての詩です。わたしは、この詩が好きでね。子供たちと接する時の、心構えの参考にしているのです。常に見返りを求めず、「譲り葉」の様な謙虚な気持ちで、子供たちに向かい合いたいと、そう思っているのですよ」


「ああーっ」


わたしは、思い出した。

わたしは、大学で詩文を専攻していたから、その詩は確か、読んだ事がある。

昭和初期に発表され、詩の選集にも何度も選ばれた、有名な作品だ。

確か作者はー。

そうだ、河井酔茗。

校門の前まで辿り着くと、わたし達は、そこで立ち止まって、お互いに向かい合い、別れの挨拶をした。

わたしは、もう一度男性にお礼を言い、もし良ければ、またいつか子供たちに、話をして欲しいと頼んだ。

講師の男性は、にこやかに笑い、頷くと、こんな言葉を残して、学校の校門から去っていった。


「確かに、騒いだり退屈そうにしている子供が多かったですが、じっと耳を傾けてくれた子も、大勢いましたよ。嬉しかったです。それじゃ、失礼します、先生」


一礼して去りゆく、男性の後ろ姿を、校門から見送った、わたしは、近いうちに図書館で詩集を借りて、「譲り葉」の詩を、読み返そうと思った。


[続く]

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