こんな雪の降る日には
雪が降ってきた。
僕は天を仰ぐ。
白いモノがちらちらと音もなく静かに天から舞ってくる。
そのまっさらな光景に僕は昔の記憶を呼び起こしていた。
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高校生の頃だった。
僕の住む地域はど田舎で、通学するのにも一時間に一本のバスを待たなくてはならなかった。
夏は暑く、冬は極寒のたんぼ道でバスを待つのは苦行に等しかった。
でも。
僕の前にはいつも、同じ高校の一人の女の子がいた。
僕より頭一つ分背が低くて、綺麗な黒いストレートのボブカットをした女の子。
カノジョとかそういう関係では全くなくて、ただの同級生。
三年生になって同じクラスになっても、喋ったことは一度もなかった。
彼女はバスを待っている間、いつも本を読んでいた。
それは可憐で知的な横顔で。
何の本を読んでいるんだろう……。
僕はいつの間にか彼女のことが気になり始めていた。
いや、本当は一目彼女を見たときから彼女のことが好きだったんだ。
僕達の町に訪れる季節は早い。
初雪が降ったかと思うと、もうドカ雪になる。
今日も彼女は雪の降る中、バス停の屋根の下でバスを待ちながら、本を読んでいる。
僕は、バスを待つ時間がすっかり心地いいものになっていた。
彼女はどうなんだろう。
僕の隣で黙って本を読んでいる彼女。
彼女もまたこの時間を慈しんでいてくれたら……。
その時。
「あ……」
はらりと彼女の本から若草色の栞が落ちた。
彼女がその栞を拾おうとするより前に、素早く僕はその栞を拾った。
「これ……」
僕は、初めて彼女に声をかけていた。
「ありがとう、白井君」
彼女は、ほっこりと笑んだ。
僕の名前を覚えていてくれた!
もう卒業も間近で当たり前のことなのに、それだけで僕の心は浮き足だった。
「あの……」
しかし、僕はテンパって、うまく話ができない。
そんな僕の様子に彼女もどこかモジモジとしていたが
「……白井君。あれ、食べない?」
「あれ?」
彼女が指さした先には、古びたたこ焼き屋があった。
「あ……、ちょ、ちょっと待ってて!」
「白井君!?」
僕はそのたこ焼き屋へ飛び込み、意気込んで言った。
「たこ焼き、ふたつください」
「あいよ。ちょっと待ってて」
たこ焼き屋のオヤジさんは、既にできあがっているたこ焼きに軽く火を通して温めると、手際よく皿に盛ってソースを塗り、青海苔を振りかけた。
それはほんのり湯気が立っていて、この寒さの中、とても美味しそうだった。
そうやって買ってきたたこ焼きを一皿、彼女に渡した。
「ごめんなさい……。買いに行かせちゃって。いくらだった?」
「い、いいよ。そんなの」
「でも」
彼女は心底気の毒そうな顔をして、どうしてもたこ焼きの代金を払おうとしたが、頑として僕が受けとらなかった。
それはそうだろう。男のプライドってもんだ。
「それより。冷めないうちに早く食べよう」
「うん」
彼女の可愛い笑顔に僕の胸は高鳴る。
「熱々で美味しいね」
「うん、ソースが辛口で美味いよ」
二人並んで食べるたこ焼きの味は、今まで食べたどんな料理よりも美味しい気がした。
けれど。
バスの時間まであと何分だろう……。
僕は、こんな夢の醒める時間が気になって仕方なかった。
「白井君」
彼女はどこか遠い目をして言った。
「白井君は卒業後、どうするの? どこの大学に行くの?」
「僕は。東京の私大に行くよ」
「そう。私は……」
その時。
ブロロロ……と大きな音を立てて、バスが来た。
「たこ焼き、ありがとう。白井君」
そう言って花のように笑んで。
バスに乗り込むと、もう彼女は本の世界に身を投じていた。
それが彼女と話した最初で最後の会話だった。
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僕は、彼女に言ったように東京の私大に進んだ後、入社した会社で希望していた営業職につき、今日も外回りをしている。
卒業後、彼女がどこの大学に行って、今、どうしているのかも僕は知らない。
でも。
こんな雪の降る日には。
きまって彼女のことを思い出す。
降る雪は、僕のコートの肩に積もって。
僕は、それを軽く払うとまた歩き出す。
きっと僕はまだ彼女のことを想っている……。
作中イラストは、「AIイラストくん」を用いて作成しました。
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