1、褒めてあげます
この話は二部構成であり、こちらのページが第一部となっております。何卒。
インターネットが普及し、誰もが片手にスマートフォンを、誰もが自宅にパソコンを持つようになったこの時代。
私はベッドに寝転がりながら、とあるソーシャルネットワーキングサービス――通称SNSを何気なく眺めていた。
鼻歌を歌いつつ、画面を下へとスクロールしていると、ある一つのアカウントが目に止まった。
そのアカウント名は『褒め屋さん』。記載されたプロフィールによれば「貴方のことを何でも褒めてあげます」との事だった。
方法は至って簡単。該当のSNS上で、「#私を褒めて、褒め屋さん」のタグを付けて褒められたいことを呟けば、褒め屋さんからお褒めの言葉をいただけるというものらしい。
しかし、アカウントを作ったばかりなのだろうか。
まだフォロワーの数は一桁であり、タグ付きのコメントも見つからなかった。
そんな中、変わったアカウントを見つけたと思った私は、その物珍しさ故に何となく『褒め屋さん』をフォローし、その後の呟きをぼんやりと楽しみにしていた。
★―★―★
その数日後、またもベッドに転がりながらスマホを眺めていると、褒め屋さんの元に一件のメッセージが届いるのを見つけた。
――遂に例のハッシュタグ(#)を使う人が現れたんだ!
誰がどんな投稿をしたのだろうか。
褒め屋さんはどんな反応をするのだろうか。
私は好奇心に掻き立てられて、そのコメントをタップして詳細表示にしてみた。
すると、そこに書かれていたのはある絵師からのお願いだった。
『#私を褒めて、褒め屋さん!
初めまして。良ければこの絵をほめてくれませんか? わたしは小さいころから絵が好きでずっとかき続けているんですが、全然ほめられたことがありません。他の人よりも下手なのは自覚していますが、それでも誰かにほめられたいです。よろしくお願いします。』
メッセージの下には、スマホのカメラでそのまま撮影したような、ある少女を描いた絵の写真が貼り付けられている。
鉛筆で描かれたであろう少女は、こちらを向いて、顔の前で両手のピースサインを作っているのだが、口と顎の位置関係がズレていたり、靴が真横に向いてしまっていたりと、お世辞にも上手いとは言えないような絵だ。
文章や絵柄から考えれば、この絵師はまだ十代前半くらいの子かもしれない。
そんな子に対して、褒め屋さんはどんな反応をするのだろうか。
期待を膨らませていると、丁度褒め屋さんが投稿するタイミングに出会した。
『なるほど、この子の目はとても明るいですね! 生き生きとしていて、元気溌剌な様子が伝わってきます。目は口ほどに物を言うといいますが、貴方はそんな感情を伝える目を描くのがとても上手いですね!』
そのコメントを読み終えた私は、思わず舌を巻いた。
何故なら褒め屋さんは絵の一点に着目し、それを具体的に褒めているからだ。
確かに言われてみれば、黒と白しか存在しない世界にも関わらず、その少女の目は光彩を放っているようにも見える。
況してや目の中に直接星やダイヤの形を描かず、ありのままの目でそれを表現しているのだから尚更だ。
それを褒め屋さんは見事に見抜いた。
私はきっととんでもない人物を見つけてしまったのかもしれない。そう思うと、何とも言えない高揚感に包まれた。
そして、そんなお褒めの言葉に当の絵師は。
「ありがとうございます! そんな風に言ってもらえたのは初めてなので嬉しいです! 褒め屋さんのおかげでなんだか自信がつきました! これからも頑張っていっぱい絵を描いていこうと思います!」
と、暗がりの心に確かな光を灯したようだった。
この時、私の心には褒め屋さんへの信頼が芽生え始めたような気がした。
★―★―★
その夜、私の心はひどく曇っていた。
帰宅するや否や、鞄を肩に掛けたまま倒れ込むようにベッドに飛び込み、ふかふかの枕に顔を埋める。
――なんで私だけ。私だって頑張ったのに……。
何とか溢れないようにと止めていた涙が、一粒、また一粒と私の目から落ちて、枕に浸透していった。
誰かに共感してもらいたい。誰かに褒められたい。
そんな気持ちも溢れ出てくる。
その刹那、一人の人物が私の脳裏を過った。
「……褒め屋さん」
その名を口にすると、私は縋るような気持ちで、徐に鞄からスマホを取り出し、そのSNSを起動した――。
『#私を褒めて、褒め屋さん!
初めまして、◯◯です。どうか私を褒めていただけないでしょうか?
実は今日、バイト先で辛い出来事がありました。
私は飲食店でバイトをしており、バイトリーダーという立場を任せていただいているのですが、それを辞めてしまいたいと思ってしまった話です。
夕飯時の忙しい時間の事です。厨房を担当していた私は、出来上がった料理を運ぶよう後輩(女子)の一人に頼みました。そうして後輩がお客さんに料理を運んでいる途中、後輩は幼児用に置いていた席に引っかかって転んでしまったんです。
幸い、その子どもに料理がかかる事は無かったんですが、もしかかっていたらどうしてくれたんだと、その両親が激怒してしまい、後輩はひたすら頭を下げるしかありませんでした。周囲の視線が集まっている中、余りにも執拗に攻められていたので、流石に可愛そうだと思って助けに行ったんです。
けれど、私が助けに行った瞬間、その両親に対する堪忍袋の緒が切れたのか、後輩がブチ切れてしまったんです。最初は驚きましたが、でも接客をする以上は感情的になってはいけないと思い、ヒートアップする口論の中で後輩を必死に諫めたんです。
その甲斐あってか、何とかその場を収める事は出来ました。けれど、問題はその後だったんです。
バイトが終わった後のミーティングの時、後輩がみんなの前で私に文句を言ってきたんです。
『先輩の指示に従って運んだせいで、あんなヤツに絡まれたんです! 先輩のせいですよ、分かってます!? だからもう二度と先輩の指示には従いません!』って。
私に責任転嫁をしてきたんですよ。おかしくないですか?
それだけじゃないんです。
店長(男)は『確かに◯◯(私)が作った料理を自分で運べば、起こらなかったかもな』って。
店長まで私のせいにしてきたんです。
先輩たちも店長には逆らえないのか無言を貫いていました。先輩たちに当たるつもりはありませんが、それでもこの時ばかりは先輩たちの事まで憎くてしょうがありませんでした。
けれど、私も店長に逆らえず、ただ謝る事しかできませんでした。
そうして今に至ります。
長々とお話した上に、愚痴の捌け口にするような形になってしまい申し訳ありません。
こんな私を褒めていただけないでしょうか?よろしくお願いいたします。』
そんな自分勝手で、感情的で、失礼極まりない文章を私は送信した。
今思えば、知らない人からこんな長文が送られてくるなど、気持ち悪いし、はた迷惑な話だっただろう。
けれど、そんな気持ちさえ察する事ができなかった私は、ただ褒め屋さんからの返事を待ち続けていた。
しかし私は睡魔に襲われてしまい、いつしかそのまま意識を手放してしまった。
★―★―★
――ピコン。
突然、私の耳元で軽快な電子音が鳴った。
――誰からだろう?
私は寝ぼけ眼のまま、スマホの画面に触れる。
そして送り主を確認した。その瞬間だった。
私の意識はハッと目覚め、脈拍が上昇するのを感じた。
――褒め屋さんからだ!
逸る心臓と震える手。
私は唾を飲み込むと、そのメッセージを開いた。
『初めまして◯◯さん。
メッセージ、拝見しました。大変なご苦労をなされたようですね。本当にお疲れ様です。
そして、よく頑張りましたね。
困っている後輩をすぐに助けに行く優しさ、バイトリーダーとしての責任感、感情的になってしまった後輩を諌める冷静さ、そして理不尽な状況でも感情的にならず、決して反撃しなかったその我慢強さ。
私には到底真似できませんし、他の方でも生半可な気持ちでは務まらない事だと思います。
本当に偉いです!
だからこそ、◯◯さんには理不尽な思いをしてほしくないし、報われてほしいです。
私にはどうする事もできず、適切なアドバイスをする事もできませんが、お話を聞く事だけはできます。
なので、◯◯さんさえ良ければなのですが、今後また辛い事などがあれば、私にメッセージを送ってください。
それ以外の事でも大丈夫です。いつでも待ってますので。
陰ながら◯◯さんの事を応援していますね。』
褒め屋さんからのメッセージを読み終えると、気がつけば私の目からは涙が溢れ、乾きかけていた枕のシミを再び濡らしていた。
久しぶりの感覚だった。
それはまるで、辛い時、悲しい時、何も言わずただ私を抱きしめてくれたお母さんみたいな。
「大丈夫だよ。よく頑張ったね」と、何度も背中をさすってくれた親友みたいな。
そんな大切な人から受けた優しさに似たものを感じた。
だからこそ私は。
「ありがとうございます……! 褒め屋さんの言葉で、あの時の行動が報われたような気がしました。お陰で気持ちも楽になりました。それと、こちらこそまた何かあったら頼らせていただきたいです。その時はまたよろしくお願いします。本当にありがとうございました!!」
褒め屋さんに感謝のメッセージを送ると、今度は別のメッセージを綴り始めるのだった。
★―★―★
それから数日後、私はあの店を辞めた。
後悔なんてない。むしろ晴れやかな気分だった。
聞くところによると、どうやらあの時、店長は後輩を気に入っていたらしく、それ故に後輩の肩を持っていたらしい。
また、これは風の噂ではあるが、店長は遂に後輩に手を出してしまった挙句、それが奥さんにバレてしまったという。
後輩はまだ十代の高校生である上に、店長は妻子持ち。
その後どうなったのかはお察しだ。
一方で、優しく褒めてくれるスタンスが評価されたのだろうか、ある日を境に褒め屋さんのフォロワー数は一気に増え、いつしか褒め屋さんは一万人から支持されるような人にまで成った。
けれど、そんな大人数相手でも、褒め屋さんは一人ひとりに対して丁寧に褒めていた。そして、その度に一人、また一人と心に光を灯す人が増えていった。
私もそんな「褒め屋さん」みたいに素敵な人になれるように。
私は決意を新たに、次なるバイト先を探し始めた――。