種だけ採って孕めと!?
テンプレと言われればテンプレな離婚もの。浮気相手はざまぁ食らってないので、この時点で駄目な人は読むのをおやめください。
「すまない、離婚してくれ」
畑中和季子は夫、洋の発言を、一瞬理解できなかった。
「ちょっと……何言い出すのよ……」
意味を咀嚼して出せたのは、チープにも程がある台詞。
「実は……」
洋から告げられた事柄は、今まで見た悪夢より全身を震えさせた。崩れ落ちなかったのが不思議である。
要約すると、三年前から浮気をしていたのだが、相手に子供ができたそうだ。
「こど……も……」
可能ならば耳を引きちぎって洗いたいが、事実は消せない。
子供――
和季子が洋と夫婦として過ごしてきた五年の間、欲しくてもできなかった愛の結晶。
腹が重くなる。
「……お義父さんとお義母さんには言ってあるの?」
「いや、まだだ」
浮気夫の答えを聴きながらも、孕めず妻は見当をつける。
十中八九、否、十割彼らは息子の肩を持つ。
身も蓋もなく表現するなら、浮気相手を持ち上げて実子の伴侶を叩くに決まっている。
何せ、ブライダルチェックをした結果、和季子に異常がなかったと知らせても、石女呼ばわりしたのだから。
実の両親には言えなかった。あの化石に変じた脳味噌の爺と婆の餌食にはさせるわけにはいかない。
正直、前時代的な考えに凝り固まっているのは、旦那の血族全員だが。
内心を悟られぬよう、和季子はうつむく。
後日泥棒猫との話し合いをすることに決め、その場は一応のまとまりを見せた。無論形だけだが。
「ごめんなさい! 本当にごめんなさい!」
頭を何度も下げる女を、和季子は観察していた。テーブルにぶつけるような折り屈みを繰り返す様は、ドラマのワンシーンを彷彿とさせる。
樋口由里と名乗った女は、和季子より若かった。
つぶらな瞳で丸顔、腰までの長さを持つ柔らかそうな髪。カーディガンとロングスカートを着ていることもあり、白いエプロンが似合うのは確定だ。
約束から数日後、すでに同居人以下の存在と化していた馬鹿男は、未来の花嫁を連れてきた。端々に妻を見下した空気を漂わせ。
――このとき、和季子の肌になんとも形容しがたい感触が走った。だが口に出せず、沈黙を保つ。
由里はこちらに目を走らせている。
「まさかこんなことになるなんて思わなかったんです……」
――じゃあどうなると思っていたの? 夫には妻がいたのを知っていたのよね? 避妊具もしないピルも飲まないでいたら、妊娠するぐらいわかっていたはずでしょ? 「この人の子供が欲しかった」ぐらい言いなさいよ!
ぶちまけたい本音がハラワタを灼くが、歯を噛み締めてこらえる。少しでも緩めたら、怪獣さながらに吼えてしまうから。
「お前にはすまないと思っている。でもやっぱり俺は子供が欲しいんだよ。お前だってわかるだろ? 父さんも母さんも孫が欲しいって言うし……」
――ふっざけんじゃないわよ!
浮気夫の自分勝手な発言に、彼の死角で中指を立ててしまう。こちらからの誘いを“疲れた”“今日は無理”と拒んだのはそちらだ。
しかも、自分の両親だけにとどまらず、親戚にまでデタラメを撒き散らす始末。
結果、旦那の兄弟たちは顎を反らすわ鼻で笑うわ、毒小舅の見本市。
「ブスで気も利かないわ出来損ないだなんて外れにも程があるな」
「子供を産めない女なんてカスだろカス」
「うわ、ありえないだろ。何のための嫁なんだよ」
おまけに……もとい、当然の帰結と呼ぶべきか、心を切り刻む暴言が降りかかってきた。
歯ぎしりしてしまうのは、夫の本家で妻が受けた扱いが蘇ってだ。そこでの集まりは重要だそうで、結婚してからは毎回毎回引っ張られてきた。
男は好き勝手に食って飲んで与太話。立つのはトイレの時ぐらいで、用が済んだらどっかり胡座。
一方で、女は買い出しやら料理作りやら片付けやら、目が回る忙しさ。ろくすっぽ休めないし、胃に入れられるものは冷えた残り物。
――てめえらも動けよ!
空の酒瓶で頭をかち割ってやりたくなったのは数知れず。
伴侶が奴隷並みにこきつかわれているのを、洋は目の前でだらしなく笑っているだけ。
そのくせ、妻の実家には足を運ばない。苦言を呈しても、無視する始末。
「……おい! 何にらみつけてんだよ! 由里が怖がっているだろうが!!」
凄みを利かせた洋の音吐に、和季子は我に返った。どうやら、不愉快な記憶を流せずに、面持ちに出た模様。
「別ににらみつけていないわよ」
平常を作り上げたつもりだが、所詮“つもり”。放り出した響きに、鋭さはないが固さはあった。盾ではなく棍棒の。
「あのなぁ、鏡見てみろ。お前、すごい顔してるから」
鼻の穴をふくらませてせせら笑った表情に、サレ妻は先程押し寄せた感覚の正体を知る。
親戚の前でこき下ろしたときにそっくりだと。
和季子は一人納得する。
だが、妻の心夫知らずと言ったところか、
「まったく……自分に子供ができないからってみっともないぞ。由里、大丈夫か?」
「はい、でも、それだけのことをしましたから」
陳腐なラブストーリーを連想させるやり取りに、妻は白けた目を送る。でも、事実は認めていた。
由里は庇護欲をそそる雰囲気がほとばしっている。しかし、持っている要素がいい方に転がるか、悪い方にかたむくかは判断できない。
「……ねぇ、その人と結婚しても、親戚の集まりに連れていくの?」
気がつけば尋ねていた。
「「……は?」」
浮気夫と泥棒猫は目を丸くし、間抜けた声を上げる。
「な……何急に言い出すんだよ!」
空いてしまった口を、洋はそのまま使う。不味いことを指摘されてごまかしている臭いはせず、言っている意味もそれ以前に意図も読めない様子。
「だってあなた言ってたでしょ? “夫の本家に向かうのは妻の役目だ”って。わたしの実家には一度も行かないクセに。まぁ、それは置いとくとして、まさかとは思うけど、わたしと別れてすぐ連れていくつもりはないわよね? その人妊娠しているし。あ、でも産んだからってすぐもダメよ」
「え……? 聞いてないけど……?」
丁寧語じゃないのは、つい口蓋垂辺りから転がってきたが故か。由里の顏はぎこちなく洋に向く。
和季子は下唇を突き出していた。妻を下に見るこの男が言わなかった?
「――待って、洋。あなたそれたまたま喋らなかっただけ? それとも黙っていたの? ねぇ、どっち?」
「ち……ちょっと待て。お前おかしくないか? 普通由里との別れを要求したりとか、慰謝料とかの話になるだろ? なんで親戚の集まりにこだわるんだよ?」
余所見することなく凝視する妻を前に、夫は面ごと背けた。
「もちろん慰謝料はがっつりいただくわよ。で、どっちなのよ? だって由里さんの反応から察するに、親戚に関して決して触れなかったってことよね? だってあなたこの人にメロメロで、あなたたちの親戚ウケしそうなのに、言わなかったってことでしょう? ねぇ、どうして? なんで? どういうこと?」
……正直、狙っていた展開はあった。「うるせぇんだよ!」「黙れ」「しつこい」。だいたい、都合が悪くなると吐く台詞は読めている。
しかし、今回は違った。
「いや、なんでそこをつつくんだよ?」
「だっておかしいもの。わたしを下げるいいネタがあるのに、それを使わないなんて。っていうより、ポロッって漏らさないなんて」
顎の筋肉がくたびれかけたところで、和季子はひとまず黙る。
洋はしきりに瞼をしばたたかせていた。連れ合いとしての役目を終える女を映す瞳は、完全に宇宙人への扱いだ。
その態度に妻は一つの仮説を立てる。
彼はあれが常識だと偏見に凝り固まっている。男尊女卑の極みともいえる、本家での宴を正しいと信じている。
否定できる率は九牛の一毛。
「あ……あの……ちょっといいですか?」
かすれた声で問いかけたのは、泥棒猫であった。
「まさか、本当は私たちの関係がわかっていたけど、あえて泳がせて妊娠するのを、虎視眈々と狙っていたんですか?」
「はぁ? そんなわけないでしょ?」
予想外にも程がある発言に、和季子はため息をついた。
「だって! 今までの台詞聴いていたらそうとしか思えませんよ! まさか行為の度にピル飲んでいたとか、こっそり女性用避妊具を“中”に入れてたとかないですよね!?」
「そんなわけないでしょうがぁ!」
たまらず妻は叫んでいた。
確かにうんざりすることもあったが、“子はかすがい”なんてことわざを信じて努力してきたのだ。少なくとも、洋の真相告白までは、夫婦として過ごそうと決めていたので。
「わたしが誘ってもこいつが拒んできただけよ! それとも何!? 寝ているうちに種だけ採って孕めと!?」
「……確かに……それはちょっと……」
由里は頬を引きつらせる。
「でしょう!?」
勢いでの発言に、その手もあったかと己のことながら目から鱗が落ちたが、実行していたら、祝福されなかったに決まっている。
夫が文句を垂れ、針小棒大通り越して出鱈目を義父母やら親戚やらにくっちゃべるのが、容易に想像できた。
脳裏に浮かんだ“もしもの未来”に、口元を歪める和季子。身体全体が痒くなってくる。
「……よかった、作らないで」
胸裏は反射的に飛び出した。
「なんだよ、それ……」
耳に入ったつぶやきに首を動かせば、うなだれた洋の姿。
妻が見つめていることに気づいたか、ゆっくりと顔を上げ――
聴覚が仕入れた新たなる情報に、脳は上書きされる。
微かな笑い声に意識を引かれた先には、由里が。
数分前の儚さは消し飛び、決意のこもった強さが。
「ごめんなさい、洋さん。子供は私だけで育てるわ。養育費はしっかりもらうけど」
「えっ……」
洋の五体が一瞬震える。凍りついた面持ちは、刹那目頭と目尻が裂けんばかりに見開いた。
「な……なんでだよ!? 俺と結婚するって言ってたじゃないか! あれは嘘だったのかよ!?」
「嘘じゃなくって過去ですよ。確かにあのときはそのつもりでした。でも奥様とあなたの話を聴いていたら、その気が失せまして……もし私が子供を産んでも、あなた協力してくれなそうですし、お義父さんお義母さん干渉しそうですし、親戚の前で私を叩きそうですし。なんか、私たち母子がオモチャにされる未来しか見えないんですよ。あ、大丈夫ですよ、奥様への慰謝料は払いますから」
「確かにあり得るわね。そうそう、洋だけじゃなくって、あなたからも慰謝料はもらうから覚悟してね」
由里の列挙した推論にうなずいていた和季子は、言葉でも明確に同意した。
「ふざけるな! 俺は金を払うために和季子と別れるわけじゃないし、由里と関係を結んだわけじゃないぞ!」
もし犬なら牙を剥いて唸っているだろう、目の前の洋はまさにそれであった。
「だとしてもそちらの非で離婚だから慰謝料は当然だし、子供がいるなら養育費も必須よ。ま、ここからは弁護士の領分だけどね」
言葉を並べ立てた妻は、淹れた緑茶を喉に流し込む。夫への愛情を反映する如く、冷めきっていた。
一年後――
すべての手続きを終えた和季子は、新しく借りたアパートの一室で昼御飯を食べていた。
離婚を告げたはずの洋は、金惜しさにか復縁を要求してきた。もっとも、和季子が弁護士を介して断固拒否の姿勢を崩さずにいたら、渋々ながら緑の紙に判を押したが。
――なぜこちらが未練を抱えている前提で話をしてきたか、頭の中を覗きたくなった。
元夫からは大金を、元浮気相手からもそこそこの分を受け入れた。バツイチとしては、選択式シングルには千円二千円で構わなかったのだが、相手が望んだのだ。
「これは、私の罪ですから」
凛とした彼女の面差しに考えた。
夫婦生活を続けるのに、そこまでの信念や覚悟が和季子に存在したか。ただの惰性ではなかったか。
一人で生きる決意を改めて固めたバツイチ。幸い仕事にも恵まれた。
今日は久々の休みである。仕事以外の雑事を消化する日でなく、本物の休日。
お一人様ランチのメニューは、ピザ、唐揚げ、フライドポテト、オニオンリング、サラダ、コーラ。
ジャンクフード祭だ。
ふと思う。
――洋やその親戚の男たちもこういうの買ってすませりゃいいんだよ。
ピザを一口かじり、コーラを一気に飲む。
出たゲップは解放感に溢れていた。
当時見た漫画広告が元ネタだったりします。いかにもな、「親戚の集まり」が。




