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1. 高校2年生、文芸部の部室、CGアバター

 ――誤字が、気になる。


 スマホの画面をにらみ、モエ――伊遠萌絵は、ぐっ、と唸り声をこらえた。

 部活から帰って夕飯前の18時すぎ、自宅のベッドに寝転んで、小説サイトの更新通知に飛びついたモエは、大好きな大好きな作品の最新話に誤字を見つけてしまったのだ。

 とりあえず今日のぶんの最後まで一気に読んで、相変わらずすごく面白くて、でも誤字があったところに引き返してきて、その誤字を見つめている。


   シュンはいたって平然と言い放つ。

  「ローリエ。俺が必ず連れて行ってやる。だから信じて、俺ともに来い!」

   力強く、けれど当たり前のように伸ばされる手は、ローリエの心を揺さぶった。


(俺ともに……かあ……)

 ふつうに考えれば、「俺とともに」だろう。ふつうに考えればね。

 当たり前だ。誰にでもミスはある。

 というか、伝わるしね。意味は伝わる。

 うんうん。問題ない。……間違ってるとは思うけど。

 間違ってると思う、でも別に困るってほどじゃない。

 思考は行ったり来たりしているのに、画面にはずっとその文章が表示されたままだ。


 モエが毎日更新を待ちわびる小説『LOGOTYPE』はあくまで無料公開されている作品だから、読者が文句を言う筋合いはないし……作者さんも書籍化は目指しているみたいだけど、今のところ吉報はないようだ。モエとしては応援しているけれど、ランキングトップというほどでもなく、かといってめちゃめちゃニッチというほどでもなく、ちゃんと固定ファンはいるらしい。

 だったら、誰か、モエ以外の人が気づいて作者さんに伝えるかもしれない。

(そう、別に私が言わなくてもいいじゃん)

 作者さんはSNSで更新の宣伝をしていたから、作者さんと仲のいい人とか、誰かが気づくかも。

 ――でも。

 モエは寝返りを打ってベッドに突っ伏し、想像をたくましくしてしまう。

 私は更新の直後、いの一番に読んだのだ。その私が伝えて、作者さんがすぐに気づいてすぐに直してくれたら――


 私みたいに少しだけモヤッとする読者さんが減るのでは?


 それってシンプルに良いことなんじゃ、と思う自分がいる。

 作者さんだっていっつも「誤字報告ありがとうございます!」って言ってるし。

 誤字がないなら何も引っかからずに読めるし、なんにも気にならないし。

 今私が悶々としているようなことは起こりっこない。

 でも、モエはもう一つの意見も知っている。

 誤字の指摘は、嫌がられるのだ。

 意図的にやった表記まで直そうとしてくる、とか。

 私の文章を変えさせようとするな、とか。

 大きなトラブルの例だと、作者さんにブロックされてしまった人もいるとか。


 いやいや、ブロックだなんて! 絶対いやだ!

 私は『LOGOTYPE』の続きが読みたいんだもの。

 絶対にブロックなんかされたくない。作者さんに「もう読まないで」と拒否されるなんて絶望だ。


(ああ……更新したら直ってないかなあ……作者さんが自分で気づくとかで……)

 他力本願な、けれど切実な願いを抱きつつ、モエはぱたりと頭をベッドに落とした。

 うだうだ、ごろごろ……という無為な時間は、「萌絵ー、夕飯ー!」という階下からの母の声で遮られた。

「はーい! 今いくー!」

 大きな声で返事をして、モエはスマホをベッド脇の充電器に差し込んだ。

 家族の食事中ではスマートフォンを使わないこと、という取り決めがあるため、モエはこのタイミングで必ず充電をすることにしている。

 そのまま明かりを消して部屋を出ようとして、「あ、そうだ」とモエは思いつき、友人にメッセージを送っておくことにした。

 文面は手短に、「ロゴタイ最新話に誤字あってちょっとモヤっちゃったよー」というもの。

 送り先はユヅル――高校に入ってからできた文芸部の友人、大峰夕鶴だ。

 モエほど熱心ではないが、『LOGOTYPE』はたしか読んでいたはずだ……もしかしたらモエが好きだから共通の話題として読んでくれているだけかもしれないが、こういうメッセージを送っておけば、暇な時に読んで私の気持ちをわかってくれるんじゃないかな、という淡い期待がある。

「萌絵ー? まだー?」

「あ、はーい!」

 いつもはすぐに下りていくのに、メッセージを打っていたせいで少し遅れてしまった。

 モエは1階に急いで向かいかけ、明かりを消し忘れて、もう一度慌てて部屋に戻った。



 夕食やら何やらを終えて部屋に戻ると、スマホに通知が届いているのが見えた。

「あ、ユヅルじゃん」

 素早くタップしてメッセージを開く。


 -誤字報告しといたよ。たぶんもう直ってる


「えっ、うそ!?」

 モエは慌てて『LOGOTYPE』の最新話をもう一度開く。

 リロードした小説は確かに「俺とともに」という文章に直っていて、モエは自分でも驚くほどほっとして、はぁ…と深い息を漏らした。

 安堵のままに、ユヅルへのメッセージを送る。既読はすぐについて、会話が始まった。


 -ほんとに直ってた。誤字報告ってこわくてさ

 -ブロられたらもう読めないもんね。わかる

 -ほんとそれ。てかユヅルはこわくなかったの?

 -ああ、うん、まあ


 煮え切らない返事に「?」を浮かべるデブ猫のスタンプで折り返してみると、返信が止まった。

 次のユヅルの発言まで、20秒ぐらいだっただろうか。画面を見つめて待つには少し長いけれど、ユヅルが表現を考えていることが伝わってくる。


 -たぶん大丈夫だと思ったというか、教えてもらったというか

 -え、教えてもらったって何?どういうこと?

 -ちょっと文字で説明するのは難しくて、明日話すんでもいい?

 -もちろん。めちゃ気になる

 -放課後ね

 -お預け長いわー、了解

 自分から「また明日ね」のスタンプを送る。もう夜だからあんまり引き延ばしては申し訳ないし、自分ももうちょっと『LOGOTYPE』を読み返したい。

 誤字がなければ、より集中できる気がするから。

 ユヅルからは「おやすみ」のスタンプが返ってきて、モエはメッセージアプリを閉じた。

 そのままベッドに寝転び、やっぱり気になって「んん?」と唸り声をあげた。


 教えてもらったって、何を?



 モエが通う私立双塔学院高校は、その名が示す通り、敷地内にふたつの塔が備えられている。敷地の中央に並び立つ、2本の塔。大して高い塔でもなく、片方は時計塔、片方は物見の塔という意匠だ。シンボルとしての意味合いがほとんどで、壮大な歴史もなければ実用性もあまりないという、言ってしまえば半ばハリボテである。それでも深い黒を基調にしたレンガ壁の見栄えはシックで小ぎれいだし、何よりわかりやすくはあるので、生徒たちからは微妙に邪魔もの扱いされつつも愛されている。

 この塔があるため、東の時計の塔側に位置する棟を「時計棟」、西の物見の塔側に位置する棟を「物見棟」と呼ぶことがあった。東棟、西棟、と呼ぶよりはわかりやすい。

 ふだんモエたちが授業を受けるのは物見棟、授業用の特別教室や部室などが概ね集まっているのが時計棟側だ。

 長い授業を終え、モエはようやく隣のクラスのユヅルと合流し、時計棟の文芸部の部室に向かって移動しているところだった。

「話聞くの、めっちゃ楽しみにしてたんだよね。『教えてもらった』ってのが気になっちゃってさ」

「私もうまく説明できる気がしなくて。ごめんね」

 謝ることかい、と軽くツッコミを入れると、ユヅルが小さく笑った。

 こうして見る限り、ユヅルは地味な生徒だ。ショートカットに、ブレザー、パンツスタイル。身長は高くない。遠くから見れば、男か女かも区別できないかもしれない。

 ユヅルは間違いなく女生徒だが、スカートをあまり好まないらしく、基本的にはパンツスタイルですごし、髪も伸ばさず、化粧っけもない。ただし――

「ちょっと待ってて」

「あ、今日部長こないの?」

「そ。今日はずっとひとりだから、大チャンス」

 部室につくなり、ユヅルは教科書鞄とは別に持っていた小さな手提げのバッグから、ていねいに包みを取り出した。手つきから、軽さ、やわらかさがうかがい知れる。

 手狭な部室だ。一つしかない窓のカーテンが閉まっていることをあらためて確認したユヅルは、

「失礼して」

 と包みを開けて、中から白髪のウィッグを取り出した。

 慣れた手つきでウィッグを被るとき用のヘアネットを手早くつけ、ぱちぱちっ、とウィッグを留めれば、あっというまに白髪になってしまう。髪型は変わらずショートカットのまま、手軽に変身をしたユヅルは、続けてブラシを取り出し、さっと髪――ウィッグを整える。

「慣れてんねー」

「できればずっとこっちでいたい……」

「蒸れそう」

「それはある」

 顔を見合わせて、くすくすと笑う。

 ユヅルにとっては、このスタイルがしっくりとくるらしい。綺麗になりたい、かっこよくなりたい、ということではなく、呼吸が楽になる、とかなんとか。正直、モエには全然わからない感覚なのだが、実際にウィッグをつけたユヅルは本当にリラックスするようで、ほんの少しだけ表情が和らいでいた。

 実は、ウィッグをつけているときのユヅルは、一人称も「僕」に変わってしまう。

 最初にこのウィッグ着用を知った時は、つい性転換したいのかな……と思ってしまったが、そうではないらしい。本人が言うには、だが。

 それに、10代には不自然なはずの白髪も、ユヅルには本当によく似合う。今はまだ試していないが、そのうち、休日に出かけるときでもユヅルはウィッグをかぶるようになると思う。今時はそういう格好で出かけている人も見かけるし、きっと楽しいだろう。

「おっと、本題」

 髪を整えてブラシをしまっていたユヅルは、一応ね、と言いながら部室のドアの外に「読書中、お静かに」の札を出してから、モエの向かいに座った。

「誤字報告は自分でしたんだけど、出しても大丈夫そうかは教えてもらったんだ」

「いや、それな? 誰に?」

「僕のおばさん。父方の叔母さん。最近、けっこう連絡取ってて」

「関係性はわかったけど……」

 これではほとんど説明になっていないことも、ユヅルはわかっているらしい。

 困ったような笑顔を見せたまま、「モエならドン引きしないと思うんだけど」と、ユヅルは自分のスマートフォンを差し出し、スタンドで机の上に立てた。メッセージアプリ――「WAnage」のアイコンをタップして、とあるアカウントを見せてくれる。そのまま通話ボタンまで押してしまった。

「え、通話!? しかもテレビ電話!」

「なんかもう、おばさんに直接話してもらいたくてさ……わかんないんだよ、僕にも。説明してもらえるか、って聞いたらかけてこいって言うから」

「いや、マジか……え、ユヅルの叔母さんと話すの? これから?」

 そんな心の準備はしてないんだけど!

「こっちからの画面共有は切っておくから平気だよ。ちょっと変わった人だけどね」

「いやそういう問題じゃなくない!?」

 慌てるモエにもまったく頓着せず、数回のコールで通話はつながった。


『もしもし。ユヅル?』


 画面に表示されたのは、アバターだった。CGのアバター。

 どこかの漫画にいくらでも出てきそうな、長い茶髪をゆるく縛り、大きめの眼鏡をかけた、地味な服装の女性だ。年もそこまで若くはなさそう……デザインとしては30代ぐらいだろうか。

 あくまでデザインなのだろうが、落ち着いた声のトーンには合っていた。


「おばさん。昨日言ってたモエちゃん。おばさんの説明、聞きたがってたからさ」

『ああ。ねえユヅル、〈おばさん〉って連呼されるの、このアバターの時は刺さるなあ……』

 分かりやすくしょんぼりした顔をするCG女性。おそらくあらかじめ設定してある表情のひとつに切り替えたのだろう。アバターはすぐに元の表情に戻ると、正面を向いて――つまり画面の向こうのこちら側を見て、笑顔を見せた。

 くるくると変わる表情はとても自然で、操作に慣れていることを感じさせる。

『はじめまして。ユヅルからお話をうかがってます。私は《カナ》です。文字で書くと[(かのう)かな]』

 ぱっ、とボードのようなものが表れて、「叶かな」の3文字が表示された。

『この名前は仕事用のものというか、アバターの名前というか……まあ、ペンネームのようなものだと思ってください。カナさんと呼ばれるのがわかりやすくて好きよ』

「あ、はい! 伊遠萌絵と言います」

 なんとかそう応じたものの、いったいなんでこんなことになっているのか。

 恨みがましい目をユヅルを見ると、ユヅルも苦笑していた。なんでよ。

「おばさ――あ、ええと。カナさん。昨日、僕が誤字報告しても大丈夫かな、って聞いたら、大丈夫だと思うって教えてくれたでしょ。実際、ほんとに大丈夫だったし……その理由、詳しめに解説してもらうことってできるかな」

『それはいいけど……ちょっと、話が飛んでる気がする。モエさん――あ、ユヅルの話で名前ばかり聞いちゃったから、こう呼ばせてもらっていい?』

「あっ、はい!」

『私の普段の仕事はね、校正者なの。校正者という職業は知ってる?』

「えっと、名前を聞いたことぐらいは……」

『そう。つまり、私は普段から文章の誤字脱字なんかを確認して、報告する仕事をしているわけ。お金をもらってね。それでユヅルが私に質問してきたのね』

「なるほど……」

 ユヅルの親戚にそんな仕事の人がいたとは、びっくりだ。……それがこんな、アバターで通話するような人だというのも。

「っていうかそれ、プロじゃん。文章のプロ」

「あ、気付いた?」

『プロでーす』

 ユヅルとカナさんが揃って笑う――なんだか似ている部分があるように感じてモエはついため息をついた。

『ともかく、まずは説明をしちゃいましょう。できたら『LOGOTYPE』のトップページを開いておいて。そのほうがわかりやすいと思うから』

 ちょっと待ってるわね、とほほ笑むカナさん。

 意外にも、急に大人と――しかもユヅルの親族の人と話すことになってしまい、緊張が募る。けれど、アバターと会話をする非日常感も強かった。

 相手はプロなのだ。

(あれ、でも、誤字脱字のプロだからって、報告がうまいってわけじゃなくない?)

 疑問に思いながらも指は動いて、モエのスマホは『LOGOTYPE』のトップページを表示した。



『ふたりが確認したかったのは〈誤字報告をしても嫌がられないかどうか〉なわけだけど、私がおそらく大丈夫だと思った根拠は、だいたい10個ぐらいあったわね』

「「そんなに!?」」

 モエとユヅルの声が重なった。

「そんなに根拠あるんだ」

『あるわよ。ないと判断できないでしょ』

 と苦笑したカナさんは、ゆっくりとした口調で、しかし詰まることなく話し始める。


『今回、私が大丈夫だと思った理由は……

 一。誤字報告を受け付ける設定になっていたこと。

 二。小説全体の改稿が頻繁で、十分多かったこと。

 三。全体の文体がしっかりしていたこと。

 四。ほかのページでも「ともに」は漢字ではなくひらがなだったこと。

 五。書籍化を目指していて、好きな小説も多数紹介していたこと。

 六。SNSで「誤字報告ありがとうございます」と発言していたこと。

 七。このシーンが大切だったこと。

 八。この訂正が重大でなかったこと。

 九。他の誤字報告がなかったこと。

 十……には一個足りなかった……へたっぴ……』


 またしてもアバターがしょんぼりする。

「いやいや、最初に『だいたい』って言ってたから」

『それもそう。断言しないことって大事だからね』

 ユヅルの発言にさっと気を取り直し、元の表情に戻ったカナさんは、様子をうかがうように少し黙った。

 こちらの画面は見えていないはずだが……

「え……なんか…………え? よくわかんないんですけど……」

「ね? わからないでしょ?」

 モエとユヅルは顔を見合わせ、お互いの困惑を感じる。

 ひとつひとつの発言の意味は、まあわかる。わかるし、すぐに納得できるものもあるが……


 ――プロの校正者って、なんか、予想と違う!


『一気に言っちゃったし、もうちょっと解説してみようか。大丈夫かな?』

「あ、はい、ぜひ」

 モエの声を聞いたカナさんが頷いた。

『まず、この著者さんの基本的な振る舞いとして、「誤字は直したいと思っていて、指摘への感謝を見せている」というのがありますね』

 カナさんは確認するように説明を続ける。

『システムで誤字報告を受け付けているのもそうだし……全体にわたって改稿が多いのは、改良もですけど、誤字報告を受け入れてさっと修正しているからなんじゃないか、と予想できました。SNSでの発言は、宣伝とコミュニケーションも兼ねてでしょうけど、心から迷惑に思っている場合は言わないでしょうから、少なくともいきなり拒否される可能性は低いな、と』

 そうかもしれない。少なくともモエは『LOGOTYPE』が誤字報告を受け付ける設定だったことは知っていたし、作者さんのSNSも見ていた。たまにある「誤字報告ありがとうございます!」という発言も見かけたことがあった。

「変更履歴の解釈がそうなるんだ……」

『ただの予想ですから、間違ってるかもですよ。でも、変更履歴が前から順番に流れてなくて、とびとびのところも複数あったから、たぶん読者さんからの誤字報告をそこだけ直した可能性はありそうです。原稿全体の改良なら、一括でやるか、冒頭から順にやるほうがやや多いでしょう』

 言われて作品のトップページを見てみれば、実際『LOGOTYPE』は改稿が多い。すごく前の部分も、わりと最近改稿が入っている。どこが変更されたのか見つけられないや、とほんの少し残念に思っていたけれど、あれは誤字の修正だったのだろうか?


『次に、この作品全体の佇まいに関する情報がありますね。読んでみれば、面白い文章をしっかりと書こう、という意識は伝わってきます。ご自身も読書家でいらっしゃって、漢字の使い分けの意識も鋭くて、効果的に使い分けようとしている感覚がとても強かったですね。最初のほうから少し読んでみたんですが、「僕とともに」という表現を見つけましたし、そこでは漢字の「共に」という表記ではなかったので、この方は「ともに」をひらがなで書きたい方なのかもしれないな、と予想しました』


 3話の真ん中ぐらいにありますよ、と言われて、慌てて見に行くと、「僕とともに行こう」という台詞があった。


『これも、確実な話ではありませんけどね。でも、たとえば逆に毎回必ず「共に」と漢字で書くような著者さんだったら、それはそれで、また判断材料になりますよね。もしかしたら「俺と共に」としたかったかもしれないでしょ?』


 隣で、あっ、と短く声が出た。

「ユヅル?」

「そうだよ。うわ、考えなかった。ひらがなの『と』を足せばいい、ってことしか思いつかなかったよ!」


 カナさんがこくりと頷き、目の前にボードを浮かべる。


 俺ともに → 俺とともに

 俺ともに → 俺と共に


『こんなふうに、シンプルな訂正候補は2つあると思ったの。この点を確認するために、一応ざっと全文検索もしてみて、「共に」は見当たらなかったから、今回は上で大丈夫そうだ、という判断も加えてます』

「あっ……!」

 そうか。正しい表記はひとつだけじゃないんだ!



『次に、受け取った著者さんの心を思いやる要素ですね。その誤字報告が相手を傷つけないかどうか』

「あっ、それです! それ、気になります!」

 すっかり説明に聞き入っていたモエは、つい大きく反応してしまった。

『まずわかりやすいのは、他の誤字報告がなかったことですね。一気にたくさん間違いを指摘されると落ち込みやすいんじゃないかな、と……。今回はひとつだけでしたから、その点はあんまり心配してませんでした』

「それは僕も思った。でも、さっきおばさんが言ってた、大切だけど重要じゃない、ってのが謎……というか、ピンとこないっていうか」

 集中してきたらしく、ユヅルは呼び名を変えることも忘れている。どうやらそこはスルーすると決めたらしく、カナさんはあごに手を当て、少し考えるような仕草を見せた。

『大切なシーンだけど、訂正が重大でない、ということですね。たしかに伝わりづらいかもしれない』

 アバターの視線がふと伏せられた。何かを覗き見るように──そのまま少しかがみ込んだらしい。アバターがややぎこちなく動いて、また戻ってくる。

『まず、これはモエさんならすぐわかると思いますけど、あそこはすごく格好良い場面でしたよね』

「はい! 今回の更新のクライマックスで!」

『だと私も感じました。ですから、あの場面に誤りがないことにはとても価値がある、はず』

 説明を続けながら、カナさんの手はごそごそと動いている……一体何を?

『ちょっと具体例で見せた方がいいと思います。今例を作ったから……スマホの画面じゃ見にくいかしら、いったん横向きにしてもいいわよ』

 ユヅルがさっと手を伸ばしてスマホの向きを変えると、それに合わせたかのように、画面が切り替わった。通話状態はそのままに、文章が表示される。


 元文)オレとあいつは腐れ縁の幼馴染みだ。

 ①  オレとアイツは腐れ縁の幼馴染みだ。

 ②  オレとあいつは腐れ縁の幼馴染だ。


『元文に対して、どちらも一箇所、違うところがありますね。このふたつ、どちらが「大きな変更」だと感じますか?』

「えっ……そりゃ、①でしょ。ね?」

「うん。①は印象が変わってるけど、②はあんまり変わってないし…」

『たぶん、多くの人がそう感じると思いますよ。つまりね、変更の影響には大小があるの。それもかなりはっきりと、ほとんどの読者に共通の感覚でね。その点から考えてみると、「俺ともに」を「俺とともに」とする変更は、【正しくなって、かつ印象への影響もほとんどなさそう】とは言ってよさそう……と私は感じたわけです』

「それが、大切だけど重大じゃない、ってことか……」

 ユヅルが独り言のように呟いた。

『指摘される側にも個人差はありますけどね。「重大じゃないんだからさっさと直してすぐ忘れちゃう」タイプの人もいるし、「重大じゃないことをいちいち伝えてきて不愉快」って感じる人もいるから。そこは著者さんの人柄とも考え合わせてますね』

 カナさんがそう結ぶと、画面はアバターの女性に戻った。


『あ、10個目……!』

「あるんかい」

 ユヅルが軽くツッコミを入れる。このふたり、なんだか仲が良さそうだ。

『今までのおさらいも含むけど。わざとこう書いた可能性が低そうだったから、という判断は挟んでるわね。例えばだけど──』

 またしても画面上にボードが表示される。今度は横向きにする必要はなかった。


 「あ、ありがとございますっ!?」

 「あ、ありがとうございますっ!?」


『こんな文章だったら、上の例はわざと「う」を抜いて書いてありそうでしょ? この例に比べたら、「俺ともに」は脱落してる印象が強いから』

「上のやつ、たぶん漫画とかで見たことあるよ」

 ユヅルの言葉にうなずく。言葉足らずなキャラクターだったり、慌てた表現だったりなどなど、いくらでも見たことがある。

「『脱落してる印象』っていうと、ほとんど説明になってないけどね」

『まあね。そもそも言葉で説明するのには向いてない感覚だけど、そういうのがあること自体はわかるでしょ?』

 モエはうなずき、ユヅルが「わかる」と口にした。



『くり返すけど、著者さんに直接確認したわけじゃないから、ここまでのは全部予想でしかないの。ユヅルには昨夜も少し説明したけど』

「おかげさまで、昨日よりはわかりやすかった」

『はいはい。ともかく、私は参考情報を出しただけだし、報告すると決めたのはユヅルよ』

 不意に、カナさんの声がかすかに硬くなる。

 ──なぜ、今?

『自分の決断の責任を他人に負わせるようなら、それは気をつけたほうがいい。根拠を他人に任せてはいけない』

 言葉が進むにつれ、明確に雰囲気が張り詰めていく。アバターの表情は変わらない──操作されていないのだ。あれだけ自然に行っていた操作が止まるほどの、集中。


『自責と他責の線引きを間違えるなよ、ユヅル』


 ユヅルが息を詰まらせたのが聞こえた。

「……ごめんなさい。あの、モエもいるから」

『あ』

 間の抜けた声の直後、ぱっとアバターの表情が照れたような笑顔に切り替わった。少し場違いな気もする、頬を染めた笑顔に。

『ごめんなさい、モエさん。ついお説教モードに入っちゃって』

「あ、いえ……」

 いったいなんだったんだろう。何に巻き込まれたのか、いや、巻き込まれてはいないのか……

『ともかく、私からの説明はこんなところね。ユヅル、あなたからも自分の側の説明をちゃんとしておくように』

「わかりました……」

『言い過ぎた、ごめんね。今夜また確認しましょう。──モエさん、最後に変な雰囲気にしちゃってごめんね。これからもユヅルをよろしくお願いします』

「ありがとうございました!」

 うろたえていたモエが咄嗟に出せた言葉はそれだけで……CGの女性は穏やかな笑顔に戻り、やわらかく手を振って、ぷつりと消えた。

連載設定にしてはいるものの、次回はいつになるやらです。反響がもしあれば(あるのか?)続きが出やすい可能性がある。


ねじこみどころに迷った設定の断片:

モエは活動控えめの陸上部員(長距離走)で、伸び始めた髪を切るか、このまま伸ばして縛れるようにするかを迷っているところです。夕飯で「髪切らないの?」と言われて返事を保留しました。


ユヅルがウィッグを着用して楽になるならそれでいいじゃん、というマインドになっているのはカナの影響があります。


カナのアバターは一体ではありません。かなりしょっちゅう変わり、使い分けがあるようです。

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