第20話
「あら、諦めましたの?」
アルテミシアが意外そうな表情で問いかけてくるが、それに対してオクタヴィオは首を横に振った。
「諦めたわけじゃないさ。 だけど、俺は女性に向ける銃を持ち合わせていないんでね」
そう言っていつでも動けるように構えるオクタヴィオに対して、アルテミシアは首を傾げる。
「それでは一体どうなさるおつもりで?」
「こうするつもりさ」
その言葉と同時に、オクタヴィオは大きく踏み込むと一気に距離を詰める。
そのまま勢いを殺さずに手を出すが、それは見えない壁に阻まれてしまった。
固く何かにぶつかったかのような鈍い音が響き渡ると同時に、衝撃が放たれてオクタヴィオの身体が後方へと吹き飛ばされてしまう。
「くっ……!」
何とか体勢を立て直そうとするも間に合わず、オクタヴィオは地面を転がっていく。
そんな彼を見下ろしながらアルテミシアは言った。
「何度やっても同じ事ですわよ?」
その言葉を聞きながら立ち上がるオクタヴィオは、その表情にまだ余裕があった。
それはまるで、逆転の一手を隠し持っているぞと言わんばかりの雰囲気である。
アルテミシアに向けて不敵な笑みを向けると、オクタヴィオは再び構えを取るのだった。
その様子を見たアルテミシアもまた腕を軽く組み、オクタヴィオを見据える。
2人の距離は約10メートル程だろうか、互いに睨み合いながら微動だにしない状態が続く中、最初に動いたのはオクタヴィオであった。
彼は勢いよく駆け出していくと、一直線に向かっていく。
そんな彼にアルテミシアが魔法を放つべく手を前に突き出した瞬間、その動きが止まった。
否、限りなくゆっくりになったと言った方が正しいだろうか。
「これは……!?」
「ドッキリ大成功、だな」
アルテミシアが少し視線をずらせば、奥側でアルスがしてやったりという表情を彼女へ向けていた。
アルスの魔法ーーー【流れ】を操る魔法が発動していることがよくわかる。
先程、アルテミシアに吹き飛ばされた後、オクタヴィオはアルスにアイコンタクトを飛ばしていた。
その意味はしっかり伝わっていたようだ。
困惑するアルテミシアに向かって、オクタヴィオは更に加速する。
そしてあっという間に間合いを詰めると、意識を刈り取るべく手刀を振りかぶる。
「こいつで眠ってくれよっ!」
オクタヴィオの叫び声と共に放たれた手刀は、アルテミシアの首へと向かって行く。
このままいけば直撃は免れないだろうと思われたその時、アルテミシアの姿が霞のように崩れて消えた。
「なっ!?」
驚きのあまり目を見開くオクタヴィオだったが、それも無理はない。
確実に捉えたと思った一撃が空振りに終わったのだから。
「何処だ!?」
周囲を見回すオクタヴィオだったが、どこにもアルテミシアの姿は見当たらない。
だが、ここで止まるわけにはいかない。
アルテミシアを見つけ出す為に辺りを見回そうとしたオクタヴィオだったが、不意に背後から声が掛けられた。
「ここですよ」
オクタヴィオが振り返ると、そこにはアルテミシアの姿があった。
いつの間に回り込まれたのか分からなかったオクタヴィオは、ほんの微かに驚いた様子だったが、それでも平静を装って話しかける。
「へぇ、驚いたな。 いつのまに?」
内心驚愕しながらも、表情に出さないようにするオクタヴィオであったが、そんな様子を嘲笑うかの如くアルテミシアは言う。
「少しこちらも驚かされましたが、所詮は子ども騙し……。 一手、遅かったですわね」
そう言って微笑むアルテミシアに対して、オクタヴィオは何も言えずにいた。
確かにその通りだと自分でも思ってしまうからだ。
(参ったな、これは)
内心でそう呟きながらも、オクタヴィオは次の手段を考えることにした。
(さてどうするかな?)
そんなことを考えていると、アルテミシアが口を開いた。
「余興は終わりですか? ならばこちらから行かせていただきますわね」
そう言った直後、アルテミシアの指を鳴らす。
その瞬間、空間が揺らぎ、それがオクタヴィオに当たる寸前、見えない力によって身体が引き寄せられる。
その流れに身を任せながら、オクタヴィオは自らも地面を蹴って後方へと加速していく。
アルテミシアが驚きの表情を見せる中、オクタヴィオはホッと胸を撫で下ろす。
「もうちょっと穏便に行かなかったのか、アルス?」
そう声を掛けられたアルスはニヤリと笑うと自信満々に言った。
「それくらいは我慢しろ。 男だろう」
それを聞いたオクタヴィオは思わず苦笑する。
どうやらこの魔女には何を言っても無駄なようだと判断したオクタヴィオは小さく溜息を吐くと、改めてアルテミシアに向き直った。
すると彼女は感心した様子で口を開く。
「今の攻撃を躱すとは思いませんでしたわ」
そう言って笑うアルテミシアに対して、オクタヴィオは苦笑を浮かべた。
「そいつはどうも。 俺1人の力じゃないが、お姉さんを驚かせられるなら頑張った甲斐があるってもんだね」
そう言いながらも、オクタヴィオは頭の中で思考を巡らせていた。
アルテミシアの魔法は自分以外の空間に作用する魔法であると断定できる。
いつ何時起動できるのかも、どこまで効果範囲があるのかもわからない状態で、迂闊に攻め込むことが出来ない状況に陥っていた。
どうしたものかと考えていると、アルテミシアが再び指を鳴らした。
それと同時に、オクタヴィオの目の前の空間が揺らぎだす。
それを見たオクタヴィオは慌ててその場から飛び退くと、先程まで自分がいた場所が弾ける。
その光景を見て冷や汗を流す彼に向けて、アルテミシアは言った。
「今度は外しませんよ」
その言葉に呼応するかのように、再び空間が歪み始めるのを見て、オクタヴィオは駆け出した。
(またあれが来る!)
直感的に危険を察知したオクタヴィオは全速力で駆け出すと、アルテミシアとの距離を縮めて行く。
「あと少し!」
手を伸ばせば届く距離まで接近することに成功したオクタヴィオはそのまま手を伸ばし、アルテミシアの腕を掴むことに成功すると、そのまま引き寄せようとする。
だが次の瞬間、掴んでいたはずの腕がすり抜けてしまったことでバランスを崩してしまい転倒してしまう。
「おわぁ!?」
混乱する頭で状況を整理しようとするオクタヴィオであったが、そんな彼に対してアルテミシアが告げる。
「無駄ですわ、私には触れられませんもの」
その意味を理解するよりも先に、アルテミシアの手が空間を通して伸びて来て、オクタヴィオの頭に触れる。
その直後、視界がぐにゃりと歪んだかと思うと平衡感覚が無くなり、吐き気が込み上げてくる。
「うぷっ……!?」
口元を押さえるオクタヴィオであったが、アルテミシアは構わず彼の頭に触れ続ける。
「うふふ、苦しいでしょう。 でもまだまだこれからですわよ?」
そう言ってアルテミシアは更に力を込める。
それによりオクタヴィオの脳への負荷が増大していくが、アルテミシアは構うことなく続けた。
「さぁ、もっと苦しみなさいな」
その言葉と同時に、オクタヴィオの意識は遠のいていく。
「うぐぉぉぉぉ!?」
絶叫を上げながら、オクタヴィオは地面をのたうち回る。
アルテミシアの手から逃れようと必死に抵抗するが、アルテミシアはそれを許さないとばかりに力を込めてくる。
「あらあら、まだ抵抗しますのね」
アルテミシアはそう言ってクスリと笑うと、オクタヴィオの頭を鷲掴みにした。
そしてそのまま持ち上げると、彼の顔をまじまじと見つめる。
「うぅ……ぐぅ……!」
苦悶の声を漏らすオクタヴィオに対して、アルテミシアは妖艶な笑みを浮かべると、そのまま顔を近づけてきた。
お互いの吐息がかかる程の距離で見つめ合う2人だが、やがてアルテミシアはゆっくりと顔を離すと言った。
「貴方、何故銃を抜きませんの? それがあれば少しはマシな戦いができるでしょうに」
アルテミシアの言葉に反応する余裕すらないのか、オクタヴィオは黙って俯いているだけだ。
そんな彼にアルテミシアはさらに言葉を投げかける。
「ゾルダートが不覚を取ったという相手だから、それなりに引き締めてかかってみればご覧の通り。 呆れを通り越して言葉も出ませんわ」
そう言うと、アルテミシアは再び手を動かした。
その瞬間、近くにいた魔女達の側の空間が歪み始め、彼女達の身体を吸い込み始めたのだ。
突然のことに驚き戸惑う魔女達だったが、時すでに遅しといった状態で次々と吸い込まれていく。
「嫌ぁぁ! 助けてぇぇぇ!」
悲痛な叫び声を上げる者もいれば、諦めたかのように静かに飲み込まれていく者もいた。
しかし、少なからず抵抗するものがいた。
その内の1人がアルテミシアに向かって魔力弾を放ったのである。
放たれた魔力弾は真っ直ぐアルテミシアの元へ飛んでいき直撃するかと思われた瞬間、アルテミシアの姿が消えた。
目標を失った魔力弾はそのまま直進していき、壁へと激突する。
壁には大きな穴が空いており、威力の高さを物語っていた。
それを見て戦慄を覚える魔女達を尻目に、再び現れたアルテミシアは静かに呟くように言った。
「まったく、無粋なことをする輩がいるものですこと」
アルテミシアが指をパチンと鳴らすと、魔女達を飲み込んでいる空間の歪みが一気に収縮していく。
「いやぁぁぁ!」
「きゃぁぁぁぁ!!」
悲鳴を上げながら消えていく魔女達にアルテミシアは冷たい視線を向けると、小さく溜息を吐いた。
「これで残りは貴方達だけになりましたわね」
アルテミシアはオクタヴィオの方に向き直ると、ニッコリと微笑んだ。
今この場にいるのはオクタヴィオ、ユイエ、シゼル、アルスの4人を残すのみである。
「それで、貴方はどうしますの? 私と戦うのか、それとも尻尾を巻いて逃げるのかしら?」
アルテミシアの問いかけに、オクタヴィオはしばらく沈黙していたが、やがて溜め息を吐きながら顔を上げると言った。
「……引くに引けない状況を作り出しておいてそれを言うか?」
「あら、私は貴方にチャンスを与えてあげたつもりですのよ?」
やれやれと言わんばかりに首を振るアルテミシアに対して、オクタヴィオは苛立ちを覚えたものの、何とか堪えつつ彼女に問いかける。
「なら、どうしろと?」
その問いに、アルテミシアはニヤリと笑って答えた。
「簡単ですわ、私と戦えばいいのです。 貴方が私に勝てば魔女達をお返ししましょう。 ですがーーー」
そこまで言うと、アルテミシアは一度言葉を区切ると、再び口を開く。
「もし私が勝ったら、その時は覚悟してもらいましょうか♪」
楽しそうに笑うアルテミシアを見て、オクタヴィオはまた、大きく溜息をつくのだった。
改めて状況を確認すれば、オクタヴィオ達が不利であることは明白であった。
相手の魔法が理外の効果を持ち、人数差があるはずなのに、戦力差が相手側に開いている言えるだろう。
(だが、このまま大人しく引き下がるのも癪だしな)
そう考えたオクタヴィオは覚悟を決めると、ホルスターから黒い銃を引き抜いた。
「オクタヴィオ、貴方それは……」
オクタヴィオが取り出した銃を見てユイエが目を微かに見開く。
「やっとやる気になりましたか」
それを見たアルテミシアは小さく微笑むと、両手を前に突き出すようにして構えを取る。
それに対し、オクタヴィオは左腕を前で折り曲げ、右手首をその左腕に乗せてアルテミシアに標準を合わせる。
2人の距離は先程と同じように約10メートル程。
その間には遮蔽物は何も存在しない。
どちらか一方が動けばすぐに戦闘が始まるという状況である。
緊迫した空気が辺りを支配する中、最初に動いたのはアルテミシアだった。
彼女は突き出した両手を指揮者のように振るうと、オクタヴィオに向けて何かを放つような動作をした。
次の瞬間、オクタヴィオの足元の地面が大きく盛り上がり、弾けた。
「うおっ!?」
オクタヴィオは慌てて横に跳ぶことで回避するが、完全に避けることは出来ず左腕を少し掠める。
傷口からは微かに血が滲み始めるが、彼は気にすることなく次の攻撃に備えるべくアルテミシアの方を見ると、腕を振るい続けている彼女の姿があった。
アルテミシアの腕の動きに合わせて、今度はオクタヴィオの頭上から何かが落ちてくるのが見えたので、咄嗟にその場から飛び退くと先程まで彼が立っていた場所に大きな岩の塊が出現していた。
「危な……!」
悪態を吐きながらも、体勢を立て直したオクタヴィオは再び銃を構えると狙いを定めようとするが、それよりも早くアルテミシアが再び腕を振り始めたため、急いで射線上から退避する羽目になった。
その後もアルテミシアの攻撃を避け続ける羽目になり、中々反撃に転じることができない状況に焦りを感じ始めていた。
そんな時ーーー
「あはっ♪ もう終わりですの?」
アルテミシアが勝ち誇ったかのような表情で、オクタヴィオを見下すような視線を送る。
「勘弁してくれよ、こちとら人間だぞ……。 お姉さんから話を聞くまでは終わらないんだけど?」
「でもあなたはこれらの攻撃を避けているではありませんか。 誇りなさい、私をここまで楽しませたのも2人目ですわ」
「綺麗なお姉さんから言われるのって嬉しい筈なのに……何だろう、喜んだら負けに感じるのは何故だろう」
依然、アルテミシアの優位は変わらない。
たとえ、仮にユイエ達が動き出したとしてもアルテミシアを止めるのは容易いことではない。
「じゃあ何か? そんな頑張ったご褒美に何かくれるってのかい?」
「いいえ。 名残惜しいですが、そろそろ終わりですわ」
オクタヴィオが銃を構え直すよりも早く、アルテミシアは右腕を振り下ろすと、それに合わせてオクタヴィオ達の足下の地面に亀裂が走る。
「しまっーーー」
「うむ?」
「えっ?」
「あら」
オクタヴィオが慌てて後ろに下がろうとするが、時すでに遅し。
アルテミシアは優雅に一礼すると一言呟いた。
「それではごきげんよう」
そして彼らの足場が崩れ、そのまま落下していく。
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