第13話
ベルナデッタ誘拐事件から数日後、オクタヴィオ達はレステ・ソルシエールの仕事場で紅茶を飲んでいた。
本日は休日である。
しかし、オクタヴィオが一人で街に出掛けるわけもなく、またいつものように部屋の中でダラダラと過ごしていた。
「いやー、今日も平穏だなぁ」
のんびりと呟くオクタヴィオに、向かい側で優雅にお茶を飲むユイエが答える。
「……平和なのはいいことよ。 ところで、そのお菓子おいしいかしら?」
「うん? あぁ、美味いぞ。 このクッキー」
そう言って、オクタヴィオはクッキーを口に放り込む。
口の中に広がる甘みを楽しみながら、オクタヴィオはユイエへと視線を向けた。
「ユイエって甘い物好きだっけ?」
「別に好きじゃないのだけれど、なんとなく食べてみたくなったのよ」
「へぇ、珍しいこともあるもんだ」
オクタヴィオの言葉に、ユイエは小さく笑った。
それから少しの間、二人は何気ない会話を交わしていたのだが、ふと思い出したようにユイエが声を上げた。
「そういえば紅茶の茶葉がそろそろ切れそうだったわね。 オクタヴィオ、少し付き合いなさい」
そう言うと、彼女は椅子から立ち上がり、外出の準備を始めたのだった。
そんな彼女の後ろ姿を眺めながら、オクタヴィオは呆れたように言う。
「おいおい、まさか荷物持ちさせるためについて来いって言ってるんじゃないだろうな?」
その言葉に、ユイエはくるりと振り返ると、小さく笑みを浮かべた。
「あら、よく分かったじゃない。 その通りよ」
そう答えて、彼女は再び準備に取り掛かるべく動き出したのだった。
オクタヴィオは大きな溜め息を吐くと、やれやれと言った様子で立ち上がった。
そして、ユイエの後を追いかけるように部屋を出ていく。
「俺も、準備するとしますかね。 待たせちまったら大変だ」
そう言いながら、オクタヴィオは足早に自室へと向かったのだった。
数十分後、準備を整えた二人が外に出る頃には、日が真上に昇り始めていた。
「さてと、行きますか」
オクタヴィオは大きく伸びをしながら、意気揚々と歩き出す。
そんな彼の背中を見つめながら、ユイエもその後に続くようにして歩き始めたのだった。
しばらく大通り沿いを歩いているうちに、やがて目的地が見えてきたようだ。
そこは小さな店構えの商店だった。
看板には『リラの茶屋』と書かれている。
どうやら、この店の名前らしい。
ユイエは店の中に入ると、早速店員らしき人物に声をかけた。
「こんにちは、茶葉を買いに来たのだけど……」
彼女が声をかけると、奥から女性の声が聞こえてきた。
「はいはーい、ちょっと待っててね〜」
しばらくすると、一人の女性が姿を現した。
二十代半ばくらいだろうか、おっとりとした雰囲気の女性だ。
女性はユイエの姿を見ると、にっこりと微笑んだ。
「いらっしゃい! ご用件は何でしょうか?」
それに対して、ユイエもまた微笑みながら答えた。
「紅茶の茶葉が欲しいのだけれど……あるかしら?」
そのユイエの問いに、女性は少し棚を探した後、こう告げた。
「うーん、ちょっと今は在庫を切らしてましてねぇ」
申し訳なさそうにする女性に、ユイエは淡々と言った。
「いえ、気にしないで頂戴。 無いなら仕方ないわ」
そんな彼女の様子を見て、女性は再び考え込むような仕草を見せた後で、何かを思いついたかのように手を叩いた。
「そうだ、紅茶じゃ無いんだけど新しい茶葉が入荷したところなんですよ。 今なら安くしておきますけど、どうです?」
その言葉を聞いて、ユイエは目を輝かせながら即答した。
「買うわ」
「毎度あり〜!」
女性は嬉しそうに笑うと、商品を取りに店の奥へと消えていった。
それからしばらくして、戻ってきた女性は、手に大きな袋を抱えていた。
「これ、オススメのやつなんですよ〜! ぜひ、試してみてくださいね〜!」
手渡された袋をユイエは受け取ると、そのまま中身を確認し始める。
「これは何の茶葉かしら……?」
不思議そうに首を傾げるユイエに、女性は答えた。
「それはですね、サーマリアっていうお茶の茶葉です」
サーマリアというお茶は、この世界で広くそれなりに親しまれている少し高価なお茶である。
特に、貴族階級の間では、日常的に飲まれているほどポピュラーなものだ。
だが、ユイエは知らなかったようで、興味深そうにその茶葉を見つめていた。
「そうなの。 それじゃあ飲むのが楽しみになってきたわね」
「うふふ、気に入ってくれるといいなぁ」
それから数分後、会計を済ませたユイエは、満足そうに店を出て行った。
帰り道、オクタヴィオがユイエに話しかける。
「良かったのか? 結構高いものなんだろ、あれ」
それに対し、ユイエは事も無げに答える。
「いいのよ、お金はあるのだから」
「いや、そうだけどさ」
「それに、たまには贅沢してもいいでしょう?」
「まぁ、お前がいいなら別にいいか」
オクタヴィオは呆れた様子で肩をすくめると、それ以上は何も聞かなかった。
そんなやり取りをしていると2人の足は自然と王都の広場へ向かっていた。
そこでは子供達が元気に走り回っていたり、露天商が声を張り上げて商売をしていたりと、とても賑やかであった。
そんな中、突然ユイエが立ち止まる。
「どうした?」
オクタヴィオが尋ねると、彼女はぽつりと呟いた。
「……疲れたわ」
それを聞いたオクタヴィオは苦笑すると、ユイエの手を取った。
「まったく、しょうがない奴だな」
彼は呆れつつも、ユイエの手を優しく握り返すと、ゆっくりと歩き出した。
「ほら、行くぞ」
そう言って、オクタヴィオはユイエをエスコートするように手を引いて歩き始める。
2人は人混みの中を縫うように歩いていくと、やがて広場の中央にある噴水までたどり着いた。
辺りには沢山の人々が行き交っている。
その中には恋人同士と思われる男女も多かった。
そんな彼らを横目に見つつ、オクタヴィオたちは近くにあったベンチに腰掛けることにする。
「ふぅ……」
一息つくように息を吐き出してから、ユイエは空を見上げた。
そこには雲一つない青空が広がっている。
太陽の光が眩しいくらいに降り注いでおり、暖かな陽気に包まれているようだった。
不意に、心地よい風が頬を撫でていき、髪を揺らす。
さわさわと揺れる木々の音が心地よく耳に響いてくる。
まるで静かな森の中に居るかのような錯覚さえ覚えてしまうほどだ。
「平和ね……」
ぽつりと呟く彼女に同意するように、隣でオクタヴィオも頷いた。
「そうだな……ここ最近は特に何も起きてないし、このまま何事もなく過ぎていけばいいんだけどな」
彼の言葉に対し、ユイエは小さく笑いながら答える。
「そうね……でも、何かあったらその時考えればいいんじゃないかしら? とりあえず今はゆっくりしましょう」
そう言って微笑む彼女の表情は穏やかで優しいものだった。
その表情を見ていると、不思議と心が落ち着くような気がしてくるのだ。
オクタヴィオは小さく笑みを浮かべると、彼女の頭をそっと撫でた。
さらさらとした髪の感触が心地良い。
しばらくの間そうやっていると、ふいにユイエが口を開いた。
「ねえ、もっと撫でて欲しいのだけれど」
上目遣い気味に見つめてくる彼女に微笑みかけると、再び頭を撫でる作業に戻ることにした。
柔らかな髪を梳くようにして撫でていると、段々と眠気が襲ってくるような感覚に襲われる。
それを察したのか、ユイエが小さく欠伸をしたのを見て、オクタヴィオは苦笑した。
「なんだ、眠くなったのか?」
オクタヴィオの問いに、ユイエは小さく頷くことで返事をする。
「ええ、少し疲れてしまったみたい」
それを聞いて、オクタヴィオはやれやれといった様子で肩を竦めた。
「しょうがねぇなぁ」
そう言うと、オクタヴィオはユイエを軽々と抱き上げた。
突然のことにも驚きも見せないユイエを他所に、そのまま歩き出す。
「あら、いい乗り心地ね」
腕の中で楽しそうに笑う彼女を見下ろし、オクタヴィオは呆れたように笑った。
「ったく、眠たかったんじゃなかったのか?」
オクタヴィオの言葉に、ユイエは悪戯っぽく笑うと、彼の首に腕を回した。
「ふふっ、ごめんなさい」
そしてそのまま彼に抱きつくようにして密着する。
そうすると互いの体温を感じられて安心するのだ。
オクタヴィオも満更でもないようで、口元に笑みを浮かべている。
「まあ、いいけどよ……」
そんな時だった。
遠くの方から悲鳴のようなものが聞こえてきた。
オクタヴィオがそちらの方を向くと、何やら騒ぎが起きているようだった。
「何かあったのかしら?」
ユイエが首を傾げている間にも、騒動はどんどん大きくなっているようだ。
人だかりができており、ざわついている様子が見て取れる。
その様子を見て、オクタヴィオは嫌な予感を覚えた。
こういう時の自分の勘はよく当たることを知っているからだ。
「行ってみるか?」
そう尋ねると、ユイエはこくりと頷いた。
「そうね、行きましょう」
2人は頷き合うと、騒ぎが起こっている場所へと向かうことに決めたのだった――




