女友達に襲うぞと脅したらなんか歓迎されてる……?
テーマもコンセプトもくそもない
『今日止めて』
たった五文字のそのチャットを見て僕は密かにため息をつく。
時刻は十一時四十分。
とっくに陽は落ち、空には月が煌々と輝いている。
決して都会とは言えないが、それなりに人が住んでいるこの街はこの時間になっても人の気配が消えることはない。
田舎から出てきて数週間はそれに慣れることが出来ずに満足に寝ることもできなかった。
このチャットが来たのが十一時半なことを考えると、送り主はもう家の近くまでたどり着いていることは間違いないだろう。
いつもの事だ。と僕は一人ため息をつた。
大学生活のスタートダッシュに失敗した僕に出来た数少ない友達。そのせいなのか、僕がお人よしなのか。いいように使われていると理解しながらも拒むことが出来ないのは……。
夏だというのに外から虫の鳴き声は聞こえない。
夜だろうと昼だろうと構わず泣き叫ぶ虫たちの声が今は少し懐かしい。
部屋の中は一通り片付けた。もともと体質的に掃除をしない日はないが今日の掃除は一層最新の注意を払った。ベッドも人に使われてもいいようにしてある。
最近買った来客用の布団もこんなにも早く出番が訪れるとは思ってもいなかっただろう。
大丈夫だ。人様にお見せできないような部屋ではないはずだ。僕は自分に言い聞かせる。
そんな時だった。
ピンポーン、と聞きなれたチャイムが部屋の中に響き渡る。
続いてもう一度。そして三回目。
これが僕たちの合図だった。
インターホンを確認することなく玄関に向かう。
明日出すために玄関に置いてあるごみを端によけ、玄関のカギを開けた瞬間。
「おっじゃましまーす」
と、いって勢いよくドアが開く。深夜だというのに元気のいいことだ。
明るい、何度も何度も聞いた少女の声だった。
後ろで一纏めにしたポニーテールを揺らしながら入ってきた少女の名前は七海奈々。
つい十分前に何の事前連絡もなしに泊めてと送ってきた張本人である。
少し高めのハイヒールを脱ぎ捨て、肩にかけていたオシャレなバッグを玄関に投げ捨てると、少し背伸びしたであろうスカートと服が崩れることもいとわずに奈々はベッドの中へとダイブする。
最悪だ。あいつ絶対に手洗い忘れてやがる……。つい数日前にベランダで干したばかりだったというのに……。
奈々が散らかした靴を直し、地面に投げ捨てられたバッグを拾い上げる。
「ねぇ、ゆーうー」
そうして拾い上げたバッグを玄関のそばに置きなおしていると、枕に顔をうずめくぐもった声で僕を呼ぶ奈々の声が部屋の中から聞こえてくる。
全く、勝手なやつだ。
「はいはい、今行きますよ」
と、いえば部屋の中から「はーい」と元気のいい返事が聞こえてくる。
いつもこうだ。調子だけは一人前なのだ。
散らかされた玄関を片付け終わり、部屋の中へと戻ってみれば、すでに奈々は夢の中。
相変わらずの安心しきった寝顔。
しょうが無い。ため息を吐きながら地面に投げ捨てられた毛布をそっと肩に掛けてやったのだった。
「で、言い訳は?」
翌朝。僕は風呂場から聞こえてくる水音で目を覚ました。
辺りはまだ明るくなり始めたばかりで、人の動く気配も少ない。
「僕、毎回言ってるよね?」
「はい」
「終電がなくなるまで飲まない」
「はーい」
「行く当てがなくなったからって僕の家に来ない」
「はーい」
本当に分かっているのだろうか。
僕がこの説教をする下りもすでに十回を優に超えている。
「襲わないと分からないのかな……」
そんな訳無いと分かっているのに、つい口から言葉が出る。
言い忘れていたが、僕はこいつが好きだ。
いつからなんて覚えていない。
がさつで、適当で、僕の家に泊まることを女友達の家に泊まることと、同列程度にしか思っていない。そんなこいつの事が大好きだ。
いつからだとか、何処に惹かれたとかそんな事は覚えていない。
ただ、こいつが大好きだった。
「え……」
だから、これは僕のうっかりミスだ。
間違って口に出した僕の失態だ。
こいつは僕の事をそんな風に思っていない事を分かっているのに。
「ごめん、何でも無い」
慌てて訂正するが、時すでに遅し。
そんな風に見たことがなかったと言われるだろうか。もうこいつがこの部屋に来ることはなくなるのだろうか……。
そんなよくない想像が頭の中を駆け巡る。
「私襲われるの?」
だというのに、目の前のこいつは僕のそんな思いも知らずに嬉しそうに聞いてくる。
ちょこんと首を横にかしげ、あざとい雰囲気を出している。
ここまで言っても危機感がないのだから救いようがない。
「えーっと、ですね」
「うん」
「一時の気の迷いなんで忘れてください」
そう言って頭を地面にこすりつけようとした時だった。
「私が待ってたっていっても?」
「はい?」
聞き間違いだろうか。
「だーかーらー。私が襲われるの待ってたって言っても?」
どうやら、僕の耳はおかしくなってしまったらしい。
幻聴が聞こえだしている。
「ゆうが私の事好きだって事、バレバレだよ?」
「はい?」
待て待て待て。
いろいろ突っ込みどころが多すぎる。
どういう状況だ? これ。
状況も理解出来ていない僕に奈々がさらなる追撃を与えてくる。
「で、襲ってくれるんですか?」
ああ、どうやら僕の恋心と下心はバレバレだったらしい。
混乱する頭の片隅でなんとかそれだけは理解する。
「えっと、それについては、しばらく待って頂けると……」
「楽しみにしてるね!」
そうやって笑顔を見せる奈々を見ているとだんだん全てがどうでもよくなってくるような気がした。