5-3、この男はわたくしを嫌っている
図書館に着いたフィロシュネーは、驚いた。
「物々しいけれど、どうしたの?」
妙に厳重な警備体制だ。空国からの客人がいるとはいえ、違和感がある。
警備兵からは、返答に困っているらしき気配が返ってきた。
「そ、それが」
「なあに。わたくしが質問しているのですから、答えなさいな」
中から女性の悲鳴が聞こえたのは、その時だ。
警備兵が気まずそうに視線を逸らすので、フィロシュネーは一気に不審に思った。
「どなたか女性の方が酷い目に遭っているの?」
(ここは青王おひざ元の図書館よ?)
中にいる女性は、悲鳴を上げ続けている。
悲鳴は、痛々しくて、余裕がない。
「ここをお通しなさい! わたくしが中を確認します」
「ひ、姫様!」
警備兵が顔色を失くしている。
(警備兵を置いて中で悪さしているのは、どなたかしら)
警備兵をこんなに置き、権力を乱用して、何をしているのか。
王族として、黙っていてはいけないのではないか。権力を使って女性を虐げる男は、より大きな権力を持つ王女が罰を与えるべきではないか。
フィロシュネーの胸に正義感が湧く。
「わたくし、女性をいじめる男は一番きらいなの。ひどいことをしているのでしょう? 王城という神聖な場での暴挙は許されません。わたくしの読書を邪魔し、気分を害した罪で死罪にしてあげる」
そんなタイミングで、場違いなくらい冷静な声が降った。
「中ではやんごとなき方々が濃厚に睦みあっておられますが、見学なさいますか? 姫?」
「んっ?」
後ろから声をかけられて振り返ると、サイラスがいた。遠慮したり敬ったりする気配がない。上から見下ろすようにしている。こんな無礼な男は初めてだ。
(身分の低い男ほど、へりくだって頭を地面にこすりつけるものではなくて? なのに、この男は)
「具体的に申しますと、姫のお義母様と隣国の空王陛下がくんずほぐれつ」
「ふぇっ!?」
とんでもないことを言っている。
中から洩れる声は、言われて見ればそういった艶めかしい声に思えてくる。
フィロシュネーは真っ赤になった。
(ええっ?)
親子ほど年齢が離れている二者だが。
(そうなの? そういう関係なの? うそぉ)
フィロシュネーはよろよろと後退りした。
「おお、姫。ご理解くださったようで。知識がないのではと心配しましたが、安心いたしました」
「サ、サ、サ、サイラス……っ、わ、わたくしの本棚には大人の淑女向けな本もありましてよ」
「ほう、大人の淑女向けの」
「ってああああ! 何を言わせますの!」
サイラスとの婚約は白紙になったのだが、見た感じあまり堪えている様子がない。
見下ろす角度で細められた瞳には、余裕がある。
動揺するフィロシュネーを面白がるような色まである。
サイラスという男からは、フィロシュネーへの敬意も好意も感じられない。
どちらかといえば、この男。
(この男は、わたくしを嫌っている)
肌で感じるその気配に、フィロシュネーはぶんぶんと首を振った。
「け、見学は結構よ……っ!」
勢いよく踵を返して退散するフィロシュネーの背後を、侍従が心配顔で追いかけてくる。
『実は私の弟も似た趣味を持っており、三人は今頃お楽しみ中なのかも』
ハルシオンの声が思い出される。
「は……破廉恥! いやらしい! うわぁぁぁん!」
大人たちの情事にショックを受けたフィロシュネーは、その後ずっと部屋に引き篭もり、ピュアな恋愛物語で心を癒したのだった。
* * *
翌日には空国の一団は帰国した。帰り際にハルシオンは「国に帰ったらパパは手紙を書きますね。文通しましょう、そうしましょう」と約束を取り付けた。
「なぜパパなの、ハルシオン殿下?」
しかし、フィロシュネーがその手紙を受け取ることはなかった。
なぜならハルシオンが手紙を送るより先に、フィロシュネーは城を出たからだ。
「姫、あの夜の言葉は俺の照れ隠しでした」
「夜中になんですのっ!?」
夜中に、フィロシュネーの寝所にサイラスが乗り込んできたのである。それも、警備をなぎ倒して。
「ぶ、ぶ、無礼というレベルを越えましたわね」
「姫。実は愛しています。あの男より俺を選んでください。駆け落ちしましょう」
「はぁっ!?」
サイラスは紙をごそごそと出して目の前で読んでいる。
形式的に読みさえすればいい、というノリだ。
「サイラス。あなた、また台本を。あのう、わかっていて? 許されるラインを越えましたわよ。もう断罪します、死罪です、誰か~、わたくしの寝所に……アッ……」
助けを求めかけた言葉が途切れて、意識が闇に閉ざされる。
鮮やかに気絶させられたフィロシュネーはサイラスに担がれて強引に城から連れ出され、次に目が覚めると、馬上であった。ゆったりとした暗色のローブをすっぽりと着せられている。
……わたくし、誘拐されてる! しかも、荷物みたいな扱い!?