41、女王の騎士ノイエスタル卿は呪われておりまして
夜の闇に溶け込むような黒い旗が、風になびいている。旗を揺らす者の中には、なぜかシューエンが混ざっていた。
一緒に揺れているのは、紅国の旗。赤い地に金色の王冠と王笏が描かれていて、王冠の上には銀色の星が輝いているデザインだ。その旗を掲げている一団は、一言で表すと『騎士団』といった雰囲気。
『騎士団』が放つ声が、響く。
「空と青の頂きに座す至高の姫、フィロシュネー聖女殿下は、空国と青国の対立を残念に思われておられます」
「はえっ!?」
わたくしっ?
ミランダにぎゅっと抱き着いたまま、フィロシュネーはぽかんとした。
「姫殿下をお守りせよ。この騒ぎは予定にありませんが、何事です?」
ミランダは険しい顔になり、腰の剣に手を伸ばしている。
周囲を空国の兵士が固めて守ってくれている。そんな中、騎士団の声は続いた。
「このたびの慰霊祭の執行にあたりましては、両国に武器をおろさせることができるよう、フィロシュネー聖女殿下は両国の仲介をお考えになっておられました……」
頭をすっぽりと覆うタイプのグレートヘルムを着用した騎士たちが、ずらりと並んでいる。
金属製の鎧が、祭りの明かりに白銀の艶めきを魅せている。
鎧の胸当てや盾には、騎士団の紋章が描かれている。騎士団の旗色を基調とした赤マントが背で揺れている。
(この騎士団は、紅国のノーブルクレスト騎士団じゃないかしら)
フィロシュネーは、お城にいたときに兄と自分を呼んでほんの少しだけ「北方には紅国という国があるのです」と話をしてくれた預言者を思い出した。国交のない他国の話は、新鮮だった。婚約者を亡くしたばかりだった兄はそのとき、とても熱心に話を聞いていた。
(んっ!? な、なぜ紅国の騎士団がいますの? あの、どうして紅国の方がわたくしの考えを勝手に語っていますの? ねえ?)
それほど人数は多くない。しかし。
威嚇やパレードなどでも使用されることもある剣は、抜かれていない。しかし!?
団長らしき騎士が、従士に何かを伝える。従士は頷いて、声を響かせた。
「ク・シャール紅国、アリアンナ・ローズ女王陛下の騎士ノイエスタル卿より任されました、従士ギネス・シルバーレイク、三十二歳であります」
初めて聞く名前の連続だ。とりあえず騎士なのはわかった。
「フィロシュネー聖女殿下のご発言で休戦になった後、フィロシュネー聖女殿下が滞在する都市グランパークスの民の中には、青国や空国ではなくフィロシュネー聖女殿下個人に忠誠を誓う者が出てきました。これを黒旗派といいます。黒旗派には、空国の人も青国の人もいます。中には青国将軍家のご令息まで……」
ギネスが堂々とした声を響かせている。
謎の派閥名が生まれている。わたくしの名前を連呼しすぎ!
フィロシュネーはミランダと目を合わせ、困惑する気持ちを共有した。
「紅国は、元々悪しき呪術師に支配された二国を解放したいと考えておりました。青国と空国の争いを残念に思っていました」
「そこでこのたび、紅国が名乗りを上げ、フィロシュネー聖女殿下を後ろ盾として支援し、中立な立場として、青国と空国の交渉の仲介役を引き受けることに決定いたしました」
「黒と紅の旗のもと、青と空は戦いをやめて、平和な時代が訪れる。今日という日は、その始まりの日なのです」
従士ギネスが語り終えると、ワッと歓声が湧いた。拍手も起きている。
従士ギネスが「こんな感じでいかがでしょうか」とノイエスタル卿に視線を向ける。
ノイエスタル卿は無言でウンウンと頷いて、ビッとサムズアップしてみせた。微妙にフランクだ。
フィロシュネーが状況を見守っていると、ノイエスタル卿はフィロシュネーに使者を遣わした。空国勢が緊張を高める中、使者は「フィロシュネー聖女殿下にご挨拶申し上げる栄誉に預かりたい」という希望を伝えてきた。
「ゆ、ゆ、ゆるします」
フィロシュネーはおろおろと返答した。武力ではなく交渉で解決できるなら、それはとてもよいことだ。少なくとも、青国にとってはよいことだ。気になるのは空国のハルシオンとアルブレヒトがどうなるか、という点なのだが。
(交渉、というのですから、話し合うのよね。そのお話しだいで決まる……かしら?)
ミランダに抱き着いたままでは格好がつかない、と気づいて立ち上がると、足がちょっぴり震えている。
近づいてきたノイエスタル卿は、顔が見えない。そのせいで無機質な印象があって、ちょっと怖い。背も高いし、体格もよい。武装しているから、威圧感がある。
ノイエスタル卿はフィロシュネーを正面にのぞむ位置で膝をついて、右手を腰に添え、左手を胸の前で軽く合わせる。紅国流の貴き身分の姫君に対する礼を示してくれた。
(でも、ちょっとぎこちない動き。慣れてない感じ! 洗練されていないわ)
従士ギネスがノイエスタル卿の隣にて膝をつき、代理の声を響かせる。
「フィロシュネー聖女殿下にご挨拶申し上げます。私はク・シャール紅国、アリアンナ・ローズ女王の使者でございます。私は忠実な騎士であり、聖女殿下に無礼のないように、御身をお守りするように、と命を受けております。何かお力になれることがあれば、どうかご指示くださいますよう」
(ちょっと。ノイエ・スタルとやら。従士に挨拶させるのではなく、自分で挨拶なさいな? わたくしのほうが、身分は上よ)
紅国も青国も、それほど王族や騎士の礼儀作法は変わらないはずだ。
ならば、通常はこのような場合、騎士自身が王女に直接挨拶することが望ましい。
従士が代理で話すのは、王女に対する敬意を欠く行為であり、不適切だ。それに、使者としか名乗ってない。
(ちゃんと自分のお口で、私はノイエ・スタルですって仰いなさい。指摘はしませんけど、お父様にお会いしたとき、ノイエ・スタル卿が無礼でしたわよって、言いつけちゃいますからね?)
そんな内心にもしかしたら気付いたのだろうか。
ノイエスタル卿の無礼をフォローするために、従士ギネスが深く頭を垂れている。
「ノイエスタル卿は呪われておりまして発語が困難なのでございます。慣れている私でようやく意思疎通できる程度。無礼をお許しください」
「まあ。それは、お大事に」
フィロシュネーは頷いて微笑み、優雅に手を差し出した。
「心より歓迎申し上げます。わたくしはフィロシュネーです。ク・シャール紅国からの使者とお会いできることを、大変光栄に存じます。お力添えをいただけることがあれば、心より感謝いたします。騎士様、どうぞよろしくお願いいたしますわね」
ぴかぴかの騎士鎧姿を見ていると、フィロシュネーの内心に謎の対抗心が湧く。
(わたくしも、自分の騎士にきらっきらの装いをさせて、自慢したい)
サイラスを着飾らせて、礼儀作法を叩き込んで、見せびらかしてあげたらどうかしら。
ノイエスタル卿は、フィロシュネーの手を受け取り、手の甲にキスをする仕草をした。
(ね、ねええ。グレートヘルムを外して顔をお見せなさいな?)
ツッコミをこらえるフィロシュネーの気持ちを察してか、従士ギネスがますます深く頭を垂れて、ついに額を土に付けた。
「ノイエスタル卿は呪われておりまして、グレートヘルムを外せないのでございます。無礼をお許しください」
「え、ええっ? そ、それは、大変ですわね」
食事とか、どうするのかしら。
魔法でなんとかするのかしら。
「そして大切なことですが、ノイエスタル卿は呪われておりまして、フィロシュネー聖女殿下の奇跡の対象にされると死んでしまいます!」
「!? ど、ど、どういうことです!?」
「奇跡を行使される際は、ノイエスタル卿を対象になさらないでください!」
「えええええ……!?」
あやしい。この方々、もう絶対あやしい!!
でも、本当に死なれちゃっても大変……。
「わ、わかりましたわ」
結局、フィロシュネーはノイエスタル卿を許したのだった。
ところでサイラスはどこにいるのかしら。こんな時こそ護衛の出番でしょうに。




