370、妻の手作り媚薬ですわよ。召し上がれ
新婚夫婦は、一緒に眠る。
毎晩、ただ健やかに、すやすやと。
「ではおやすみなさい、俺の奥様、お姫様」
その夜も満ち足りた様子で夫が言うので、フィロシュネーは「待った」をかけた。
「お待ちなさい。今夜はわたくしが良いものを差し上げましょう」
「嫌な予感しかしませんが、何をくださるのです?」
「わたくしお手製の愛の妙薬……媚薬ですわ」
フィロシュネーは縦長の小瓶を取り出し、ベッド脇のサイドテーブルに置かれていた水差しの水をグラスに注いだ。
とぷとぷと注がれる透明な水を見ながらフィロシュネーが頭の中で振り返るのは、本日までの夫婦生活だ。
初夜は、「これで俺たちは夫婦ですよ」と言われておやすみのキスをされ、一緒に寝台に入り、すや~っと眠った。
緊張していたはずなのに妙に寝付きがよかったのは、さては睡眠薬でも盛られたに違いない。
「ではいつ手を出してくるのか」と様子を見ていたが、この男は放置しておくと本気で百年二百年「すやすや」だけの夜を「よしよし、しめしめ」とするのではないかと思われた。
専属侍女ジーナと一緒に作戦会議をして、紅都で話題の悩殺ネグリジェなるものも着用した。
「はしたないですわ! 破廉恥ですわ!」と恥ずかしがりながらもジーナと一緒に大いに盛り上がり、「やってやりましょう!」と後押しされまくって寝室に入ってくる彼をベッドで大の字に仰向けになって迎えてみれば。
「そのネグリジェは薄すぎですね。風邪ひきますよ」とナイトローブを羽織らされ、コンフォーターの下に潜らされた。
「姫様! 誘惑するのです!」とジーナにけしかけられ、ベッドの中でぎゅっと抱きついたり胸板にすりすりしてみると「甘えてくださるのですね、可愛らしい」と背中を撫でてきて、保護者感たっぷり。色っぽい雰囲気になるどころか、子供向けの絵本を読まれてしまった。
そんな日が続き、ジーナとフィロシュネーも過激になっていく。
ジーナはすでに三度ほど、こっそり媚薬を盛った。
一度目、サイラスは薬効に気付いたあと、困ったような焦ったような反応を見せ、庭に出ていった。どうなったのかと見に行ってみると、剣を振って一晩中欲を発散していた……。
二度目は「またですか」と呆れられた。そして、「これを使えばすぐに落ち着きます」と言って移ろいの石を使われて、無効化されてしまった。一度目もそうすればよかったのにと思ったが、前回は思いつかなかったらしい。
三度目は飲む前に観葉植物の鉢にぱしゃっと捨てられた。ジーナは「私が薬を盛っても、もうだめですね。ですが、薬を姫様が差し出したなら、捨てにくいのではないでしょうか? きっと飲んでくださいます!」と、そそのかした。
ジーナがちょっと変になってしまった……と思いつつ、フィロシュネーは「目の前で媚薬を盛ったらどんな顔をするかしら」と悪戯心を刺激されたので、試してみたというわけだ。
結果――サイラスは、お説教モードになっていた。
「夫というのは姫が夢見ているような紳士な生き物ではありません。箍が外れると大変な無体をしてしまい、どんどん暴君になっていくのですよ」
「まあ、恐ろしい」
「恐ろしいのです。お気を付け下さい」
「夫なのに?」
「妻に無体を働く夫は、世の中にたくさんいます」
でも、記憶にあるコルテ神はちゃんと優しかった。サイラスも紳士だ。
暴君な夫にならないよう、気を付けている。その「気を付けている」が過剰すぎるくらいに。
お気に入りのデザインの瓶を傾けて愛の妙薬を目の前でグラスに入れると、ふわりと甘い香りがする。
「きれいでしょう、この赤い瓶。中の液体は透明なの」
フィロシュネーは無邪気に微笑んだ。サイラスはその様子を見て「本当にわかっていらっしゃるのですか」と困り顔になっている。
「俺たちは年齢も離れているので、急がなくてもよろしいかと……薬など」
「前世の分も数えるなら、たかが十四年なんて瞬きするくらいの年齢差だと思いますわ」
――そもそも、わたくしにはフィロソフィアの記憶もありますのよ。
もっと言うなら、商業神ルートが見せてくれた記憶もあって、何人もの人生を追体験したような気分だ。
「目の前で薬を盛られるのは複雑な気分になります」
「妻の手作り媚薬ですわよ。召し上がれ」
「媚薬でなければ喜ぶところですが」
「わたくしの手作りの媚薬が飲めませんの?」
「以前は、ちょっと怖がっておられたと思うのですが……俺にはいまいち繊細な妻の気持ちがわかりませんね――」
「繊細じゃないのかも……」
「いいえ、繊細です」
むしろあなたの方が繊細なのでは、とフィロシュネーが思っていると、サイラスはグラスを手に持った。そして、獰猛な肉食獣のような眼を見せた。
「では青国の王族の血をもつ姫には、紅国の王になるかもしれない御子を産んでいただきましょうか?」
一瞬、何を言われたかわからなかった。
「……えっ、あなた、紅国の王位継承権あるの?」
把握していなかった情報だ。
そういえば紅国の女王は女性趣味で、他王族は幼い。
「神師伯という地位には王位継承権が付随します。聖女であり青国の王族である姫の御子とあらば、特別な野心を向ける貴族も多いことでしょう」
「まあ。知らなかったわ」
なるほど、自分たちの子は王位を継ぐ可能性もあるらしい。
不穏すぎる発言にフィロシュネーは眉を寄せた。
「国が荒れる原因には、なりたくありませんわね」
「可愛らしい正義感ですね、姫。しかし、俺の権勢と移ろいの石があれば我が子を王にするくらい容易いことなのです」
「や、野心がすごい」
「あなたの夫は野心家です。後悔なさっても遅いのですよ」
「むう……」
これは絶対にからかわれている。
確信を抱いてジト目になるフィロシュネーに、サイラスは「そうですよ、冗談です」と笑った。
そして、ぐいっとグラスを煽ってフィロシュネーに口づけした。唇を塞がれて、空気の代わりに流し込まれて喉へと落ちていくのは、自分が作って「召し上がれ」と言った媚薬だ。
「…………あっ」
勝ち誇ったような男の瞳は、星も夢も全て飲みこんでしまうような漆黒の色彩に、見ているだけで煽られるような熱を湛えていた。
飲み下した液体が内側からじわじわと炙るように体温をあげる。
焦燥感と戸惑いを覚えていると、噛みつくように耳元に唇が寄せられる。
「悪い子にはお仕置きです。……あなたが俺が怖い生き物だとわかり、危ない悪戯を二度としないと誓うよう、……仲良くしましょう、お姫様」
妻を抱きしめる腕は逞しく、溺愛の夜の始まりを告げる言葉は少し挑戦的だ。
「怖い、なんて……」
実は怖がってほしかったりするのだろうか。
この男の真意は、まだまだ読み切れない。
側頭部を包むように撫でられて、唇をふさがれる。
ゆっくりと体重をかけられて、やわらかな寝台へと押し倒される。
「ン……」
そして――めくるめく夜に、堕ちていく。




