29、罪深き者は、せいぜい悔いるがよいでしょう
太陽が中天に輝く。
真っ白な光は苛烈で、地上を隅々まで照らして、一切の罪禍を見逃さぬよう。
(けれど、この地上には罪がある。たくさん、たくさん)
「シュネーさん。私は南方に少し出かけないといけないので、ここまでしかご一緒できないのですよぅ。すみませんねぇ」
飄々とした声でハルシオンが言って、白い馬の頭を返す。
「カントループ。お気をつけて。……いってらっしゃいませ」
『いってらっしゃい』を欲しがっていたのを思い出して言葉を贈ると、「んふふふ」と嬉しそうな笑い声が返ってきた。
「ミランダ。あとは任せました。よきに計らうように」
ハルシオンの言葉に、ミランダが恭しく礼をする。
周囲には空国の旗とカントループ商会の旗がひるがえり、名もなき小さな村を取り囲んでいた。
(デジャヴ、というのだったかしら。前とよく似ている)
青国の旗は、ないけれど。
「フィロシュネー殿下。洞窟がみつかりましてございます」
フィロシュネーは傍らに侍るシューエンに視線を向けた。
あの後、ハルシオンは壊れた笑みをみせながらシューエンに首輪をつけた。
「私の特製の首輪は、私の気分で爆発するのですぅ。んふふふ、たのしいでしょう~? 私が爆発させたくならないように、振る舞いには気を付けることですね、青国の騎士坊ちゃん?」
と、楽しそうに笑って。
「よろしい? 大人は見つけ次第、全員捕えるの。ひとりも逃してはなりません」
フィロシュネーは日差しに清かに輝く白銀の髪を揺らして、高らかに宣言した。
「青空と神鳥の加護のもと、太陽の娘、青王クラストスの娘、聖女にしてエリュタニアの第一王女にしてノルディーニュの友、フィロシュネーが唯一絶対の正義を掲げましょう」
赤子が泣く声がする。
背後で静かな黒の気配が自分を見つめている。
『黒の英雄は、私の姫の邪魔をしないように』
ハルシオンは、彼にも首輪をつけていた。
『姫の命令に背くことはまかりなりません。姫の正義を邪魔してはなりません』
傲慢に言い放ち、その行動を呪縛していた。
「異論を唱えることは許されませんわ。私利私欲にとらわれて無辜の民を……わたくしの民を害した、愚か者を断罪しましょう。わたくしは、怒っています。勘気を招いた罪深き者は、せいぜい悔いるがよいでしょう」
移り気な空の瞳に強い意思の光を煌めかせ、フィロシュネーが声を響かせる。
この日、聖女の正義はつつがなく執行され、邪悪と判断された名もなき村はその歴史に幕を降ろした。
「あはは……」
「だれか、くるよう」
「しらないひと」
山の中。
鬱蒼と茂る緑に隠されて。
子供たちが身を寄せ合う忘れられた洞窟に、灯りが燈る。
「こ、これは」
ミランダが驚いた様子で目を見開き、口元に手をあてている。
事前に話を聞いていたシューエンは、覚悟していても胸に堪えた様子の顔をしながら、フィロシュネーをエスコートした。
橙色をした魔法の光がやさしく洞窟内部の暗さをやわらげる。
真っ黒でごつごつした岩肌は、冷たい印象。
そんな中、灯りに浮かび上がるような、体温をもたない半透明の子供たちは、あどけなくて、いたいけだった。
「あかるい」
「あったかいいろ」
「おひめさまだ」
無邪気な声には、ぜんぜん預言者が言った「邪悪」な感じがない。
邪悪なのは、幽霊ではない。人間だ。
フィロシュネーは、そう思った。
「こんにちは、はじめまして」
フィロシュネーはやわらかに微笑んだ。
「こんにちは」
「はじめまして!」
「わあ、しらないひとと、おはなししちゃった」
子供たちは、好奇心でいっぱいだ。可愛い。フィロシュネーは、心からそう思った。
シューエンが持ってきたお菓子やぬいぐるみや絵本を洞窟の床に並べると、子供たちは声を華やがせた。
「ねえねえ、そのお菓子はなあに。みたこともない、高そうなお菓子だよ」
「かわいいぬいぐるみ!」
「ねえ、ほん、よんで」
シューエンが床に布を広げてくれる。裏地にハルシオンが描いた魔法陣がある布だ。
洞窟の隅で緑髪のルーンフォーク卿が魔法陣を起動している。彼は、どうも呪術が得意な騎士らしい。空国の呪術にまつわる名家の出身なのだとか。
「お菓子をいっぱい召し上がれ。ぬいぐるみであそびましょ。本も、読んであげるわ」
フィロシュネーは洞窟の床に座り込んで子供たちを周りに招いた。
子供たちがキャアキャアと喜ぶ中、視界の隅でお姉さんなお年頃の『妹』が兄と再会していた。
布の端に自分から座るようにする妹に兄が手を差し伸べて、半透明な頬に触れる。
妹がふわふわと微笑み、何かを語っている。
(ああ……――サイラス)
あなたにとって、『妹』って、特別な間柄だったのではなくて?
わたくしなどが、例え偽りでも、軽々しく名乗ってはいけなかったのではなくて?
フィロシュネーは頭の片隅でそう思いながら、ひとり、またひとり、子供たちが浄化の光に存在を薄くしていくのを見守った。
「ぼくは、もうねむぅい」
「あたしも」
「おねえちゃぁん。てをつないでぇ」
可愛らしい声が、いくつも、いくつも。むにゃむにゃと微睡みに微笑む。
「ありがとう」
ひとりがぽつりとお礼を言うと、他の子供たちも真似をするように同じ言葉を繰り返した。
「ありがと」
「ありがとぅ」
「おやすみなさい……」
消えていく。
安心したように、不思議と安らいだ様子で、子供たちが笑顔を浮かべて、消えていく。
「おやすみなさい、わたくしの可愛いおともだちのみなさま。わたくし、おともだちがいっぱいできて、嬉しかったわ」
フィロシュネーは優しく別れを告げて、立ち上がった。
シューエンが手を引き、鼻をぐすっと鳴らしている。
視界の端には、妹が消えた虚空をじっと見つめる兄がいる。
胸の奥がじんとして、目尻が熱を帯びる。
じわりと浮かびかける涙に、フィロシュネーは桃色の唇をきゅっと引き結んだ。
片手で髪をはらうようにして顎をあげ、天井から糸で引っ張られているみたいに姿勢をピンとまっすぐにして、毅然とした眼差しで踵を返す。
優雅に、淑やかに、心を乱したりしていませんといった気配を心がけながら洞窟から出ると、傾いた陽光が目に染みるようだった。
(わたくしは王族だから、弱い姿を人前で見せないの)
周囲には、自分の国のものではない旗がひるがえっている。
風をはらんで、他国の旗がゆったりと揺れている。
「ミランダ。カントループはわたくしに、不在中あなたに好きなだけおねだりしていいと言いました。わたくしは、慰霊祭を所望します」
ハルシオンは、南に行って何をするのだろう。
このとき、フィロシュネーはいつか青国の預言者が自分に語りかけた言葉を思い出していた。
『はったりは大事でございます、姫殿下』
自分は、神の一族、王族の姫なのだ。
聖女なのだ。
仕草ひとつ、微笑みひとつで神々しく、特別に思わせて、言葉で心を動かして。
武器をふるう騎士たちと違い、王族の姫の武器とは、戦い方とは、そういうものではないか。
フィロシュネーはあえかに睫毛を伏せて儚い微笑みをみせた。その美しさに周囲の人々は見惚れ、息をのんでいた。
「わたくし、お城のパーティも大好きなのだけれど、下々の行うようなお祭りにも興味がありますの。このあたり一帯の村や都市で、いっせいに賑やかに、楽しくて明るい気分になるようなお祭りをしていただきたいわ」
人を集めるのだ。
そして、心を惹き付けるのだ。
(ハルシオン様。あなたがわたくしの味方をしてくださるから、わたくしは、何も怖くない)
なんだって、きっと思うがまま。




