283、温泉煮鍋コースを回避なさいっ/ レディは健やかなのがよろしい
ほわほわとした湯気の向こうで、真っ赤な鳥が温泉に浸かっている。
羽の毛先にゆらゆらした炎を燈している。熱そう。お湯の中でも燃えている……。
フェニックスは全身が赤くて、炎を纏っていて、変身したときのダーウッドは火炎を使っていた。
となると、やっぱり目の前のフェニックスも火炎を使ってものを燃やしたりするのだろうか。
フィロシュネーは丸こげになる自分や高音で沸き立つ温泉でグツグツ煮られる自分を想像してゾッとした。
(煮鍋ですわ! わたくしたち、煮込まれて食べられちゃう!)
「わたくしたち、お湯から上がったほうがよかったりしません……?」
「えっ、い、生きているんですか? 衝立の向こうを守ってくださっている騎士様たちを呼びますか?」
フィロシュネーが呼びかけると、侍女ジーナはびっくりしている。
ダーウッドはそんな二人に首を振った。
「フェニックスはクラウドムートンやドラゴンと同じ、単なる魔法生物でございます。生意気な野鳥の一羽くらい、私が湯から追い払いましょう」
と言って、杖の先をフェニックスに向けている。
謎の強気と好戦的な姿勢に、フィロシュネーは焦った。
ダーウッドが魔法で炎を放ち、フェニックスが炎で応戦する――そんな未来が脳裏に過ぎる。
「ま、ま、待ちなさい。あなたたちに喧嘩されたらぜったい、温泉がぐつぐつしちゃいますわ! 温泉煮鍋コースですわ!」
「温泉煮鍋?」
「命令ですの! 温泉煮鍋コースを回避なさいっ」
杖の先を手でおさえるようにすると、ダーウッドは困惑気味に身をよじった。その体は魔法の蔦で岩に固定されているのだが。
「ねえダーウッド。やっぱり、その魔法の蔦で岩に体を縛るのってどうかと思うの。だって、なにかあったときに逃げられないじゃない?」
フェニックスを気にしつつ、つっこみを入れずにいられなかった。
「身体を固定しないと溺れてしまいます」
ダーウッドは真剣だった。
「どうやって溺れるの……? 座っても平気なくらいの浅さじゃない」
「体が流れて浮くではありませんか。腰や脚が持ち上がって頭が沈めば、溺れます。と、いいますか、今は私より目の前のフェニックスでしょうに」
「それはそうなのだけど、気になったの!」
そんなフィロシュネーたちを見て、フェニックスはくっくっと喉を鳴らした。
まるで人間の笑い声のような声だ。それも、低い男性の声。
「元気、元気。元気でよろしい――レディは健やかなのが、いちばんよろしい」
「ふぇっ!?」
なんと、フェニックスは人間の言葉を発した。しかも、渋くてエレガントなおじさまの話し方だ。格好良い。
「おっと、目は閉じておきましょう。わしは紳士なので、乙女の柔肌をこの視線で汚すことはいたしません」
そう言って、フェニックスが目を閉じる。言葉と行動が一致している。
フィロシュネーは目を丸くした。
「……人間の言葉が話せますのっ?」
「いかにも。驚かせてしまいましたかな、レディたち」
フェニックスは渋い声で、ゆっくりと肯定した。
クラウドムートンやミストドラゴン、人魚は人間の言葉を話さなかったのに?
でも、話せるのだと言われれば「そうなのですね」と返すしかない。
フィロシュネーは現実を受け止めて話を聞いた。
「わしは、この山に住んでいます。名前は、ルート」
ルートと名乗ったフェニックスは、ぱしゃりと湯音をたてて右側の羽を持ち上げた。人間が片手をあげて挨拶する仕草に、ちょっと似ている。
「わたくしはフィロシュネー。こちらはジーナと、アレクシア……」
「ダーウッドです」
名前を訂正する声に、フィロシュネーは「カントループです」とか「やっぱりハルシオンです」と言っていたハルシオンを思い出した。
「わたくしも偽名をひとつくらい作ってみようかしら」
「それは、なんのために?」
「なんとなくですわ。目的なんて……」
思いつきを口にすると、ルートはくすくすと笑ってくれた。
『優しそうな好人物』という雰囲気だ。人ではないけど。
「わたくしたちは、この山の遺跡に用事があってお邪魔していますの。ここはルートさんのお家でしたか? 騒がしくしてごめんなさい。ご気分を悪くなさっていなければよいのですが」
ルートは「ほっほっ」とフクロウみたいな笑い声を立てて、機嫌の良さを伝えてくれた。よかった。
「わしは友人もおりませんし、さいくんもおりません。愛らしいレディたちとお話しできるのは嬉しいことです」
「さいくん?」
「伴侶のことです」
「ああ……」
ダーウッドがそろそろと湯から上がっていく。手を差し伸べられて、フィロシュネーはいっしょに湯から上がった。
その気配を察したのか「上がってしまうのですか」と問いかけるルートの声は、ちょっと寂しそう。
「あの……長く浸かっていると、湯当たりしてしまいますから」
「それなら、仕方ありませんね」
「そ、それに、ルートさんもずっと目を瞑っているより、わたくしたちを見ながらお話しした方が楽しくありません……?」
フィロシュネーがそう尋ねると、ルートは「それは確かに」と嬉しそうな声を返した。
(すごく、人間っぽい……)
ジーナが布を広げて、二人の体から湯滴を拭ってくれる。着替えを済ませてフィロシュネーは衝立の近くに置かれていた椅子に座った。
ジーナは湯上がり用のドリンクを手配しながら、コソコソと尋ねてくる。
「恐れながら、神鳥さまとルート様は、違う生き物なのですか? 私にはフェニックスと神鳥さまの違いがよくわかりません」
フィロシュネーは曖昧な笑顔を浮かべた。
――ジーナは知らない。
神鳥というのがオルーサの作ったフェニックス似の魔法生物だったことを。
「うふふ……わたくしも、よくわかりませんの」
「恐れ多い妄想ですが……もしかして、フィロシュネー様の神鳥さまを召喚なさったら、伴侶になれたりして」
「まあ。その発想はなかったわ、ジーナ」
フィロシュネーは侍女の発想力に心から感心した。
(でも、ジーナが信じている神鳥さまの正体は変身したダーウッドなのよね)
「無理です」
ダーウッドは首を横に振り、全身で拒絶反応を示していた。フェニックスの伴侶になる気はないらしい。




