248、俺の脳内ハルシオン様が兄さんに激似のカピバラと喧嘩してる
――ずっとひとりでいるのって、寂しくない? 俺は、実はけっこう、寂しい。
「ハルシオン様。ここには誰も来ません。誰も俺を探してくれてないのかな……でも、きっとハルシオン様は俺を見捨てないですよね」
青国でフィロシュネーたちが国家の行き末を話し合った、二週間後ぐらいの時期。
その日、行方不明中のルーンフォーク・ブラックタロンは、遺跡の中で脳内主君と話していた。
脳内主君というのはその名の通り、脳内で妄想しているだけの主君だ。
「もちろんですよルーンフォーク。ですよねハルシオン様、俺はそうじゃないかと信じていたんです……」
とても残念なことに、ハルシオンはこの場にいない。
遺跡の中にいるのは、ルーンフォークひとりなのである。
空国の多島海にある海底火山の遺跡にたどり着いたルーンフォークは、そこで人魚に捨てられた。そして、ひとりぼっちでずーっと遺跡ライフを送っているのである。
「私がお迎えにいきますよ、ルーンフォーク。ああ、そんな、嬉しいですけど結構です。俺はアルブレヒト様をお助けして帰りますから、待っててください……」
大変さびしい話だが、ぶつぶつと呟く言葉は一人二役。
誰かに聞かれたら恥ずかしいことこの上ないのだが、この遺跡にいるのは、ルーンフォークひとりなので、恥ずかしくない!
「はあ……むなしい。俺が遺跡に来てから、どれくらいの月日が流れたんだろう。扉、開かないな。最近はすっかり、想像上のハルシオン様を会話相手にすることにも慣れてしまった。羞恥心も覚えないや」
ルーンフォークは、自分がやっていることを自覚していた。
俺は痛々しいことをしているなー。
でも、他人がいないから何をやっても別にいいや。
誰も俺を見ていないもんな……。
という風にメンタルを拗らせていった結果、一人二役を平然と楽しめるようになっちゃったのだ。
孤独って、つらい! ルーンフォークはしみじみとした。
「ふわあ。今は昼ですか? ハルシオン様。ルーンフォーク、今は朝ですよ。でも夜かもしれませんね。んっふふ。ハルシオン様、俺は今、夜と昼の区別もよくわからないんです。大変ですねルーンフォーク。日にちはいかがです? もちろん、日にちもさっぱりですよ。おかげで扉がいつ開くかぜんっぜんわからないんですよね」
聞き覚えのある声が遺跡の空気を震わせたのは、そのときだった。
「貴様、……今、なにを……」
「……兄さん?」
――兄の声が聞こえた、気がする?
ルーンフォークは振り返り、目を限界まで見開いた。
「……カ、ピ、バ、ラ‼」
なんと、振り返った視界にはカピバラがいたのである。
大きくて、ずんぐりしていて、茶色くて。
ネズミのような、ブタのような。目が左右離れていて、鼻が印象的で。
不愛想で、何を考えているかわからない。でも、無害そうな――静かな哲学者のような眼差しで、こちらを見ている。
「貴様、……気が触れてしまったか」
声は、実の兄にそっくりだ!
なんとも残念そうに言って、無表情なカピバラ・フェイスも悲しげに見える!
これは、俺の精神もそろそろヤバイな! いくところまでいってしまった!
ルーンフォークは危機感を覚えつつ、現実逃避した。
「お前の空想上のカピバラって、喋るんですねえ、ルーンフォーク。ハルシオン様、俺もびっくりですよ。兄さんに似てるんです。激似! 激似とはなんですルーンフォーク。ああ、失礼しましたハルシオン様。すごく似てるという意味の市井の若者言葉です」
ルーンフォークがぶつぶつと妄想主君と語っていると、カピバラは「それをやめんか」と呻いて頭突きしてきた。
「ア痛ッ! え、このカピバラ、本物?」
カピバラは、なんと触ることができた。ぺたぺた触ると、カピバラは「正気に戻れ」と叱咤してくれた。
「いや、むしろ正気を失っていく気がする。なんでカピバラが兄さんなんでしょうかハルシオン様? これは悪夢ですねルーンフォーク」
「その気持ち悪い一人会話をやめろ。二重人格にでもなったのか」
カピバラが全身をぶるぶるとさせて嫌悪感をあらわにする。すごく実体感がある。体温も感じるし、動くし、呼吸している。
「妄想じゃなくて本当にここに生き物がいる」って感じだ。
「失礼ですね気持ち悪いなんて。私は立派なハルシオンですよ」
「お前はハルシオン陛下ではない」
「すごい、俺の頭は今どうなってしまっているんだろう。脳内ハルシオン様が兄さんに激似のカピバラと喧嘩してる」
「ルーンフォーク……」
匂いもする。海の匂いだ。生臭いと言ってもいい。
「なぜ貴様は帰らない? こんな遺跡に引き篭もって……何か月ここにいるのだ。せめて自分の居場所なり近況報告なりすればいいものを」
カピバラがなにか言っている。
「なぜって、扉が開くかと思って……。俺、この遺跡を調べてわかったんだ。アーサー王とアルブレヒト王がこの遺跡にいた形跡があって。この遺跡、すごいんだ。奥の扉がたぶん……なんだっけ。よくわからなくなったなあ。えっと、要するに俺は扉が開くと思ってるんだけど、いつが月隠かもわからないし、いつが夜かもわからないんだ」
カピバラは錯乱した様子のルーンフォークにため息をつき、再び頭突きをした。
「帰るぞ」
声と同時に、呪術の鎖がしゃらりとルーンフォークの全身を絡め取る。
「なっ、このカピバラ、呪術が使えるのか! ますます兄さんっぽい。そういえばカピバラって呼ばれてなかったっけ、兄さん」
ルーンフォークは危機に抗い、呪術を練った。
「甘いぞカピバラくん。俺は呪術王カントループ様の弟子で、空王ハルシオン様の杖なんだ。ブラックタロン家では落ちこぼれだったけど、才能があったんだ! 今に兄さんだって、俺を認めてくれる……」
バチバチと火花を散らして、術同士が衝突する。
「抵抗するな、面倒な奴め。寝ていろ」
兄の声が困ったように言って、カピバラが術を追加する。
ふわり、とルーンフォークは眠気を覚えた。
これは、術によるものだ。
兄さんそっくりの声で、兄さんみたいに喋るし、呪術まで使うのか。
カピバラのくせに、生意気な。
「兄さんへの冒涜だ」
「意味がわからん」
抵抗して術を跳ね返そうとしながら唸れば、カピバラは本気で困惑しているように目を瞬かせた。
「か、帰らない。俺は、見つけるまで帰ってくるなと言われてる――」
「その命令は、撤回された」
「えっ」
じゃあ、俺は成果を出さずに帰っても許されるのか!
そんな甘言に俺が惑わされると思うのか、カピバラ!
「貴様は……努力した。もう、いい。成果は、必ずしも努力したからといって得られるものではないのだ」
眠気がどんどん湧いてくる。
力がどんどん抜けていく。これは、だめだ。負けている。
術者としての力量差を感じて、ルーンフォークは悔しくなった。
「ルーンフォーク。兄が教えてやろう。……二人の王がこの扉を使ったならば、迎えは別の扉じゃないと開かんのだ」
微妙に憐れむような兄の声を最後に、ルーンフォークの意識は眠りに落ちた。




