238、あなたは三十歳でしょ!
ひとりきりの寝所は、静かだ。
手紙をひらくとセイセリジの香りがふわりと感じられた。以前、魔法植物園でフィロシュネーがサイラスに教えた植物だ。
(いい匂い)
フィロシュネーは香りに癒されながら、サイラスからの手紙を読んだ。
* * *
目を離した隙にどんどんと手の届かないところに行こうとする、俺の困ったお姫様へ――
このたびは、兄君の不在のために大変なお仕事を担われたようですね。俺はあまり、おめでとうと申し上げる気がありません。おめでたくありませんよね。
至高の青き太陽の玉座の座り心地は、いかがでしょうか?
俺は玉座と比較されるであろう自分の屋敷のソファが可哀想になってきました。座り心地は気に入っているのですが。
ソファといえば、先日、カーリズ公爵がお気に入りのソファを燃やされた話をしましょうか。
紅国では現在女王派と反女王派の衝突が激しくなっているのですが、女王派がパーティをひらいた際に紛れ込んだ反女王派が挑発的な言動を繰り返したのです。
揉め事に発展した結果、ソファが反女王派の太陽神の入信者の手で燃やされてしまったのですね。
カーリズ公爵はおおいに嘆いていたのですが、俺はそこでなぜか、ソファを元に戻せる気がしました。
姫は覚えていらっしゃいますでしょうか? 姫がくださった移ろいの石のことを。
あの石は、今は青みが増して緑柱石に似た見た目になっています。面白い石ですね。
俺は、あの石が気に入っています。
魔力がどんどん湧き出てきて、願えばなんでも叶うのではないかと思えるのです。
そんなわけで、俺は試しに石を使ってみました。
ソファよ、元に戻れ。カーリズ公爵を喜ばせよ、と願ったのです。
ですが、ソファは戻りませんでした。
考えてみれば当たり前ですよね。こんがりと燃えたソファが、願っただけで元に戻るわけがない。
俺は自分の空想を笑い飛ばしながら帰宅しました。
そして後日、カーリズ公爵から知らせがもたらされました。廃棄しようとしていたソファが、日を数えるごとに少しずつ、勝手に修復されていくというのです。
見に行ってみると、ソファは『神の加護を受けた奇跡のソファ』として展示されていて、大勢に拝められていました。
この手紙を書き終えるころには、完全に元に戻っているのではないでしょうか。
実は、女王陛下が病にて、起き上がることも困難なほど弱ってしまっています。
けれど心配することはないでしょうね。俺が『元通りになるよう』と回復を石に願いましたから。
そうそう、姫は十六歳におなりですね。お誕生日おめでとうございます。俺も二十六歳になりました。
後日、お誕生日プレゼントが届きますよ。
今年はとびきり有能な護衛役のプレゼントです。俺は近くにいられませんが、護衛役は代わりにあなたをしっかり守りますからね。
王様業とはうんざりするほどに危険が付き纏う職業です。
隣にいる誰かがご自分の命を狙っているかもしれない、という危機感を抱いてください。
くれぐれも危ないことはなさらないよう、お気を付け下さい。
もちろん、浮気もいけません。
俺が嫉妬しますからね。
――サイラス・ノイエスタルより。
* * *
「……」
フィロシュネーは文面を何度も見直し、これはつっこみを入れないといけない、と思って独り言を手紙に向けた。
「……あなたは三十歳でしょ!」
フィロシュネーが十四歳のときにサイラスは二十八歳だった。だから、現在は三十歳だ。
なのに、紅国では、なぜかサイラスは歳を毎年減らしていくことになっているらしい。
そんなことをずっとしていったら、いつかゼロ歳になってしまうと思うのだが。
「それに、このソファのお話はほんとうのお話? それとも、面白おかしく大袈裟に盛ったお話? わ、わからないわぁ」
女王陛下が病にて、起き上がることも困難なほど弱ってしまっている、という部分も、とても不穏だ。
(外交官を通して裏を取っていただいて、お見舞いの品を贈りましょう)
「それと……あの紅国の預言者さんは、サイラスのプレゼントなのね?」
『俺が嫉妬しますからね』という文字のあたりをニコニコと鑑賞して、フィロシュネーは大切に手紙を仕舞った。
「お返事は明日書きましょう。なんて書こうかしら。あと、明日は……アルダーマールに魔力を注いで、政務をして、お祝いのパーティにも顔を出して……」
あれもしないといけない、これもしないといけない。
考えるうちに頭がどんどん疲労を感じて、眠気を強めていって、思考が鈍くなっていく。
いいじゃない、ベッドの中でぐらい、王様業のことを忘れても?
明日の予定より、婚約者からのお手紙のことを想いながら眠っても……わたくし、許されるのではなくて?
「うふふ……嫉妬ですって」
――嬉しい。
(次にお会いできるのは、いつかしら。早く会いたいわ)
フィロシュネーはふわふわした気分で眠りに落ちていった。




