226、槍好きワンコは、主君を可哀想だと思っている
外交官の仕事で自国の王都を移動中だったリッチモンド・ノーウィッチ伯爵公子は、白金の髪を軽く手で撫でつけて整え、馬車の車窓から外を覗いた。
国の一大事。
そう言われるような事件が、ずっと続いている。
――しかし自分は幸せだ。なぜなら、復職できて、結婚したからですッ。
(思えば、青王アーサー陛下とはなんだったのか)
(あんなに溌剌として、立派で、気持ちのよい方だったのに。あっさりといなくなってしまわれた)
青空をするりと飛翔していく巨大な生き物がいて、地面に影を落としている。ドラゴンだ。
長方形のブロックが敷き詰められた広場に憩っていた人々は影を見て上を見上げ、「ドラゴンだ」「騎士様だ」と騒いだ。
すると、上空を飛んでいたドラゴンはスイーッと高度をさげて、凄まじい風を広場を巻き起こし、人々を騒がせる。巨大な体が速度を伴って近づいて、人々は本能的な恐怖を感じて逃げたり物陰に隠れたりして、豪風が物を巻き上げていく。
「はははははっ!」
笑い声は、ドラゴンを駆る騎士がたてたのだろう。
あーあ、酔っぱらっている。驕り高ぶる、乱暴者め。
「ひい! あわわ……」
悲鳴は、テント状に張っていた布を巻きあげられ、露店が壊れて、商品がバラバラと地面に散乱する羽目になった商人があげたもの。非難の声が騎士に向けて発せられないのは、怖いからだろう。
酔いどれ騎士、というだけなら文句も言えようが、その騎士が巨大なドラゴンに乗っているのだ。武器も持たぬ民が、面と向かって不平を言えようか。なかなかに難易度が高いのである。
(竜騎士の素行には、問題がある)
リッチモンドは眉を寄せた。
自分は一般市民ではなく、高貴なる義務を持つ貴族であり、国と民のために働く外交官である。青王の覚えもめでたいのだ。
虎の威を借る狐として「こらあ」とお説教でもしてやろうかと馬車を停めたとき。
「こらあ」
先に叱り飛ばす声が響いた。
地上から、栗毛の馬に騎乗した金髪の騎士が怒号を発している。周囲に何人もの配下騎士を連れているあの人物は、ヘルマン・アインベルグ侯爵騎士団長の息子シーグリム。次期アインベルグ侯爵である嫡男公子だ。
リッチモンドが所属するパーシー=ノーウィッチ派とは別派閥だが、アーサー元陛下の王太子時代からの取り巻き仲間だ。仲は、良くない。
家同士がまず別派閥だったし。
アーサーという主君の寵愛を奪い合うようにしていたし。
――結果、うまいこと取り入って一番気に入られていたのは、シーグリムの弟シューエン・アインベルグ侯爵公子だったけれど。
「あいつはドラゴンに乗れないのだったな」
理由はわからないが、シーグリムはドラゴンに乗れず、そのせいで竜騎士たちからは舐められているらしい。人々が眉をひそめ、心配そうに見守る中、ドラゴンはゆったりと飛んで離れて行った。謝罪や反省の言葉などは、なかった。
「騎士団に問題あり、と」
リッチモンドはそんな文言を手元の手帳に書き付けて、懐に仕舞った。
窓の外、長方形のブロックが敷き詰められた広場で、人々が日常を取り戻そうと後片付けをしている。竜を駆らぬ騎士たちは、竜騎士に代わって詫びて、後始末を手伝い始めた。
「王様も次々代わって。世の中がどんどん変わって。ついていくのが大変よ。この国はどうなっているのだかねえ」
民がこぼした言葉に、リッチモンドは共感した。
もうすぐ、新しい王が即位する。
青王クラストスからアーサーへ。そして、フィロシュネーへ。
たった一、二年の間に、二度も王が代わる。
アーサー王の時代から始まった開国と北国風の内政外交改革により、人々の「当たり前」がどんどん変わっていく。
以前は、ドラゴンが上空を飛んだりすることはなかったし、魔法生物に騎乗する亜人も見かけなかった。
「カントループ商会の魔法チェスですよ~」
商魂たくましい商人が、他国の商品を売り込む声がする。
「あの姫様が王になるのだから、世の中はわからないわねえ」
「そうかい。俺は都市グランパークスで演説を聞いたことがあるのだが、あの姫様は王者の器だと思っていたよ」
先代の王は歴史的にも類を見ない短命ぶりで、在位はたった一年ほど。民衆の動揺は大きい。
そんな中、後を継ぐ妹殿下のフィロシュネー姫は期待されているようだった。国内外に人気があった。聖女の呼び声高い、特別な姫なのだ。
「変事ばかりだけど、きっと世の中は良いようになっていくんだ」
前向きな声がいくつも聞こえる。民は、未来に希望を抱いている。後ろ向きではない。良いことだ。
(……アーサー陛下が、お可哀想だ)
リッチモンドは、ふとそんな感想を抱いた。
そして、どうして自分がそう思ったのかと首をかしげた。
(おい、リッチモンド。仕方ないではないか、見つからないのだから。国のためには、新しい王様を立てて前に進めていかなければ。見つからない王様のために玉座を空けて国政の舵取り役不在のままで待つことは、できないのだ)
惰性でそれまでと同じ日々をゆるゆると送っていればよい停滞と不変の時代ならともかく、繊細かつ大胆な調整、舵取りが必須の変革の時代に入っていたのだから、なおのこと。
「メリーファクト商会だ」
「以前は武器商人の印象が強かったが、あの商会は最近イメージが変わったなあ」
馬車で荷物を運んできて、せっせと店に補充しているのはメリーファクト商会だ。他の商会の壊れたテントを立て直す手伝い人員まで提供している。死の商人と呼ばれていたメリーファクト準男爵は、人柄の良さで知られるようになっていた。
商品を陳列する店は赤褐色や黄緑の布を屋根代わりにして、テント状の簡易露店を再び構えている。乱れたもの、壊れたものは、立て直すことができるのだ。
馬車の窓から眺める空は青々としていて、煙のような白い雲は雄大な存在感があった。
四角かったり丸かったりする建物の屋根は三角屋根が多く、白い石の階段と塀がくっついていて、そこから橋までできている。
橋の下を歩く人々もいれば、上を歩く人もいる。
遠景には、青くぼんやりと霞む尖塔群が見える。
王城が見える。名前は、以前はなかったのだが、最近つけられた。
ぼんやりと外を眺めていたリッチモンドは、「ところで自分は、なにもしないで見ているだけか」と苦笑した。
そして、馬車の外へと出て、可愛い新妻カタリーナへの土産話と土産の品を買ったのだった。
「リッチモンド様だ」
「ノーウィッチ伯爵公子様……」
自分の名を呼ぶ民の声がする。
その中に、かつてはよく囁かれていた『アーサー様の槍好きワンコ』という呼称がないのが、寂しかった。




