18、そこにはあなた以外、もう誰もいないのね
「少し熱がありますね。食事を運ばせますから、栄養をたんと摂ってお薬を飲んで寝てください」
ぺたりとフィロシュネーの額に手を当ててから、手首を取り脈をはかるサイラスは、傭兵というよりお医者さまのよう。
「あなたは1ヶ月半も朦朧として伏せっておられたのですよ」
呟く声を聞き流しながら、フィロシュネーはハルシオンの助言を思い出した。
『おすすめのターゲットは黒の英雄でしょうか』
兄の顔をして世話を焼くサイラスにされるがままにしながら、フィロシュネーは『よいこのための奇跡の使い方』に記された助言を思い出し、脳内で一人会議を展開した。
「シュネー、この男に感謝させるにはどうしたらいいかしら」
「シュネー、わたくしが感謝したほうが早いと思うの、だって、助けてもらったのではなくて?」
「お待ちになってシュネー。それは確かにそうね。わたくし、助けてもらっている……」
「わたくし、そういえば感謝したことがあったかしら」
「どうしてわたくしがサイラスに感謝しなくてはならないの? あの男、むかつきますわ」
脳内で会議が踊る、踊る。
父、青王クラストスだったらなんて助言するだろう?
『シュネー、真実なんて知らなくていいよ』
わぁ、言いそう。
青国の預言者ダーウッドだったら?
『姫殿下、魔力が足りないなら魔宝石を使えばいいのです。人に感謝される必要などございませんぞ』
そうよね? 魔力を貯めておけて引き出して使える魔宝石をたっぷり集めて、奇跡を使うときに引きだしたらいいんじゃないの? それでも足りないのかしら?
「うーん。うーん」
眉を寄せて唸るフィロシュネーに、声がかけられる。
「シュネー? 具合が悪いのですか?」
「はっ」
現実に意識を戻すと、サイラスの精悍な顔が目の前にある。距離が近い。名前も呼ばれた。
じーっとフィロシュネーを見つめる瞳には、揺れる感情の波がある。
焦燥? 困惑? 心配?
フィロシュネーは、その感情が揺れる瞳に見惚れた。
口先だけ、演技だけじゃない。ちゃんと心配してくれている。この男は、弱者を心配して優しく接することができる男だ。フィロシュネーはそう思った。
「ちょっと考え事をしていたの。大丈夫です、お兄様」
呟いて、フィロシュネーは言葉をするりと付け足した。
「その、いろいろとありがとう。サイラス」
(言えた。ちゃんと言ったわ)
わたくし、ちゃんと感謝の言葉が言えたわ。
様子を窺うと、サイラスは笑顔を浮かべている。珍しくてあったかで、優しい感じの――ちょっと格好良い、なんて思ってしまうような笑顔だ。
「こちらこそ、ありがとうございます。姫」
小声で感謝を返される。
(あら? ありがとう、ですって?)
フィロシュネーは小鳥のように首をかしげた。
「なぜ、ありがとうと仰ったの?」
わたくし、何かしたかしら。ああ、兄という設定で助けたことかしら?
「俺が礼を言いたくなったからです」
「それではわからない。まあ、いいわ」
けれど、「ありがとう」は貰えたのだ。フィロシュネーは嬉しくなって、「わたくし、気分がいいから今日は何をしても許してあげてよ」とニコニコしたのだった。
「ねえ、サイラス。不思議ね。わたくし、なんだかとってもいい気持ちになりましたわ。ねえ、ありがとうって、素敵な言葉ね!」
サイラスは可哀想な生き物をみる表情になった。
「熱でおかしくなられて……」
「違いますっ」
* * *
食事と服薬が済み、おやすみの挨拶のあと、フィロシュネーは「ありがとうボックス」を使ってみることにした。
「だいすきなカントループ、シュネーをたすけて」
この呪文、恥ずかしい。棒読みで呟いたフィロシュネーの目の前に空色の箱がポンッと出現する。箱をあけてみると、神鳥が「ぴよっ!?」と声をあげる。可愛い。
「ん~、大きな花びらみたいなのが入っていますわね。これ、使えますの?」
箱には、花びらが何枚も入っていた。
花びらをつまむと、神鳥はピヨピヨと頷いた。使えるらしい。
『知りたいことを自分だけが知るなら、花びらは少数で大丈夫。他者に共有するなら、人数分、必要枚数が増えます。魔力を使うときは、呪文を唱えて、神鳥に何が知りたいのかを伝えてください』
ハルシオンの文字を読み、フィロシュネーはもう一度「だいすきなカントループ、シュネーをたすけて」と繰り返し、何が知りたいのかを考えた。
「神鳥さま。わたくし、あの得体の知れなくてちょっと危ない感じのハルシオン殿下のことが知りたいわ」
「ぴよ!」
ふわふわの神鳥が鳴いて、手に持っていた花びらがひらひらと舞う。そして、映像がぷかぷかと生じた。
(何が見れるかしら。弟陛下との過去? 子どもの頃とか?)
映像の中には、建物がずらりと並ぶ風景が広がっていた。
半透明な膜みたいな結界に守られる白亜のお城を中央に抱えるようにして家々が並ぶ大都市だ。
そこに、たくさんの人がいた。人々は次々と倒れて、死んでいった。
何かに怯えるように背を丸め、道端を歩いていた人が膝を折る。倒れて、弱っていく。
病気? 伝染病? 理由はわからない。
だが、ひとり、またひとりと倒れていって、やがて大都市の中で動く人はひとりもいなくなった。住む人がいなくなった建物は少しずつ朽ちていく。
映像は切り替わり、おびただしい数の墓が並ぶどこかの風景を映し出す。
「これ、なあに……?」
全然ちがう映像みたい。
フィロシュネーが訝しむ中、映像にハルシオンがようやく映った。
見渡す限り、墓、墓、墓。
そんな大墓地の中央に、ハルシオンがいた。
ハルシオンは、魔法で花を生み出した。
空の青、貝殻の薄紅、初々しい春花色。
水平線の淡青、やわらかな紫、薄い黄色。
腕にさげた籠にふわふわと生まれる花は、可愛らしくて、淡くて優しい色を魅せていた。
たくさん生み出した花を、ハルシオンはゆっくりと一輪ずつ墓に捧げていった。
ひとつひとつに向き合う時間を慈しむようにして。
墓に刻まれた名前を、神聖な儀式みたいに口にしながら。
日がのぼる中、端っこからひたり、ひたりと歩んで。
太陽が真上に輝く中、汗をぬぐって休憩して、再開して。
日が沈む頃になって、最後の墓に花を捧げると、ハルシオンは微笑んだ。
「また、あした」
誰も聞くことがない声が風に攫われて、空気に溶けるみたいに消えて、静寂が充ちる。
ハルシオンは一日に幕を降ろすように墓にもたれかかって、墓石を撫でて、目を閉じた。
(ひとりぼっち)
フィロシュネーは、そう感じた。
(ひとりぼっちね。そうなのね)
ふわふわと夜風が吹いて、たったひとりの彼の髪を揺らしている。
無機質で冷たい墓石の群れの中、その光景はなんだかとても寂しくて、胸が締め付けられるようだった。
(誰も、いないのね。そこにはあなた以外、もう誰も……いないのね)
映像がそこで消える。
「ぴよ」
神鳥が愛らしく首をかしげ、フィロシュネーを見つめる。
「お、おわったの?」
「ぴぃ」
フィロシュネーは「今のは、どういう過去だったのかしら」と呟いた。