193、青王の婚約者選定5~それで本人だったら?/それで本人でなかったら?
アーサーが部屋を訪ねると、ダーウッドは怠そうにしながら中に入れてくれた。
「王族の方々は、ひとを労わるように見せかけて絶妙なタイミングで休むのを邪魔なさいますね」
と嘆くように言うダーウッドは、先入観を外して女性だと思ってみてみると、確かに少女だと思える。
アーサーは冷静になろうと首を振り、視線を逸らした。
見ればみるほどに、自分が考えてはいけないなにかに思い至ってしまいそうなのだ。
たとえば、たとえば――まず第一に。
あんなことやこんなことをしてしまったが、相手は異性だった?
(お、俺は……)
頰が熱くなる。
最低なのではないか。謝るべきか。これは謝るべきではないか。
「陛下。私は休みますが」
「ああ」
「なぜ床に座っておいでです」
「床に座りたい気分なんだ。そして頭も下げたい」
頭を下げてみせると、「はあ」と変な夢でも見ているような顔でダーウッドが自分を見ている。
言葉だ。言葉も付け足さねば、動作だけでは伝わらぬ。
「俺が悪かった」
「はあ……、まあ、よくわかりませんが。アーサー陛下ですからな……」
ぽつりと言って首を振る少女の髪がふわりと揺れる。目の前で踊る白銀の輝きは、きれいだった。
頬にかかった髪をほっそりとした指先でなおし、怠そうに吐息をつむぐ。仕草はやわらかくて、品があった。
呼吸にあわせて上下する肩は細く、体は華奢だ。成長途中をおもわせる未熟で初々しい気配を漂わせている。
身体が弱い。
弱っている。
――そんな印象が大切ななにかを思い起こしそうになる。
アーサーはくらりと眩暈を覚えた。
動悸がする。頭が重い。脳が警鐘を鳴らしている。
まるで全身が現実現在をおそれて拒絶するように、現実を受け止めてはいけないというように、じんわりとした眠気のようなものが頭にもやをかける。
(あ、れ……?)
壊れものめいた空気感、儚い存在感、息づかい、距離感――この室内で感受するそれら全てが、アーサーのこころの中にある透明で神聖な初恋の思い出の扉を「開けて」とノックするようだった。
閉じていた扉が勝手に開こうとして、あちらとこちらが繋がってしまいそうな、そんな感覚がある。
それが、喜ばしいことのようでいて、恐ろしい。
大変な現実に出会ってしまっている気がするのだ。
【気づいてはいけない】
そんな危機感がある。
【しかし、俺はもう気付いているのでは】
そんな思いがある。
瞬時に「いいや、俺はわかっていない。まだ知らないフリをできる」と否定する自分がいる。
それは宝物のような癒えぬ傷で、取り戻せないはずの過去で、大切で、制御することがむずかしい感情の源泉だ。
唯一無二で、他のなにかが代わることはできないのだ。
色褪せることなく、変わらぬ想い。覆らぬ過去。
そんな傷を、感傷を、アーサーは今までひっそりと抱きしめて生きてきて、これからも大事に抱いていくつもりだったのだが?
「アーサー陛下。酔っていらっしゃいますか? 眠たいのなら、お部屋でお休みください。もう申し上げないと伝わらぬと思うので申しますが、私も休みたいのですぞ」
ずっと年下の子どもをあやすように言う。その言いように、アーサーは不思議なほど安堵した。
「あ……――そうだな」
アーサーは目を逸らした。自分が現実から意識をそむけたのだという自覚を持って、背を向けた。
「おやすみ。俺の預言者ダーウッド。お前はもう少し体力をつけるといい。そうだ。国に帰ったら俺が鍛えてやってもいいぞ。お前が走ったり槍を振るところを想像するとおもしろい」
「おやすみなさいませ、アーサー陛下。くだらぬ戯言はきかなかったことにしておきましょうな」
「お前は、……人間なのだから、鍛えれば筋肉がつくだろう、な」
このダーウッドは、人間だ。自分は今、そう感じたのだ。
「鳥類扱いはやめてくださるようで、なにより。風邪を引いた甲斐がありますな」
笑う気配。
人間扱いは嬉しかったようだ。それに、声も先ほどまでより元気じゃないか――ほっと振り返ったアーサーは、寝台に身を起こして軽く首をかしげる少女の姿にぎくりとした。
ゆるくウェーブを描く白銀の髪をした少女は、初恋の少女とあまりに似すぎている。アーサーは同時にふたつの思いに苛まれた。
【俺は、こいつを見てなぜ、別人だと思うのか?】
【俺は、こいつを見て本人だと思ってはいけない】
自分を見つめる移り気な空の青は親愛と好意をみせている。
失ったなにかがそこにある――そんな感覚が鋭く襲い掛かって来て、胸を抉る。
「……っ」
静かな存在感。
この空気が、やわらかな部分に切り込んできて、こころをぐしゃぐしゃにかき乱すのだ。
……理性を捨てて情動のまま抱きしめて、名前を呼んでみたくなるのだ。
【けれど、それで本人だったら?】
【けれど、それで本人でなかったら?】
二つの思いがぐるぐると全身に絡みつくようで、アーサーは浅く呼吸を繰り返した。
恐れている。
自分は、こわいのだ。
強がっているが、自分という男は弱いやつなのだ。
何度か脳内でシミュレーションしてから、アーサーは優しく微笑んだ。王様らしくあろうと練習した、上等な作り笑顔だ。
「俺はちゃんと反省したから、明日からはお前に優しくする。誓うぞ。……安心していい」
……優しくしよう。優しい俺に喜べ。
そう、あのときも思ったのだ。
「突然変わられても気持ちが悪いので、別に今まで通りで構いません」
心底気味悪がっているように言葉が返ってくる。
会話を拒絶して逃げるように寝具にくるまる少女を見て、アーサーは懐かしい感覚をまた覚えた。
こいつは、逃げるやつなのだ――そして自分は。
あのとき、未熟で好奇心旺盛な少年であったアーサーは彼女を追いかけた。
けれど、彼女は追いかけて欲しくなかったのだ。そこで追いかけたから、困らせた……。
過去と現実をどうしようもなく繋げてしまう自分をもてあましながら、アーサーは部屋を出た。
* * *
「フィロシュネー姫様は、学友を応援してくださると思っていたのです。ですが、そうではないご様子ですね」
カタリーナ・パーシー=ノーウィッチ公爵令嬢は、部屋を訪ねたフィロシュネーにそう言って微笑んだ。
カタリーナは王族の瞳ではないが、綺麗な冬空のような青い瞳をしている。
学友のひとりではあるが、フィロシュネーはカタリーナのことをあまり知らない。
「お怪我はすっかりよくなったみたいで、安心しましたわ」
当たり障りない言葉をかけると、カタリーナはサイラスを見て「素早く海に飛び込んで助けていただいたおかげです」と頭を下げた。
そして、いたずらっこのように言葉を付け足した。
「ほんとうは、青王陛下に助けていただきたかったのですけどね」
小鳥のように高く可愛らしい声で笑うカタリーナは、本を一冊取り出してみせた。『シークレットオブプリンセス』という流行の恋愛物語だ。そういえば彼女は『当て馬を幸せにする会』のメンバーだ。
「アランとベリルでいうと、私とモンテローザ公爵令嬢はどちらがアランでしょうか」
カタリーナは解釈の余地のある発言を連続させている。
捉えどころのない笑みをたたえていて、真意をあいまいにしている。
高位貴族らしい、愛らしくてきれいで優雅で、嘘つきなお姫さま――フィロシュネーはそう思いながら、カタリーナに笑顔を向けた。
――わたくしも、きれいで可愛いお姫さまを演じるのは、得意なの。




