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王女フィロシュネーの人間賛歌  作者: 朱音ゆうひ@11/5受賞作が発売されます!
3章、変革のシトリン

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188、私がアレクシアだと気付きもしない

 無言のまま浜辺に引き返す青年は、やっぱり自分が知らない人物のように思えて、ダーウッドは淋しくなった。


「そうだ。婚約者は、カタリーナ・パーシー=ノーウィッチ公爵令嬢に決めようと思うのだ」

 

 足元が波から完全に逃れて、浜辺に降ろしてもらいながら、ダーウッドは主君である青年のちいさな報告を聞いた。

 浜辺は賑わっていて、波はざぶざぶと常に音を立てている。

 なのに、ダーウッドは一瞬世界中が静まったような錯覚をおぼえた。

 

「さようでございますか」


 カタリーナ・パーシー=ノーウィッチ公爵令嬢は、不老症だ。


 だいたい十五歳前後で体の成長が止まった様子で、子どもは作れる体という診断書付きだ。

 背格好や髪や瞳の色合いがアレクシアを思わせるような雰囲気で、どことなく似ているともいえる。

 刺されて海に落とされたという事故も、優しいアーサーのこころを惹く効果があったに違いない。

 

(ソラベルが喜びそうですね。思惑通り、と)

 

 本日、さきほど、自分は「あの預言は嘘だったのだから、気にしなくていいのだ」と言ってあげた。


 だからアーサーはアレクシアという過去の婚約者への後ろめたい気持ちから解放されて、カタリーナを唯一無二の伴侶として愛するのだ。情深い青年だから、深く大切に伴侶を愛することだろう。


(おふたりの御子が生まれたら、私が名前を考えて差し上げるのもいいでしょう。きっと可愛らしいのでしょうね)  

 

 水に濡れた自分の体が、ひどく貧相に思える。

 あの愛らしいフィロシュネー姫が言ったのだった。ぺったんこ、と。


 ――自分は、二次性徴前に成長が止まった。だから、子どもが宿せないのだ。何百年生きても、誰かと愛を交わす資格すら得られないのだ。

 

(それが、なに? 私は、なにを考えているのだか……嫉妬している? 羨んでいる? ああ、そういう情念が私にあるの……)


 自分は世界中を(あざむ)いていて、主君を守ることもできなかった、裁かれるべき咎人(とがびと)なのに。それが、まるでただの人間のような、平凡な女にでもなったような情を感じている。

 

「お前、風邪でも引いたか。元気がない……」


 顔を覗き込むようなアーサーの声から逃れるように、ダーウッドは魔法の光を消して顔をそむけた。


「水に漬けるからです」


 声は冷たく響いただろうか。

 感情など持ち合わせていないように聞こえればいい――そう思ったけれど、アーサーは正面にまわりこんでしゃがみ、今度は下から覗き込むようにするではないか。これは失敗したのだ。


「お前が水を怖がるのが面白くて、やりすぎたな。すまぬ」


 素直に謝る心根や、よし。

 しかし、つづく言葉は。


「船に戻って風呂にでも浸かるか。お前、風呂も苦手と聞いているが」

「反省していないではありませんか」

「ははっ」

 

(そもそも、アーサー陛下は私のことを異性だとすら認識していない)

 

 私がアレクシアだと気付きもしない――そんな痛みが胸にある。気付かれないのは、望ましいはずなのに。


(私もおかしい。どうかしている)


 赤子のころから見てきた御子ではないか。二百歳以上年下の御子ではないか。

 自分は人の営みとは外れた影にいるのだ。なにを血迷っているのか。

 妙な望みを抱く資格も、それが叶わぬと嘆く資格もないのに。

 

「水浴びが好きな鳥もいるのになあ」

「また鳥扱いをなさって……」


 人間扱いすらされていないのだ。

 そう思うと、おかしさが込み上げてくる。


「――くくっ」

 口の端を歪めて喉を鳴らすと、アーサーはのほほんとした声で喜んだ。

「おっ。機嫌がなおったか」



 私の陛下は、私のことをなにもご存じでない。わかっていない……それでいいのだ。



「機嫌もなにも……陛下のおそばにいるだけで、私はいつも幸せなのですよ」 

「お前、それはうそだ」


 アーサーが嘘だと言いながらも気に入った様子で嬉しそうに笑っている。


 ああ――この青年の笑顔が、私は好きなのだ。


 敬愛をこめて頬に触れ、顔を近づけると、「預言でもさえずるのか」と軽く首をかたむけてくれる。


 許されたような気分になって顔を近づけて、頬にさりげなく、ほんの一瞬だけ掠めるようなキスをする。……ほんのすこしだけ、魔がさしたのだ。

 

「陛下。黄金の林檎は、あなたさまが落札なさいませ……っくしゅん」

 預言者の声でささやいて、顔色をうかがう。

 

 アーサーは思ったとおり、掠めた感触に気付いてもいないような気配だ。


 だから、ダーウッドは安心して微笑んだ。

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