17、この子は、私のだ。そうではないか。そうではないか?
「愛らしい、私のちいさなお姫様」
ハルシオンが、甘やかに微笑む。
「ずっとあなたと過ごしたいのに、現実が許してくれません。そうだ。私、どうして失念していたのでしょうねぇ。英雄がいるんだ!」
ハッと気づいた様子で、ふわりと気配を明るくさせて。ハルシオンは手を叩いた。
その雰囲気は、どこか浮世離れしていて。
優しいけれど、歪さを感じさせる。
「ハルシオン、様?」
「彼は、あなたを守ってくれることでしょう。あなたを愛しているから。よかったですねぇ、幸せにしてもらいなさいねぇ。私がいなくても、大丈夫にしてあげますねえ!」
安心した。問題は解決だ。
そんな声。
「英雄に守ってもらいなさい、シュネーさん。うん、それがいい。青国民同士でしか共有できないお気持ちもあるでしょうし」
変わる。
「仲良く、お幸せに……いや、待って。それ、なんだか……ちょっと……嫌だ」
また、気配が変わる。
不安定な感情を吐息にのせて、ハルシオンが体温を寄せる。フィロシュネーの胸で、鼓動が跳ねた。
「えっ、え……あの。待って」
「嫌だ」
様子がおかしい。
ハルシオンの身体が上から覆いかぶさってきて、フィロシュネーをベッドに縫い付けるようにして抱きすくめる。
「ひゃっ……――」
わたくしは、今、何をされているの?
フィロシュネーは真っ赤になった。
「この子は、私のだ。そうではないか。そうではないか?」
「は、は、ハルシオン様……」
声には、得体の知れない激情があった。狂気じみた執着があった。
何が彼をそんな状態にさせたのかは、わからない。
「私のだ。私の。私の子なんだ……――」
耳元で狂おしい熱に浮かされるような声がする。吐息が肌に触れて、熱い。
(――っ? これはなあに……っ!?)
「は、は、……」
ハルシオン様?
フィロシュネーが反応に困って狼狽えていると、ふと扉がノックされた。コン、コン、と。
その瞬間、ハルシオンは弾かれたように身を起こし、とても驚いた顔で距離を取った。
「あっ!!」
「ふぇっ!?」
ハルシオンは夢から醒めたような顔で口元をおさえ、フィロシュネーと同じくらい真っ赤になって、別人になったみたいに焦っている。
「す、す、すみません。シュネーさん、すみません。今のは! わ、わ、忘れてくださいっ?」
「ええっ?」
そして、部屋から出て行こうとする。
「ま、待っ?」
「ま、待ちませんっ! でも、よいこにしていたら、カントループは帰ってきましょう」
「えっ、あ、帰ってきますの? んんっ?」
フィロシュネーはびっくりした。
だって、ついさっきまで今生の別れみたいな雰囲気だったのに。
ハルシオンは真っ赤なままで何度も頷き、言葉を放った。
「え、ええ、ええ! だって、可愛い子がおうちで待っているのですものねえ。そりゃあ、おうちには帰りますよぉ! 待ってて!?」
ハルシオンはそう言い捨てて、逃げるように部屋から出て行った。
「殿下?」
扉の外で待っていたらしきミランダが隙間から視えて、とても驚いた顔をしていた。きっと、ハルシオンが普段は見せないような姿を見せたからだ。
「な、な、なんなのっ? わ、わからないぃっ」
扉が閉まり、部屋に残されたフィロシュネーは、ドキドキした鼓動を落ち着かせるように『よいこのための奇跡の使い方』を取った。
ハルシオンの文字で、文章が書かれている。
「神鳥は、フェニックスをベースに創られていますね。人工の魔法生物といったところでしょうか」
ひよこの神鳥が、ぴょこんとフィロシュネーの頭に乗っかる。懐かれている。フィロシュネーは声に出して続きを読んだ。
「神鳥の奇跡を使えば、過去の出来事が観れます。奇跡の行使者である姫は、かなり魔力を消費します」
「奇跡を使うと、魔力はすぐになくなってしまいます。疲れちゃいます。うっかりすると勝手に魔力が吸われちゃってとっても危険ですよ」
「鳥さんを創った術者は、安全管理が全然なっていないですね、けしからんです。この鳥さん、危ないです。そこで私は、可愛い姫の安全のために、姫の内部に『ありがとうボックス』を作りました」
「んんっ!?」
わたくしの内部に、なんですって?
フィロシュネーはその文章を三度見してから、続きを読んだ。
「姫が周りの人間たちに『ありがとう』という気持ちを抱いたり、周りの人間たちから『ありがとう』という気持ちを抱かれたとき、『ありがとうボックス』には少しずつ花びらの形をした魔力が溜まるのです」
「奇跡を使う時、姫は溜まっている魔力を消費することができます。おすすめのターゲットは黒の英雄でしょうか。たくさん魔力が溜まりますよ!」
ど、ど、どういう仕組み。
ど、どこにボックスがあるのっ?
フィロシュネーは眩暈を起こしつつ次の文章を読んだ。
「ボックスに溜まった魔力を確認したり、魔力を使うときには、専用の呪文を唱えてください。私が決めたフレーズです。『だいすきなカントループ、シュネーをたすけて』!」
「い、意味がわからないっ」
フィロシュネーが頭を抱えたとき、扉がもう一度ノックされた。
「は……い」
返事をすると、扉が開かれる。
ミランダに監視されつつ顔を見せるのは、サイラスだった。相変わらずの不愛想な表情――その顔になんとなく安堵してしまって、フィロシュネーは首をかしげた。
「意識が戻ったと聞きました……いも、うと?」
サイラスは音もなく部屋の中に進み、ベッドから五歩分の距離で足を止めた。
「お好きな関係性でどうぞ。商会長はお許しになります」
ミランダが「妹でも姫でも」と付け足しながら扉の近くで同席して、二人を監視している。
「では、妹」
サイラスがそう言ったので、フィロシュネーは妹の顔で頷いた。
「はい、お兄様……」
わたくしたちの国、なくなってしまったの?
わたくし、ハルシオン殿下がよくわからないの。
むしろ、何もかもがわからないと言ったほうがいいかもしれない……。
視線で訴えると、サイラスはそれを理解したのかはわからないが、そろそろと近づいてきた。そして、ミランダの眼を気にするようにしながら兄妹の距離感で頭を撫で、フィロシュネーの耳もとに唇を寄せて囁いた。
「青国は、滅びていません。青王陛下も王太子殿下も、……姫も、生きておられるので」
とても小さな声だ。
「……兄は、妹を心配しました」
ミランダに聞かせるように兄の声で言葉を続けて、サイラスがフィロシュネーの瞳を覗き込む。
眼差しにこの男らしくない温い情のようなものが見えたので、フィロシュネーはくすぐったいような気持ちになった。
「心配をかけてごめんなさい、お兄様」
小声を返すと、星のない夜みたいな漆黒の瞳が細くなる。
「姫は何も気にせず、お休みください」
囁く声はびっくりするほど優しい。
眉根を寄せた表情は、まるで本気で心配してくれているみたい。
しかし、続く言葉は。
「姫には何も期待しないので。もう寝てるだけでいいので。寝ていてください」
「さ……、さいらすぅ……」
わたくしが無能だと思っているわね。うん、わたくしもそう思うのっ!!
く、悔しい。
フィロシュネーは悔しさにプルプルと身を震わせた。
「寒いのですか、妹」
なんか、心配されている。
(み、見てなさい。あなたに『シュネー様のおかげで、助かりました』って言わせてみせますからぁっ)
フィロシュネーは目の前の『兄』を涙目で睨んだ。