186、兄さんは恋をしたことがあるから/陛下は困った方ですな!
空国のミランダ・アンドラーテ伯爵令嬢が婚約者候補から外れた。
「残る候補者はアリス様とカタリーナ様ですが、お兄様的にはどちらの方がよろしいとお考えですの?」
綺麗な赤色のベリーソーダで喉を潤して、フィロシュネーは兄である青王アーサーに視線を向ける。
アーサーとフィロシュネーは浜辺の宴の中、白テントで短時間だけ兄妹水入らずの時間を取ったのだ。
もっとも、丸テーブルを囲むように配置された椅子に座るのは、アーサーとフィロシュネーだけではない。サイラスも同席している。
アーサーは「お前はなぜ遠慮しないのか」という眼差しだが、サイラスは金のワイングラスを傾けて、堂々とまざっていた。
「……そうだな。シュネー、兄さんは、アリス嬢よりはカタリーナ嬢が婚約者がよさそうだと考えている」
どうやら、アーサーは婚約者をカタリーナにする方向で考えている。
フィロシュネーは妥当だと思った。アリスは見るからに兄に気がなさそうで、義務感たっぷりだったから。
(アリス様の外見は、紅国の女王陛下に似ていたのだけど……お兄様の好感度はカタリーナ様の方が上よね。カタリーナ様はモンテローザ公爵令嬢に似てて……わたくしが思うに、お兄様って、か弱い感じの令嬢がお好みなのでは)
思えば、兄の初恋として有名なモンテローザ公爵令嬢は病弱であった。次に心奪われたらしき反応を見せた紅国の女王陛下は、ふらふらと倒れかけたところだった。
そして婚約者候補のカタリーナは、もともとモンテローザ公爵令嬢に似ているアドバンテージがあったところに、刺されて海に落とされ、寝込むというトラブルがあったのだ。
兄のハートを射止められる条件があるとすれば、それを十分満たしている――フィロシュネーはそう考えた。
――殿方は、儚げで弱々しい淑女に庇護欲をそそられる……。
自分の愛読する恋愛物語の知識と照らし合わせ、アーサーとサイラスを順に見て、フィロシュネーは「まさに」と思った。
「わたくしは、応援いたします。カタリーナ様とお兄様はお似合いだとも思いますわ。……ご、ご参考までに、……」
「うむ?」
フィロシュネーは声をひそめた。王族の瞳に好奇心の光をいっぱい輝かせて。
「す、好きですの? 好きになりましたの?」
「……」
アーサーはそんな妹から視線を逸らし、ワイングラスを傾けた。
「シュネー、兄さんには特別、恋い慕う感情はない。兄さんは以前、恋をしたことがある――あれとは違う。あのような情は、二度と誰にも覚えぬであろう」
アーサーの声には真実味があった。照れ隠しではなさそうだ。
「そ、そうですの。……で、でも、最初は愛のない政略結婚から始まる夫婦でも、あとから愛が芽生えたりするケースはあるようですから、これからですわね」
「シュネー、兄さんの結婚は、あくまで政治的な目的によるものだ……愛など、なくてもいいのだ。相手を蔑ろにはしないし、悲しませたりもしないが、ほどほどに良好な仲であればいい……」
兄の移り気な空の青の瞳には、形容しがたい情が揺れていた。
喪失感のような。悲しみのような。
後悔のような。淋しさのような。
罪悪感のような。痛みに耐えるような。
――胸が締め付けられる、切ない感情だった。
(ああ。お兄様は、……亡くなった婚約者のモンテローザ公爵令嬢を、まだ愛していらっしゃるのだわ)
フィロシュネーはそれに気付いて、目を伏せた。
……考えが足りずに、はしゃいで、兄のこころの繊細な部分に切り込んで、傷に触れてしまった。
「不躾なことを聞いてごめんなさい、お兄様」
しゅんとなって謝れば、アーサーは慌てた様子で首を振って微笑みを浮かべた。
「いや、大丈夫だぞ、シュネー。シュネーはなんでも聞いていい。兄さんはなんでもこたえる。俺たちの間には、一切の遠慮は不要だ。……たった二人だけの兄妹なのだから」
* * *
兄との話を終えたフィロシュネーが宴から引き上げて客船の自室に戻ろうとすると、死霊がふわふわと足元を付いてくる。青国からついてきた死霊だ。
死霊は、もやもやとした煙の塊のような体でなにかを抱えていた。冊子のように見える。なんだろう、と気にしながら、フィロシュネーはサイラスを見上げた。
「サイラス、死霊はどうして付いてくるのかしら」
「懐いているのでは」
まるで小動物扱いだ。死霊は小動物とは違うでしょうに――もやもやした感情を胸におぼえつつ、フィロシュネーは自室に入った。
「こら。お前はいけませんよ」
部屋に一緒に入ろうとする死霊を、サイラスが咎める。
死霊はもやもやした体を揺らし、愛嬌を感じさせる動きでさきほどから抱えていた冊子を差し出した。
「くださるの?」
フィロシュネーは差し出されたものを受け取り、「ん?」と首をかしげた。
それは、日記帳のようだった。
「ふむ? 姫に仲良くしてもらっている娘の日記、と伝えたいようですよ」
サイラスが死霊の意思を教えてくれる。
「んっ……? わたくしと、仲良し……?」
フィロシュネーはすこし考えて、サイラスと死霊を部屋の中へ招いた。
* * *
寄せては返す波の音、人々が宴を楽しむ声。
(楽しそうで結構。私はぜんぜん楽しくありませんが)
青国の預言者と呼ばれる《輝きのネクロシス》の呪術師ダーウッドは、仲間であるカサンドラ相手にネネイへの恨みをこぼしていた。
空国のミランダ・アンドラーテ伯爵令嬢が婚約者候補から外れた。
しかも、競売場の会場も変えられてしまった。
《輝きのネクロシス》が黄金の林檎を狙っていることまでばらされてしまった。
「あの小娘……預言と嘘をついて。アーサー陛下は、預言を聞くべきだとおっしゃって……私が預言を言わないように、牽制まで! あの陛下が! 私にですよ!」
悔しそうに震える涙目に、カサンドラは「あらあら」と肩をすくめる。
「ダーウッドぉ、やはり、あの子は殺しといたほうがよかったのではありません?」
「カサンドラ、私も今、そう思っていたところです」
「それにしても可哀想ね。青国の預言者ちゃんは、王様に味方してもらえなくてご機嫌ななめなのねぇ」
「……!!」
カサンドラは爪に赤い塗料を塗りながら「せっかく会場に仕込みをしたのに。空国勢が会場を調べる前に痕跡を消しておこうと、今ワンちゃん一号がせっせとお片付けをしていますよ」と笑った。
ワンちゃんとは、シェイドのことらしい。
では二号は誰かというと、元青国貴族のシューエンだ。
「あの令息も、せっかくアーサー陛下に重用されていたのに……恩を仇で返すような振る舞いをして」
ダーウッドは世を嘆いた。
「なぜ、世の中は思い通りにいかないのでしょう。ミランダ・アンドラーテ伯爵令嬢にしても、私が一番、気に入っていた令嬢ですぞ」
過去の想い人に似た容姿の令嬢だと、代わりのようで嫌ではないか。あのミランダの方がよいではないか。
主君想いで、健気で、能力も高い。しっかりしていて、母性的なところがある。
「競売はどうします? ダーウッド。警備はますます厳重になってしまって、日にちはない、と……。あなたが責任を取って黄金の林檎を手に入れてくださいます?」
「無茶を……私は、海が苦手なのですからして……」
「そもそも、なぜそれほど海が苦手なのです?」
カサンドラが問うので、ダーウッドはトラウマを語った。
そもそも、ダーウッドの生まれた家は、呪術の名家だった。
入浴文化がない国であった。物心ついてからずっと檻の中にいた。
身体は浄化の術で清潔に保っていて、水は飲むものでしかなかった。
「そのあと、青国の……あのソラベルですよ、彼が私を引き取ったあと、突然とんでもない広さの湯に沈めて、わ、わ、私は、あの海で死ぬかと……頭まで沈められて……上からも湯をかけられて」
「それは、お風呂ね……あら。いとしの青王があなたをお探しですよ」
カサンドラが指さす方を見れば、自分を探す様子の主君がいる。つい先ほどまで、王妹となにか話していた様子だが、用事は済んだらしい。存在感のある青王の姿をみて、ダーウッドは口の端を笑ませた。
「陛下は、困った方ですな! 時間があるなら、婚約者候補に話しかけにいけばいいのに。あの方は少しおそばを離れただけで私をあのように探すのです。困った方です、まったく、まったく」
「あらあら、嬉しそうでなにより、くすくす」
カサンドラに茶化されながら、ダーウッドはフードを深くかぶって自分の主君のもとに向かった。
(――嬉しそう?)
そうだ。嬉しいのだ。
あの青年王が自分を構いたがるのが、依存してくれるのが、気持ち良い。
私が彼の一番だと感じる瞬間、特別な存在だと思うとき――私は嬉しくて、はしゃぎたくなるのだ。
……その自覚はなんだか罪深くて、ダーウッドはその本心を決して目の前の青年王には悟られてはならないと思った。




