165、職人画家バルトュスと夜の放火騒ぎ
彼は自信満々で「我こそは天才!」という思いが表情や姿勢に出ている――フィロシュネーはバルトュスという画家を見て、そんな感想を抱いた。
「価値はないが」
対するブラックタロン家当主フェリシエンの顔は、怠そうだ。
自分から近付いておいて、なぜそんな態度なの? とツッコミを入れたくなる陰鬱な気配だ。
「価値がないなら失せろ。しかもまた生意気な喋り方になっているじゃないか」
周りの後援者が「そうだそうだ」と続く。みんな、フェリシエンに言葉を投げることに夢中だ。
「近くに行きましょう」
フィロシュネーはアリスの手を引いた。
「えっ」
どよどよと騒ぐ集団へとそーっと紛れ込む。近くにいる後援者たちは「青国の王妹殿下!?」と驚いた顔をしているが、フィロシュネーが「しーっ」と人差し指を立てて、静かにしてもらった。
何か言いかけた人がフィロシュネーの背後を見て口を閉じたのは、サイラスが無言で威圧しているからだろう。
「ブラックタロン家は反国家運動を過去に何度もしでかしているのに預言者を多く輩出する血筋ゆえに爵位没収程度で許されている、胸糞悪い家であるっ!」
バルトュスは正義感めいた感情を瞳にのぼらせ、フェリシエンに油絵筆を向けた。
「吾輩の代になってからは反国家運動は少ししかやらかしていないが」
「少しやらかせば十分だ! 許されないっ!」
(絵画は見たことがあったけど、本人は初めてだわ)
バルトュスの絵画を見たことがあるフィロシュネーは、アリスの興奮が伝染したような気分になった。
現実の風景を切り取ったようにありありと描くバルトュスは、恋愛物語の挿絵を描いたりもしている。有名なのだ。
「吾輩、実は絵を描くのが趣味でして」
会話はつづいている。
(だから、あなたはどうして嫌そうなの)
フィロシュネーはフェリシエンに強い違和感を抱いた。
なにか言うたびに、「あー、苦痛で仕方ない」という表情なのだ。
(そんなに嫌なら、お相手も迷惑そうにしているのだから話を切り上げたらいいのでは……?)
しかし、フェリシエンはスケッチブックを取り出してバルトュスに差し出したりしているのだ。
「フェリシエン・ブラックタロン。おまえも絵を描くというのか。なんだそのスケッチブックは。まさか、この天才バルトュスの貴重すぎる時間を貴様の絵を見ることに費やせというのか!? まさか!?」
「そのまさかだが」
フェリシエンは感情のない人形みたいな平坦な声でぐいぐいとスケッチブックを押し付けた。
「敬語はどうした?」
と言いつつもバルトュスがぱらりと中を見ている。
「バルトュス様……無礼な男相手に貴重なお時間を費やされて……そんな勝手に押し付けてくるスケッチブックなど見なくてもいいですのに、お優しいのですね」
アリスがうっとりしている。
「そんなに絵に自信があるのか」
「ブラックタロン家の当主が絵を描くなんて聞いたことがないぞ」
周囲の後援者は首を伸ばして「どんな絵なんだ」と覗き込んだ。そして、次々と感想を口にした。
「うわ」
「落書き以下ではないか」
「よくバルトュスに見せられるな。面の皮が厚すぎるのでは?」
フィロシュネーもコソコソと見てみたが、そこには絵と呼んでいいのかもよくわからない線の集合体があった。
(絵なのかしら? わたくしには、わからないわ)
「俺には適当に三秒で線を引いてみた、というだけの線に見えますが」
サイラスが率直な感想を呟いている。
正直、フィロシュネーも同感だった。しかも、フェリシエン本人が肯定の声を返してくる。
「まさに。吾輩は適当に三秒で線を引いた」
「認めたぞ」
バルトュスは眉を寄せた。
「なんだこれは……これだから素人は。勘違いしているな、フェリシエン・ブラックタロン! 私のスケッチブックを見たまえよ」
バルトュスは自分のスケッチブックをめくり、何枚かの構想をフェリシエンに見せた。
(あらっ、フェリシエンのスケッチブックと似てる)
バルトュスのスケッチブックがフェリシエンのスケッチブックと区別がつかないような線の塊ばかりだったので、フィロシュネーは驚いた。
「凡人の域を超えた芸術、お前に理解できるか? フェリシエン・ブラックタロン」
「わからん」
「そうか、わかるか! しかし私はこの構想をキャンバスには描かない。私は芸術家ではなく職人だからだ」
わかるとは言ってないのでは? ――誰もがそう思ったが、バルトュスは止まらなかった。
「フェリシエン・ブラックタロン、お前は自らの作品を通して自分を表現しようなどと考えている芸術愛好家なのだろうな」
「いや、そのようなことはないが」
「フェリシエン・ブラックタロン。いいか、だからお前はだめなのだ。芸術愛好家め!」
「別に芸術愛好家ではないが」
(否定しかしないじゃない)
この男は恋愛物語で言うところの「ツンデレ」なのかしら。フィロシュネーは悩んだ。
噛み合わない会話を気にする様子もなく、バルトュスはペインティングナイフ片手に椅子から立ち上がった。
「私の作品はすべてが後援者の要望に従い制作している。私の感性の発露でも自己表現でもなく、求められるものをオーダー通りに制作したのだ。ゆえに、私は職人である」
画家バルトュスが「自分は職人だ」と言うのは有名だ。後援者たちは「俺たちのバルトュスのいつものセリフが出たぞ」と微笑ましく見守っている。
「――だからと言って私の格が芸術家より落ちるなどと思うなよ。技術を活かし、社会貢献している私は独りよがりで自己満足でしかない芸術愛好家よりも格上なのであーる!」
「いいぞ〜、バルトュス!」
「それでこそ我らがバルトュスだ!!」
後援者たちは喝采した。
と、ちょうどそのタイミングで、悲鳴が聞こえる。
「誰か、誰か! ファイアハート令嬢が船に火を!」
「――えっ?」
「火だって?」
「こっちです! 放火未遂です、ああ、火はもう消しました……!」
なんとデッキ船尾側で放火があったという大声が聞こえてくるので、フィロシュネーは驚いた。
「大丈夫です! すぐに消火したので安全です、皆様ご安心ください!」
「なになに?」
海のただなかに浮かぶ船での火災は、とても危険だ。騒然となったデッキを船員や警備兵が走り回り、何が起きたのかを説明してまわっている。
「アリス・ファイアハート侯爵令嬢が太陽神ソルスティスの聖印を手に聖句を唱え、放火しようとしていたのです! 制止したら逃げていきましたが……ややっ、そこにいるではありませんか!」
フィロシュネーの隣にいるアリスを捕えようとする騎士は紅国のノーブルクレスト騎士団に所属している様子で、全身鎧姿で、頭をすっぽりとグレートヘルムで覆っている。
「放火? え、……え?」
全くの寝耳に水といった表情で固まるアリスの手を取り、フィロシュネーは声をあげた。
「お待ちになって。アリス様はバルトュス様のファンで、わたくしと一緒にずっとここにいましたわ。ですから、それは何かの間違いです」
フィロシュネーが言うと、周囲も頷く。
「ずっといました」
「ええ、ええ」
証人がいっぱいいる。これなら大丈夫だろう、とフィロシュネーが思ったとき、サイラスは不審そうに声を挟んだ。
「その鎧はノーブルクレスト騎士団で徽章は第二師団のようですが、声に聞き覚えがありません。ヘルムを取って顔を見せてくれますか」
騎士は「チッ」と舌打ちをして背を向け、一目散に逃げ出そうとしてサイラスに一瞬で床に引き倒され、抑え込まれた。
「不審人物です。この者を調べてください」
空国の兵士が駆け付けて、不審人物を連れて行く。
それを見送って、サイラスはフィロシュネーの背を押した。
「姫はお部屋にそろそろ戻ってお休みください。物騒ですし、良い子は寝る時間でしょう」
「サイラス、今わたくしを子供扱いしたの?」
「失言でした」
「アリス様――」
アリスに別れを告げて部屋に戻ろうとすると、バルトュスがアリスに興味を示した様子で声をかけている。
「紅国のご令嬢とお見受けしますが、私のファンの方なのですか?」
アリスは林檎のように赤くなり、はしゃいだ声でこたえている。
「は、はい。バルトュス様のファンです」
「それは、……ありがとうございます」
アリスが身振り手振りをまじえて「どの絵がどんな風に好きか」を一生懸命語ると、バルトュスはスケッチブックにアリスの絵を描いた。ちょっと美化している姿絵だ。
「きゃあ! この絵は一生大切にします!」
「はは、お嬢様を喜ばせることができてよかったですよ」
「なるほど。喜ばせるための技術なわけですね。俺にはバルトュスの言ってる話がわかりましたよ」
サイラスが感心したように頷いている。
「さきほど連行した偽騎士ですが、太陽神の聖印を所持していました。自作自演が疑われます」
空国の兵士がやってきて、情報を共有してくれる。
これにより、アリス・ファイアハート侯爵令嬢は罪をなすりつけられそうになった被害者という立ち位置になった。
「隠れてのストーキング行為を続けていたら、証人がいなくて犯人にさせられてしまっていたかもしれません」
部屋へ戻ると挨拶をしたところ、アリスはもらった絵を大切そうに抱きしめて、感謝を告げた。
「バルトュス様に応援の気持ちを伝えることもできましたし、名前を覚えていただいて姿絵までいただきました……! フィロシュネー姫殿下のおかげです。ありがとうございます」
こうしてフィロシュネーはアーサーの婚約者候補アリスと少し親しくなったのである。




