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王女フィロシュネーの人間賛歌  作者: 朱音ゆうひ@11/5受賞作が発売されます!
3章、変革のシトリン

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163、正義は執行しなかった

 パーティ会場に戻ると、兄アーサーはモンテローザ公爵の社交のグループに加わっていた。


「ミランダ・アンドラーテでございます、青王陛下。妹姫殿下にはいつも大変お世話になっております」

 

 最初に声をかけたのはミランダで、その後にカタリーナとアリスが続く。


 アーサーは婚約者候補たちと和やかに挨拶を交わし、数分ほど談笑してから断りを入れてフィロシュネーと二人の時間を設けて「はぁ」と息を吐いた。


「シュネー、結論から言うが、正義は執行しなかった」

 できなかった、とは言いたくないらしい。


 フィロシュネーは兄の心情を汲み、「わたくしもモンテローザ公爵夫人とはあまりお話できなかったのです」と肩をすくめた。

 

「シュネー、神でも上手くいかないときはある……」

 兄が言い訳するように視線を逸らす姿は、あまり神様っぽくない。


 けれど、神様でいたいのだ。

 その気持ちがわかるから、フィロシュネーは安心させるように微笑んだ。 


「お兄様、お水をどうぞ」

「ああ。酔いを()ましたほうがいいと思っていたんだ」


 兄と一緒に喉を潤していると、空王アルブレヒトの堂々とした声が聞こえる。


「皆様ご存じかと思いますが、兄ハルシオンは呪術の名手です。本日はその兄が空に光の花を咲かせ、皆様の目を楽しませてくれるとのことです」

 

 わぁっと期待に溢れた声が船上パーティの会場に満ちて、ハルシオンがゴブレットを掲げる。

 傍らには、騎士の隊服に身を包んだルーンフォークが膝をついていた。


「空国王族からの、皆様への感謝と歓迎の気持ちです。お楽しみください」

 

 拍手と歓声の中、空へと光の筋がひゅるりと上がる。全員の顔が釣られて上を向く。


「ワァッ……」

 光は空の高い位置で、パッと円形に花を咲かせた。


 華やかに光を広げたあとは、下に向かって儚く落ちていく。

 大地の深いところには濃厚な魔力の層があって、そこが地上のあらゆるものを自分のほうへと引っ張っているのだ――ありとあらゆる物体が上から下に落ちる仕組みは、みんなが知っている常識だ。

 

 最初の花が落ちるのと入れ替わるように、次の花が空へと打ちあがって咲く。一つ、また一つと、煌めく光が続いて、空を飾る。

 

 チェリーピンク、ラベンダーヴァイオレット、スマルトブルー、スカイブルー、光華の美しい色彩は招待客全員の心を魅了した。


 そんな中。

(あら? ハルシオン様、ゴブレットに魔力を注いでいらっしゃらないし、ゴブレットも光ってない……)


 フィロシュネーは、違和感を覚えた。


 ハルシオンがゴブレットを使って呪術を使うところを見たことがあるが、ゴブレットに魔力を注いで使っていたのだ。 

 

「見事だな。俺も槍を爆発させたくなる」


 アーサーの少年のような声で言うので、フィロシュネーは違和感を思考の端に置いて意識をゴブレットから兄に切り替えた。


「槍はいけません、お兄様」

「そうだな、招待された身だからな」


 光の演出が終わると、会場中が拍手を贈った。ハルシオンが優雅に一礼する頃には、違和感はどこかに行っていた。


「お兄様、婚約者候補の方々とダンスを踊ってはいかが」

「ああ、そのつもりだ」

 

 わたくしはミランダがおすすめですわ、と言おうか迷ったとき、ハルシオンがミランダと話しているのが見えて、フィロシュネーはなんとなく言葉を飲み込んだ。

 

(当たり前のことだけど……ミランダが青王であるお兄様と結婚すると、青国の王妃になるのよ。そうすると、もう空国のハルシオン様の騎士ではなくなるのよね)

 

「シュネーもダンスをするといい。お互い社交を済ませたら、兄さんとも後で踊ろう」

 

 アーサーは視線でこちらに近づくサイラスを示して微笑んだ。

 

「そうそう、部屋に例の宝石を届けさせたので、楽しむといい」

「楽しむ……?」

 

 言い方に少し気になるものを感じつつ、フィロシュネーは兄を見送った。最初にダンスを申し込まれたのがカタリーナなのは、同じ青国の貴族で初対面ではないからだろう。


(次に誘うのは空国貴族で年上のミランダ、そしてアリス様の順番ね。良いと思いますわ、お兄様)

 

 入れ違いにフィロシュネーに声をかけるのは、サイラスだった。

 

 シックな白いドレスシャツがサイラスの蠱惑的な褐色の肌を際立たせている。

 胸元には女王に贈られた家紋入りペンダントをあらわにしていて、右耳と左耳とで別々の神の聖印付き耳飾りをつけている……初対面でも一目で「ただならぬ身分」とわかる情報量の多い恰好だった。

 

「ダンスにお誘いしたいのですがよろしいですか、俺のお姫様?」 

 誘う所作は洗練されて堂々としていて、すっかり一流の紳士だ。

(わたくし、結局この男に何も教えてないわ。勝手に変わっていっちゃった)

「喜んで」

  

 慣れた様子の自然なリードは、踊りやすい。

 

「神師伯様よ」

「まあ、素敵……」


 招待客の紅国貴族の令嬢たちのうっとりとした声が聞こえる。羨望のまなざしを感じて、フィロシュネーはにこにことした。


「ご機嫌ですね、姫?」

「わたくし、あなたが褒められると嬉しいの」


 軽やかにステップを踏み、リズムにあわせて踊る足元でドレスが華麗に広がる。

 

「可憐な姫に皆さんが見惚れていますよ」

「あなたも嬉しい?」 

「もちろん」


 間近に交わす言葉は駆け引きも何もなくて、疲れない。


 フィロシュネーはダンスの時間を楽しく満喫して、船内であてがわれた部屋へと引き上げた。

 

 扉の色は美しい瑠璃色で、内側には優雅な空間が広がっていた。


「わぁっ、過ごしやすそうな空間ね……!」 

  

 床には心地よいグレーの絨毯、重厚な木製のキャビネットやテーブル、乙女心をくすぐるデザインのドレッサー。ベッドは透け感があって通気性のよいカーテン付き。

 部屋の大きな窓からは、海の青が見渡せるようになっている。絶景だ。

 青国風の大きな浴室も完備されている。半露天の造りで、海を眺めながらの入浴が楽しめる贅沢な空間だ。


「こちらは、お兄様からの贈り物ね」

 

 部屋にはアーサーからの贈り物も届いていた。

 アーサーの手書きと思われるカードが添えられた、小さくて可愛らしい宝石箱だ。

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