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王女フィロシュネーの人間賛歌  作者: 朱音ゆうひ@11/5受賞作が発売されます!
2章、協奏のキャストライト

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147、アルメイダ侯爵が妻に負ける日

 朝がまた訪れて、祭りムードの紅都では心配そうな声が交わされる。


「青国の侯爵家の公子様が行方不明なんだってさ」

「また事件か……外交関係にヒビが入ったりしないのかな」 

「この場合って、紅国の責任になるの?」

 

(ヒビが入るのは大歓迎だが、我が国の落ち度にされるのは避けたいものだ)

 アルメイダ侯爵邸にて、家長であるシモン・アルメイダ侯爵は不機嫌に邸宅の廊下を歩いていた。


「坊ちゃん、獣人のお客様は一命を取り留めました」


 幼少期からアルメイダ侯爵に仕える執事がコソリと教えてくれる。


「そうか。坊ちゃんはよせ」

 思い通りにならぬ現実の中でも、喜ばしい出来事はあるものだ。

 

「完治したのか」

「それが、呪い自体は緩和するしかできず……進行を遅延するのがせいぜいと」

 

 喜ばしい現実も、薄い氷の上に辛うじて置かれている程度らしい。

 

「他の神殿も頼るといい――死神コルテの神殿以外でな」

「坊ちゃん。お言葉ですが、死霊の呪いなら死の神コルテの神官が専門であると……」

「他を当たれ。坊ちゃんはよせ」

 政敵である女王の騎士サイラス・ノイエスタルがコルテ神の神師になったのだ。コルテ神殿に貸しは極力作りたくない。

「はっ」

 

 アルメイダ侯爵が発見したとき、獣人シェイドは負傷し、死霊に呪われて死にかけていた。

 放置すれば確実に死ぬ――その命を気まぐれに拾ったのは、シェイドがカサンドラの仲間だと知っていたからだ。

 

(カサンドラの仲間だからな。恩を売ってやろう。……まあ、あの女は仲間が死んでもなんとも思わない気もするが)


「エリオット殿下に子馬を贈る。手配しておくように」

「かしこまりました、旦那様」

「カーリズ公爵より先に贈るんだぞ」


 王弟エリオットのあどけない顔を思うと、苛立ちが少しおさまる。

 あの無知な王弟は、今のところ自分にまあまあ懐いている。カーリズ公爵にも懐いているが。


「エリオット殿下の一番の寵臣の座は、私がいただく」 

 

 打倒女王を果たした際には、エリオット殿下に紅王としてご即位いただくのだ。

 扱いにくい女王と違い、幼君はよき傀儡王(かいらいおう)となってアルメイダ侯爵の好きにさせてくれるだろう。

 

「しかしカサンドラのせいで、私の地位が危ぶまれているのだ。愚かな女狐め!」

「あら、あなた」


 妻カサンドラの部屋の扉を開けると、カサンドラはソファに横たわる少年を愛でていた。


「なっ!!」

 

 アルメイダ侯爵は驚いた。その少年はたいそう可愛らしい……青国のシューエン・アインベルグ侯爵公子だったのだ。


 意識がない様子だが息はある。服をちゃんと着ているので、アルメイダ侯爵は少し安心した。これで裸でベッドの上だったら目も当てられない。


「か、カサンドラ! その公子はどうした……」

「可愛いでしょう? 拾いましたの」

「ひ、ひろっ……」


 その公子が行方不明で、大騒ぎなのだぞ。

 ばれたらどうなると思っているのだ。カサンドラに常識を求めてはいけないのかもしれないが、次から次へとやらかさないでほしい。

 

 夫の内心をあざ笑うように、カサンドラは(あで)やかに口の端をつりあげた。


「私の新しいペット……愛人くんです」

「あ、あ、愛人! その少年は他国の公子だ、各国が総出で探している最中なのだ。返してこい」

「いやーん」

 

 いやーんとはなんだ。ちょっと可愛いと思ってしまう自分が腹立たしい!


「そもそも私はお前を(さと)しにきたのだ。私の妻として生活をつづけたいなら、私の立場を悪くするな!」


 しかしカサンドラは気にする様子もなく、白く細い腕を夫に絡めてくるのだ。

 ふわりと鼻腔をくすぐるのは、蜜のような香り。

 男の理性を溶かすような、官能的な香りだ。

 

「ぐっ……」


 妻の肉感的な紅い唇から、ちろりと濡れた舌が見える。長い睫毛に彩られた美しい瞳に上目に見つめられる。その眼差しには、ぞくりとするほどそそられるものがあった。

 

 誘われている――アルメイダ侯爵は己の理性を総動員して男の本能に(あらが)った。


(このような誘惑になど!)

 屈さぬ! と思った瞬間に妻がにやりとして、顔を大胆に寄せる。


 チュッ。

 軽いリップ音をたてて、小鳥がついばむようなキスがされる。その瞬間、心臓に羽が生えた気がした。実際生えてはいないが、心がキュンッ、フワッとしてしまったのである。頬はカッカッと熱くなって、だらしない表情をしてしまいそうだ。

 (よろこ)んでしまっている――自覚して、アルメイダ侯爵は焦った。


「ふふっ、あ、な、た……嬉しそうですわね?」  

「……!」

 そ、そんなことはない!


 気紛れな女王気質の猫が懐くように、すりすりと体がこすりつけられる。その腰の動きは目の毒だ、カサンドラ。

 

 狼狽するアルメイダ侯爵の首筋がやわやわと撫でられる。その撫で方がいかにも「私は慣れてますよ」という雰囲気なので、アルメイダ侯爵はむかむかした。

 

(大人しくされるままにはならぬぞ。舐めるな! 毅然(きぜん)とした態度で拒絶してやる) 

 

 自分の体から引きはがそうと肩を(つか)むと、妻の肩はあまりにも華奢だった。掴んだ瞬間にグッとくるものがあった。オスの本能が駆り立てられる感触だ。

 

 次の瞬間には、身体が勝手に妻を抱き寄せている。認めたくないが……、


 ――欲しい。

 妻を求める自分がいる……。


「……良いのですよ、旦那様」


 ふ、と吐息を紡いで、カサンドラが艶やかに笑む。紅い爪がアルメイダ侯爵の手を取り、胸の鼓動を教えるように指先を谷間へ導くのだ。


 ソファで眠る少年が気になる。いや、もうどうでもいい。


(わ、私は誘惑に屈したわけではない。どちらが上の立場か、わからせてやるだけだ)

 

「あんっ」 


 アルメイダ侯爵は(あお)られるまま、妻を抱き上げてベッドに運んだ。はしゃぐような艶めかしい声があがる。可愛いと思ってしまう自分がいる!


(お前の夫は私なのだとわからせてやる……!)

 妻を叱り、諭すのだ。夫に従えと言ってやるのだ。私が主人だと教えるのだ……。

 

 アルメイダ侯爵は妻の体に覆い被さり、ベッドに縫い止めるように体温を寄せた。そして、独占欲を丸出しにして妻の唇を貪った。



 * * *


 知らない部屋にいる。しかも、なんか情事が行われている。 


(ちょ、ちょっと。人が寝てるすぐ近くで何をなさって……あと、ここはどこですか……) 


「んふふふふ……あなた、気持ちいいのですか? 可愛らしい……」

「あ、アッ……カサンドラ……ッ」


 しかもこの夫婦、妻が上手(うわて)で夫が翻弄されてる……チラッと見たシューエンは慌てて目を逸らして寝ているふりをした。


(僕には刺激が強すぎでございますっ……)

 シューエンはとても困った。


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