142、俺はあなたを愛しています
カラフルな旗や幟が風に揺れる、紅都。
「神殿から発表があったのです。神託が降りたのだと」
棒付きの赤い果実飴を差し出しながら、サイラスが教えてくれる。フィロシュネーは飴を受け取り、頷いた。祭りの明かりに赤い果実飴がきらきら輝いて、綺麗。
「神託って、お告げですわね? 預言と似たようなものかしら」
「さようですね。神殿の高司祭が預言をした、とイメージするとわかりやすいかと」
フィロシュネーは頷いた。
(そのイメージですと、わたくしには嘘のお告げに思えてしまうのだけど)
先ほどから、謎の張り詰めた空気がある。
ぴり、ぴり、と空気が紫電を孕んでいる気がする。貴賓席のフィロシュネーの前で膝をつくサイラスの気配は、切れ味のよすぎる剣のようでちょっと怖い。どことなく周囲が遠慮するように距離を取っているのも気になる。
フィロシュネーの表情をどう解釈したのか、サイラスは安心させるように微笑んだ。
「肩書きが一つ増えただけですよ。せいぜい婚約を確定させる程度の権力です」
「おめでとう……」
ん?
今、重要なことをさらっと仰った?
「ありがとうございます」
サイラスは機嫌よく言って、リングケースをみせた。
「青王陛下のお許しをいただきました。姫の同意が得られれば、俺を婚約者に決定してもよいと」
「えっ」
ケースから出されたのは、洗練されたデザインの指輪だった。眩い陽光を浴びて、白銀色に輝く指輪のアームには、メッセージが刻まれている。
『愛のために』
メッセージを見たフィロシュネーの心臓が、とくんと鳴る。
自分に向けられるサイラスの黒い眼差しは、ちょっと真剣すぎると思うほど。紡がれる声は、直截すぎると感じるほど。
「俺はあなたを愛しています。姫は俺を選んでくださいますね」
ずばりと言うのだ。尋ねるというよりは、確認のように。
(わ、わぁ……っ)
これはプロポーズではないかしら。かぁっと頬が熱くなる。
「そ、それはもちろん。もちろんよ」
「……もちろん、姫はそう仰ると思いました」
ふわり、と緊張を解くようにサイラスが気配をやわらげる。それに伴って、周囲にあった張り詰めた空気がふっと穏やかになった。
(な、なあに。その「わかってた」みたいな仰りよう。む、むむう……)
早鐘を打つ心臓を、服の上からぎゅっと押さえるフィロシュネーの手にサイラスの手が重なる。厚くて骨ばっていて、大きな手だ。長い指が指輪を填めてくれて、幸福感が指先から全身に広がっていく。
「では、あなたの婚約者は俺ということでよろしいですね? 姫?」
指輪を嬉しそうに撫でられて、フィロシュネーはもじもじと頷いた。そんなに満足そうに笑むのはずるい、と思いながら手を伸ばして黒髪に触れると、サイラスはよく懐いた猛獣のように大人しく、されるがままになっている。
「よしよし、しめしめ」
小さく言えば、日常の気配をともなって軽く頷いてくれる。
「よしよし、しめしめ」
合言葉のように同じ言葉を返すサイラスの瞳は、活力と生気に満ちていた。
陽の光あふれる明るい世界の中、きらきらと輝いて――吸い込まれそうなほど、美しい。
青空を鳥がはばたいて、どこかへと飛んでいく。
* * *
(ああ~~……)
少し離れて結末を見届けたハルシオンは、そっとその場から距離を取った。
あの時ライバルを助けなければ。
そんな想いがどうしても湧く。
「けれど、私は正しいことをしたんだよ。あれでよかったんだ」
自分に言い聞かせるように呟いて、カントループの仮面をつける。
耳に、綺麗で賑やかな音楽がきこえる。人々の笑い合う声がきこえる。
(私はちっぽけな、ただの人間になった気分で、たくさんの中に埋没できる。素晴らしいね、カントループ?)
もうひとりの自分に心の中で語りかけるようにして、ハルシオンは足元の灰色の石畳を見た。
(今も……神様は見ていてくれてるのかな)
胸が痛いんだ。
(でも、私はたいしたアプローチもしなかったじゃないか。仲を深めるための努力をしなかった。頑張らなかったじゃないか)
世の中は、自分の思い通りにならないんだ。
それは素敵なことで、でも辛いんだ。
ひとりじゃない世界は、嬉しいんだ。
けれど、ひとりじゃないから、他者が自分の心に波風を立てる。胸が張り裂けそうになることも起きるんだ。
じわじわと情けない思いが湧く。
――私は、選ばれなかった。
(敗色濃厚な状態から未来を変えるなら、ライバルの何倍も必死にならないといけなかったのに、私は必死になれなかったんだ。腰抜けさ)
「商会長。串鳥がありましたよ。毒見もばっちりです」
「商会長、いちご串です」
左右を固めるようにして、ルーンフォークとミランダが食べ物を見せてくる。
(ああ、気を使わせてしまった。私は格好悪いな)
ハルシオンは二人の騎士に笑顔をみせて、二つの串を受け取った。
街角、屋台の呼び込み、食事をするスペースの片隅……いたるところで、名前も知らない人間や亜人が演奏したり踊ったり歌ったりしている。リュート、角笛、ギター、……仲の良い友人知人、家族で楽器を持ち寄って、みんな気軽に楽しく過ごしている。
「お父様!」
「セリーナ。心配して、パパ迎えにきたんだよ……! 遅くなって悪かった……!」
「お父様……っ」
可愛らしい令嬢の声がする。青国の旗を掲げたメリーファクト商会の店の前で、父娘が抱き合っている。
フィロシュネーの学友である令嬢だ。
「あ、シューエンくんだ」
ルーンフォークが隣で呟いて、手を振っている。
ハルシオンの視界に、もうひとりの『婚約者候補だった男』が映る。『失恋濃厚会』の同志でもあるシューエンは、少し背が伸びて――
(なんだ……あんまり、落ち込んでないんだ。スッキリした、みたいな顔をして)
ハルシオンは、パッと顔をそむけた。
――彼も自分と同じだと思っていたのに。
そう思うと、ネガティヴな感情の波がまた荒れて、胸がもやもやとする。
「殿下」
小さな声でミランダが呼びかけてくる。
おろおろとした気配で、ハンカチなんか取り出して。私が泣くとでも? もう泣いている?
「……っ」
こんなみっともない姿を、他人に見せたくなんて、ない。
相手がミランダでも――そう思った瞬間。
バシャッ、とハルシオンの頭に冷たい水がかけられた。
「!?」
「あっ、手が滑りましたあ」
ルーンフォークだ。覇気のない、弱気な声がどこか憎めない風情で言う。
「大変申し訳ありません、シューエンくんに新しく編み出した水芸を披露しようとして失敗しました」
ルーンフォーク、それは無理のある言い訳ではないか。ハルシオンは思わず鬱々としていた気分を忘れて、つっこみしそうになった。
「ルーンフォーク! なんてことを」
「ひぃっ、す、すみません」
ミランダが怒っている。
「乾かします、殿下。こちらは新しく編み出した温風の呪術です」
ルーンフォークの指が虚空に文字をつづるように踊り、ハルシオンの頭上から新しい水が降ってくる。周囲の民もびっくりして距離を取っている。
「ルーンフォーク、温風じゃなくて水が出ましたよ? ……ふふっ……ああ、食べ物も濡れてしまって……」
「ああ~、今日は調子が悪いみたいです、申し訳ありません」
わざとなのだろう。それがわかるから、ハルシオンは胸がいっぱいになった。
「ルーンフォーク!」
説教を始めようとするミランダをおさえて、ハルシオンはへらりと笑った。笑うことができた。
「調子が悪い日は、誰にでもありますね。いやあ……、私はちょうど今、水浴びしたい気分だったのです。今日は……暑いですからねぇ……!」
「で、ですよね。俺は殿下の水浴びしたいご気分を察したんですよぉ……。で、ですからミランダさんは怒らないでくださ……」
風に乗って、ハーモニカの音がきこえる。
「私もオカリナを披露しましょうかねえ」
いい感じに注目も集まっていることだし。
ハルシオンはいつも通りの『カントループ』の飄々とした笑みを浮かべて、水に濡れたまま大道芸人のようにオカリナを吹いた。
いつかのように歌ってくれる彼女はいなかったけれど、変わらずルーンフォークとミランダがいる。
神様も、もしかしたら見ていてくれるかもしれない。
そう思うとハルシオンは、救われる思いがするのだった。




