141、音楽祭の始まり、ノイエスタル神師伯
トランペットの音が華やかに鳴り響く。
――音楽祭の幕開けだ。
開幕式の舞台で、フィロシュネーがミニハープを手に清楚な声を響かせる。
「わたくしたち青国は、紅国との末永き友好を願っています」
学友たちが笑顔で頷いて、拍手が湧いた。
観客の期待と興奮に、緊張が高まる。晴れの舞台という特別感の中、弦が指先に触れる感触が「いつも通り」という感覚をくれる。一緒に壇上にいる友人たちの存在も、頼もしい。
ステージから見える貴賓席では、アーサーとダーウッドが保護者の温度感全開で見守ってくれている。心配そうな二人へと、フィロシュネーは安心させるように微笑んだ。
(大丈夫ですわよ、ご安心ください)
自分や身内の命の危機に遭遇した時にくらべれば、怖くない。みんなで練習した自信もある。
演出用にと魔法使いが咲かせた光の華が、白銀の髪をきらきらと煌めかせ。長い睫毛に彩られた瞳は光の加減や角度で複雑に色合いを変えて、人々を魅了する。その美しさに、会場中から自然とため息がこぼれた。
「あれは移り気な空の青というのだ」
紅都民の男が、近隣都市から来た人に訳知り顔で教えている。隣にいる妻は苦笑気味だ。
「この人ったら、青国の姫殿下が紅都にいらした日からずっと追っかけしてるのよ」
「もうすぐ帰国してしまう……寂しいなあ」
「今のうちにご尊顔を拝んでおきなさい」
ステージ上のフィロシュネーたちが楽器を準備して「今から弾きますよ」という気配をみせると、静寂が一瞬会場を支配する。
――♪
オリヴィアの指先がしなやかに弓を引く。ヴァイオリンの弦から生まれる音色が空間を満たして、伸びやかな音色が、聞く者の心を鷲掴みにする。
ポロロロロ、とピアノの音が走り出す。
白色と黒色のコントラストが綺麗なピアノの鍵盤の上を、セリーナのほっそりとした指先が踊り出す。
気持のよい出だしだ。フィロシュネーは成功のイメージをはっきりと抱きながらミニハープを爪弾いた。
――♪
水面に広がるさざ波のように、旋律が響き渡る。
可憐な姫たちの奏でる楽器が織りなす響きは、紅国の民を魅了する。神々の存在を信じる彼らは神話を想起した。演奏する異国の姫たちが、天上から地上に祝福をあたえる女神のように思われた。
演奏が終わりを迎えて最後の音が優雅に消えると、聴衆は我先にと大きな拍手を贈った。
「ワアアアアアアアッ……!!」
退場するフィロシュネーに代わり、ステージ上に女王アリアンナ・ローズが登壇する。
旗持ち騎士が誇らしげに掲げるのは、自国と友好国の旗だった。
女王の声が玲瓏と響く。
「わらわたちの国と南の二国とは、固い絆で結ばれています。歴史の深い流れが、わらわたちを結びつけ、共に歩む道を示してくれています。この祭典の場で、私は心から宣言いたします。……我が国と南の二国との友好関係は永遠です!」
若き女王は拍手に包まれながら、自身の騎士を招いた。
ゆったりとしたマントを背になびかせて、サイラスが黒い神官服の神官と共にステージ上にあがる。
「ノイエスタル様だ」
「叙勲されるんだ……」
「おお……!」
紅国の民がささやきを交わす。サイラスは、彼らの英雄騎士なのだ。そんな民の期待にこたえるように、女王は言葉を紡いだ。
「友好と調和の象徴たるこの祭典の開催の影には、青国や空国の多大なるご支援、ご活躍と、わらわの騎士にして国家の英雄ノイエスタル卿の献身がありました。彼は、青国のフィロシュネー姫の婚約者候補としても知られていますね」
警備にあたっている第二師団の騎士たちが、誇らしげに壇上の上司を見ている。
「わらわはサイラス・ノイエスタル卿に伯爵の位を授けます」
女王アリアンナローズは宣言し、さらに言葉を足した。
「そして、わらわは皆さんにもうひとつお知らせをしなければなりません……」
神官たちがその声に立ち上がり、黒い杖をかかげる。
すると、サイラスの全身が神秘的な彩の光に包まれた。穏やかな夜の色。星を抱く藍色。母なる海の色。光はきらきらと美しく彩を変えて、空気に溶けるように消えた。
「おおっ!!」
紅国の民が興奮気味に声をあげている。フィロシュネーには光の意味がわからないが、それは神聖な光のように思われた。
女王が告げる。それが、確かに神聖な光なのだと肯定するように。
「このたび、コルテ神殿は彼が神師であるという神託を得ました。ゆえに、彼を神師伯と呼びましょう」
「しんしの器? 紳士?」
フィロシュネーは、聞き慣れない言葉に戸惑った。
「青王陛下の至高の地位より下ですが、特別な存在です。紅国の民にとっての聖女や預言者のようなものと説明すればイメージしやすいでしょうか。青王陛下より格下なのは間違いございません」
預言者ダーウッドが隣で説明してくれる。さらに隣で青王アーサーが「うむ!」と元気に頷いている。至高扱いされて嬉しいらしい。
「紅国は多神教です。それぞれの神ごとに選ばれし特別な聖職者がいたりするのですな。だいたいは神殿同士が対抗意識を燃やしてそれっぽいお飾り役職者を立てているだけで、中身は特別でもなんでもなかったりします……こほん」
すらすらと説明していたダーウッドが最後の部分で気まずそうに口をつぐむ。その気持ちがフィロシュネーにはわかった。
お飾り役職者が預言者や青王のようだ、と思ったに違いない……。
「真相はさておき――紅国の民は真実だと受け入れているようです」
「わああああああっ!!」
観衆が割れるような喝采を送っている。
「ノイエスタル神師伯、ばんざい!」
「女王陛下に栄光あれ!」
女王に促されて立ち上がったサイラスは、民に応えるように手を振り、フィロシュネーを見て破顔した。
ステージ上で歓声を浴びる彼の笑顔は、真夏の太陽よりも眩しかった。




