131、お前は自分で王に選んでおいて、俺が嫌なのか
フィロシュネーはその時、兄の腕の中にいた。
兄アーサーの移り気な空の青の瞳が、繊細な色合いをみせている。
兄は頼もしい存在だ。
でも、どこか無理をしているような気配もする。
「お兄様、お久しぶりですわね。迎えにきてくださったのですね。嬉しいですわ」
フィロシュネーがニコニコと微笑むと、兄の気配がホッと安心したように緩む。
「フレイムドラゴンの群れは離れた。紅都は守られたぞ。安心するように」
「よかったですわ、お兄様。さっき、お父様とお母様が守ってくださったのよ」
「うぬ? 父と母っ……? ど、どういうことだシュネー。死にかけたということか?」
「わたくしもよくわからないのですけど、お父様とお母様は霊になって守ってくださったのです。ねえ、ダーウッドも見ましたわよね? あと、周りにいるミストドラゴンも、守ってくださったのですわ」
「は」
話を振ると、一緒になって抱えられた状態のダーウッドはフードをかぶって顔を隠していた。
発する声は、表面的には冷静そうだ。
これはアーサーの目を意識して、預言者っぽく神秘的に振る舞っているのだ。フィロシュネーにはわかった。
「アーサー陛下。ご健勝でなによりでございますぞ。暑苦しいので放していただけますかな」
ツンと言い放つ預言者の言葉に、アーサーは拗ねた子供のような顔になった。
「ダーウッド。お前はなぜ何も言わずにいなくなったのだ? 自分で王に選んでおいて、俺が嫌なのか。閨教育ならアルブレヒト陛下に頼もうと考えているから、安心していいぞ」
「アーサー陛下は不在にも気づかぬかと思っておりましたが……ねや? ……なんのお話ですかな?」
「普通気にするだろう。なぜ気にしないと思うのだ。お前さては俺が脳筋のぼんくらで臣下の動向を把握しないで槍ばかり振ってると思ってたな。閨問題については心配いらぬと言っているのだ」
「……なんのお話ですかな……?」
「それで、大切なことであるが……お前は自分で王に選んでおいて、俺が嫌なのか」
「はあ……?」
(ダーウッド、わたくし今あなたの気持ちが手に取るようにわかりますわ。「全然わからない。しかし私は動揺などしませんぞ」と思っていますわね?)
兄は何を言っているのだろう。フィロシュネーにもわからない。
(わたくしの兄はなぜ閨の話を始めてしまったの? お兄様とアルブレヒト陛下に何があったの?)
この話は深く質問していいのだろうか。閨に関する話は兄とはしにくい。フィロシュネーは真剣に悩んだ。
周囲を固める青国の騎士団は、楽器を取り出して演奏を始めている。王族たちの会話についてはあまり気にしてなさそうだ。
「ミストドラゴンに感謝と友好の意思を伝えよ」
指揮を執るのは、シューエンの父であるヘルマン・アインベルグ侯爵騎士団長だった。
騎士たちが勇壮な演奏を響かせる中、ダーウッドは勇気を出した様子で切り込んでいる。
「あの変態に何を教わると仰いましたかな? 陛下?」
「お前は俺の友を変態と呼んではならぬ。彼は俺にとって大切な存在なのだぞ。あと質問にこたえていないぞ、お前は自分で王に選んでおいて、俺が嫌なのか。どこが不満だ、言って見よ。閨問題なら解決するぞ」
アーサーはしつこかった。
「陛下、少しお会いしない間に何か拗らせていらっしゃいませんかな。変……の悪影響ですかな。変……と親しくしてはなりませんぞ」
「お前、今また」
「ちょ、ちょっと。喧嘩なさらないでぇ……?」
フィロシュネーがおろおろと二人を宥めていると、二頭の馬とその騎手が近づいてきた。ハルシオンとサイラスだ。
「サイラス。ハルシオン様」
フィロシュネーは見慣れた二人の姿にホッとしながら手を振った。
別の方向からは紅国の騎士団が接近してくる。
「姫」
「シュネーさん!」
馬から降りて駆け寄る二人に、アーサーが刃のような視線を投げかけた。
「俺の目の前で俺を無視して妹にちょっかいを出す悪い虫はいないだろうな」
地の底から響くかのように低く、爆ぜる直前の火の粉のような危うさのある声が二人に向けられる。
ハルシオンとサイラスは競うように挨拶した。
「ややっ、ご挨拶申し上げます、アーサー陛下。このような偶然の出会いに感謝申し上げます、その物騒な槍はなんですかぁ」
「陛下、ご機嫌麗しゅうございます。我が国へのご訪問を心より喜んでおります、武器を向けないでいただきたく」
「妹の婚約者候補、空国のハルシオン殿下に、紅国のノイエスタル準男爵。我々が一堂に会することは稀な機会だ。この機会を通じて、我々の関係を深め、より強固な絆を築いて参ろう」
アーサーは眉間に深い皺を寄せながら友好的なことを言っている。が、その手には槍が。
「陛下。その手に握る槍はなんですかな、なりませんぞ」
「お兄様、わたくしの婚約者候補たちに槍を向けないで」
周囲では、青国の騎士たちが音楽を奏でている。
ミストドラゴンたちは多様な音色が陽気に鳴る合奏が気に入ったらしく、尾や首を揺らして喉を鳴らした。
「フレイムドラゴンを懐かせることはできなかったが、ミストドラゴンはいけるのではないか」
青国の騎士たちが目を輝かせた時。
「アーサー陛下。紅国の騎士団が咎人を引き渡すよう求めています」
アインベルグ侯爵騎士団長が報告の声をあげた。
(あっ、そういえば)
ダーウッドがまた困ったことを言い出す前に、とフィロシュネーは口を開いた。
「お兄様、紅国のノーブルクレスト騎士団第一師団は、勘違いをなさっているのですわ!」
「ん。勘違いとはどういうことだ、シュネー?」
とにかく、兄を味方につけるのだ。
ダーウッドに任せたら、自分から断頭台に歩いていきそうだ。ここは兄を頼るのだ。
フィロシュネーはそう方針を定めた。
「ひ、姫殿下」
「ダーウッドはお黙り」
ぴしゃりと言って、フィロシュネーは早口になった。
「移ろいの術や火炎を扱うのが特徴の悪い呪術師が、紅国で色々な悪さをしていたのですわ。紅国の方々は、ダーウッドがその呪術師ではないかと疑っているのです。迎賓館にやってきたので、せっかくなのでフレイムドラゴンと戦って頂くのはどうかしらと思って逃げて連れてきたのですわ」
鳥に乗っていた部分などは、どう説明しよう。
悪の呪術師は紅国の騎士たちの目の前で鳥に変身して飛び出したのだ。その部分は兄にも伝えたいが、どうしよう?
フィロシュネーが迷っていると、ダーウッドが続きを引き継いだ。厳かで神秘的な預言者を演じる声だ。
「陛下。悪しき呪術師がいたのでございます」
「ふむ。続けよ」
何を仰るのかしら。フィロシュネーはドキドキした。
「ふっ。呪術師は何を勘違いしたのか、愚かしくも、私を殺害したと言い出したのです」
「ほう」
「私はご覧のとおり、生きていたのですが、……」
「どうした」
「……」
途中まで自信満々だったのに、最後の方は言葉に詰まっている。
(その気持ち、わかるわ)
フィロシュネーは脳内で一人会議をした。
『シュネー、質問よ。呪術師はどこに行ったの? はい、鳥さんになって逃げました!』
『シュネー、質問よ。わたくしはなぜ呪術師の鳥さんに乗ったの? はい、それは鳥さんがダーウッドだからですわ』
『シュネー、それはダメよ。それでは呪術師がダーウッドだって言っているようなものじゃない』
『シュネー、質問よ。鳥さんに乗った理由はさておき、わたくし鳥さんに乗ってここまで飛んできたわね。そして鳥さんの姿はなくなって、ここにはダーウッドがいるのよね。鳥さんはどこにいったのかしら? ダーウッドはどうやってここまで来たのかしらっ?』
『そ、その質問は辛いわ。どうしたらいいのかしら!』
数秒の沈黙が流れる。
アーサーは押し黙ってしまったフィロシュネーとダーウッドを見比べるようにしてから、首をかしげた。
「ふむ……?」
そんな現場へと、紅国の騎士たちは無慈悲にも到着する。
そして、「そこにいる呪術師を引き渡すように」と言い出すのだった。




