119、第二師団の禁止ワードは「ろりこん」です
カントループ商会だ。
商会長のカントループが犯人だ。
そういえばあの商会は、クラーケン商会とも手を結んでいるではないか。
――そんな声が、ふと途絶える。
「ふぅ……楽しいティータイムでしたわ。紅国の騎士様が壁を壊す余興を見せてくださったのも、刺激的でしたわね」
余裕たっぷりの落ち着き払った声は、可憐だ。
「フィロシュネー姫殿下……」
騒いでいた紅国の騎士たちが慌てて通路の脇に寄り、礼をする。
歩むフィロシュネーの耳で、しゃらり、と耳飾りが揺れる。
自分のすぐ前を通り過ぎる姫姿を、騎士が夢見るような顔で見送った。
「良い香りがした」
「おいっ」
思わずふわふわした声で呟いた騎士は、あわてて口をおさえた。
「妻には黙っててくれ」
「ろりこん」
「それは我が師団では禁句だぞ!」
ノーブルクレスト騎士団の第二師団では、ノイエスタル団長が気にしている一部の単語を団員たちが自主的に「口にしてはいけない言葉」にしている。ろりこん、とか。年の差、とか。
なにせ、団長は婚約者候補の姫君との年の差を気にしすぎて女王公認の年齢詐称まで始めたのだから!
騎士たちは目に見える地雷を「おい、気を付けろ」と声かけ注意しあって回避する日々なのである。
* * *
部屋を移動したフィロシュネーは、侍女のジーナに頼んで学友たちを招いた。学友より先に、医者や騎士が被害者扱いして心配してやってくる。
「事件なんてあったかしら……わたくし、お友達に演奏を披露して、お茶とお菓子を楽しんでおりましたの」
その心を察してか、人間姿のダーウッドが杖をカツンと鳴らして静かに威圧してくれている。
「姫殿下はご学友との心休まる時間をご所望です」
医者や騎士が追い返され、代わりに学友たちが訪れる。
「姫様、なにやら大変だったようで」
「カントループ商会とお聞きしたので、あまり心配していなかったですが」
オリヴィアとセリーナはカントループ商会の奇行に免疫ができたようだった。セリーナが奴隷にされかけた事件の心の傷も浅く、元気そうなので、フィロシュネーは安心した。
美しい庭園をのぞむ窓際のテーブルに、カントループ商会の商品である透明なガラスのティーカップが並ぶ。ローズクォーツの色やスミレ色をした蝶々の模様があって、上品で可愛い。
「カントループ商会の方が教えてくださったのですが、紅国の民は生活魔法が使えない方がとても多いのだそうですよ。ですから、魔法で氷のキューブをつくったり、食べ物を冷やして保存するボックスがたいそう売れるのだとか」
侍女のジーナが魔法で紅茶を冷やしながら、「これです」と氷のキューブをカップに浮かべる。
氷のキューブがティーカップの中でゆっくりと漂い、室内の照明を浴びてきらきら輝く。ティーカップの内側には冷たい水滴がついて、見ているだけで涼しい気分。
「こちらのお菓子も商会からのお見舞いの品なのですが、商会長さんの手作りとおっしゃってましたけど……」
ジーナが並べてくれたのは、白鳥の形をしたお菓子だった。
「外側はやわらかなシュー生地で、内側にはディプロマットクリームがたっぷり、だそうです」
(ハルシオン様が手作り……しそう)
ハルシオンに常識は通用しない。フィロシュネーはジーナの言葉を信じた。
いただいてみると、外側が繊細な触感で、内側のクリームはとろ~り、濃厚!
「預言者様、いつ紅国にいらしたのですか?」
「今です」
甘味に頬をゆるめていると、オリヴィアとダーウッドのやりとりが耳に入る。
「アーサー陛下ももう近くまでいらしているということで、シューエン様が張り切ってお迎えにお出かけなさったのですよ」
(あっ、そういえば、ダーウッドは堂々と姿を見せているけど、もう内緒にしなくていいのかしら?)
兄アーサーももうすぐ合流するが、預かったままの辞表はどうしよう。フィロシュネーはこっそりと案じつつ、夢を語る。
「わたくし、お馬さんに乗る練習をしてみようと思いますの。ひらりと飛び乗る華麗な乗り方よ。格好良くゴールドシッターに乗って、空を飛びます」
頑張ったら飛べるんじゃないかしら。
魔法よ。呪術よ。ハルシオン様あたりにお願いしたら、飛ばしてくださるのではないかしら。
「あの黒いお馬さんが、お空を。見てみたいですわね」
「わ、私も空飛ぶお馬さんに乗りたいです、姫様」
オリヴィアとセリーナは「無理ですよ」なんて言わずにニコニコしてくれたので、フィロシュネーは嬉しくなった。
ゴールドシッターと一緒に、お月様まで夜間飛行するのはどうかしら。
フィロシュネーが夢を語ると、オリヴィアがくすくすと笑った。
「ノイエスタル準男爵が嫉妬してしまいますわね」
「嫉妬しているノイエスタル準男爵、見てみたいですね」
セリーナが楽しそうに頷いている。
「奴隷商から私が助けられたときも、姫様を大切そうに抱きかかえていらして……」
目が覚めてから見た光景をうっとりと語るセリーナは、事件の恐ろしさが姫の恋バナというスパイスで和らいでいるようだった。
白鳥のお菓子を味わったあとは、楽器を運ばせて練習が始まる。
開催するかわからないけれど、音楽祭は近いのだ。
オリヴィアのヴァイオリンが主旋律を明るく奏でる。
セリーナの指先がピアノの鍵盤の上を踊って、まるでヴァイオリンの旋律と一緒に踊っているみたい。
ぽろぽろ、ほろろと耳に心地よいピアノにあわせて、フィロシュネーはミニハープを爪弾いた。
合奏はリズムが外れたりしつつも、楽しい。
椅子にちょこんと座ったダーウッドが見守る温度感で聞いていてくれる。
あまり表情は変わらないが、移り気な空の瞳は穏やかで、音楽を心地よく楽しんでいるようだった。
その頭がかくんと緩慢に前に倒れるのを見て指が滑って音を外すと、ぴくんと頭が持ち上がって、「寝てませんぞ」という顔をする……。
(寝ても怒ったりしませんわよ)
フィロシュネーは内心でつっこみをしつつ、素知らぬ顔で演奏をつづけた。
音を合わせてひとつの曲を表現するのって、楽しい!
上手にできても、できなくても。
「アーサー陛下と一緒にオリヴィアの私の婚約者様もいらっしゃるから、張り切ってるのですよねー!」
「セリーナこそ、どなたに晴れ舞台を見てほしいのかしら〜?」
「そ、それはお父様とお母様ですよ」
「お二人だけ〜?」
音楽祭が楽しみですわ。
二人とも一生研磨に練習しているのだもの、本番がなくちゃ!
(外交官を通して、青国が音楽祭の開催を強く希望していますって伝えましょう)
フィロシュネーはニコニコした。




