1:衝撃的な初対面
うちの近所にはとても綺麗な人が営んでいるという喫茶店がある。そしてその綺麗な人というのが探偵であり、数々の事件を裏で解決してきた名探偵である。
そんな噂話をまともに信じる人間はどれほどの割合いるのだろうか。否、そもそもいるのだろうか。
俺はいないと思う。面白い話ではあると思うけれど、そんな話、明日の話題に消費して終わりだろう。
なにせ数々の難事件を推理し解決する名探偵なんて、実際のところはドラマや小説の話で、本当の探偵の仕事というのは不倫現場を押さえたり、敵企業の荒探しをしたりなんて薄汚い仕事ばかりだと不機嫌そうに吐露する探偵の姿を俺はどこかで見たことがある気がする。
一概には言えないけれど、基本が薄汚れた、そんなヒーロー要素など微塵もない職につきつつ、喫茶店を運営する人間が果たしているだろうか。
やはり俺はいないと思う。そのうえ美人で、スタイルも良くて、そんな完璧超人のような人いるはずがない。
その大前提があって、俺は深夜もう閉店している喫茶店のドアをノックしていた。近所迷惑など省みずかなりの強さで。
ドンドンドンドンッ……!
こんな馬鹿げた行為をしているのには理由があるし、我ながら馬鹿げたことをやっている自覚もある。
けれども叩くことをやめなかった。だって、今の俺が助かる可能性として考えられる手段はもうそれしかなかったのだから。
「あ、開けてください……!」
背後から忍び寄る謎の影に気付かれないよう最新の注意を払って扉に叫ぶ。すると、僅かに扉が開き、無言で俺は服を掴まれ、気がつくと俺は一軒家の中にいて、玄関にガッチリと組み伏せられていた。
動けない。それにどういうことだ?
あまりに一瞬の出来事に頭の中がぐちゃぐちゃで混乱した。
だが何とか俺を締め上げる人の姿くらいは拝んでやろうと上を見やると、そこにいたのは噂の美人のカフェ店員であった。ボブカットにした艶やかな黒髪が闇に溶け込み、美人なことも相まって、その姿はよりミステリアスさに磨きがかかっている。
不覚にも見惚れてしまった。でもさすが俺、2秒で正気に戻り、いままでの状況を即座に伝えんとする。
「……あ、あの……!」
あれ?声が出ない。
俺は恐怖に身がすくんで、喋ることすらできなくなっていた。そんな俺の様子を見かねてか、女性は締め上げた拘束を解いて背中をさすってくれる。
温かい。
「ひとまず落ち着いて、軽く息を吸うんだ。吐いたら、今度は大きく息を吸って全身に酸素が巡る感覚を想像して、全身に酸素が行き渡ったと感じたら、その行き渡った酸素に恐怖を乗せて一気に吐き出せ。それで少しは身体の硬直も取れるだろう」
言われた通りそうすると、スッと身体の妙に力が入っていた場所が軽くなった。
「ゲホッゲホ……ハァ、ハァ、ハァ」
「大丈夫かな?」
「あ、ありがとうございます。いや、そんなことより」
「知っているよ」
「え?」
俺は何も言っていないし、俺が喫茶店の扉を叩いてきたことも予想外の出来事だったはずだ。では何が分かったというのだろうか。
「どういうことです?」
「私にはキミがここへ来た理由と何から逃げていたのかが分かったと言ったんだよ」
前髪が目にかからないように、ソッと滑らかな髪を右手で押さえ、俺を見下ろして女性は確かにそう言った。
「オチは見えた。どうにも私には事件という闇が付いて回る」
聞き間違いではなく、確かに女性はそう言ったのだ。この一連の流れが最終どうなるのかが分かったと。
「それはどういう?」
「聞きたいの?」
不思議そうに女性は言った。残酷な結末がありえるのに未来を尋ねるだなんてどうかしてるとでも言いたいのかもしれない。
「はい」
「そう。まあキミなら巻き込まれたとはいえ、もう関係者であり標的である張本人なわけだから別にいいか」
巻き込まれた?俺が?何に……目の前の女性が担当する何かに。それはまるでーー
「何も不思議そうな顔をすることはないよ。ただ私が探偵であるだけの話さ」
その日は満月の夜だった。そんな月の輝く穏やかな日に俺は怪奇より不可解な探偵と出会った。