第168話『20代シワ侮るなかれ』
あまりに強い揺れにノエルがすっ転んだ瞬間、ペレットはハッとして、組みついていたジュンから離れた。そしてジュンを包囲するナイフの結界を生成すると、すっ転んだノエルを抱え上げ、城の4階から外へと飛び出した。
「ッ……!?」
突然の自殺行為に目を白黒させるノエル。しかし、ペレットは自分の足を空間ごと固定し、見えない階段を降りるかのようにして、優雅に地上へと降り立つ。
「どうしました?」
尋ねてきたのはジュリオットだった。ペレットは抱えていたノエルを下ろすと、
「城内で激しい揺れがあったので、一時退散しました。多分、3階で戦闘が起こってます。俺が様子を見てくるんで、ノエルさんをお願いします」
「ペレットくん、私も――」
「アンタはダメです。貴重な戦闘員を割くわけにはいかない。この人らを守っててください」
そう言って、文字通りその場から姿を消すペレット。残されたセレーネは不服そうな、心配そうな顔をしていたが、ペレットの頼みに逆らうのも本意ではないらしい。背負っていた機関銃を、肩掛けのベルトから外し臨戦態勢を取った。
フィオネはふー、と吐息をする。
「また予定が狂ったわね。ちなみに、ジュン=シェイチェンは?」
「洗脳できませんでした。……すみません」
うつむくノエル。対してフィオネは『いいわ』と上機嫌に返した。予定が狂ったと嘆く割には、この状況を好ましく思っているらしい。その理由は、ペレットが視察から帰ってきたことで明らかになった。
「なんか、キモいのが湧いてました。体長2メートルくらいのマッチョで、目が血走ってて、頭がトんじゃってるやつ。おかげでどの階の宝蘭組もボロボロっスね。あれがアンタらの言ってた改造人間なんです?」
「おそらくそうね。……ふふ、予定変更よ。とりあえずノートンたちは大丈夫でしょうから、マツリ王女の救出を急ぎましょう。あの子に死なれると困るわ。それと、やれそうならどさくさに紛れてジュン=シェイチェンを殺害してちょうだい」
まるでこうなることを予期していたかのように、さっさと指示を下すフィオネ。その効率のよさにじとりと目を細めたシャロは『もしかしてだケド』と口を開く。
「フィオネ、仕組んだ?」
「あら、何のことかしら。アタシは怪物化の薬にも犯人にも干渉してないわよ。干渉してたとしても、宝蘭組を巻き込むようなことはしないわ」
「……そっか。フィオネは腐ってるけど、恩を仇で返す人じゃないもんね」
「ちょっと」
「しかし、今は朝の4時過ぎでしょう。暁月祭……? では飲食物の摂取で怪物が大量発生したと聞いていますが、こんな時間に一斉に食事を摂るとは考えづらい。……薬の開発者が直々に散布しに来ている、と考えても良いのでしょうか」
「可能性はあるわね。どう? 行ける?」
フィオネが目配せしたのはジュリオットとペレットだった。怪物化事件の原因が液状の薬にあると判明しているため、対策と回避に特化した2人を選出したのだろう。解凍直後と病み上がり、まだまだ本調子でない2人だが、
「わかりました。解凍早々に薬を作らされたストレスも溜まっています。憂さ晴らしも兼ねて行きましょう」
「俺も、ヘヴンズゲートのやつに聞きたいことがあるんで行ってきます。あ、ジュリさん、緊急離脱用に余力残しておきたいんで、徒歩で行ってもいいですか? 転移陣スタンバイしてもらってるとこ悪いんスけど」
「別にスタンバイなんてしてませんが!? 最初から歩くつもりですが!?」
「声デカ……」
ペレットとシャロの息の揃ったツッコミを背に、つかつかと湖上の橋を渡って神薙城へ向かっていくジュリオット。その間、想像していた人物像と現実があまりにもかけ離れていたらしいセレーネは、変なものを見る目で青年を見送っていた。
*
少年を飴玉で吹き飛ばし、怪物の胸を一突きするメイユイ。彼女が怪物に膝蹴りを見舞うと、怪物が数メートル吹っ飛んだ。その様を見送りながら、メイユイは着地する。隕石のように降って現れた彼女に、マツリは僅かな希望を瞳に宿した。
【メイ、ユイ……】
【……! マツリ王女!】
口周りを真っ赤にしたマツリに名前を呼ばれ、愕然とするメイユイ。どうやらマツリが攻撃を食らっていたことは知らなかったらしい。今初めてマツリの負傷を知り、寸前の勇ましさはどこへやら、メイユイはおろおろと視線を彷徨わせる。
【い、今すぐ医務室に、いや、医務室も安全ではありませんね、えっと、宝蘭組、宝蘭組の屯所は今人がいませんね、えと、えっと、暁月大社、は壊れていますし】
【……落ち着け】
マツリ以上に錯乱するメイユイに、ブレーキをかけるのは困惑した様子のユンファだった。
【……ハナマル組長やキバクさんは、今日は暁月山で救助活動だよな。……組長たちに事態を伝えてくる。王女殿下もお連れするから、自由に戦ってくれ。あと、よそ見をするな。……頼んだ】
【ハッ、あっ、ハイ!】
ぴしゃんと背筋を伸ばして、少年と怪物を吹き飛ばした方に向き直るメイユイ。その背後で翼を生やすと、ユンファはマツリをぬいぐるみのように抱き抱えた。
【……あと、その子供からは距離を取れ。肉体を異形に作り替える液体を持ってる。おそらく、その子供が怪物化事件の犯人だ。切り傷を負ったら特に気をつけろ。あと、極力喋るな。液体を流し込まれる可能性がある】
【……】
【子供が逃げても無闇に追うな。目の前の怪物から確実に始末しろ。……その凶悪な歯は、噛みついた肉体に同胞を作る体液を流し込むらしい。子供も厄介だが、怪物も放置したところでメリットはない。殺せる方から確実に殺せ】
【……】
【じゃあ】
【はい】
背中を向け合って、視線は一切交わさず、メイユイとユンファは別れる。
遠ざかる足音を聞きながら、メイユイは握っていた刀を構え直した。
先に起き上がったのは怪物の方だった。2メートル以上ある巨体をもたげた怪物は、次の瞬間、メイユイの視界から消える。
【――ッ!?】
残像を目で追った先は、ここ5階の天井。そこで、怪物が逆さまになっていた。かと思うと、天井を蹴ってバネのようにこちらへ跳ねてくる。
メイユイは降ってくる拳をひらりとかわすが、着弾した怪物は受け身を取っており、すぐに体勢を変えて、メイユイの一振りを手のひらで受け止めた。
【ッ……】
屯所や結婚式のときとは明らかに違う。今メイユイの前に立つ個体には、確かに知性が存在していた。回避された場合の展開を脳内で構築し、それを実践している。さらに、自分の固い部位と柔い部位を把握し戦闘に活かしている。
怪物になる前の人物の素質の問題か、それとも少年にかけられた薬が違うのか。
――どちらにせよ、かなり厄介であります。
メイユイは硬く口をつぐんで、焦りを心の声にする。すると、その僅かな精神の乱れを読み取ったのだろう、怪物は空いた手でメイユイを殴り払った。
真横へ吹き飛ぶメイユイ。その先の壁とは回避ができる距離がなく、メイユイは肩で障子を吹っ飛ばして室内に入り込み、その先の廻縁に飛び出した。
【くっ……】
メイユイは激しく錐揉みしながら、妖力を発動。虹色の飴が反り上がった波のような壁を作って、メイユイの身体を受け止めた。
そこに飛んでくる怪物の2撃目。すんでのところで横へ飛び跳ねて避けると、メイユイの耳元を掠っていった巨拳が飴の壁を破壊した。
メイユイは即座に妖力を使い、怪物の足元を固める。
壊されるのはわかっている。ただ、1秒でもいい。動けない時間を作り出す――突進したメイユイは飛躍し、怪物の脳天に刀を振り下ろした。その一振りも怪物の手にたやすく止められる。が、それでいい。
メイユイは空いた手に飴製の刀を作り出し、怪物の耳から耳へと突き刺した。
それを引き抜きながら怪物の横に着地すると、頭を横一文字に貫かれた怪物は白目を剥いて後ろに転倒する。
【……ごめんなさい】
メイユイは片足を持ち上げ、怪物の頭を踏み潰す。ぐしゃり。完全に怪物の生命活動が停止したのを確認すると、メイユイは鋼の刀と飴の刀を引っ提げて、先刻アルトリオを吹き飛ばした場所へ走った。
*
数分前。巨大な飴玉に吹き飛ばされた少年――『天国の番人』の科学者・アルトリオは、飴玉に手をつきながら腰をさすっていた。
「はー、最悪。また振り出しから? 人の努力を無碍にするなんて、酷いよね。何これ、飴? 飴の能力者……知らないな。ふん、僕の記憶にないってことは、どうせろくでもない野蛮人だろう。けど、許さない。誰に手を出したか教えてやる」
打ちつけた腰の痛みに歯を噛みながら歩き出すアルトリオ。ユンファがいなくなった今、自分がここにいる理由はない。羽化の能力で逃げられたのだろうから、追うのも一苦労だ。ここは日を改めるのが吉だろう。
アルトリオは撤退を決めると、飴の能力者への報復に毒ガスを散布しながら城内を歩いて回る。アルトリオとて吸引すればただではすまない強力な毒なので、そこそこに散布したらすぐ下階に降りた。
――3階から続く階段を降りると、アルトリオはショルダーバッグの中身を覗いた。
「あぁ、あと1本しかないや。1階に散布するのは無理そうだね」
言いながら、取り出したフラスコの中身を別のフラスコと混ぜるアルトリオ。少しすると液体が揮発を始めるので、吸引しないように遠くに投げる。パリンとフラスコが割れた。1時間もすれば2階は毒で満たされるだろう。
「……ん?」
ふと、誰かの声が聞こえた気がしてアルトリオは振り返った。そこにいたのは、質素な着物に身を包んだ女だ。壁にもたれかかって座っている。その格好から城の女中であることが伺えるのだが、そんなことはアルトリオには関係がなかった。
殴られたためか顔が変形している女中は、アルトリオの視線に気づくと血染めの口をパクパクと動かした。
【お許しを……】
「悪いけど、僕野蛮人の言葉ってわかんないんだよね。何? 命乞い? いいよ、生かしてあげる。せいぜい野蛮人同士で汚い血肉喰らいあってよ」
アルトリオはバッグからフラスコを取ると、中身を女中の顔にぶち撒けた。少しすると、その顔が、身体が、血管を立てて膨張し始める。――と、
「あー、見ちゃいましたねジュリさん」
「見てしまいましたねペレットくん」
男の声が2種類聞こえて、アルトリオは振り向いた。そこに立っていたのは、薄紫の髪を三つ編みにした長身痩躯の男と、猫っ毛の黒髪の気怠げな少年。どちらも黒いスーツを着用していた。花都の国民でないことは明らかだった。
アルトリオは困惑する。――薬の揮発が始まっているこの空間で、何故、自分以外の人間が2人も揃って生きているのか。
「――君たちは」
「私はジュ」
「こっちは肌年齢35歳のジュリオットおじさんです。こっちはペレットです」
「は?」
突然の告発に口を開閉させるジュリオット。このデータはジュリオットが戦争屋の資金繰りのためにコスメショップを開こうとしたとき、肌質を調べる機械のテストプレイをして得られたものであり、事実であった。
が、アルトリオは見事にスルーし、顎を摘んで『ジュリオット……?』と引っかかることがあるような素振りを見せる。
「あ、ジュリさんのこと知ってそうですよ。よかったっスね、有名人じゃないスか」
「それはどうでもいいんですよ、貴方、は、肌年齢のことは内密にって」
「大丈夫っスよ、コイツ後で死んじゃいますし。言ってないも同然です、ほら35歳35歳。店員のお姉さんに苦笑いされた35歳。え、実はサバ読んでます? 本当は24歳じゃないんじゃないスか? ほら、こんなところに小ジワが」
「だぁぁぁぁーーーーッ!!!」
頭を掻き回すジュリオット。発狂しかける彼だったが、女中だった異形がむくり、と身体を起こしたことで我に返る。
「……ペレットくんは怪物の相手を。私は彼を相手します」
「わかりました。ジュリさん、俺の目的も頼みました」
「はい。それでは健闘を」
互いに示し合わせると、ペレットは利き手に拳銃を召喚し、ジュリオットは白手袋をキュッと手首側に引っ張った。
「……35歳」
「シッ!!」




