第167話『最後の矜恃を守るもの』
星も瞬く午前4時。宵闇と茂みに紛れて、処理班のスーツ姿になった戦争屋は神薙城の外に揃っていた。
「もう1度確認するわ。斥候のセレーネが戻ってきたら、ペレットとノエルで潜入。ノートンたちを解放する。途中、もし2人が捕まることがあれば、セレーネがジュリオットのガス弾を投擲するわ。隙を見て逃げてちょうだい」
「はーい……」
気怠げに返事をするのは、数日間うなされ続けて喉をおかしくしたペレットである。昨晩投与された薬のおかげでどうにか歩けるようにはなったらしいが、ジュリオットの言っていた通りまだ2割ほど症状を引きずっているようで、微熱、頭痛、倦怠感でグズグズの身体を押しての参戦となっていた。
ちなみに、彼を参戦させるにあたってセレーネには猛批判された。フィオネに銃をつきつけ、引き金に指をかけるほどに激昂されたのだが、フィオネは引こうとしなかった。
正面から来られれば確実にこちらが殺される鬼族との戦いにおいて、戦線から離脱する能力を持つペレットの存在は必須だったのだ。
「……ねー、ウチだけ仕事なくない?」
不満げに頬を膨らませるのはシャロである。鬼族相手の今回において特殊能力は不可欠であり、能力者でないシャロが参加できないのは仕方のないことなのだが、1人だけ露骨に省かれるとやはり気に入らないらしい。
シャロは、隣で茂みに隠れるフィオネの顔をぐいっと覗き込み、
「フィオネ、よく考えて。ウチに出来ること、きっとあるよ」
「……そうね。あるにはあるけれど……これは『仕事』として頼むものじゃないわ。貴方がやりたいと思わなければ意味がない。だから、ないわね」
「んぇ〜〜? まーたそうやってはぐらかすー」
プイッとそっぽを向くシャロ。彼が人差し指で土をいじっていると、空を見上げていたノエルが『あ』と複雑そうな声を零した。それに倣って空を見上げると、神薙城のてっぺんから、鞭を巧みに操って落ちてくる人影が1つ。
人影は彼らの前に着地すると、ぱっぱっとスーツのシワを払った。
「偵察してきたわ。5階にマツリ=カンナギ、4階にジュン=シェイチェン、3階にノートンさんとマオラオ=シェイチェン。どこの階にも宝蘭組がいて厄介そうだったけど、ジュン=シェイチェンだけは私室の外に侍らせているみたい」
やけに慣れたように報告し、三つ編みの位置を直すのはセレーネである。彼女の報告に『わかったわ。ありがとう』とフィオネが答えると、
「それじゃあペレット、ノエル、頼んだわね」
「うっス……」
「はい」
具合の悪そうなペレットが茂みから立ち上がり、少し開けたところで土を蹴る。蹴った箇所からは転移陣が展開され、同じく立ち上がったノエルが覚悟を決めた面持ちで転移陣を踏んだ。ノエルが消えると、ペレットもそれに続く。
次の瞬間、ノエルたちの目の前に広がっていたのは、神薙城の一室だった。
畳の敷き詰められた広い部屋だ。しかし、その家具の内容や少なさから女性のための1人部屋だと考察できる。そしてその部屋の中央には、こちらに背を向けるやつれた女性――ジュン=シェイチェンが、薙刀を持って立っていた。
「な――!?」
瞬間移動してすぐ、得物の存在を認めたノエルは目を見開く。
何故、この女は室内で武器を構えているのだ。疑問に思った瞬間、脳内でバチッと電流が弾けた。ノエルは即座に後ろへジャンプする。刹那、ジュンが得物を振り払った。薙刀の先端が、ノエルの鼻先を掠めていく。
「ッ……!」
すかさず、ノエルは刀を引き抜いた。宝蘭組の武器庫から盗ん――拝借してきた刀だ。が、2撃目の重さを受け止めきれず、ノエルは刀を弾き飛ばしてしまった。尻をつくノエルに振りかかる3撃目。ノエルは思わず目を閉じる。が、
「よっと」
鴨居からぶら下がっていたペレットが、背後からジュンに組みつき、ジュンの耳に銃口を当てた。
「大人しくしてください。じゃないと、こっちの耳からこっちの耳まで一直線にぶち抜きますよ」
「――」
「ノエルさん」
ジュンの動きを抑制したペレットが、縮こまっていたノエルに作戦の遂行を促す。ノエルは恐る恐る目を開け、状況を把握すると、急ぎ立ち上がろうとして、
「ッ――!?」
足元が揺れ、すっ転ぶ。聞こえたのは、城の一部が崩壊する音だった。
*
10分ほど前。神薙城3階の一室に、ノートンは閉じ込められていた。
牢屋ではない。畳が敷かれていて、襖や障子があって、ただそれだけの部屋だ。特異なものがあるとすれば、部屋の壁を這わせるように、四方にずらりと並べられた宝蘭組隊士の存在くらい。皆、ジュンがつけた見張りだった。その数20名。
自分1人に警戒しすぎじゃないだろうか。部屋の中央、麻縄で拘束されたノートンは、あぐらを掻いたまま吐息をした。
ここに来たのは昨晩だった。気絶したマオラオと共にジュンに連れられ、神薙城に帰ってすぐに治療を受けると、ノートンは重症だったマオラオより先に医務室を追い出され、拘束され、ここへ連行されていた。
一応部屋には布団や食事が運び込まれたのだが、こんな大勢に囲まれていては、食事はともかく睡眠がとれるはずもなく。一睡もせず、ずっと座り続けていた。
おかげで眠くて仕方がないのだが――宝蘭組屯所での事件と昨日の事件を受け、やや貴重になってしまった宝蘭組の隊士をこれだけつぎ込む辺り、どうやらジュンは本気でシェイチェン家の復興を願っているらしい。
その詳細な理由はわからないが――おそらく、現在マツリやこの神薙城を宝蘭組が守護していることが関わってくるのだろう。
本来、カンナギ家を守護するのは武門であるシェイチェン家の役割である。が、実際は違う。それは何故か。考えるに、今のシェイチェン家にはカンナギ家を守護できるほどの、守護できると思われるほどの力がないのだろう。
理由らしいものとして挙げられるのは、ノートンやマオラオなどの有力な男子がこぞって花都から消えたことだ。
戦える者がいなくなって、シェイチェン家の信頼が落ちる。そこへハナマルを筆頭とする粒揃いの宝蘭組が台頭してきて、仕事が、金が、名声が、全てが宝蘭組に流れてしまった。そんなところだろう。ジュンのあのやつれた顔の理由は。
彼女は野心家だったから、きっと地位を落とすまいとここ数年必死でいたに違いない。
――まぁ、それはいいとして。
問題は、ノートンの妹もシェイチェン家に仕えていることである。
あの気丈で優しい妹がひもじい思いをしているのなら、ノートンには一刻も早く解決してやる義務がある。ただし、マツリと結婚する以外の方法で。
マツリはまだ13だ。遊ぶ時間はまだまだ残されているべきだし、戦うしか能のないひと回りも年上の男と結婚しても楽しくないだろう。
いったいどうすれば。ノートンが思案していると、ふと部屋の襖が開けられた。現れたのは、3人の宝蘭組隊士に連行されたマオラオだった。
包帯でぐるぐる巻きにされた身体を、いつもの赤い着物で隠したマオラオは、こちらの存在に気がつくと、少し気まずそうな顔をして入ってきた。
「マオラオ、目が覚めたんだな。身体の調子はどうだ?」
「今はまぁまぁやで。鎮痛剤打ってもらったからな。けど、目ぇ覚めたときはもう痛くてかなわんかったわ。ほぼ記憶ないねんけど、やっぱり本物の鬼は強いなあ」
マオラオは肩をすくめ、ノートンの前に座る。本物の鬼とはイツメのことだろう。麻縄を巻きつけてくる隊士には気を留めず、マオラオは少し言葉を迷って、
「……なんや、また面倒なことになったらしいな」
「……そうだな」
「シェイチェン家の復興……なんて、あの人はまだアホなこと考えてんねんな。昔はオレのこと紛いもんや言うた癖に、家が滅びそうになったらとっ捕まえて、ほんまに都合のええ女。こないな家、滅んでしまった方がええのに」
この場に北東語話者がいないからか、周りの目もはばからず、叔母への文句をつらつらと述べるマオラオ。珍しく大胆な彼の態度に、ノートンは肯定を含んだ苦笑いを浮かべた。悪口はあまり言わないタチだが、彼の意見には概ね同意していた。
「けど、このままやったらずうっと拘束されることになる」
「そうだな」
沈黙する2人。長い静寂の後、マオラオが溜息をついた。
「しゃあない、オレが行ったるよ」
「……ダメだ」
「ダメって、他に方法ないで? あの頑固女説き伏せるんは不可能やし、この国じゃ武力行使もほぼ意味あらへん。どっちかが結婚しなあかんのは確定で、ノートンは戦争屋陣営の最高戦力や。ここにあんさんが残るんはフィオネが許さん。消去法でオレが行くしかないやろ」
「お前だってそうだよ。お前のことを大事に思ってるやつがいる。お前に帰ってきてほしいって思ってるやつがいる。その点に関して、俺たちに差異はないよ」
「……だとしても、オレはどのみち帰られへんよ。オレは、ソイツやみんなのためにツノ落とせるような、強い男じゃあらへん」
だんだんと声を小さくしながら、赤い袖を握りしめるマオラオ。その弱々しい姿と言葉の内容に、ノートンは一瞬思考を停止した。――フィオネか。
「おかしいやんな。けど、昔の記憶がずうっとこびりついてんねん。……背が小さくて、体力もなくて。家のやつにも知らんやつにも馬鹿にされて……そんときのオレの最後の矜持を守ってくれてたんが、ツノの存在やった」
「……」
「そのせいやろな。何も考えんと手折ろうとしても、手が、震えてしまって。やから、オレは戻られへん。ごめん。オレに戻ってきてほしいって、本当に思ってくれてるやつがいるなら、オレからちゃんと謝るわ。そんときはノートン――」
と、言いかけていたそのときだった。何の前触れもなく、天井が崩壊した。あまりに突然のことで誰も反応できず、皆天井の崩落に巻き込まれる。
覆い被さってくる大小様々な木片、木の粉。それらを肩で押しのけたとき、マオラオの目に入ったのは、
「は……」
異常なまでに筋肉を膨張させ、目を真っ赤に血走らせた異形の姿であった。
*
同時刻。死体の海を前に這いつくばったマツリは、ごぼ、と大量の血を吐き出した。
くらりと目眩がして、白みがかる視界で捉えるのは、自分を守るように立つユンファの背中と、その奥にいる少年と異形の姿である。
少年はマツリと同い年くらい――12、3歳くらいの背丈で、白衣を着崩していた。赤髪を肩まで伸ばしているのもあって、少女のような愛らしさがある。が、この凄惨な状況は、彼の持つフラスコが原因であることをマツリは察していた。
事の始まりはほんの10分前。大勢の隊士たちの監視の中で、ユンファとぽつぽつ言葉を交わしていると、不意に部屋の外から液体が撒かれる音が聞こえた。
それを不審に思った隊士が戸を開けると、殴り込んできたのがいま白衣の少年の隣に控えている怪物だった。
怪物はものの数分でその場の隊士を蹂躙すると、ユンファに掴み掛かろうとし、それを邪魔するべくマツリが割って入ったところ、殴り飛ばしてきたのである。
【ッ……】
経験したことのない痛みに、上の歯と下の歯の隙間から鋭く息を吸うマツリ。生まれて初めての死の感覚に恐怖する彼女の耳に、少年の声で紡がれる未知の言葉が触れる。
「はー、張り合いがないねえ。天下の宝蘭組も幹部以外はこんなもんか。ま、行き場のない放浪者の寄せ集めに期待した僕も僕だよね。さて、ようやく邪魔が片付いた。さっさと本懐を遂げて帰るとしよう。ねぇ、君」
白衣の少年が見たのはユンファだった。ユンファは、その端正な顔を少し歪める。
「僕は君の脳みそに用がある。花都で1番優秀な君のね。――今、君には2つの選択が与えられているんだけど、好きな方を選んでよ。1、ここで脳みそをほじくられる。2、僕のラボで脳みそをほじくられる。どっちがいい?」
「……貴方の目的は、それだけですか」
「そうだね。イツメが重症を負って、多少予定が変わってしまったけど。組織としての目的はほとんど果たされているから、僕がここにいるのは僕のためでしかない。さぁ、好きな結末を選んでよ。1? 2? さぁさぁさぁさぁ――」
そう、少年がユンファの顔を覗き込んだときだった。
どこかから飛んできた巨大な飴玉が、少年の華奢な体躯を吹っ飛ばした。ユンファがハッとした瞬間、墜落してきた紫色の閃光が怪物の胸を一突きする。
「――答えは3、脳みそをほじくられない、でありますッ!!」




