第148話『爆速疾走Third Princess』
そうして花都『シグレミヤ』の女王に謁見するため、ひとまずメイユイの所属する警察の組織である『宝蘭組』の屯所に向かうことになったシャロ達。
ただし、ニンゲン弾圧の風潮がある都に大勢で行くのは危険だということで、向かうのはフィオネ・ノートン・シャロ・ノエルの4人だけということになった。
高熱にうなされているペレットと、それをどうしても看病したいセレーネ、船の管理をしなければならない処理班員たちは海岸で待機だ。
その旨を伝えに行くため、シャロ達は1度船の中に戻ったのだが、
「嘘でしょ……俺セレーネと……一緒にいなきゃ……いけないんスか……?」
セレーネ曰く約40度の熱があるらしく、珍しく顔を紅潮させて、熱の混じった息をしながら医務室のベッドに横たわるペレットがげんなりとする。
フィオネは首を横に振った。
「2人きりじゃないわ、処理班員も居るから安心なさい」
「そういう問題じゃぁないんスよ……つか、この人のこと監視するって言ったの、どこの誰っスか……良いんスか、放置なんかして……」
「それに関しては安心して。ノエルにお願いして、セレーネを洗脳してもらうつもりでいるから。セレーネ、貴方も文句はないわね?」
「えぇ。仕方がないから受け入れるわ」
そう言って氷嚢を取り替えるセレーネ。彼女は、聖騎士団長フロイデを巡り因縁のある少女たちの間で揉め事が起きないよう、2人を監視する役目を請け負っているノートンに案内され、浮かない表情のノエルと共に隣の部屋へ消えて行った。
「じゃあ、ゆっくりおやすみなさい」
「おやすみー頑張れー」
フィオネとシャロも、一言ずつペレットに声をかけて医務室を出る。と、フィオネの後に続いたシャロが扉を閉めようとしたところで、
「……あの、シャロさん」
「んー?」
「――マジで、早く帰ってきてくださいね」
何故か好感度MAXの美少女と同じ空間に残される――という、人によってはご褒美な状況が割と本気で嫌なようで、いやに感情を込めて懇願するペレット。
裏切ったら殺すと言わんばかりの目に見据えられて、茶化そうと笑いかけたシャロはそのまま頬を引きつらせ『ウ、ウン』と返事をするのだった。
*
「――あ、っと。それから1つ。皆さんには、これをかけてもらうであります」
メイユイにそう言われたのは、シャロ達が再び崖に戻った時だった。
彼女が見せたのは、綺麗な桜色の液体が入った小瓶だった。
「うん……? なぁに? これ」
「これは最近シグレミヤの女の子達の間で流行っている香水ブランド、松桜堂の新作香水であります。実は先日、私が奮発して買ったものなのでありますが」
説明しながら、自身の手首に香水をつけるメイユイ。
『今はよくわからないかもしれませんが』とその手首をシャロの近くに寄せてやると、微かにだがふわりと甘い匂いがした。
「いいにお〜い……! あっ、じゃなくてごめん。シグレミヤに行くのにどうして香水が必要なんだろう? って思って」
「あぁ! 失礼しました。実はシグレミヤに向かうにあたって、女王の定めた規則に引っかかってしまうこと以外にも1つ、問題があるのであります。元々鬼族はニンゲンを食べて生活していたのはご存知でありますか?」
「うん、それは聞いたことあるよ」
「その食人種としての機能や本能は、実は今も鬼族に残っているのであります。つまりこのままシグレミヤに行くと、パクッと食べられてしまう可能性があるのでありますね。しかし、この本能の大部分は『匂い』に支配されているのであります」
「あ〜、なるほどね!」
つまり鬼族はヒトの匂いを感じ取って、初めて相手を食料だと認めるのだろう。逆にその匂いさえ打ち消してしまえば、食べられないということだ。
「でも、そうなると……もしかしてメイユイちゃん、ずっとウチらの傍に居るけど大丈夫なの……?」
ふと思い立ってそう聞くと、メイユイは『エッ』と声を上げて気まずそうに目を逸らし、内股でもじもじとし始めた。
「……バレてしまいましたか。でも、その……勉強になりました! 先代の鬼族はこんな気持ちで居たんだなぁって」
「ど……どんな気持ちなの?」
「う〜ん、そうですね……3日間何も食事を与えられなかった後に、自分の大好きなおかずとほかほかご飯を出されたような気分であります」
「よく耐えられたね!?」
驚き、そして匂いを嗅いだだけでそんな状態になるのか、と恐怖するシャロ。強めに匂いを消しておこうと思い、気持ち多めに香水をつける。と、
「ん……?」
ふと、シャロはあることが気にかかって手を止めた。
匂いによって食人本能が刺激され、圧倒的な空腹感を得るという鬼族。そして先程、実は鬼族であったことが判明したマオラオとノートン。
2人とは長いこと一緒に、しかし香水なんて全くしていない状態で過ごしてきたが、その間2人は大丈夫だったのだろうか。
ノートンに尋ねてみよう、とシャロは振り返る。だが、目を向けたノートンはどこか物思いに耽っていて、シャロは声をかけることが出来なかった。
「ごめんなさい、後で買って返すわね……と言いたいところだけど、この国じゃペスカは通用しないのよね。国の体制的に換金所もないだろうし」
メイユイに謝りつつ、手慣れたように香水をつけるフィオネ。
彼の次に香水瓶を回されたノエルは、色んな方向から瓶を眺めては『どうやって使うんですか……』とフィオネに耳打ちした。
「やってあげるわ」
フィオネは瓶を取り返し、ノエルのショートヘアをかきあげて首にプッシュ。
「あ……ありがとうございます」
「えぇ。これで全員匂いは抑えたわ。ありがとう、メイユイ」
「あぁ……」
「メイユイ?」
「はっ! あ、いえ、なんでもないであります! では行きましょう!」
フィオネの言葉で我に返り、意気揚々と崖の奥へ進んでいくメイユイ。るんるんと肩を弾ませ、わざとらしく明るい振る舞いをする彼女の背を見て、
「……結構落ち込んでますね」
「自分の手元に帰ってきた香水が、思いの他減っててショックだったみたいね……奮発したって言ってたけど、いくらだったのかしら。代わりにアタシのストックをプレゼントしたら、機嫌を直してくれるかしら……?」
「ダメだよ、フィオネのは甘苦いっていうか……大人の匂いだもん」
「じゃあ、やっぱり買って返すしかないわね。けど、どこでシグレミヤの通貨を手に入れるか……ノートン、どこか手っ取り早く稼げる場所は……ノートン?」
近くにノートンの姿が見当たらず、周囲を見回すフィオネ。青年が背後に居ることに気づいて振り向くと、つられてシャロとノエルも振り返り、呆気に取られた。
「え?」
「――あぁ、悪い。普段の俺の姿で行くには少し都合が悪くてな。姿を借りることにした」
そう微かに笑ったジュリオット――変身したノートンは、肩に垂れた紫色の三つ編みをひょいと後ろへ払った。
*
そうして向かった花都『シグレミヤ』は、他にはない独特な街並みをしていた。
まず、異文化として一際目立つのが都の中央にそびえる城だ。主に濃い灰色と白色で構成されたそれは代々国を治めるカンナギ家が住む『神薙城』というらしく、5階建てになっており、各階から屋根が突き出ているのが特徴的だった。
屋根は青緑色の瓦が張られているようで、鱗のようにびっしりと揃ったそれらがすっかり昇った陽を反射して、城の存在感をさらに強調していた。
メイユイ曰く、神薙城は小さな湖の中心に建てられているとかで、それもまた案内される一同の興味を誘った。
城下に広がるは商店街だ。似たような木造の建物が建ち並んでおり、長屋というらしいその建物の前に建って、多くの者が雑貨や食べ物を売っていた。
「話には聞いていたけど、本当に変わった格好をしているのね」
そう言って、じっくりと町人の姿を眺めるのはフィオネだ。事実、彼らの格好は北東の人間には縁のないようなデザインをしていた。
ちなみに囚人服やらスーツやら、彼らも彼らでこのシグレミヤの住人にとっては珍妙な格好をしており、方々からちらちらと奇異の目で見られていたのだが。
匂いを消したおかげなのか、ニンゲンであることには気づかれなかったらしい。
――と、不意に。言っている意味はわからないが、とにかく目立つ客引きの声に意識を引かれ、シャロは興奮した様子でメイユイに飛びついた。
「ねぇねぇメイユイちゃん、あれ何!?」
「っ!? しゃ、シャロさん、しーっであります! 匂いは隠せたとはいえ、大声で北東語を喋ってしまったら意味がないであります!」
「あっ、ごめん……!」
「……あれでありますか? あれは蕎麦屋であります。私も組長に連れて行ってもらいました。……後で食べに行ってみますか?」
「えっ、いいの! 行きたい行きたい!」
人の目を気にしながら、小さな声で喜ぶシャロ。と、その時だった。
【自由ですわーーーーーーーーッ!!!】
突然、大きな声が響き渡った。何事かと声の聞こえた方向を見ると、1人、花都の長屋の瓦屋根を全速力で駆け抜ける少女が居た。
13かそこらくらいの、幼っぽい少女だった。
風圧で暴れる長い黒髪を、高くツインテールに結んでいる。彼女の羽織を染めた醒めるような赤色が、プリーツスカートの黒との対比で余計に際立って見えた。
彼女の見て町人は、『おぉ、またか』と嬉しそうな表情だ。しかしメイユイは反対に、血相を変えて『まずいであります……!』と少女を追いかけ始めた。
「ちょっと、メイユイちゃん……!?」
流石は鬼族、あっという間に消えていく背中に圧倒されるシャロ。彼が追いかけようか迷っていると、ジュリオット(ノートン)が彼の肩にぽすんと手を置いた。
「俺たちも追いかけよう。あれは逃したらいけない子なんだ」
「わ、わかった……って、あの子知り合いなの?」
「まぁ、ちょっとした……な。とりあえず、話は後だ」
何故かフィオネの方を確認するジュリオット(ノートン)に促され、訳がわからないまま少女を追いかけるメイユイを追いかける一同。来た道を逆走し、通行人の間を縫うように花都シグレミヤを爆走する。――少しして、
「そういえば、ジュリさんのカッコで走ってるけど、辛くないのノートン!」
戦争屋でぶっちぎりに貧相なジュリオットの姿のまま、しかし虎のように力強く駆けていくジュリオット(ノートン)に尋ねるシャロ。
彼の『鏡写し』が筋力や体力など内面的な部分も似せているなら、ジュリオットの身体であればそろそろ弾け飛ぶ頃合いだと思ったのだが、
「いや……今回筋力は似せなかったからな。平気だよ」
ジュリオット(ノートン)はけろりとした表情でそう言った。
なお、そのジュリオット(ノートン)の後ろに続いているノエルは愛らしい顔を苦悶に歪め、ゆるゆると速度を落としつつあった。
一時期は聖騎士として鍛えていたらしい彼女だが、期間が短いうえ最後に走ったのが1週間以上前なので、ほぼ軟禁されていた頃の体力に戻っているのだろう。
一方、フィオネはというと、
「え、フィ、フィオネってそんなに走れるの? ずっと事務作業してるから、ジュリさん並みだと思ってたんだけど」
「――今までシャロには明かしたことなかったけど、アタシ趣味は筋トレなのよ。貴方達がオフの日は完了した任務の処理をしなきゃいけないから出来てないんだけど、貴方達が任務の時は毎朝5キロほど走っているし」
平然と質問に答えながら、選手のような美しいフォームで颯爽と駆けていた。
「マジで、初めて知ったんだケド!?」
約3年間共に過ごしてきて初めて知ったフィオネの趣味に、本気で驚愕するシャロ。と、ジュリオット(ノートン)が立ち止まった。
「まずい……!」
「え?」
シャロ達は慌ててブレーキをかけて立ち止まり、ある一方を睨みつけるジュリオット(ノートン)の目線の先へ目を向ける。
そこには、まばらではあるが商人や買い物中らしき通行人、警察らしき鬼達が集まっていた。その集いが挟んでいるのは、都を流れる細い川だ。そして、
「……えっ?」
その川にかかった橋の上に、4人の人物が居た。
うち3人は揃いの狼の面をつけた男衆で、1人は先程屋根の上を疾走していた少女だった。ただし、少女は男衆の1人によって羽交い締めにされていた。
少女の前に立つ男が動く。
男は民衆に混じって橋を挟む、メイユイと同じような制服の鬼達――警察と思われる者達に刀を見せつけて、シャロには理解できない言語で高らかに言った。
【近づくな、女王に言いなりの腰抜け共! そして聞け! 民衆よ! これより我々はマツリ第3王女を使い、シグレミヤへ謀反する! 従う者はついて来い!】




