第01話『戦争屋のウワサ』
「――なあ」
太陽も地平線に隠れ始める夕方5時。煉瓦街の薄暗い路地で、太った中年の男が口を開いた。
「ギル、お前……戦争屋『インフェルノ』って知ってるか」
「……戦争屋ァ?」
中年男の問いに、若い青年が首を傾げた。中年男の、暗い茶髪に茶色の瞳という容姿に対して、いささか不釣り合いな、目を引く容姿をした男であった。
肩まで伸ばされ、無造作にひとつ結びにされた緑色の髪。血のような緋色の瞳を宿した鋭い三白眼。緑のパーカーと黒のズボンに包んだ、少し筋肉質な身長約180センチの体躯。目鼻立ちも整っていて、特徴しかない目立つ風貌をしている。
片や派手な色男、片や冴えない中年男性。一風変わった組み合わせである彼らの関係は、『ピザ屋の主人』と『アルバイト』であった。
まだ2人が出会ってから日は浅い。今日で半月が経過したかどうかという具合だった。しかし店の常連客たちが、揃って『まるで実の親子のようだ』と笑うくらいには仲がよく、本人も明言はしないがそれを認めていた。
「物騒な名前だな、それがどうかしたんすか」
「いやあ、今朝店に来た客が言ってたんだ」
中年男は天を見上げる。真っ赤に燃えた空は、ゆっくりと藤色の雲に飲み込まれ、濃紺の夜へ変わろうとしていた。その変化に比例して、周囲の建物や街灯も続々と暖かい光を灯している。皆、夕食を食べる頃合いのようだ。
今日は帰ったらステーキが食べたい。そんなふうに考えながら、ギルはずっと自分の知らない場所に向かう中年男の背中を追った。
「その客曰く『戦争屋』は、世界中のいろんなとこに喧嘩を売ってるっていう、馬鹿げた組織らしくてな。人数こそ10人にも満たないが、戦争においてはそこらの小国じゃ歯が立たないってえ話だ。そんなのがいるとは、世も末恐ろしいもんだな」
「へぇ、そりゃまた物騒だ」
ギルは他人事のように、耳たぶの裏を掻いた。
「で、旦那はいったいなんで、こんなところに連れてきたんだ?」
夕方5時――閉店の時間になり、中年男こと旦那と店を掃除して、さて退勤だと家代わりにしている宿に帰るうもりだったギル。それを呼び止めてまでして、旦那はここに連れてきたのだ。何かそれなり、大事な話があるんだろう。
「世間話とかいいから。とっとと話しちまえよ、本題」
ギルがそう急かすと、旦那は切なげに笑った。
「今日でうちをやめるってのに、薄情なもんだな。まぁ……なんだかんだ、お前とゆっくり話すのはこれが初めてだ。最後まで聞いちゃあくれねえか? こんな薄汚い路地に連れてきたのにも、ちゃんとわけがあるからよ」
「辛気クセーのは嫌いだし、この後も用事があるんでな。まぁ、早めに終わらせてくれんならいいけど」
特に説明もなく、まずはとにかくといった様子で要求してくる旦那に、条件付きで了承するギル。幸いまだ『待ち合わせ』の時間までは余裕がある。少し時間を潰しても問題はないだろう――ギルは胸中でつぶやいて、引き続き旦那の背を追った。
「――それで、その客が言ってたんだ。今の王都は、その戦争屋からうちの国の城に届いたって『手紙』の話で持ち切ってるんだと」
「手紙……?」
「ああ。どうやら戦争屋が国王に宛てた、今日の深夜に襲撃するって予告状らしい」
「……ふぅん」
「俺ぁ万が一のときには、女房と娘を連れて実家に帰国するつもりでいる。ただ、お前はどうするつもりなのか聞いときたくてな」
路地裏に入ってから10分と少し、ようやく旦那は足を止めて振り返る。その手前、ギルも歩くのをやめて路地の壁に背中を預けた。
「心配してんのか? そこまで気にされる義理はねェよ。ただ半月、あんたの店で雇われてたってだけだ」
「お前がそう思ってても、俺は違う。俺にとってお前は、息子同然の存在だったんだよ」
そう告げられた気恥ずかしい言葉に、驚きの表情を貼り付けるギル。彼はため息をつくと、この国での生活に思いを馳せた。
この国では、いろんなことがあった。
広大な煉瓦街で有名なこの国、『ウェーデン王国』に来てから半月が経ったあの日。持ち前の愛想の悪さゆえに解雇され、5度目の仕事探しをしていたギルを拾ったのが、今目の前に立つ旦那であった。
旦那はギルを自分の店に連れていき、ギルの腹が減っていたからとピザを奢り、安値だが清潔で食事の美味い宿まで彼に紹介した。
さらには、『資金がまとまるまで雇ってやる』とレシピやオーダーの取り方を教え、それらが上達すると実際にキッチンを任せてくれた。
つまり、ギルがいま何事もなく生きているのは、間違いなく旦那のおかげなのだ。だが、最後まで信じてみようと思ったのだが――旦那は語る。
「いいや。俺にとっては“そうだった”。全部過去の話になったんだ。今までずっと息子のように思っていた。だがギル、俺はお前に裏切られたんだ」
「――」
「まさか、お前が『戦争屋』だったとはなあ? 殺人鬼【ギル=クライン】」
普段の温和な彼を、かけらほども連想させない。別人のような顔の旦那が銃口を向けた瞬間、ギルは辺りの空気が少し冷えたような気がした。
「……まさか、最後の最後でこんなことになるとはなァ」
ギルは自嘲気味にハッと笑った。
「あんたの言う通りだ。俺は戦争屋のギル=クライン。邪魔なやつ、邪魔な国、邪魔なもん全部ブッ潰して、自分らに都合のいい世界を作ろうって犯罪者だ」
「……っ!」
「で……今回はひとまず、その『世界を作り直す』ってのを実現させてくために、ウェーデンに世話になりに来たんだ。そこに割り込もうってんなら、俺は旦那が相手だろうと容赦しねェよ」
ギルはからからと笑って、緊張を解こうと息を吐く。代わりに吸い込んだ路地裏の空気は、やけに苦くて冷たい味がするような心地がした。
*
「いやーしかし、まじっすか。はぁ」
自分に銃口を向ける旦那を見て、残念そうに嘆息するギル。しかしすぐに、聖母のような慈愛を浮かべて微笑むと、
「初めて握ったんじゃないっすか? その銃。そんな持ち方しちゃうと、腕を痛めちまうと思うんすけど〜」
「……ッ」
ギルの挑発に呑まれそうになり、しかし理性で自分を抑えつける旦那。彼は慣れない手つきで拳銃のセーフティを外した。
すると殺人鬼は、赤い双眸を妖しく輝かせ――瞬間、深く踏み込む。長い脚で旦那との間合いを詰め、恰幅のいい身体をひと蹴りで蹴り飛ばした。
「ッ!?」
蹴られた衝撃で拳銃を放し、路地を転がる旦那。その姿を見下ろすと、ギルは嘲るように鼻を鳴らし、
「いや、残念だなぁ! 2人の娘を持つお父さん、地元に愛されたピザ屋さんが、人に銃を向けるだなんて! 旦那のそんなところ、見たくなかったな〜!」
演技がかった口調で喋りながら、旦那の落とした拳銃を拾い上げるギル。残弾を確認するその素早い手捌きは、彼が戦争屋であることを証明するかのようだった。おそらく、何度も銃を扱ってきたのだろう。旦那の顔もこれには青ざめた。
「……旦那、ボク全部知ってたんですよ。旦那が金に困ってたこと。旦那が俺の正体を知ったこと。俺の暗殺を決めたこと」
ギルはゆったりと発砲の姿勢をとった。
「ピザの材料が高騰化して、長いこと赤字出してたんすよね。でも、これから2人目が生まれるってのに店は潰せない。価格を上げたら常連にも嫌われるかもしれない。そんなとき、客が忘れていった新聞に載ってる男が現れた」
「――」
「5000万ペスカ。質素に生きりゃあ一生安泰の懸賞金引っ提げた男が、新しい仕事探してほっつき歩いてたんだ。あんたはそれに飛びついて、昼間は息子だなんだと煽てながら、夜な夜な俺を殺す計画を立ててた――だろ?」
「ッ、いつ……」
「さぁ。でも、意外とバレるんだぜ。そういうの。ふふ、気づいてなかったろ。旦那ってばァ、お・茶・目っ」
まるで愛玩するように、猫撫で声を作るギル。
しかし彼が見ていたのは、猫でも、旦那でもなかった。ただ絶望を両の目に映して怯える、非力で弱々しい『抹殺対象』であった。
「……理由がそんなでも、実際旦那には世話になってたし。途中で計画を諦めてくれれば、このまま楽しい思い出で終わろうと思ったんすけどね」
「……っ」
「あんたは計画を諦められなかった。こうして、計画を行動に移しちまった――じゃあ、殺し返されても仕方ねェよなあ! っていうのが、あんたが手を出した世界のルールだ。なんにも知らねェ嫁さんとチビどもには悪いけどな」
ギルは旦那の額に照準を合わせる。すると旦那は、小動物のように震えながら後ずさり、辞世の句をわめき始めた。だが悲しきかな、ギルの耳が旦那の言葉を聞くことはもう2度とない。
「じゃあ、来世は金の話にゃ気をつけろよ? ――バァイ、旦那」
生血色の瞳を哀しそうに細めるギル。彼の微笑は、旦那の濡れた目が見た最後の光景であった。