愛する車に会うために。
「いくらお金を積んだってごめんよ! 帰って雇い主に伝えなさい。部品を譲るのはいいわ、でもタイプ60そのものを譲れというなら断るとね」
バンっ!
と玄関の扉を閉めると、そのうち車の走り去る音が聞こえてきた。
やっと帰ったみたいね。ほんとしつこいわ。
「お嬢様如何しましょう」
「今のところは様子見よ。先に仕事に戻ってくれるパスカル。私は車庫に行ってくるから」
「かしこまりました。お嬢様」
私は車庫へと足を運び、そこに鎮座する『KdFワーゲン・タイプ60』という車を眺める。この車はお爺様との思い出の車。大切な……大切な車。
私はアナベラ・デュカス。レーサー父とレースクイーンの母の元に生まれたわ。レーサーである父は投資家であった父親(私にとってのお爺様)が大層な車好きであったことから、幼少の頃より車に興味がありレーサーになった。
でもレースの最中に命を落とし、母は私を残してどこかに行ってしまった。そしてお爺様に育てられた私は必然的に車というものを好きになったの。
私は自分で言うものではないかもしれないけど、天才ともいえる頭脳によって車のことはもちろん。ありとあらゆる知識を学んだわ。
高校、大学を飛び級で卒業し、投資家としてお爺様の後を継いで今に至るわ。
そんな私の元に一人の男、つまりはさっき追い出した男が訪ねてきたわ。男の要件はこう。
「私の雇い主はタイプ60の使える部品を集めて、タイプ60を走らせようとしています。多くの方にご協力いただき、完成はまじかなのです。そこでご相談なのですがデュカスさんの持っているタイプ60を売っていただきたいのです。お金は言い値で払いましょうどうですか?」
ってね。
男の雇い主は大体予想がついてたわ。噂で車好きの大統領が、タイプ60を手に入れたと聞いていたから大統領じゃないかって。大統領は車を走らせることも、集めることも好きなのは有名だし。何より大統領が部品を集めているのは知っていたもの。
「お嬢様こちらの件は」
「進めておいて」
「かしこまりました」
初めのうちは、タイプ60を走らせるっていうから興味を持ったわ。そもそも私が車に興味を持ったのは、お爺様の運転するタイプ60に乗ったからだもの。
タイプ60に乗ったのはあの時が最初で最後だったけど、今でも乗った時のことは覚えているわ。エンジンの音に振動。車というものを知らなかった私にとって、それは未知の体験だったの。
だからもう一度タイプ60に乗れると思ったら、最後まで話を聞いてもいいかもしれないと思ったわ。
でも私とお爺様の思い出のタイプ60を売ってほしいと、男の口から聞いたとき……
すぐに私の考えは変わったわ。
「パスカルこれお願い出来る、早い方がいいのだけど」
「今やっているものが終わり次第、取りかかります」
大統領がカニバリズムをしようとしていることは、部品を集めているって聞いたときから予想していたわ。
カニバリズムと言っても食人の事じゃないわ。本来は共食い、つまり人間が人間を食すという意味だけど。今回の事例で言えばそれは、共食い整備と言われるものになるわね。
これは特に部品の製造が終了し入手困難である場合に、他の同型機から部品を外して修理に充てることを言うの。
タイプ60は870台が製造されて、その内現代でも走行可能なものは無いといってもいいわ。だから走らせようとするならカニバリズムをしないといけない。だから私も部品を譲るならいいと考えていたのよ。
それがタイプ60そのものを売れというなら、話は別。だから男を追い出したのだけど……
また来る気がするのよね。それも二人でね。
「一通り終わったかしら」
「お嬢様これから行ってまいります」
「頼んだわ。さて、午後は何をして過ごそうかしら」
そして案の定、次の日また男はわたしを訪ねてきたわ。
「なんの用かしら」
「タイプ60の件です」
「話だけ聞くわ。ここで」
わざわざ家に入れて話すようなことでもないわ。言うことが同じなら尚更ね。
「タイプ60を買取」
「帰りなさい、言ったはずよ部品だけなら良いとね」
「ただ買い取る訳ではありません。こちらの所有する車を差し上げます。いかがでしょうか」
「興味無いわね。また出直してきなさい」
前回と同じく扉を閉めたわ。嫌がらせなのかしら。仕事の邪魔なのよね。
「お嬢様、まだ帰っていないようです」
「そう言えば、音が聞こえないわね」
二階の窓から見れば男はタイプ60のある車庫を眺めて写真を撮っていたわ。
「何してるのかしら」
「私には分かりかねます」
じーっと男を見ていれば目が合った。男はすぐに車に乗りこんで走り去っていったわ。今夜は満月だったかしらね。
「パスカル、今夜はお客様が来るかもしれないから。送って差し上げる車を用意してちょうだい」
「かしこまりました」
夜。外のよく見える部屋で、明かりをつけることなくアルバムを開く。今日は満月、月明かりでも十分見えるわ。このアルバムは父と母の写った写真が入っている。
「お嬢様、紅茶が入りました」
「ありがとう」
父は死んでしまったし、母はどこかに行ってしまった。だから話を聞くことなんて出来ないけど、写真の中の二人は中が良さそうに見える。
お爺様の話では結婚した時色々言われたそうよ。お爺様のお金を目当てに結婚したとか。お金欲しさに父を籠絡したとか。もちろん父も母も否定したし。お爺様も違うと言ったそうなの。
そして私が生まれて、父が死んで。母が居なくなった。保険金の受取人は母になっていて、殺したのは母じゃないかなんて噂も出た。
それはそうよね、死んで保険金を受け取った後居なくなったんだから。今となっては真実は闇の中。
でもそうね、もしかしたら父は騙されたのかもしれないわね。騙されて死んで、でも別に母を恨んでいる訳でもないわ。母が居なければ私は生まれてこなかったわけだし。
「お嬢様、お客様がまいられました」
「ありがとう、パスカル」
そうしてアルバムを眺めていれば、外で何かが動いた。草木が揺れ動いた訳でもなく、月明かりの中何かが動く。動物のように見えるそれは、明らかに車庫をめざしていた。
「やっぱり来たのね。大統領の手駒さん。迎えの方は?」
「近くで待機しているそうです」
「わかったわ」
昼間男が撮っていた写真は、このためだったのでしょうね。本当に意地汚いこと。部品だけなら譲ってもいいと言っているのに。こうして盗みに来ているんだから。
でも私は何もしない。ただそれを眺めるだけ。幼女の私にできることなんて無いのよ。
影が車庫にたどり着いたことろで、私はアルバムを閉じて部屋を出る。
「あとは任せるわ。あとこれ、調べて置いてくれるかしら」
「調べ物はどこまで致しましましょう」
「最近のだけで良いわ」
「かしこまりました」
夜更かしはいけないのよ、寝る子は育つというしね。
「ふぁぁ……よく寝たわ。今日もいい天気ね」
「おはようございます、お嬢様」
「今日の予定は?」
「特別なものは無いも、調べ物についてはこちらに纏めておきました」
「ありがとう」
身だしなみを整えて、一日を始める。今日は特別なものは無いって話しよね。まあどうなるかなんてわかったものでは、無いけれど。
「ふーん。パスカル明日の予定は空けておいて」
「かしこまりました」
「そう言えば、夜のお客様はどうなったかしら?」
「特には何も」
「口が堅いのね。何をしに来たかなんて行動で話しているようなものなのにね。始めるわよパスカル」
「はい、お嬢様」
仕事をしている間は余計なことを考えずに済むからいいわね。終わってしまえば、何をするか考えないといけないんだもの。
今日はどうしようかしら。やること言っても急ぎのものは無いし。読書かしらね、でも最近家に居てばかりだし、散歩するのもいいのかしら。
散歩にしましょう。体動かさないでいるのは不健康ですものね。
「パスカル、午後は散歩することにするわ」
「軽食のご用意は如何致しますか?」
「そうね、公園散策も良いかしら。用意してくれる?」
「かしこまりました」
今日はいい日ね。仕事が終わるまで、例の男は来なかったし。こうして散歩することが出来るのだから。
「やっぱりいいわね、車」
「運転であれば私が致しますが」
「乗っているだけというのもいいのだけれど、運転してみたいから今はいいわ」
道行く車、高級なものから手頃な値段のファミリーカーまで。
色々な思い出を乗せて走る車。その姿はやっぱり綺麗なのよね。
公園の遊歩道を歩けば開けた場所で、遊んでいる子供が目に入る。
お父さんがいてお母さんが一緒にいて。もし父が死んで居なかったら私もあそこに居たのかもしれないのね。
羨ましいのかは分からない。遊びたいと思ったことが少ないから。
それこそ本を読んでいることの方が楽しかったから。今でもそれは変わらないから、家で本を読むことが多いのだけど。
「お嬢様、遊ばれますか?」
「遊ぶってここで?」
「はい」
「子供扱いしないでよ。子供だけど……」
飛び級で卒業したとはいえ、七歳の子供だもの。子供扱いするなという方が無理な話よね。わかってるわよ、いつも着替える時に鏡に映った私を見るんだから。
「子供でないとできないこともあるのですよ」
「それもそうね、でもパスカル忘れていることがあるわ」
「なんでございましょう」
「私は運動音痴よ。遊びが楽しくなかったら意味無いでしょ」
「そうでありましたね」
「だから遊ぶのはなしよ。今帰ればおやつには間に合うかしら?」
「間に合います」
「じゃあ帰るわよ。パスカル」
「はいお嬢様」
帰り際に遊ぶ子供たちを眺めてたら、遊んでいたボールがこっちに飛んできた。ころころと転がってきたボールは私の足元に転がってきた。
「おねーちゃん!」
「えっと……」
「投げ返してあげてください」
「えい!」
私は下から上にボールを投げた。投げたボールはそのまま上に行って落ちてきた。落ちてきたボールは私に当たりそうになって、パスカルがボールを受け止めてくれた。
「お嬢様」
「私帰るから、返しておいて」
「はい」
やっぱり運動は無理なのよ。うわーん!
「仕事しないで、こうしてお茶するのは久しぶりね」
「この頃仕事ばかりですからね」
「ほんとね、お爺様の後を継ぐのは大変よ」
「そうでございますね、あのお方は……お嬢様、来ました」
「あら少し早かったわね。通してちょうだい」
「はい、お嬢様」
外に停まっている車はフェラーリの、たぶんRomaかしらね。結構高いはずなのよねあれ、さすが大統領夫人よね。いい車乗ってるわ。
「お嬢様、お連れしました」
「ようこそ、大統領夫人。今日のご訪問のご用件はなにかしら?」
「タイプ60、受け取りに来ましたわ」
「部品の譲り渡ししか応じないと申したはずですよ」
「あら私に口答えできるのかしら?」
「できますよ。あなたは大統領夫人でしかないでしょう。過去を全て消したのですから」
大統領夫人の情報というのは、調べてもあまり出てくることはないのよね。経歴がとある時点から途切れてて調べても出てこないし。でも私はこの人の過去を知っている。
「そうね。でもあなたの母親よ」
「だから何だと?今更母親づらしないでくださいますか?」
「でも血はつながってるわよ。それに、あなたはまだ子供。親の言うことは聞くものじゃなくて?」
「そうですかタイプ60を。パスカル、スマホ」
「はい」
スマホを受け取って、とあるところに電話をかける。
「こんにちは。ええその件で、お願いします」
「何をしているの」
「電話ですよ。所有権の移譲について」
「この場にいてどうやって……」
「元々お爺様の物を借りていたのですから、返すのであれば手続きは簡単にすみます」
「お爺様って、生きていたの!?」
「生きてますよ。海外国籍を取っていますから、すでにこの国の人間ではありません。なので調べてもわかりませんよ」
お爺様はこの国を見限って既に他国に住んでいます。私もついていきたかったですが、タイプ60を置いていきたくなかったので残りました。
「ということで、お引き取り下さい」
「そうねもうここにいる意味はないのだし帰らせてもらうわ」
「パスカル」
「はい」
そして大統領夫人は帰っていきました。
「とんだ茶番だったわね」
「それを申されるのであれば、初めからでは?」
「それもそうね。この家にあるタイプ60はそもそも精巧に作られた模型なのだし」
本物のタイプ60はお爺様が外国に住むときに持って行ってしまったわ。だから私がお金に物を言わせて模型を作らせたのよね。
「ではなぜ、模型だと仰らなかったのですか?」
「簡単な話よ、母をおびき出すために決まってるじゃない。恨んではいなくても父のことに関しては憎んでいるから。それに、お爺様も母の事に決着付けないとこっちに来るなっていうのよ」
ポケットから、ボイスレコーダーを取り出してパスカルに見せる。
「それは」
「これをメディアに渡せば大統領ともども失墜よ。これで母のことに決着付けたし、お爺様に文句言われないわね。そうと決まればパスカル、お爺様の元に行くわよ。愛しいタイプ60が待ってるわ!」
「かしこまりました、お嬢様」